マテーラの洞窟住居と岩窟教会公園

The Sassi and the Park of the Rupestrian Churches of Matera

  • イタリア
  • 登録年:1993年
  • 登録基準:文化遺産(iii)(iv)(v)
  • 資産面積:1,016ha
  • バッファー・ゾーン:4,365ha
世界遺産「マテーラの洞窟住居と岩窟教会公園」、サッソ・バリサーノとマテーラ大聖堂の鐘楼、チヴィタ
世界遺産「マテーラの洞窟住居と岩窟教会公園」、チヴィタ(左)とサッソ・バリサーノ(右)。上の塔はマテーラ大聖堂の鐘楼
世界遺産「マテーラの洞窟住居と岩窟教会公園」、サンタ・マリア・ディ・イドリス岩窟教会、サンティ・ピエトロ・エ・パウロ教会
世界遺産「マテーラの洞窟住居と岩窟教会公園」、上の岩の中に築かれた建物はサンタ・マリア・ディ・イドリス岩窟教会、左はサンティ・ピエトロ・エ・パウロ教会 (C) Alexander van Loon
世界遺産「マテーラの洞窟住居と岩窟教会公園」、サッシの洞窟住居
世界遺産「マテーラの洞窟住居と岩窟教会公園」、サッシの洞窟住居。断崖を掘り抜いて住居とし、切り出した岩を利用して壁を築いている
世界遺産「マテーラの洞窟住居と岩窟教会公園」、ムルギア・マテラーナ公園
世界遺産「マテーラの洞窟住居と岩窟教会公園」、旧石器・新石器時代の住居跡や中世の岩窟集落跡が残るムルギア・マテラーナ公園 (C) Luca Aless

■世界遺産概要

イタリア南部バジリカータ州マテーラのグラヴィナ渓谷に位置する洞窟住居群で、古代から現在まで2,000年の歴史を誇る。断崖から岩を切り出して洞窟を掘り、切石を積み上げて洞窟の前面に建造物群を組み上げた。

○資産の歴史

マテーラの「ムルジェ」と呼ばれるカルスト台地は水が浸透・溶解しやすい石灰質の岩でできており、雨や地下水・川による浸食を受けて多くの洞窟が穿たれた。旧石器時代の人々はこうした天然の横穴式住居で生活を行った。青銅器・鉄器時代に入ると人々は岩窟を掘って住居を造り、「トゥファ」と呼ばれる石灰岩ブロックを切り出して周囲に壁や塔を建設し、地下に貯水槽を築いて水を確保した。

ギリシアのマグナ・グラエキア(南イタリアのギリシア勢力圏)やローマ帝国の時代、湾岸の植民都市と交易を行った。その後、ランゴバルド、イスラム教勢力、ビザンツ帝国、東フランク王国などが代わる代わる襲来し、東フランク王ルートヴィヒ2世によって町が破壊された記録が残っている。

8世紀頃から多くのキリスト教修道士がこの地に移住し、150に及ぶ岩窟教会を建設した。11世紀頃から農業や放牧を行う農民が流入し、人口は急増した。人々は洞窟の前に石造の家屋を建設したが、生活の中心は温度が15度ほどに保たれた洞窟住居だった。

洞窟住居は手軽に掘ることのできるグラヴィナ渓谷の側面に築かれたが、特に集中する洞窟集落は岩を意味する「サッソ」と呼ばれ、北のサッソ・バリサーノと南のサッソ・カベオーゾという2大集落が発達した。世界遺産の英語名にある「サッシ」はサッソの複数形でこうした集落群を示す。サッシに築かれた洞窟住居は3,000を超えるといわれている。

サッソ・バリサーノとサッソ・カベオーゾの間にあるチヴィタや、その北西の丘陵地であるピアノと呼ばれる地区には塔や砦・教会堂が建設された。13世紀に建設されたロマネスク様式のマテーラ大聖堂や、16世紀に建設がはじまった未完のトラモンターノ城がその一例だ。また、丘では水を集める水路が整備され、水は地下の貯水槽に送られ、さらに集落に送水された。最大の貯水槽がパロンバーロ・ルンゴで、全長50m・高さ16m・貯水量500万lを誇り、水が染み込まないようにコッチョペストと呼ばれるモルタルや粘土質の土壌で保護されていた。

15~16世紀にはオスマン帝国のヨーロッパ進出を受けて多くのアルバニア人やセルビア人が逃げ込み、カザルヌオーヴォ地区が発達した。当時、アランゴーナ家がマテーラを仕切っていたが、この地を買い取ったジョヴァンニ・カルロ・トラモンターノ伯爵が重税を課したため住人に殺害されたという逸話が残っている。1663年にバジリカータ州の州都となり、1806年にポテンツァに遷都されるまでピアノ地区を中心に発展した。

20世紀はじめに貧困層が流入し、洞窟の穴蔵にまで人が住み着き、衛生状態は極端に悪化した。この頃の乳児死亡率は50%を超えていたともいわれる。これを受けて強制移住が決定し、1952年にサッシの住人15,000人が郊外に建設された集合住宅に移住した。衛生状態の改善と集落の改修が行われたが、人の手が入らなくなった洞窟住居は年を経るごとに劣化した。このため1980年代に人々の帰還が認められて洞窟住居の伝統的な使用と機能が回復し、適切に利用されることでよい保全状態が保たれている。

○資産の内容

世界遺産の資産は地域で登録されている。

代表的な宗教建築として、マテーラ大聖堂が挙げられる。チヴィタのもっとも高い丘に1230~70年頃に建設されたラテン十字形・三廊式(身廊とふたつの側廊からなる様式)の教会堂で、守護聖人であるブルーナの聖母と聖エウスタキオに捧げられたことから正式名称をマドンナ・デッラ・ブルーナ・エ・ディ・サンテウスタキオ大聖堂という。ロマネスク様式ながらバラ窓などゴシック様式の影響が見られ、内装は17世紀に黄金のスタッコ細工をはじめバロック様式で改修されている。13世紀にさかのぼるリナルド・ダ・タラントによる聖母ブルーナや『最後の審判』のフレスコ画(生乾きの漆喰に顔料で描いた絵や模様)、16世紀ルネサンス様式のアルトベッロ・ペルシオによるイエス像など数多くの芸術作品が収められている。同じく1230年代に建設された教会堂がサン・ジョヴァンニ・バティスタ教会だ。ギリシア十字形・三廊式の教会堂で、ロマネスク様式ながらビザンツ様式やゴシック様式、イスラム建築といった多様な様式の影響が見られ、マテーラの複雑な歴史を物語っている。サンティ・ピエトロ・エ・パウロ教会はバシリカ式(ローマ時代の集会所に起源を持つ長方形の様式)・三廊式の教会堂で、13世紀の創建ながら17世紀には多くがバロック様式で改修され、鐘楼が増築された。サンタ・マリア・ディ・イドリス教会は岩を掘り抜いて築かれた岩窟教会で、内部には12~17世紀に描かれた数多くのフレスコ画が見られる。近郊のサンタ・ルシア・アッレ・マルヴェ教会も同様の岩窟教会で、やはり貴重なフレスコ画で知られる。カザルヌオーヴォの断崖に築かれたコンヴィチニオ・ディ・サンタントニオは11~13世紀の岩窟修道院地帯で、サンタントニオ・アバテ教会、サン・ドナト教会、サンタ・マリア・アンヌンツィアータ教会、サン・プリモ教会という4基の岩窟教会が立ち並んでいる。サンタゴスティーノ修道院はサッソ・バリサーノの断崖に位置する1592年創設の修道院で、岩窟住居や岩窟墓地の上に建設された。隣接のサンタゴスティーノ教会(サン・ジュリアーノ・オ・マドンナ・デッレ・グラツィエ教会)は1594年にルネサンス様式で建設され、18世紀の地震で倒壊してバロック様式で再建された。ラテン十字形・単廊式の教会堂で、十字形の交差廊に大きなドームを冠している。

宮殿・城砦建築としては、まずセディーレ宮殿が挙げられる。16世紀に大聖堂に隣接して築かれたルネサンス様式の市庁舎で、公文書館を兼ねていた。フレスコ画や絵画で飾られたホールがあり、現在は劇場としても使用されている。ランフランキ宮殿は1672年にカーマイン修道院に築かれたランフランキ司教のための建物で、修道士で建築家でもあるフランチェスコ・ダ・コペルティーノがゴシックやルネサンスなどの様式を組み合わせてデザインを行った。内部には司教の住居だけでなく神学校が設けられていた。1735年に完成したアンヌンツィアータ宮殿はドミニコ会修道院のために築かれたバロック様式の建物で、後には裁判所として使用された。これら以外にも15世紀創建のベルナルディーニ宮殿や16世紀建設のヴェヌシオ宮殿、18世紀建設のガッティーニ宮殿やリドラ宮殿など、数多くの宮殿(パラッツォ)がある。チヴィタに築かれたトラモンターノ城はナポリ王国下にあったマテーラ伯のジョヴァンニ・カルロ・トラモンターノが1501年に建設した城塞跡だ。ジョヴァンニは暴君と伝わる伯爵で、圧政を行い重税を課したため暗殺され、城は未完成に終わった。3基の塔と城壁が残されており、周辺はカステッロ公園となっている。

これ以外に、聖母マリアが降臨したという伝説が残るマドンナ・ディ・ピッチャーの聖域や、新旧石器時代の遺跡や150の岩窟教会が残る峡谷地帯ムルギア・マテラーナ公園などの名所がある。

■構成資産

○マテーラの洞窟住居と岩窟教会公園

■顕著な普遍的価値

○登録基準(iii)=文化・文明の稀有な証拠

マテーラの洞窟住居と岩窟教会公園はその地形的環境と生態系に完全に適合し、2,000年以上にわたって引き継がれてきた。岩を切り出して築いた集落群としては際立っている。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

この地の町と公園は人類の歴史における多くの重要な段階を示す建築アンサンブルと景観の際立った例である。

○登録基準(v)=伝統集落や環境利用の顕著な例

伝統的な人類の居住地と土地利用の顕著な例であり、自然環境と調和した関係を長期にわたって維持してきた。この地の町と公園はそうした文化の発展の過程を示している。

■完全性

資産は顕著な普遍的価値を示すサッシや岩窟教会公園の特徴的な遺跡・建造物・記念碑を網羅しており、2,000年以上の人類の居住の証拠を伝える渓谷対岸の集落跡や高原も含まれている。周囲にはバッファー・ゾーンも設定されており、サッシの周辺を無分別な開発から保護している。

■真正性

マテーラの洞窟住居と岩窟教会公園は高いレベルで真正性を保持している。石切集落は先史時代から20世紀半ばまで継続的な居住の跡を示している。1950年代にはサッシの全人口を移転させ、衛生状態の改善と古代から続く歴史地区の修復が行われた。空白期間はある程度の劣化をもたらしたが、1980年代から人々の帰還すると資産の伝統的な使用と機能が回復し、この地の精神と感覚を若返らせた。

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