ゼメリング鉄道

Semmering Railway

  • オーストリア
  • 登録年:1998年
  • 登録基準:文化遺産(ii)(iv)
  • 資産面積:156.18ha
  • バッファー・ゾーン:8,581.21ha
世界遺産「ゼメリング鉄道」、20シリング・ビュー
世界遺産「ゼメリング鉄道」、20シリング・ビュー。1968年に発行がはじまった20シリング紙幣に描かれたことからその名がついた。左がアドリッツグラーベンのフライシュマン橋、右がカルテ・リンネ橋
世界遺産「ゼメリング鉄道」、カートナーコーゲル橋
世界遺産「ゼメリング鉄道」、カートナーコーゲル橋 (C) Linie29
世界遺産「ゼメリング鉄道」、ワーグナーグラーベン橋
世界遺産「ゼメリング鉄道」、ワーグナーグラーベン橋 (C) Häferl / Wikimedia Commons - CC-BY-SA 3.0
世界遺産「ゼメリング鉄道」、クラウゼル・クラウゼ橋
世界遺産「ゼメリング鉄道」、クラウゼル・クラウゼ橋 (C) Häferl / Wikimedia Commons - CC-BY-SA 3.0

■世界遺産概要

1848~54年に建設されたゼメリング鉄道はグロッグニッツからミュルツツーシュラークに至る全長41km超の山岳鉄道だ。実現不可能といわれた東アルプスの難所・ゼメリング峠にトンネルや高架橋を連ねて鉄道を通し、オーストリアの悲願だったウィーン(世界遺産)とトリエステを結ぶトリエステ・ルート開通を実現した。

○資産の歴史と内容

オーストリアの帝都ウィーンは東アルプス山脈の東端に位置し、ミュルツ渓谷からゼメリング峠を経てウィーンに至る道は東アルプスを縦断する重要なルートで、牛車などを用いて物資が輸送されていた。しかし、15世紀までにインスブルックの南のブレンナー峠やザルツブルクの南のラートシュテッター・タウエルン峠が開通すると次第に使われなくなり、貿易は急減した。

内陸国オーストリアにとって港の確保はきわめて重要で、14世紀頃からアドリア海北部の港湾都市トリエステはオーストリアの統治下にあった。18世紀はじめ、神聖ローマ皇帝カール6世はトリエステを自由港とし、ウィーンからゼメリング峠を経てトリエステに抜けるトリエステ・ルートの開拓を命ずる。それまでより勾配を減少させた商業・軍用の道路が開通し、貿易路として整備され、富裕層や芸術家らにその絶景が賛美された。それでも最急勾配は170パーミル(170/1000)に及んでいた。

1825年にイギリスで世界初の商用鉄道が開業し、1820~30年代にアメリカ、フランス、ドイツで次々と開通した。オーストリアでも1841年にウィーン-グロッグニッツ間、1844年にはミュルツツーシュラーク-グラーツ間が開通し、1849年にはリュブリャナ(ライバッハ。世界遺産)まで延伸された。

残る難所は標高436mのグロッグニッツと677mのミュルツツーシュラーク間だが、この間には標高895mのゼメリング峠があり、鉄道の敷設は不可能とさえいわれていた。神聖ローマ皇帝フランツ2世(オースリア皇帝フランツ1世)は鉄道計画を弟のヨハン大公に任せ、大公は鉄道技師カール・リッター・フォン・ゲーガに依頼。ゲーガはアメリカの鉄道を調査し、ゼメリング峠を研究して敷設可能なルートを探索すると同時に、勾配に強い蒸気機関車の開発を行った。S字やΩ字・螺旋形のループ線を駆使し、計4kmに及ぶ14のトンネルや全長1,477mに達する16の高架橋、11の鉄橋と118を超える石橋を用いて勾配を緩和し、最急勾配25パーミル・最小曲線半径190mまで抑えることに成功した。また、700m間隔で57棟もの2階建て監視小屋が設置された。

1848年にはじまった工事は20,000人以上を投入して1854年に竣工。同年5月16日にケーガは皇帝フランツ・ヨーゼフ1世とともに試乗を行い、ゼメリング鉄道は7月17日に正式にオープンした。石とレンガによる高架橋や石橋はアルプスの驚異的な自然によく映えて、美しい文化的景観を描き出した。高さ46mともっとも高いカルテ・リンネ橋や36.5mのクラウゼル・クラウゼ橋、328mともっとも長いシュヴァルツァ橋など数多くの名所を生んだ。1857年に鉄道はリュブリャナ経由でトリエステまで開通し、ついにウィーンとアドリア海が結ばれた(オーストリア南部鉄道)。

ゼメリング鉄道の開通により周辺の人口は急増し、ライヒェナウ・アン・デア・ラックスやパイエルバッハなどで開発が進んだ。別荘やホテルの開業が相次ぎ、こうした建物はゴシック・リバイバル様式やネオ・ルネサンス様式、ネオ・バロック様式といった歴史主義様式や、スイスのシャレー・スタイルのログハウスが築かれた。

1957~59年にかけて電線が配備されて電気機関車に移行し、景観は大幅に変化した。夏のアルペン・リゾートして人気を集めたが、後にウィンター・スポーツが流行するとウィンター・リゾートとしても名を馳せた。

■構成資産

○ゼメリング鉄道

■顕著な普遍的価値

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

ゼメリング鉄道は初期の鉄道建設に伴って起こった物理的問題に対する傑出した技術的解決の表現である。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

ゼメリング鉄道の建設はアルプスの驚異的な自然へのアクセスを容易にし、別荘地やリゾートとしての開発を導き、新しい形態の景観を生み出した。

■完全性

資産は顕著な普遍的価値を構成するすべての要素を含み、法的保護下にあり、広大なバッファー・ゾーンが設定されている。鉄道の整備は1854年の開業以来継続して行われており、施設の機能的な完全性は維持されている。この路線の継続的な運用はカール・リッター・フォン・ゲーガのエンジニアリングの才能の確かな証でもある。また、鉄道の人気に伴って19世紀後半~20世紀初頭に近郊に建設された別荘やホテルもそのすぐれた景観に貢献しており、これらはほとんど手付かずで完全性を維持している。

■真正性

1950年代の電化で景観は変化したが、景観に対する路線の全体的影響は本物で高い価値を持ち、その真正性に疑いの余地がない。1854年の開業以来、鉄道は継続的に使用されており、個々の部品は摩耗して交換され、路線の編成や運用方法も変化してきた。しかし、鉄道は本質的に社会的・技術的に進化しつづけるものであり、変化を伴う継続性は鉄道の基本的な特質であり、こうした原理は本資産の真正性を維持するために適当なものである。

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