ヴェルラ砕木・板紙工場

Verla Groundwood and Board Mill

  • フィンランド
  • 登録年:1996年
  • 登録基準:文化遺産(iv)
  • 資産面積:22.778ha
  • バッファー・ゾーン:88.03ha
世界遺産「ヴェルラ砕木・板紙工場」、レンガ造の板紙乾燥プラントと砕木・板紙工場
世界遺産「ヴェルラ砕木・板紙工場」、レンガ造の板紙乾燥プラント(左)と砕木・板紙工場(右)
世界遺産「ヴェルラ砕木・板紙工場」、砕木・板紙工場
世界遺産「ヴェルラ砕木・板紙工場」、砕木・板紙工場 (C) Teuvo Salmenjoki
世界遺産「ヴェルラ砕木・板紙工場」、砕木パルプ・板紙倉庫
世界遺産「ヴェルラ砕木・板紙工場」、砕木パルプ・板紙倉庫 (C) Erkki Grenman
世界遺産「ヴェルラ砕木・板紙工場」、工場オーナー邸
世界遺産「ヴェルラ砕木・板紙工場」、工場オーナー邸 (C) Maaritti Siitonen
世界遺産「ヴェルラ砕木・板紙工場」、発電所施設とコテージ群
世界遺産「ヴェルラ砕木・板紙工場」、発電所施設とコテージ群 (C) Antti Leppänen

■世界遺産概要

ヴェルラ砕木・板紙工場はフィンランド南東部のキュメンラークソ県ヤーラ市のヴェルラ村とヴァルケアラ市に位置する工場跡で、19世紀後半から20世紀初頭にかけてパルプ(植物原料から抽出したセルロース繊維の集合体)や紙・板紙(ボール紙のような厚手の紙)の生産を行った。農村を開拓した小規模な産業集落で、資産には砕木・板紙・製粉工場や倉庫、乾燥プラント、消防施設、発電所、工場オーナー邸、労働者宅、コテージ、ボートハウス、クラブハウス、食堂、厩舎、庭園、先史時代のロックアート遺跡などが含まれており、同種の集落の際立ってすぐれた例となっている。

○資産の歴史

長らくスウェーデン王国の支配下にあったフィンランドだが、1809年にロシア帝国の版図に入り、フィンランド大公国として自治を行った。ロシアが勢力を強める中で、森林資源の豊富なフィンランドは木材や木炭・鉄鉱石の供給地となり、19世紀半ばには木材の加工品であるパルプや板紙の需要が急増した。ロシア皇帝アレクサンドル2世による1861年の農奴解放令を皮切りにロシアの近代化がはじまり、1890年代には産業革命が始動した。フィンランドも工業化の波を受けたが、燃料となる石油や石炭のないスカンジナビア半島では水車、後には水力発電所に頼らざるをえず、工場は流れの速い急流の川岸に建設された。そして近郊の農村から人を集めて産業集落を整備し、自給自足に近い工場城下町が発達した。

森林資源が豊富で急流を有するキュミ川の一帯でも1870年代に工業化が進んだ。1872年にはスイスのチューリヒで学んだフィンランド出身のエンジニア、フーゴ・ニューマンが水車を使った砕木工場を建設。綿や麻に代わる安価な紙の原料として砕木パルプ(木材を砕木機で粉砕したりすり潰してパルプとしたもの)の生産を行った。しかし、まもなく財政問題に直面し、1876年の火災で閉鎖された。

1882年にはヴィープリ(ロシアとフィンランドの間に広がる地域)出身のドイツ系実業家フリードリヒ・ヴィルヘルム・ディッペル、オーストリア人の木材と紙の専門家ゴットリーブ・クライドル、ドイツ人の専門家ルイス・ヘーネルの3人が新しい砕木・板紙工場を設立。人々はキュミ川の川岸に木造のコテージ(山小屋のような小型の住宅)を築いて生活したが、1885年に経営者の住宅群、翌年には17部屋のある労働者の集合住宅が整備され、1890年には子供たちのために学校が開設された。

当初、工場は木造だったが、1892年に板紙の乾燥プラントが焼失し、翌年4階建てのレンガ造に建て替えられた。この4階建ての工場はフリードリヒ・ヴィルヘルム・ディッペルの弟で建築家のカール・エドゥアルト・ディッペルによってゴシック・リバイバル様式で設計された。続いて1895年に砕木・板紙工場がレンガ造に移行すると、工場施設全体の非木造化が進められた。ゴシック・リバイバル様式は景観との調和を配慮したものだったが、基礎には発明されたばかりの鉄筋コンクリートが使用されるなど急速に近代化が進められた。

1872年には労働者は十数人にすぎなかったが、19世紀末に70~80人に増加し、1910年代に100人を超え、1951年には160人に達し、1/3近くを女性が占めていた。人々は工場に勤務しながら農牧業に従事し、ほぼ自給自足の生活を行った。ほとんどの家庭がウシやブタ・ニワトリを飼い、ジャガイモやニンジン、カブなどを栽培した。加えて森でブルーベリーやコケモモを採り、川で魚を捕獲した。そして羊毛で衣服、毛皮でオーバーコートや靴を作り、森の木々で家具を組み上げた。人々にとって大変だったのがパルプや板紙の輸送で、急流の多いキュミ川を船で運ばなければならず、冬に川が凍結した際は馬車で川の上を移動する必要があった。1889年に鉄道が開通して鉄道駅が完成したが、駅までの7kmの道のりさえ簡単なものではなかったという。

フリードリヒ・ヴィルヘルム・ディッペルが1906年に死去すると、工場と周辺の森林は近郊の木材加工会社であるOy Kissakoski Ab社に売却され、2年後に現在の所有者であるキュンメネ社(現・UPMキュンメネ株式会社)に買収された。キュンメネ社は砕木機を最新のものに置き換え、1923年にヴェルランコスケン・パルタアッレと呼ばれる急流に水力発電所を建設して工場の電化を進めた。

1917年のロシア革命でロシア帝国が崩壊し、同年12月にフィンランドは独立を宣言。翌年フィンランド内戦が勃発したが、第1次世界大戦(1914~18年)後のパリ講和会議でフィンランド共和国として独立が認められた。ヴェルラの一帯は一時、世界初の社会主義国家、ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国に占領されたが、施設・設備に損傷はなく、稼働は続けられた。第2次世界大戦(1939~45年)では弾薬箱用の板紙の需要から記録的な生産を達成した。

戦後の1954年に新しい水力発電所が建設されたが、ヴェルラの砕木・板紙工場はすでに時代遅れのものとなり、パルプや板紙の競争も激化して生産は徐々に減少した。1960年代にはフィンランド最古級の木材加工場となり、1964年に最後の労働者が引退して閉鎖された。

同業のキュミ社で広報を担当し、地元の文化人としてさまざまな文化活動を行っていたヴェイッコ・タルヴェアは19世紀後半から変わらないヴェルラの施設や設備を高く評価し、資料を収集して写真を撮影し、労働者にインタビューを行ってその歴史を記録した。そしてキュンメネ社に工場の博物館化を提言し、社は工場コンプレックスの全体を産業遺産博物館として保存することを決定。ヴェルラの工場開所100周年となる1972年に博物館の開館式が行われた。

○資産の内容

世界遺産の資産はふたつの湖を接続するヴェルランコスケン・パルタアッレと呼ばれる急流の東西に広がっており、西がヤーラ市のヴェルラ村で工場エリア、東がヴァルケアラ市で住宅エリアとなっている。

工場エリアのハイライトが板紙乾燥プラントと砕木・板紙工場だ。いずれもカール・エドゥアルト・ディッペルが設計したゴシック・リバイバル様式の建物で、1893年に建設された板紙乾燥プラントは労働者ホールを備えたレンガ造の4階建て、1895年建設の砕木・板紙工場は長石類を使用したレンガ造の2階建てとなっている。ドイツのハノーファー工科大学で学んだ彼はドイツやバルト海沿岸のレンガ・ゴシック(ブリック・ゴシック。レンガ造のゴシック建築)の教会建築に感銘を受け、景観にも配慮して大聖堂のような外観を持つ工場を設計したといわれる。

工場に隣接した工場オーナー邸は1885~89年にゴットリーブ・クライドルの邸宅として建設されたもので、こちらもカール・エドゥアルト・ディッペルの設計だ。華やかな庭園を有する木造住宅で、1898年に塔とオフィスが増築された。この後、1902年に築かれたレンガ造の砕木パルプ・板紙倉庫および製粉工場の設計も担当している。

消防小屋は1890年代に建てられた消火設備を備えた六角形の小屋で、火事の際は工場の消火チームがここの設備を使って消火活動を行った。

先史時代のロックアート遺跡は工場エリアの北端に位置する遺跡で、7,000年ほど前の作品と見られる岩絵が点在している。これらは工場閉鎖後の1974年に発見されたもので、現在はヒストリー・トレイルなどのルートに組み込まれている。

工場エリアにはこれら以外に、20世紀はじめに建てられた木材包装・梱包倉庫、木材加工場、木材を運搬するためのレールとエンジン・ルーム、ボーリング場を備えた木造・八角形のパビリオン、厩舎、食堂(後にカフェ)などがある。

発電所は工場エリアと住宅エリアの間の急流に設けられており、1923年・1954年・1995年に建設された3基の発電所の他に製粉所や製鉄所などが残されている。ただ、一帯は安全上の理由から観光客には開放されていない。

住宅エリアには労働者のための集合住宅やコテージ、レクリエーション施設が点在している。エリア最古級の建物がリップ・コテージで、18世紀半ばに建てられた国境警備隊の小屋を改築したものと伝えられている。レイヴォ邸、プッキラ邸、アルッコ邸などは1880~90年代に建てられたコテージで、多くは庭園や畑・畜舎などを備えている。

クラブハウスは工場労働者のレクリエーションや歓談の場として1919年に建設された。労働者が増えたため1923年に集合住宅に改修されたが、その後、専用の集合住宅が建てられたため1947年にクラブハウスに戻された。

■構成資産

○ヴェルラ砕木・板紙工場

■顕著な普遍的価値

本遺産は登録基準(v)「伝統集落や環境利用の顕著な例」でも推薦されていたが、その価値は認められなかった。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

ヴェルラ砕木・板紙工場と関連の住宅エリアは19世紀から20世紀初頭にかけて北ヨーロッパや北アメリカで隆盛を誇ったパルプ・板紙生産に関する小規模な農村産業集落の傑出した例であり、際立ってよく保存されている。こうした例は他にほとんど見られず、今日まで残っているのはごく一握りに限られる。

■完全性

ヴェルラ砕木・板紙工場はその機械類、ヴェルランコスケン・パルタアッレ、発電所、関連の住宅エリアと施設群とともに視覚的にも機能的にも手付かずの工場コンプレックスを形成している。資産は産業集落の生産・居住・レジャーに関するすべての建築要素を備えており、周辺の河川や森林・先史時代の岩絵を含んでいる。

■真正性

ヴェルラ砕木・板紙工場と関連の建造物群・施設・設備・景観はほぼ無傷の状態で維持されている。建物や施設は素材・建築方法・建築様式といった点で特徴を保持しており、砕木パルプや板紙の製造に必要な機械類が本来の場所に残されていることがその真正性を物語っている。加えてよく保存された周囲の森林景観がヴェルラの真正性を補強している。

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