イタリアのランゴバルド族:権勢の足跡[568-774年]

Longobards in Italy. Places of the Power (568-774 A.D.)

  • イタリア
  • 登録年:2011年
  • 登録基準:文化遺産(ii)(iii)(vi)
  • 資産面積:14.08ha
  • バッファー・ゾーン:306.22ha
 世界遺産「イタリアのランゴバルド族:権勢の足跡[568-774年]」、モンテ・サンタンジェロのサン・ミケーレの聖域、チェレスタ・バシリカ。右がアンジュイーナ塔、左がアトリオ・スペリオーレ
世界遺産「イタリアのランゴバルド族:権勢の足跡[568-774年]」、モンテ・サンタンジェロのサン・ミケーレの聖域、チェレスタ・バシリカ。右がアンジュイーナ塔、左がアトリオ・スペリオーレ (C) Itto Ogami
世界遺産「イタリアのランゴバルド族:権勢の足跡[568-774年]」、カステルセプリオのサンタ・マリア・フォリス・ポルタス教会
世界遺産「イタリアのランゴバルド族:権勢の足跡[568-774年]」、カステルセプリオのサンタ・マリア・フォリス・ポルタス教会 (C) Sailko
世界遺産「イタリアのランゴバルド族:権勢の足跡[568-774年]」、ブレシアのサン・サルヴァトーレ聖堂。右はサンタ・ジュリア修道院
世界遺産「イタリアのランゴバルド族:権勢の足跡[568-774年]」、ブレシアのサン・サルヴァトーレ聖堂。右はサンタ・ジュリア修道院 (C) Giorgio Minguzzi
世界遺産「イタリアのランゴバルド族:権勢の足跡[568-774年]」、ランゴバルド時代の彫像やレリーフ、フレスコ画が残るチヴィダーレ・デル・フリウーリのテンピエット・ロンゴバルド
世界遺産「イタリアのランゴバルド族:権勢の足跡[568-774年]」、ランゴバルド時代の彫像やレリーフ、フレスコ画が残るチヴィダーレ・デル・フリウーリのテンピエット・ロンゴバルド (C) Rollroboter

■世界遺産概要

西ローマ帝国が滅亡し、混乱の時代を経てイタリア王国の多くを征服したランゴバルド人のランゴバルド王国(568~774年)。ゲルマン文化をイタリアに持ち込み、ギリシアやローマの文化を吸収し、ビザンツや初期キリスト教、ノルマン人、イスラム教といった多彩な文化の影響を受けながら独自の文化を育んだ。構成資産はイタリア各地に散在する7件で、チヴィダーレ・デル・フリウーリ、ブレシア、カステルセプリオ、スポレート、ベネヴェント、カンペッロ・スル・クリトゥンノ、モンテ・サンタンジェロといった町の物件が登録されている。

○資産の歴史

4世紀頃から南下をはじめたゲルマン民族の一派・ランゴバルド人は568年にアルボインに率いられて北イタリアに侵入。ラヴェンナ(世界遺産)に総督府を置くビザンツ帝国(東ローマ帝国)と競いながら版図を広げ、一気にイタリア南部まで勢力を拡大した。ランゴバルド王国は新たに征服した土地に公爵を置いて統治させた。最初に建てられた公国が569年に成立したフリウーリ公国で、イタリア北東部を統治して王国の中心を担った。同年に北中部にブレシア公国、翌570年にイタリア半島中部にスポレート公国、南部にベネヴェント公国が建国された。本遺産の構成資産7件のうち4件はチヴィダーレ・デル・フリウーリ、ブレシア、スポレート、ベネヴェントに位置するが、それぞれの公国の首都だった町となっている。

公爵が治める公国は30以上に及び、572年にパヴィアを征服すると35人の公爵が集まり、この地に首都を置いてランゴバルド王国が発足した。同年にアルボインが死去し、次の王クレフィも574年に死去。以後、10年ほど国王が空位となったため地方の力が増し、公国の代表者が国王位に就く連合政体となった。

西のフランク王国、東のビザンツ帝国から圧力を受けたランゴバルド王国は教皇に接近。7世紀はじめに国王アギルルフォがアリウス派からローマ・カトリックに改宗した。アギルルフォが死去すると王妃テオデリンダが摂政政治を行い、教皇グレゴリウス1世と親しかったこともあって教会堂や修道院の設立を支援した。

7世紀、国王ロターリの時代にイタリア北東部のヴェネツィア(世界遺産)周辺や南部のリグリア地方を奪取。726年、ビザンツ皇帝レオン3世が聖像禁止令を発してイコノクラスム(聖像破壊運動)が広がると、教皇やイタリア諸侯とビザンツ帝国の対立が進み、この隙を突いてランゴバルド王リウトプランドはラヴェンナやコルシカ島を奪った。これによりローマ(世界遺産)やナポリ(世界遺産)など一部を除くイタリアのほぼ全域を掌握し、王国の最盛期を築いた。併合を恐れた教皇ステファヌス2世はフランク王国のピピン3世(小ピピン)に救援を要請。ピピン3世は754年・757年に遠征を行い、ラヴェンナなどの要衝を奪還して教皇に寄進した(ピピンの寄進。教皇領のはじまり)。デシデリウスの時代にラヴェンナの奪還を図るが、教皇ハドリアヌス1世の要請に応じたフランク王カール大帝による773~774年の遠征に敗北し、翌年ランゴバルド王国は滅亡した。

フリウーリ公国やブレシア公国といった公国もほぼ同時に滅んだが、北部から離れたベネヴェント公国やスポレート公国は存続していた。カール大帝は南部への遠征を進めてベネヴェント公国の主要港サレルノを征服。こうした状況を受けて両国は降伏した。この後、両国はベネヴェント侯国やスポレート侯国を名乗り、10世紀にはベネヴェント侯国からカプア侯国が独立。これによりランゴバルド三侯国が成立したが、ノルマン人の圧力を受けていずれも11~12世紀に滅亡した。

○資産の内容

世界遺産の構成資産は7件で、イタリア北部から南部、東部から中部まで各地に散在しており、都市・宗教・軍事建築など多様な建造物を含んでいる。

チヴィダーレ・デル・フリウーリはフリウーリ公国の首都だった都市で、構成資産「ガスタルダガ地域と司教の建造物群」はランゴバルド特有の都市文化を体現する建造物群となっている。一帯はもともと宮殿があったと見られる場所で、7世紀にベネディクト会が女子修道院を建設した。修道院内に収められた「テンピエット・ロンゴバルド(ランゴバルド神殿)」の異名を持つサンタ・マリア・イン・ヴァーレ礼拝堂はランゴバルド時代の8世紀の創建で、方形の礼拝堂内にコリント式の柱やフレスコ画(生乾きの漆喰に顔料で描いた絵や模様)、スタッコ(化粧漆喰)細工、モザイク画(石やガラス・貝殻・磁器・陶器などの小片を貼り合わせて描いた絵や模様)といった装飾が残されている。サンタ・マリア・アッスンタ大聖堂(チヴィダーレ・デル・フリウーリ大聖堂)は8世紀の創建で、14~15世紀にゴシック&ルネサンス様式で再建された。同大聖堂のキリスト教博物館に収められたカリスト大司教の洗礼盤とドゥーカ・ラティスの祭壇はランゴバルド芸術の傑作として名高い。これ以外にもサン・ジョヴァンニ・バティスタ洗礼堂遺跡やプレトーリオ宮殿(現・国立考古学博物館)、市壁などが資産に含まれている。

ブレシアはブレシア王国の首都だった都市で、「サン・サルヴァトーレ-サンタ・ジュリアの修道院建造物群のあるモニュメント地域」は最後の王デシデリウスと妻アンサが設立した修道院コンプレックスを中心とした建造物群となっている。5世紀に殉教したコルシカの聖ジュリアに捧げられたサンタ・ジュリア修道院は753年に築かれた女子修道院で、763年には修道院教会としてサン・サルヴァトーレ聖堂が奉献された。同聖堂は9世紀に再建されているが、堂内のサン・ジョヴァンニ・バッティスタ礼拝堂などに8世紀の身廊の一部が引き継がれている。9世紀の再建ではカロリング・ルネサンス(カール大帝が主導した古典復興に基づくキリスト教文化の興隆)のフレスコ画やスタッコ細工が加えられ、さらに15~16世紀の改修でルネサンス様式の華やかなフレスコ画等が追加された。クロイスター(中庭を取り囲む回廊)などとともに12世紀にロマネスク様式で建設されたサンタ・マリア・イン・ソラリオ教会はもともと修道院の宝物の保管を目的とした礼拝堂で、窓がほとんどない堅牢な造りとなっている。15世紀にフロリアーノ・フッラモーラによって天井や壁面を埋め尽くすフレスコ画が描かれ、至宝・デシデリウスの十字架が収められた。修道院の西はローマ時代のフォルム(公共広場)にあたり、カピトリウム(カピトリーノ神殿)跡やテアトルム(ローマ劇場)、遺跡上に建てられたルネサンス様式のマジ・ガンバラ宮殿、修道院の東にあるローマ時代の邸宅跡=ドムス・デロルタグリア遺跡なども資産に含まれている。

カステルセプリオの「トルバ塔のある城塞と城壁外の教会サンタ・マリア・フォリス・ポルタス」の城塞や城壁・塔はもともとローマ帝国が建設したもので、現在はカステルセプリオ考古学公園として保護されている。4世紀頃にランゴバルド人が入植して町を建て、これらを改修して利用した。8世紀にベネディクト会によって女子修道院であるトルバ修道院が建設されたが、13世紀に塔を除いて破壊された。高さ18mのトルバ塔はローマ建築の影響下で5~6世紀に築かれたものと見られ、修道院時代には礼拝堂として使用されていたためフレスコ画の跡が見られる。サン・ジョヴァンニ・エヴァンゲリスタ聖堂は5世紀の建設と見られるバシリカ式(ローマ時代の集会所に起源を持つ長方形の様式)・三廊式(身廊とふたつの側廊からなる様式)の教会堂で、7世紀にランゴバルド人が改装を行った。洗礼堂などとともに13世紀に破壊され、現在は近郊のサン・パオロ教会などとともに遺構が残されている。サンタ・マリア・フォリス・ポルタス教会は一帯最古の教会堂で7~8世紀の創建と見られ、9世紀頃に改築され、その後もたびたび改修を受けた。ギリシア十字形で西ファサードを除いた東・南・北の3方にアプス(後陣)を持つ3アプス式の教会堂で、内部にはランゴバルド時代までさかのぼる見事なフレスコ画が残されている。主題の多くはイエスの物語で、ローマやビザンツ、中東など各地の影響が見られる。

スポレートはスポレート王国の首都だった都市で、「サン・サルヴァトーレ聖堂」のみを資産としている。4~5世紀の建設と見られ、8~9世紀にランゴバルド人によって再建されている。バシリカ式・三廊式の教会堂で、装飾はほとんど失われているが、ポータル(玄関)のレリーフ、アプスのフレスコ画やコリント式円柱、身廊のドーリア式円柱などが残されている。

カンペッロ・スル・クリトゥンノの「テンピエット・デル・クリトゥンノ(クリトゥンノ小神殿)」はギリシア神殿メガロンのような造りから長らくギリシア・ローマ時代の神殿と考えられていたが、十字架像などから4~5世紀の初期キリスト教の教会堂であることが確認された。ランゴバルド人が7~8世紀に改修し、フレスコ画などの装飾が加えられた。

ベネヴェント公国の首都ベネヴェントの「サンタ・ソフィア建造物群」は760年頃にベネヴェント公アレキ2世によって建設されたサンタ・ソフィア教会と修道院を中心とした建造物群だ。サンタ・ソフィア教会は直径23.5mほどの円形の教会堂で、中央にドームを冠している。中央に6本のコリント式の円柱が円形に配されており、これらが中央のドームを支え、外側におおよそ同心円形に並べられた10本の角柱や円柱が全体を支えている。もともと多角形だったといわれるが、17~18世紀の地震でドームが倒壊して円形に改築された。わずかではあるが7~8世紀のフレスコ画が残されており、12~13世紀に築かれたロマネスク様式のポータルにはレリーフが伝えられている。アレキ2世は教会堂に隣接してサンタ・ソフィア修道院を整備したが、現在残っているのは12世紀に再建されたクロイスターだ。ロマネスク様式だがムーア建築(イベリア半島のイスラム建築)の影響を色濃く残しており、アーチの形状や水路で四分割されたチャハル・バーグ(四分庭園)などに影響が見られる。

モンテ・サンタンジェロの「サン・ミケーレの聖域」は490年を皮切りに大天使ミカエル(ミケーレ)がたびたび降臨したとされるサン・ミケーレの洞窟を中心とした建造物群で、ヨーロッパ随一の巡礼地となっている。5世紀末から聖地として整備され、7世紀にベネヴェント公国が征服すると国の聖地として開発し、やがてランゴバルド王国を代表する巡礼地となった。洞窟と周辺を聖堂に見立てて整備されており、一帯は「チェレスタ・バシリカ(天の大聖堂)」と呼ばれる。上部に立っている鐘楼はアンジュイーナ塔(アンジュー家の塔)で、高さ27mを誇る八角形・4層の塔で1274~82年に建設された。エントランスはアトリオ・スペリオーレ(上部玄関)と呼ばれるポルティコ(柱廊玄関)で、ここを下ってアンジュイーナ階段から洞窟にアクセスする。86段の階段を下るとアトリオ・インフェリオーレ(下部玄関)で、洞窟につながるドアにはイエスやミカエルの物語がレリーフで刻まれている。洞内には秘跡の祭壇、聖母の祭壇、大天使ミカエルの祭壇があり、フレスコ画や彫像・十字架などが設置された祈りの場となっている。また、敷地内にはテクム博物館があり、ランゴバルド時代の構造を残すランゴバルドのクリプト(地下聖堂)、一帯の遺物やオリジナルを集めたラピダリオ博物館、奉納品などの宝物を収めたデヴォツィオナーレ博物館(祈りの博物館)の3施設が含まれている。資産となっているのはこの聖域だけで、周辺はバッファー・ゾーンに指定されている。

■構成資産

○ガスタルダガ地域と司教の建造物群

○サン・サルヴァトーレ-サンタ・ジュリアの修道院建造物群のあるモニュメント地域

○トルバ塔のある城塞と城壁外の教会サンタ・マリア・フォリス・ポルタス

○サン・サルヴァトーレ聖堂

○テンピエット・デル・クリトゥンノ(クリトゥンノ小神殿)

○サンタ・ソフィア建造物群

○サン・ミケーレの聖域

■顕著な普遍的価値

本遺産は登録基準(iv)「人類史的に重要な建造物や景観」でも推薦されていたが、この登録基準は取り下げられた。

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

ゲルマン世界の文化をベースに、ローマの遺産、キリスト教の精神性、ビザンツの影響を引き継いで生まれたランゴバルドのモニュメントで、6~8世紀にイタリア半島で発達した文化的・芸術的統合の重要な証拠である。これらの文化はカロリング・ルネサンスの文化と芸術の開花へ道を開き、中世ヨーロッパ世界とローマ・カトリック文化が幕を開ける礎となった。

○登録基準(iii)=文化・文明の稀有な証拠

ランゴバルドの権勢の地はヨーロッパ中世盛期のランゴバルドの文化的特徴を証言する驚異的かつ革新的な芸術と建築を表現している。それはランゴバルドの上流階級の権勢を示す独創的な文化的建造物や言語の形を取って表れている。

○登録基準(vi)=価値ある出来事や伝統関連の遺産

中世ヨーロッパのキリスト教の精神的・文化的構造について、ランゴバルドの地とその遺産は際立った重要性を持つ。それらは修道院活動を大幅に強化し、大天使ミカエル信仰を広めるモンテ・サンタンジェロの偉大で先駆的な巡礼地の設立に貢献した。それらはまた文学・技術・建築・科学・歴史・法律の作品を古代から初期ヨーロッパ世界に伝えるうえで重要な役割を果たした。

■完全性

構成資産はいずれもランゴバルドの建築・文化・芸術に関する重要で比類のない特徴を持ち、保存状態が適切であるものが選ばれている。ランゴバルド王国の首都パヴィアの建造物群が外されるなど選択は厳格で、基準は適切である。王国の文化の変遷がよく示されており、顕著な普遍的価値を表現するために必要なすべての要素が含まれている。

■真正性

構成資産の多くの建造物はランゴバルド王国滅亡後も使用されており、たびたび改修・修復を受けている。それでいながらランゴバルド時代の特徴はよく引き継がれており、建築的・芸術的・考古学的・歴史的な証拠を持ち、建築・装飾等の真正性が保たれている。近世以降、改修された建物もあるが、サンタ・ソフィア建造物群のサンタ・ソフィア教会のように近代・現代の改修部分が取り除かれるなど、保全も適切に行われている。

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