ル・コルビュジエの建築作品 - 近代建築運動への顕著な貢献

The Architectural Work of Le Corbusier, an Outstanding Contribution to the Modern Movement

  • スイス/ドイツ/フランス/ベルギー/インド/日本/アルゼンチン
  • 登録年:2016年
  • 登録基準:文化遺産(i)(ii)(vi)
  • 資産面積:98.4838ha
  • バッファー・ゾーン:1,409.384ha
世界遺産「ル・コルビュジエの建築作品 - 近代建築運動への顕著な貢献」、ギエット邸
世界遺産「ル・コルビュジエの建築作品 - 近代建築運動への顕著な貢献」、ギエット邸 (C) Ad Meskens
世界遺産「ル・コルビュジエの建築作品 - 近代建築運動への顕著な貢献」、ヴァイセンホーフ・ジードルングの住宅
世界遺産「ル・コルビュジエの建築作品 - 近代建築運動への顕著な貢献」、ヴァイセンホーフ・ジードルングの住宅 (C) Zinnmann
世界遺産「ル・コルビュジエの建築作品 - 近代建築運動への顕著な貢献」、サヴォア邸。1階の柱によって確保されたオープンスペースがピロティ、2階の横に長い窓が水平連続窓
世界遺産「ル・コルビュジエの建築作品 - 近代建築運動への顕著な貢献」、サヴォア邸。1階の柱によって確保されたオープンスペースがピロティ、2階の横に長い窓が水平連続窓
世界遺産「ル・コルビュジエの建築作品 - 近代建築運動への顕著な貢献」、マルセイユのユニテ・ダビタシオン
世界遺産「ル・コルビュジエの建築作品 - 近代建築運動への顕著な貢献」、マルセイユのユニテ・ダビタシオン (C) Fred Romero
世界遺産「ル・コルビュジエの建築作品 - 近代建築運動への顕著な貢献」、クルチェット邸
世界遺産「ル・コルビュジエの建築作品 - 近代建築運動への顕著な貢献」、クルチェット邸。窓の格子部分がブリーズ・ソレイユ (C) Danielsantiago9128
世界遺産「ル・コルビュジエの建築作品 - 近代建築運動への顕著な貢献」、ポストモダン建築の萌芽ともいわれるロンシャン礼拝堂
世界遺産「ル・コルビュジエの建築作品 - 近代建築運動への顕著な貢献」、ポストモダン建築の萌芽ともいわれるロンシャン礼拝堂
世界遺産「ル・コルビュジエの建築作品 - 近代建築運動への顕著な貢献」、チャンディーガルのキャピトール・コンプレックスの議事堂
世界遺産「ル・コルビュジエの建築作品 - 近代建築運動への顕著な貢献」、チャンディーガルのキャピトール・コンプレックスの議事堂 (C) duncid
世界遺産「ル・コルビュジエの建築作品 - 近代建築運動への顕著な貢献」、東京・上野の国立西洋美術館本館
世界遺産「ル・コルビュジエの建築作品 - 近代建築運動への顕著な貢献」、東京・上野の国立西洋美術館本館

■世界遺産概要

近代建築の3大巨匠に名を連ねる建築家ル・コルビュジエ、本名シャルル=エドゥアール・ジャヌレ=グリの7か国17作品を登録した世界遺産。1910~60年代にかけてこれらの建築作品が中心となって近代建築運動が推進され、コンクリート建築を中心とした20世紀の建築文化の礎が築かれた。

○資産の歴史

ル・コルビュジエの人生は大きく4期に分けられる。第1期がスイスと旅行時代だ。1887年にスイスの時計の町ラ・ショー=ド=フォン(世界遺産)で生まれたル・コルビュジエは地元の美術学校で時計職人としての技術を学ぶ。芸術に触れる中で建築の道を志し、17歳で建築家ルネ・シャパラとともにファレ邸の設計を行った。1907年からスイスを離れ、ヨーロッパを巡る中でトニー・ガルニエやジョセフ・ホフマン、オーギュスト・ペレ、ペーター・ベーレンスといった一流建築家と出会い、特にコンクリート建築の先駆者であるペレやコーポレート・アートで知られるべーレンスの事務所で実地に修業を行った。

ラ・ショー=ド=フォンに戻って美術学校で教鞭を執った際に提唱したのが「ドミノ・システム」だ。19世紀後半、鉄筋を組んでコンクリートで覆った鉄筋コンクリートが開発された。それまでにない強力な建材であるため鉄筋コンクリートの柱だけで建物を支えることができるようになり、壁を取り去ることが可能になった。また、自在に形が変えられるため板のように使用して天井を組めばそのまま屋根になり床にもなった。こうした板構造を「スラブ」というが、鉄筋コンクリートのスラブ・柱・階段の基本構造をドミノのように積み重ねることで建物を自在に拡張することができた。ドミノ・システムを最初に体現した建物がラ・ショー=ド=フォンのシュウォブ邸だ。

1917年に拠点をパリに移し、第2期がはじまる。翌年、画家アメデオ・オザンファンと出会い、キュビズムから装飾性や感情性を排除し、数学的規則に基づいた線と曲線で構成されたシンプルな抽象芸術様式「ピュリズム(純粋主義)」を提唱した。ピュリズムはドミノ・システムとの相性もよく、この新しい建築理論の熟成を図った。1922年には従兄弟のピエール・ジャンヌレと工房をオープンし、ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸やギエット邸など国内外で数多くの邸宅を設計した。やがてこの建築理論は集合住宅に拡張され、ペサックの集合住宅ではドミノを積み重ねた箱形ビルを完成させた。

1926年には「近代建築の5原則」を発表。鉄筋コンクリート建築では壁が必要ないので全面にガラス窓を並べた「水平連続窓」、柱以外のスペースを自由に区切る「自由な平面」、柱を建物内部に入れ込むことで壁からも柱からも解放された「自由な立面」、建物は土地を占有するものだが1階を柱のみにして開放した「ピロティ」、都市の緑の減少を屋上の緑でカバーする「屋上庭園」の5つを提唱した。

国際的な評価を得る1928~44年が第3期だ。1928年、ル・コルビュジエやギーディオンらが中心となってCIAM(近代建築国際会議)を開催し、建築と都市の在り方が模索された(1956年解散)。翌年のCIAM第2回会議ではドミノ・システムの基礎となる最小限住宅(ミニマム・ハウジング)を提案したが、これに対応する形で建設されたのがサヴォア邸だ。1930年の第3回会議でル・コルビュジエは都市への人口集中が懸念される中で高層建築に集約してスペースを確保する「輝く都市」構想を発表。1933年の第4回会議では輝く都市構想を盛り込む形でアテネ憲章が採択された。これは太陽・緑・空間を有し、住居・余暇・労働・交通の4機能を高度に備えた機能的都市を提唱するものだった。

第2次世界大戦後、1944~65年が第4期で、ル・コルビュジエの活躍の場は大陸を越えて広がった。建築分野においても邸宅はもちろん工場や博物館・宗教建築など多彩に展開し、その規模も拡大した。輝く都市構想の実現を目指したユニテ・シリーズでは大型集合住宅だけでなく店舗や学校・体育館といった施設を含んだ公共空間を創造し、人間の身体寸法や黄金比などをベースに最適なサイズや比率を割り出す「モデュロール」の概念を持ち込んだ。インドのチャンディーガルのキャピトール・コンプレックスでは議事堂のような個々の建物だけでなく、全体の都市計画に携わった。一方で、ロンシャン礼拝堂やフィルミニのサン・ピエール教会ではアシンメトリー(非対称性)やランダム性を取り入れてモダニズムから逸脱したポストモダン(ポスト・モダニズム)的な設計も行っている。そして1965年、フランスのロクブリュヌ=カップ=マルタンで77年の生涯を閉じた。

○資産の内容

世界遺産の構成資産は以下17件となっている。

ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸(1923年着工、フランス、パリ)はル・コルビュジエとピエール・ジャンヌレによる設計で、銀行家ラウル・ラ・ロッシュ邸と実兄アルベール・ジャンヌレ邸の二世帯住宅となっている。ドミノ・システムとピュリズムを体現する初期の邸宅で、シンプルな直線と曲線、黒と白を基調に赤などの原色を加えたスタイリッシュで機能的な空間が広がっている。現在はル・コルビュジエ財団の拠点となっている。

レマン湖畔の小さな家(1923年、スイス、コルソー)はラヴォーのブドウ畑地帯(世界遺産)に立つ小さな平屋で、両親が生活を送る最小限住宅として設計された。ドミノ・システムによる広い空間を間仕切りで区切る自由な平面が見られ、11mにわたる水平連続窓でレマン湖とアルプス山脈の眺望を確保している。老朽化に対する工夫も見られ、亜鉛メッキシートやアルミニウム・シートを使用して修復された。

ペサックの集合住宅(1924年、フランス、ペサック)は実業家アンリ・フリュジェの依頼でペサックの庭園都市に築かれた労働者向けの集合住宅で、7タイプの集合住宅51棟からなる。重層的なモジュール構造で、5平方mのモジュールの組み合わせによって部屋を構成し、部屋の組み合わせで集合住宅を設計し、形と色によって棟ごとにデザインを変えた。

ギエット邸(1926年、ベルギー、アントウェルペン)は画家ルネ・ギエットの邸宅で、細長い土地に立つ3階建ての建物だ。ピュリズムを推し進めたインターナショナル・スタイル(国際様式。鉄筋コンクリートによる直方体・無装飾のデザインで、幾何学的だがシンメトリーにこだわらない白を基調としたモダニズム建築)の作品とされ、きわめてシンプルな直方体に水平連続窓を組み合わせたデザインとなっている。左右非対称のファサード(正面)は近代建築の5原則の自由な立面を雄弁に表現している。

ヴァイセンホーフ・ジードルングの住宅(1927年、ドイツ、シュトゥットガルト)はドイツ工作連盟の住宅展のために設計された建物で、17人の建築家による33棟のうち、ル・コルビュジエはブルックマンウェグの住宅とラーテナウ通りの二世帯住宅の3棟を担当した。前年に提唱した近代建築の5原則を体現するもので、たとえば二世帯住宅では引き戸や戸棚によって部屋の構成を自在に変更可能な自由な平面が採用されている。

サヴォア邸とガーデン・ロッジ(1928年、フランス、ポワシー)はサヴォア夫妻の依頼で建設された邸宅と庭師小屋で、特にサヴォア邸は近代建築の5原則をすべて備えた代表作とされる。ピロティによって宙に浮いているように感じられる近未来的なデザインで、特徴的な水平連続窓を持つ2階部分が居住スペースとなっている。南東に位置する2階建てのガーデン・ロッジは庭師のために用意された最小限住宅で、ル・コルビュジエの建築理論が富裕層以外にも有効であることを示した。

イムーブル・クラルテ(1930年、スイス、ジュネーブ)は中流世帯向けの集合住宅50棟の内の1棟として設計された。9階建てで、自由な平面を利用してワンルームから二世帯住宅までさまざまな構成を持つ45部屋を有している。また、この建物はあらかじめパーツを工場で製作して現地で組み立てる「プレハブ工法」の先駆けとなった。

ポルト・モリトーの集合住宅(1931年、フランス、パリ)はふたつの通りに挟まれた幅13mの狭い土地に築かれた8階建ての建物で、ル・コルビュジエは7~8階に居を構え、亡くなるまで拠点とした。近代建築の5原則のうちピロティ以外のすべての要素を持ち、ふたつの通りに面したファサードはいずれも全面ガラス張りとなっている。ガラス張りは集合住宅としては初の試みだった。

マルセイユのユニテ・ダビタシオン(1945年、フランス、マルセイユ)は輝く都市構想の実践を目指した集合住宅ユニテ・シリーズの最高傑作とされる。第2次世界大戦後の住環境の悪化に対応する平面137×24m・高さ56m・17階建ての大型集合住宅で、収容人数1,600人を誇り、店舗や講堂・体育館・陸上競技場・プールなども内包された。コスト・カットの意図もあってコンクリートを前面に出したシンプルだが荒々しいスタイルで、ブルータリズムの作品とされる。また、モデュロールを駆使した人間工学的なデザインでも知られている。

サン・ディエ工場(1946年、フランス、サン=ディエ=デ=ヴォージュ)は大戦で破壊された織物工場クロード=デュヴァルの再建を依頼されたもので、ル・コルビュジエが設計した唯一の工場建築だ。ピロティを荷物の搭降載や保管、屋上庭園を会議場やリラックス・交流スペースとして使用し、3階から順番に作業を行って1階で運び出すような導線が張られるなど、建築理論の工場への適応が図られた。また、こうした縦の導線は輝く都市構想の一表現でもあった。

クルチェット邸(1949年、アルゼンチン、ラ・プラタ)は外科医クルチェット氏の3階建ての診療所兼自宅として設計された。暑い気候に対応するためブリーズ・ソレイユ(格子状の日除け)や木製カーテンに工夫を凝らし、中庭を活かして壁を湾曲させるなど地域の伝統建築を利用した設計がなされている。

ロンシャン礼拝堂(1950年、フランス、ロンシャン)、正式にはロンシャンのノートル=ダム・デュ・オー礼拝堂は、それまでの幾何学的なデザインとは一線を画する建築で、カニの甲羅にインスパイアされたというぶ厚い屋根、湾曲した壁、ランダムに開いた窓、垂直な柱と捉え所のないデザインで、全体をひとつの芸術作品と見る「彫刻的建築」の代表作とされる。ただ、窓は光、壁は音響、屋根は集水を考慮したもので、宗教建築としての機能性を追究した結果でもある。ル・コルビュジエは一帯を巡礼地と見なし、巡礼者のための休憩所や僧院なども設計している。

カップ・マルタンの休暇小屋(1951年、フランス、ロクブリュヌ=カップ=マルタン)はわずか15平方mの丸太小屋で、モデュロールを駆使した最小限住宅の典型とされる。壁や家具はあらかじめ製造された部材を組み立てるプレハブ工法で、ふたつの窓のみで採光されている。ル・コルビュジエは別荘として使用し、ここに滞在中に亡くなった。夫妻の墓碑も自らの設計だ。

チャンディーガルのキャピトール・コンプレックス(1951年、インド、チャンディガール)は1947年のパキスタン分離独立に伴ってパンジャーブ州の州都となったチャンディーガルの都市計画を策定したもので、ル・コルビュジエ唯一の都市設計となっている。都市は典型的な方格設計(碁盤の目状の整然とした都市設計)で、北東の行政地区では議事堂や事務局ビル、高等裁判所という3棟の特徴的な建物のほか、オープン・ハンド・モニュメント(開かれた手記念碑)、シャドー・タワー(影の塔)、ジオメトリック・ヒル(幾何学の丘)といった彫刻的な記念碑や、西から南にかけての庭園も設計している。

ラ・トゥーレット修道院(1953年、フランス、エヴー)、正式にはラ・トゥーレットの聖母マリア修道院は、丘陵の斜面に立つ地上3階・地下2階のブルータリズムの作品だ。上階は修道士が生活を行う約100室の住居で、水平連続窓やブリーズ・ソレイユといったル・コルビュジエらしい外観となっている。廊下や食堂の窓は水平連続窓とモデュロールを応用した「波動式ガラス壁」で、窓枠が等間隔ではなくリズムを刻んでいる。礼拝堂は打放しコンクリートの閉鎖空間で、3本の円筒や小さな窓から入るわずかな光をドラマティックに演出している。

国立西洋美術館(1954-59年、日本、東京)はフランスから返還された松方コレクションを収蔵するためをに築かれた美術館で、ル・コルビュジエが提唱した3館しかない「無限成長美術館」の最高傑作とされる。無限成長美術館は自由な平面を美術館に適用したもので、中心から螺旋状に展示室を配置することで、螺旋を延ばして展示室をどこまでも拡張することができる。同時に、来館者は同じ場所に戻ることなく見学することができる導線が確保されている。1階のピロティに水平連続窓を設け、2階の壁面にパネルを敷き詰めた特徴的なデザインで、1階を開放空間として2階以降に水平連続窓を設けるこれまでのデザインを崩した立面となっている。中央の吹き抜けである19世紀ホールの屋根にピラミッド形の天窓を設けて自然光を採り入れており、壁面や中庭のパネルの目地など各所にモデュロールを駆使するなど美術館の機能と快適性にこだわった造りとなっている。本館のみならず前庭もル・コルビュジエの設計だ。

フィルミニの文化会館(1953-65年、フランス、フィルミニ)は平面110×14mの3階建ての建物で、ル・コルビュジエの生前に完成した最後の作品となった。ピロティや波動式ガラス壁、スタジアム側の湾曲した屋根が特徴で、特に屋根の造形については代表的な彫刻的建築表現のひとつとされる。古くて暗い鉱山町のイメージを変えるために明るく近代的な都市を目指して設計された新街区に立つ建物で、ル・コルビュジエは西のスタジアムやサン・ピエール教会も設計しているが、これらは構成資産には含まれていない(バッファー・ゾーンには含まれる)。サン・ピエール教会はル・コルビュジエの死後8年を経た1973年に建設がはじまったもので、市の財政危機などもあって2006年にようやく竣工を迎えた。高さ33mの歪んだピラミッドのような類を見ない現代建築で、四方はコンクリートの壁に覆われている。ロンシャン礼拝堂と同様、神である光の演出に満ちており、窓から入った光が歪んだ壁面を照らして不思議な色とラインを描き、東側に穿たれた数々の穴は星々のように輝いている。

■構成資産

○レマン湖畔の小さな家(スイス)

○イムーブル・クラルテ(スイス)

○ヴァイセンホーフ・ジードルングの住宅(ドイツ)

○ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸(フランス)

○ペサックの集合住宅(フランス)

○サヴォア邸とガーデン・ロッジ(フランス)

○ポルト・モリトーの集合住宅(フランス)

○マルセイユのユニテ・ダビタシオン(フランス)

○サン・ディエ工場(フランス)

○ロンシャンのノートル=ダム・デュ・オー礼拝堂/ロンシャン礼拝堂(フランス)

○ル・コルビュジエのカップ・マルタン/カップ・マルタンの休暇小屋(フランス)

○ラ・トゥーレットの聖母マリア修道院/ラ・トゥーレット修道院(フランス)

○フィルミニの文化会館(フランス)

○ギエット邸(ベルギー)

○チャンディーガルのキャピトール・コンプレックス(インド)

○国立西洋美術館(日本)

○クルチェット邸(アルゼンチン)

■顕著な普遍的価値

本遺産は2008年に「ル・コルビュジエの建築と都市計画」として6か国22件、2010年には「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-」の名称で6か国19件をまとめた物件として推薦され、それぞれ翌年の世界遺産委員会で審議された。しかし、個別には顕著な普遍的価値を満たす構成資産が認められるものの、すべての構成資産や全体を貫く物語についてその価値が認められるわけではなく、また構成資産の選択についても必然性が証明されていないなどとして登録には至らなかった。

3度目となる2016年の世界遺産委員会における審議において、もともと登録基準(i)では推薦されていなかったが、すべての構成資産が当該登録基準を満たす必要はないというICOMOS(イコモス=国際記念物遺跡会議)とは異なる判断によって(i)の価値も認められた。

○登録基準(i)=人類の創造的傑作

ル・コルビュジエの建築作品は人間の創造的な才能を示す傑作であり、20世紀の明確かつ抜本的な建築的・社会的変化に対する卓越した回答を示している。

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

ル・コルビュジエの建築作品は近代運動の誕生と発展に関し、半世紀にわたる世界規模での人間の価値観の前例のない交流を示している。これらの作品群は過去から脱却した新しい建築言語の発明により、卓越した先駆的な方法で建築に革命をもたらした。また、作品群は近代建築の3つの主要なトレンド、ピュアリズム、ブルータリズム、彫刻的建築を生み出した。4大陸に広がった世界的な影響力は建築史における新たな現象であり、前例のない影響力を示している。

○登録基準(vi)=価値ある出来事や伝統関連の遺産

ル・コルビュジエの建築作品は近代運動の思想と直接かつ物理的に関連しており、その理論と作品群は20世紀において顕著な普遍的意義を持つ。一連の作品群は建築・絵画・彫刻の統合を目指した「エスプリ・ヌーボー(新しき精神。ル・コルビュジエが創刊した雑誌名)」を表している。作品群は1928年に開催がはじまるCIAMで発表されたル・コルビュジエの思想を具現化したものであり、新しい建築言語を発明し、建築技術を近代化し、現代人の社会的・人間的ニーズに応えようとする近代運動の試みを見事に反映したものである。ある時代の典型となった偉業の結果であるのみならず、半世紀をかけて世界中に普及した建築と思想の総合的な成果である。

■完全性

ル・コルビュジエの建築作品は近代運動の発展と影響をもたらしたが、その構成資産は世界を変革する建築運動の一部であったことを示すのに十分なものであり、ほとんどの構成資産の完全性は良好である。ただ、ペサックの集合住宅について、敷地内の3区画に建てられた新しい建物はル・コルビュジエのコンセプトと一致していない。サヴォア邸とガーデン・ロッジの環境は脆弱で、1950年代にサヴォア邸を囲んでいた草地の三方に建てられた学校と運動場によって完全性が部分的に損なわれている。ヴァイセンホーフ・ジードルングの住宅では戦中の破壊と戦後の復興により21棟中10棟が失われたことで、集合住宅全体としての完全性に影響が出ている。ロンシャン礼拝堂に関して、何世紀にもわたる巡礼地にル・コルビュジエ設計の建物が築かれたが、近くに新しいビジター・センターや尼僧院が建設されたことで完全性が損なわれた。また、ポルト・モリトーの集合住宅ではガラス張りのファサードの正面に新しいラグビー場が建設され、影響が懸念される。

■真正性

この遺産の価値は個々の構成資産の和よりも大きくなることは明らかである。構成資産のほとんどは遺産全体の顕著な普遍的価値を反映しており、真正性も良好に維持されている。ただ、ペサックの集合住宅について、3区画で伝統的な建物がル・コルビュジエの建築に替わって建設され、他の場所では放置や内装の改装によって真正性が部分的に損なわれている。マルセイユのユニテ・ダビタシオンでは2012年の火災で建物の一部が焼失し、元のデザインに沿って修復されたものの、真正性にいくらか影響が出ている。チャンディーガルのキャピトール・コンプレックスにおいて、計画されていた州知事公邸あるいは博物館の建設計画が実行された場合、真正性に影響を与える可能性があり、議論が進められている。国立西洋美術館前庭の当初の意図は広いオープンスペースと見られるが、1999年に行われた前庭の植栽は建物の外観や鍵となる景観・環境を損なう恐れがある。ロンシャン礼拝堂における近年の開発はル・コルビュジエの思想を伝えるという点で真正性を一部損ねている。ポルト・モリトーの集合住宅では新しいスタジアムの建設によってファサードのガラス・カーテン・ウォールの価値が毀損されている。いくつかの構成資産では損傷していたり放棄されている部分があったが、近年復元あるいは部分的に再建されている。全体的に修復は合理的かつ適切で、真正性は維持されている。

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