リューカン=ノトデン産業遺産群

Rjukan-Notodden Industrial Heritage Site

  • ノルウェー
  • 登録年:2015年
  • 登録基準:文化遺産(ii)(iv)
  • 資産面積:4,959.5ha
  • バッファー・ゾーン:33,967.6ha
世界遺産「リューカン=ノトデン産業遺産群」、リューカンの街並み
世界遺産「リューカン=ノトデン産業遺産群」、リューカンの街並み (C) G.Lanting
世界遺産「リューカン=ノトデン産業遺産群」、ヴェモルク水力発電所の施設を利用して営業しているノルウェー産業労働者博物館とパイプライン
世界遺産「リューカン=ノトデン産業遺産群」、ヴェモルク水力発電所の施設を利用して営業しているノルウェー産業労働者博物館とパイプライン (C) Skotten
世界遺産「リューカン=ノトデン産業遺産群」、ティン湖のメルで鉄道フェリーに接続するリューカン線のフェリー埠頭
世界遺産「リューカン=ノトデン産業遺産群」、ティン湖のメルで鉄道フェリーに接続するリューカン線のフェリー埠頭 (C) SRS scandiline
世界遺産「リューカン=ノトデン産業遺産群」、テレマルクの伝統建築で築かれたトルヴァルド・アストルップ設計によるティンノセット駅
世界遺産「リューカン=ノトデン産業遺産群」、テレマルクの伝統建築で築かれたトルヴァルド・アストルップ設計によるティンノセット駅 (C) Snorre Overbo
世界遺産「リューカン=ノトデン産業遺産群」、ティンフォス第2水力発電所
世界遺産「リューカン=ノトデン産業遺産群」、ティンフォス第2水力発電所 (C) Katherine Weikert
世界遺産「リューカン=ノトデン産業遺産群」、ノトデンの硝酸アンモニウム工場
世界遺産「リューカン=ノトデン産業遺産群」、ノトデンの硝酸アンモニウム工場 (C) David Aasen Sandved
世界遺産「リューカン=ノトデン産業遺産群」、新古典主義様式やアール・ヌーヴォー様式の影響を受けたノトデン・アドミニ
世界遺産「リューカン=ノトデン産業遺産群」、新古典主義様式やアール・ヌーヴォー様式の影響を受けたノトデン・アドミニ (C) David Aasen Sandved

■世界遺産概要

ノルウェー南部テレマルク県に位置し、北のメース湖から南のヘッダール湖までヴェストフィヨール渓谷の93kmに点在するノシュク・ヒドロ社(ノルスク・ハイドロ社)とティンフォス社の水力発電所や送電線・工場・輸送施設といった産業遺産群と、リューカンとノトデンというふたつの企業城下町を登録した世界遺産。20世紀初頭、世界最大級の水力発電所を利用して肥料の原料となるノルウェー硝石を生産し、西側世界で高まる農業需要に応えて革新的なグローバル産業を発展させた。

○資産の歴史

20世紀初頭、ノルウェーは美しい渓谷と豊富な水を利用して水力発電所を整備し、急速な産業発展を実現した。また、ダム湖や運河を整備して北海と接続し、輸送インフラを整備して開発を行った。

この時代、欧米を中心とした西側世界では産業革命による生活水準の向上や人口の増加を受けて農業需要が飛躍的に伸びていた。ただ、農作物を生産する過程で失われた土中の窒素を補うために硝石などの窒素化合物を肥料として使用していたが、チリ硝石をはじめ南アメリカを主な産地とする天然の硝石鉱床は枯渇しつつあり、新しい産地や窒素化合物の開発が必要とされていた。20世紀はじめ、ノルウェーの物理学者クリスチャン・ビルケランと技師サム・エイデは電気を使って空気中の窒素から硝石(硝酸カルシウム)を生成するビルケラン=エイデ法を確立し、そのためのアーク炉(電弧炉。ビルケラン=エイデ炉)を開発してノルウェー硝石の生産を可能にした。

エイデは硝石工場の建設を決意するが、アーク炉は電気を大量に使うため大型の発電所が必要で、肥料の運搬のために川や運河が海に通じている必要もあった。東テレマルクは水量が豊富で落差の大きな滝も多く、1901年にはノトデン近郊にティンフォス社のティンフォス第1水力発電所が稼働していた。また、川や湖、テレマルク運河を利用して北海に出ることもできた。このためエイデは一帯の開発権を取得し、1905年にノシュク・ヒドロ・エレクトリスク・クヴェルストフアクティエセルスカブ社(現・ノシュク・ヒドロ社)を設立。同年、ノトデンで試験工場を稼働させ、1907年にはアーク炉を備えた新工場を操業に導いた。

巨大な電力需要が見込まれたことからノトデンの上流にある高さ70mのスヴェルグ滝の高低差を利用して当時ヨーロッパ最大、世界でも2番目の大きさを誇るスヴェルグフォス第1水力発電所を建設し、1907年から約28,000kWを工場に供給した。同発電所はさらに1911年にリエンフォス発電所、1913年にスヴェルグフォス第2発電所を稼働させている。

1906年、ノトデンの北東約50kmに位置するリューカンの開発を開始。ノルウェー王ホーコン7世の支援もあって1909年にリューカンとティン湖のメルの間にリューカン線、ティン湖にティン湖フェリー、ティン湖のティンノセットからノトデンの間にティンノス線を開通させ、リューカンとノトデンが鉄道と船で結ばれた(リューカン鉄道)。1911年には高さ104mを誇るリューカン滝を利用したヴェモルク水力発電所が稼働し、108mWの発電量を誇る世界最大の水力発電所となった。同年にリューカン第1工場が試験操業をはじめ、翌年ノルウェー硝石の本格生産を開始し、1916年には第2工場が完成した。この間も1912年にノトデンでティンフォス第2水力発電所、1915年にリューカンでソーハイム水力発電所が稼働している。

1900年代はじめに20数tにすぎなかったノルウェー硝石の生産は1912年までに71,000t、1920年までに135,000tに急増し、硝石生産量は世界最大となった。第1次世界大戦(1914~18年)中にはノトデンの新工場で爆発物に利用可能な硝酸アンモニウムの生産をはじめ、戦後の1928~29年にはリューカンでハーバー=ボッシュ法という新しい生産法に対応した新工場が建設された。こうして第2次世界大戦(1939~45年)後の1950年代まで世界最大の生産地でありつづけた。

第2次世界大戦中、ノルウェーを占領したナチス=ドイツはリューカンの施設を引き継ぎ、核分裂の制御に使用するため重水(質量数の大きな水素原子や酸素原子の同位体が結合した水分子からなる水)の生産を行う施設を建設した。このため原子爆弾の開発を恐れた連合軍の標的となり、空襲で爆破された。この様子を描いた1965年の映画がアンソニー・マン監督『テレマークの要塞』で、実際に現地で撮影が行われた。こうした戦略的重要性もあって戦後、ノルウェーが最大株主となって施設を引き継いだ。

水力発電から石油による火力発電の時代に移るとノシュク・ヒドロ社は北海油田の開発・運営に乗り出した。深い渓谷で水力発電を利用した硝石生産を行うメリットは徐々に失われ、同社は海岸沿いの都市ヘロヤにニトロ・リン酸法(オッダ法)という生産法による試験工場を建設し、1960年代に拠点を移転した。これ以降、ノトデンとリューカンは急速に衰退し、1968年にノトデン、1991年にリューカンの工場が閉鎖され、同年にリューカン鉄道のリューカン線とティンノス線も営業を終了した。現在、両線はノルウェー産業労働者博物館が管理しており、観光電車の運行を行っている。世界遺産登録時、ヴェモルク水力発電所、ティンフォス第2水力発電所、ソーハイム水力発電所は稼働を続けていたが、現在は文化財として保護されている。

○資産の内容

世界遺産の構成資産は1件だが、メース湖からティン湖を経てヘッダール湖まで全長93kmにわたる地域が登録されている。

発電施設について、一帯ではティン滝、スヴェルグ滝、リューカン滝といった滝の落差を利用して数々の水力発電所が建設された。主な発電所として、ティンフォス第1・第2、ヴェモルク、ソーハイム、スヴェルグフォス第1・第2、リエンフォス、ソーハイム水力発電所が挙げられる。もっとも古いティンフォス第1水力発電所がレンガ造であるのに対し、ヴェモルク発電所以降はコンクリート造となった。資産には発電所のほか、配電所や変電所・送電線などの送電システムも含まれている。現在、オラフ・ノードハーゲンが設計したヴェモルク水力発電所の施設を利用してノルウェー産業労働者博物館がオープンしており、関連施設・設備を公開しているだけでなく、世界遺産の資産の管理を行っている。

産業施設について、ノトデンには塔やファーネス棟(炉棟)・電気棟・試験工場・硝酸カルシウム工場・硝酸アンモニウム工場・水素工場・アンモニア水工場・ニッケル工場・包装棟などが残されている。リューカンの規模はノトデンよりはるかに大きく、塔やファーネス棟・ボイラー棟・試験工場・窒素工場・水素工場・アンモニア合成プラント・コンプレッサー棟・アシッド塔・制御棟・機械棟・ポンプ棟・消防署・事務棟などがある。

輸送施設について、鉄道にはリューカンとメルの間のリューカン線、リューカンとヴェモルクの間のヴェモルク線、ティンノセットとノトデンの間のティンノス線、フェリーにはティン湖フェリーがあり、それぞれの施設・設備が含まれている。具体的にはリューカン駅、インゴルフスランド駅、メル駅、メル埠頭、ティン湖の灯台群、ティンノセット埠頭、 ティノセット駅、ノトデン駅などで、メーランド橋やゲウプスプラング橋といった橋やトンネル、管理施設なども含まれている。また、リューカンにはクロッソ線と呼ばれる北ヨーロッパ初の旅客用のケーブルカーがある。ケーブルカーはエイデが開発を進めたもので、高低差495mを結んでいる。

企業城下町としてはノトデンとリューカンが登録されている。イギリスやドイツのガーデンシティを模して整備され、住宅や教会堂・病院・養護施設・学校・図書館・運動場・公園・市民ホール・上下水道などを備えている。ヘニング・クルーマンをはじめ有名建築家がデザインした建物も多く、新古典主義、歴史主義、モダニズム、アール・ヌーヴォーをはじめ、さまざまなスタイルの建造物を見ることができる。ノトデンの人口は1907年に2,000人だったが数年後には6,000人を超え、人口400人の寒村だったリューカンは1915年に10,000人にまで急増した。ノトデンの中心的な住宅街はグロンビエン、ヴィラモーン、ティンビエンなどで、労働者のための一戸建てや二世帯住宅などが立ち並んでいる。ヘニング・クルーマン設計のノトデン・アドミニはエイデの住宅であり、管理施設でもあった。リューカンの町はマナ川の両岸に広がっているが、住宅は日当たりのよい北岸に配置された。シンシン、リカダ、ニビエン、ロドビエンなどの住宅街があり、周辺には農場や牧場が広がっている。リューカン・アドミニもエイデの住宅で、管理棟やゲストハウスの役割も果たしていた。

■構成資産

○リューカン=ノトデン産業遺産群

■顕著な普遍的価値

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

本遺産は見事な景観が産業テーマや建造物群と深く結び付いており、ドイツやスウェーデン、アメリカといった国々で開発された技術を発展させるなど、20世紀初頭の技術発展に関する重要な交流を示している。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

ダム、トンネル、パイプライン、発電所、送電線、工場エリアと設備、企業城下町、鉄道、フェリーからなるリューカン=ノトデンの産業遺産群は、水力発電によって十分な電力をもたらす自然の地形と景観を背景に成立しており、20世紀初頭の新しいグローバル産業の例として際立っている。

■完全性

資産は20世紀初頭の農業用人工肥料の生産という新産業に関する先駆的な時代を物語るノルウェーの重要な建造物や遺構をすべて含んでおり、その重要性を伝え特徴や過程を表現するために十分な大きさを有する。資産の物理的構造とその重要な特徴はおおむね良好な状態にあり、開発や放棄といった悪影響を受けていない。

■真正性

20世紀初頭の人工肥料生産の先駆的な産業企業による顕著な普遍的価値を伝える信憑性と真実性のある建築物や構築物・遺構が含まれており、真正性は維持されている。

■関連サイト

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