カールスクローナの軍港

Naval Port of Karlskrona

  • スウェーデン
  • 登録年:1998年
  • 登録基準:文化遺産(ii)(iv)
  • 資産面積:320.417ha
  • バッファー・ゾーン:1,105.077ha
世界遺産「カールスクローナの軍港」のフェンフィンゲル・ドック、左のレンガ塔がガムラ・クレーン
世界遺産「カールスクローナの軍港」のフェンフィンゲル・ドック、左のレンガ塔がガムラ・クレーン (C) Boatbuilder
世界遺産「カールスクローナの軍港」、ストールトルゲット広場、右はフレデリック教会
世界遺産「カールスクローナの軍港」、ストールトルゲット広場、右はフレデリック教会 (C) Allie_Caulfield
世界遺産「カールスクローナの軍港」、ストールトルゲット広場のカール11世像とカールスクローナ市庁舎
世界遺産「カールスクローナの軍港」、ストールトルゲット広場のカール11世像とカールスクローナ市庁舎 (C) W. Bulach
世界遺産「カールスクローナの軍港」、ドロットニングカース要塞
世界遺産「カールスクローナの軍港」、ドロットニングカース要塞
世界遺産「カールスクローナの軍港」、ゴッドナット要塞塔
世界遺産「カールスクローナの軍港」、ゴッドナット要塞塔 (C) Henrik Sendelbach
世界遺産「カールスクローナの軍港」、クングスホルメン要塞
世界遺産「カールスクローナの軍港」、クングスホルメン要塞 (C) Patrik Nylin

■世界遺産概要

カールスクローナはスウェーデン南部、ブレーキンゲ地方の港湾都市で、1680年にスウェーデン王カール11世によって創設された。バルト海を支配したスウェーデン海軍の主力基地であるだけでなく、方格設計(碁盤の目状の整然とした都市設計)の整然とした区画にバロック様式の教会堂や公共施設が立ち並ぶ美しい街並みが築かれた。構成資産は11件で、カールスクローナのあるトロッソ島を中心に、周辺の島々に点在する要塞網や施設群が登録されている。

○資産の歴史と内容

17世紀半ば、スウェーデン王国は最盛期を迎えた。1618〜48年に行われた三十年戦争にプロテスタント側で参戦すると数多くの勝利を収め、ウェストファリア条約でポメラニアやブレーメン、ヴィスマール(世界遺産)といったドイツ北部の多くの土地を獲得した。また、1655~60年にスウェーデンとデンマーク=ノルウェーやポーランド=リトアニア、ロシア帝国の間で争われた北方戦争に勝利すると、1658年のロスキレ条約でデンマークからブレーキンゲ地方、スコーネ地方、ブーヒュースレーン地方、トロンデラーグ地方、ボーンホルム島といったスカンジナビア半島南端の土地を手に入れた(トロンデラーグ地方とボーンホルム島は1660年のコペンハーゲン条約で返還)。この時代、スウェーデンはスカンジナビア半島の2/3、フィンランド、エストニア、ラトビア、ドイツ北部の一部を版図に収め、バルト海沿岸部の多くを支配してバルト帝国を成立させた。

カール11世は北海へ通じるベルト海峡群やエーレスンド海峡、バルト海に睨みを利かせるためにデンマークから獲得したブレーキンゲ地方のボデクルに海軍基地や造船所を建設し、カールスハムに改名した。しかし、1676年にデンマークに占領され、1679年に奪還したものの立地や港としての条件の悪さが問題となった。カール11世は30の島々が連なるブレーキンゲ群島の複雑な地形に目を付け、1680年、中央のトロッソ島に港湾都市カールスクローナの建設を開始した。

カールスクローナは将軍であり建築家でもあるエリック・ダールベルグによって整然とした方格設計でデザインされた。中心となるのは丘の上のストールトルゲット広場で、広場の周りに市庁舎、フレデリック教会、聖三位一体教会が建設された。いずれもバロック様式で、聖三位一体教会はパッラーディオ様式の影響も感じさせる。その周辺には市立図書館、郵便局、劇場、ヴァクトマイスタースカ宮殿(グレヴァガーデン)といった公共施設がやはりバロック様式を中心としたデザインで築かれた。

海軍の主要港は南に位置し、城壁で囲まれた内部に海軍基地や造船所が設置された。現在、城壁は撤去され、造船所は海軍公園となっているが、ランドマークである時計塔はもともと造船所のもので1699年の建設だ。他に衛兵所・チャップマン邸・登記所・兵舎・砲兵公園(病院跡)・海軍教会・海軍学校・倉庫群などがあり、こうした施設を1704年に建設されたオーロラ要塞が守っている。

隣接する東のスタンホルメン島や南のリンドホルメン島は造船地区で、造船所と一体化したドック(船の製造・修理・点検・荷役・保管等を行う施設)を備え、船の修理や製造を行った。いずれにも砦を設置し、特にカールスクローナを守るように延びるリンドホルメン島には大きな衛兵所が設けられた。同島の隣のセーデルチェルナ島のフィンランド教会は1696年創建という最古級の教会堂だ。カールスクローナの西には西造船所が設立され、フェンフィンゲル・ドック(五指ドック)を中心に倉庫や発電所といった施設・設備が整備された。特徴的な建物が1803~06年建設のガムラ・クレーンで、9階建てレンガ造のタワー・クレーンで港の象徴となっている。

本土に位置するふたつの構成資産のうち、リッケビーのクラウン水車場はもともと民間の小麦粉の水力製粉所で、海軍が買収して1721年に建て替えた。小麦粉だけでなく、カールスクローナの水源として水を供給していた。一方、スケルヴァ邸は1785〜86年に建築家カール・オーガスト・エーレンスヴェルドが設計したフレドリック・ヘンリック・チャップマンのための邸宅だ。チャップマンは海軍中将で、海軍造船所の所長を務めてスウェーデン艦隊を再編したことで知られる。

カールスクローナの防衛体制について、主な進入路となるアスポ海峡の東にクングスホルメン要塞、西にドロットニングカース要塞を設置して防衛ラインを形成し、さらに内側に第2防衛ラインとして東にゴッドナット要塞塔、西にクルホルメン要塞塔が配された。いずれもエリック・ダールベルグの設計で、特に最大で3層44門の大砲を並べることができたドロットニングカース要塞は最高傑作とされ、実際18~19世紀にロシアやイギリス艦隊の襲撃を退けている。

カールスクローナは18世紀後半に人口1万人を超え、スウェーデン第3の都市にまで成長した。デンマーク、ロシアに対抗するために艦隊を拡大して海軍基地も拡張したが、ロシアの勢力拡大を受けて次第に衰退し、1809年にフィンランドをロシアに割譲したことでスウェーデンの繁栄は終了した。この後もカールスクローナはスウェーデン海軍の主要基地としてありつづけ、第1次・第2次世界大戦ではドイツの戦艦や航空機に対抗するために要塞の改修が行われた。現在もスウェーデンの海軍基地として使用されており、沿岸警備隊本部も置かれている。

■構成資産

○カールスクローナとトロッソ島

○ミョールナルホルメン島

○コホルメン島

○クンシャル要塞(バサレホルメン島)

○ゴッドナット要塞塔

○クルホルメン要塞塔

○ユンカー島

○リッケビーのクラウン水車場(クロヌックヴァルネン)

○クングスホルメン要塞(クングスホルメン島)

○ドロットニングカース要塞

○スケルヴァ邸

■顕著な普遍的価値

本遺産は登録基準(iii)「文化・文明の稀有な証拠」でも推薦されていたが、ICOMOS(イコモス=国際記念物遺跡会議)はその価値を認めず、世界遺産委員会では以下2つの基準での登録となった。

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

カールスクローナはヨーロッパにおける海軍を中心とした計画都市として際立ってよく保存された例である。また、イタリアのヴェネツィア(世界遺産)、フランスのロシュフォール、イギリスのチャタムといった港湾都市や海軍・造船施設を参考に設計され、同様の機能をさらに進化させたものとなり、後続の海軍都市のモデルとなった。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

ヨーロッパでは何世紀にもわたって海軍基地が誇示する海軍力こそが現実の政治を動かし、重要な役割を果たした。カールスクローナはそうした海軍基地を象徴するものであり、もっとも保存状態がよく、もっとも完全な形で伝えられている。

■完全性

11件の構成資産による320.417haには顕著な普遍的価値を表現するために必要なすべての要素が含まれており、その周囲には1,105.077haに及ぶバッファー・ゾーンが設けられている。資産は開発あるいは放棄といった悪影響を受けておらず、適切に保護されている。建設当初の都市構造が維持されており、今日でもオリジナルの都市グリッドと機能を容易に確認することができる。ただ、資産は人々が生活を行う生きている都市環境の中にあり、開発をはじめとする継続的な圧力につねに直面している。

■真正性

カールスクローナの軍港はその位置・環境・形状・デザイン・素材・原料・用途・機能といった点で本物であり、真正性は高いレベルで維持されている。個々の建築物のみならず、建築物と周辺環境が調和した文化的景観も同様に大部分が保持されている。

2005年にカールスクローナはスウェーデンの国家的な港と認定され、海軍港としての役割がふたたび強化された。スウェーデン当局はこの歴史的環境を維持し継続的に使用することが保護のための最善策であり、資産の真正性維持に貢献すると考えている。これを受けて港湾エリアのいくつかの古い建築物や構築物が再利用するために復元されている。

■関連サイト

■関連記事