バルデヨフ市街保護区

Bardejov Town Conservation Reserve

  • スロバキア
  • 登録年:2000年
  • 登録基準:文化遺産(iii)(iv)
  • 資産面積:23.6ha
  • バッファー・ゾーン:12.83ha
世界遺産「バルデヨフ市街保護区」、市庁舎広場。中央が市庁舎
世界遺産「バルデヨフ市街保護区」、市庁舎広場。中央が市庁舎 (C) Jakub Hałun
世界遺産「バルデヨフ市街保護区」、市庁舎広場と市庁舎
世界遺産「バルデヨフ市街保護区」、市庁舎広場と市庁舎
世界遺産「バルデヨフ市街保護区」、聖アエギディウス教会
世界遺産「バルデヨフ市街保護区」、聖アエギディウス教会
世界遺産「バルデヨフ市街保護区」、歴史地区を取り囲む城壁
世界遺産「バルデヨフ市街保護区」、歴史地区を取り囲む城壁

■世界遺産概要

バルデヨフはスロバキア北東部、ポーランド国境近くに位置する都市で、13~14世紀に主にゲルマン系(ドイツ系)の民族によって開発された。15~16世紀には堅固な城壁と城塞・塔からなる最先端の要塞システムを導入し、中央広場(現・市庁舎広場)は聖アエギディウス教会や市庁舎をはじめゴシックやルネサンス様式の建物で彩られた。

○資産の歴史

バルデヨフには旧石器時代から人類の定住の跡があり、以来、青銅器・鉄器時代を通じて遺跡が発掘されている。カルパチア山脈を縦断するルート上に位置することからローマ時代以降、ハンガリーとポーランドの諸都市を結ぶ交易都市として発達した。1200年前後にはシトー会が聖アエギディウス(聖ジャイルズ)に捧げる修道院が築かれ、やがて聖アエギディウスは町の守護聖人となった。聖アエギディウス教会もこの頃、1247年前後の創建と見られる。この時代からゲルマン系民族の入植が増加していたが、ハンガリー王国はポーランド侵略の足掛かりとして都市を整備し、町に税関を設けて通行料を徴収しつつ、移民に免税特権を与えて町の拡大を図った。

14世紀半ば、ハンガリー王ラヨシュ1世は市民に対して町の要塞化を命じ、ポーランドとの競争が激化した15世紀にかけて町を取り囲む約1.4kmの城壁や堅固な城塞・城門・塔が築かれた。この時代、町には50以上のギルド(職業別組合)が存在し、主要産業であるリネンをはじめさまざまな工芸品を生産・輸出した。豊かになった市民は城壁内の家々をゴシックあるいはルネサンス様式で建て直し、華やかな城郭都市が誕生した。15世紀半ばに聖アエギディウス教会がゴシック様式で改装され、隣接して学校が築かれたほか、1505年には市庁舎が建設された。この時代に城壁の外に堀が築かれ、町は堅牢さを増した。

16世紀に町をリードするドイツ人たちがユダヤ人を追放し、スロバキア人やポーランド人の入植を制限した。これにより産業の衰退がはじまり、1686年の大火や、ペストやコレラといった疫病の流行が重なって停滞は長引いた。こうした入植制限が撤廃された18世紀にようやく改善に転じ、スロバキア人とユダヤ人の大量流入によって町は活気を取り戻した。大シナゴーグ(ユダヤ教の礼拝堂)のあるユダヤ人街などもこの時代に築かれたものだ。19世紀から工業化がはじまったが、歴史地区は城壁が撤去された他はほとんどそのまま残された。

○資産の内容

世界遺産の資産となっているのは城壁に囲まれた半円形の歴史地区で、東西・南北とも3~4本ほどの道路が直交する中心に260×80mの市庁舎広場が広がっている。広場の中央に市庁舎、北に聖アエギディウス教会が位置し、三方には46棟のゴシック様式やルネサンス様式の色彩豊かな住宅が立ち並んでいる。

市庁舎は1505~09年にマイステル・アレクサンデル(マスター・アレキサンダー)やマイステル・アレクシウスによってゴシック様式の影響を受けたスロバキア初となるルネサンス様式で建設され、1510~11年に画家テオフィル・スタンツェルが装飾を行った。何度かの焼失・再建を経験しており、現在の建物は1902年に再建されている。かつては市議会が活動していたが、現在はサリス博物館として公開されている。

1427年に完成した聖アエギディウス教会はゴシック様式の三廊式(身廊とふたつの側廊を持つ様式)のバシリカ(ローマ時代の集会所に起源を持つ長方形の教会堂)で、ルネサンス様式で改修されたが、1878年の地震によって大きく損傷した。このため19世紀末にルネサンス様式の部分を削除してゴシック・リバイバル様式で改修されたが、構造や祭壇などオリジナルの部分を数多く引き継いでいる。隣接する鐘楼は1774年の大火で焼失した後、やはり19世紀末に高さ76mで再建された。これ以外の宗教建築としては、15世紀にゴシック様式で建設された洗礼者ヨハネ教会、19世紀に新古典主義様式で建てられた福員派教会(アウクスブルク福音派告白教会)などがある。

歴史地区の西にはユダヤ人街が広がっており、小規模ながら街並みが保存されている。象徴である大シナゴーグは1725~47年に建設された宗教コンプレックスで、美しい内装で知られるほか、ミクヴェ(沐浴場)や食肉処理所・会議棟・学校といった施設を備えている。

城壁は主に15世紀のもので、17世紀までたびたび改修を受けた。西側の城壁の多くが解体された一方で、東側には状態のよい城壁が残されており、南東を守る5階建てのフルバ城塞、東を守る3階建てのチェルヴェナ城塞、北東のドルナ門を守る2階建てのルネサンチュナ城塞といった大規模な城塞が見られる。

■構成資産

○バルデヨフ市街保護区

○ユダヤ人街

■顕著な普遍的価値

本遺産は登録基準(v)「伝統集落や環境利用の顕著な例」でも推薦されていたが、その価値は認められなかった。

○登録基準(iii)=文化・文明の稀有な証拠

バルデヨフの城郭都市は中世中央ヨーロッパ交易都市の経済的・社会的構造を示すきわめてよく保存された証拠を提示している。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

バルデヨフの都市プラン・建築・要塞システムは中世の大規模な貿易ルートに沿って発展した中央ヨーロッパの都市コンプレックスを見事に例証している。

■完全性

資産の範囲とサイズは適切であり、顕著な普遍的価値を構成するすべての重要な要素が含まれている。歴史地区の中心部は特に都市プランや区画・中央広場・道路・公共建築・城壁・家並み・オープンスペースなど、中世の交易都市の主要な特徴を保持している。城壁外のユダヤ人街のレイアウトも同様で、大シナゴーグのコンプレックスにはミクヴェや食肉処理所などの施設が比較的無傷で伝えられている。資産の都市構造は安定しているが、他の生きている都市と同様に開発圧力を受けており、特にバッファー・ゾーンで顕著である。

■真正性

16~17世紀に幾度かの大火を体験しているにもかかわらず中世の都市形態を保っており、資産は高いレベルで真正性を保持している。住宅についても大きな再建や増築なしで伝えられており、最後の大火で焼失した木造屋根については1967年に開始された組織的な修復によって適切に復元されている。住宅の内装について、いくつかは改修されているものの、ほとんどの建物は本来の内装を引き継いでいる。機能について、住宅の伝統的な機能と用途が維持あるいは復興されており、ビジネスやサービスに使用される1階部分と住宅用の上階の区分が保たれている。他に形状・素材・装飾などについても真正性が保たれている。城壁外のユダヤ人街も18世紀初頭の道路網や区画・建築・オープンスペースを引き継いでおり、真正性を維持している。城壁の一部は解体され、堀は埋められたが、城壁の半分以上は無傷で保全されており、城塞や塔の一部は現在でも使用可能な状態にある。

資産の価値は歴史的内容を損なわない現代的な活動とその活力にもあるが、ユダヤ人の人口が減少していることからユダヤ人街の適切な用途を見出すことが課題となっている。

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