河港都市グリニッジ

Maritime Greenwich

  • イギリス
  • 登録年:1997年
  • 登録基準:文化遺産(i)(ii)(iv)(vi)
  • 資産面積:109.5ha
  • バッファー・ゾーン:174.85ha
世界遺産「河港都市グリニッジ」、手前右端がザ・コーツのキング・チャールズ・コート、左端がクイーン・アン・コート、ドームを持つ右の建物がキング・ウィリアム・コート、左がクイーン・メアリー・コート、中央がクイーンズ・ハウス
世界遺産「河港都市グリニッジ」、手前右端がザ・コーツのキング・チャールズ・コート、左端がクイーン・アン・コート、ドームを持つ右の建物がキング・ウィリアム・コート、左がクイーン・メアリー・コート、中央がクイーンズ・ハウス
世界遺産「河港都市グリニッジ」、グリニッジ公園から見下ろしたクイーンズ・ハウス、奥はザ・コーツ
世界遺産「河港都市グリニッジ」、グリニッジ公園から見下ろしたクイーンズ・ハウス、奥はザ・コーツ
世界遺産「河港都市グリニッジ」、中央の塔のある建物がグリニッジ天文台のフラムスティード・ハウス。赤い球体はタイム・ボール (C) originalpickaxe
世界遺産「河港都市グリニッジ」、中央の塔のある建物がグリニッジ天文台のフラムスティード・ハウス。赤い球体はタイム・ボール (C) originalpickaxe
世界遺産「河港都市グリニッジ」、グリニッジ天文台のフラムスティード・ハウス
世界遺産「河港都市グリニッジ」、グリニッジ天文台のフラムスティード・ハウス。緑の光線は天文台から放たれたレーザーでグリニッジ子午線を示している

■世界遺産概要

イギリスの首都ロンドン郊外に位置するグリニッジは17~18世紀のイギリス王室の科学と芸術の粋を集めて築かれた港湾都市で、グリニッジ天文台(旧王立天文台)は時間と経度における世界の中心として、旧王立病院や旧王立海軍大学はイギリス海軍の基地として、「太陽が沈まぬ帝国」と謳われたイギリス帝国の繁栄を支えた。

○資産の歴史

グリニッジは長い歴史を持つ古都で、ローマ帝国の時代には貴族の邸宅や別荘が建てられていた。1427年にイングランド王ヘンリー5世の兄弟であるグロスター公ハンフリーが土地を入手してカントリーハウス(貴族の本拠となる邸宅)を建設し、1433年にはヘンリー6世が広大な土地を囲って王立公園とした。

15世紀後半、ヘンリー7世が一帯を改築してプラセンティア宮殿を建設。この宮殿でヘンリー8世やその娘であるメアリー1世、エリザベス1世が生まれている。ヘンリー8世は宮殿を改修して狩猟場やプレジャー・パレス(娯楽用の宮殿)、宴会場として整備した。イギリスではこの頃、公園にシカを放つことが流行していたが、この地でも行われてロンドン初のシカ公園となった。ただ、その後宮殿はほとんど使用されなくなり、半ば放棄されていたようだ。

17世紀前半のジェームズ1世(スコットランド王ジェームズ6世)の治世中、ノーサンプトン伯ヘンリー・ハワードが周囲の土地を購入してレンガの壁で囲い、庭園や果樹園などを作り、ロッジを建てて風光明媚な公園に仕上げたという。ジェームズ1世の王妃であるアン王妃も庭園の整備に尽力し、パッラーディオ様式のクイーンズ・ハウスを建設した。

1650年代のクロムウェル独裁の間、フランスに亡命していたチャールズ2世はその華やかな宮廷文化に強く感銘を受けたという。1660年に帰国すると王政復古を受けて王位に就き、絶対王政の復活を謀った。グリニッジについてもレンガ造のプラセンティア宮殿を取り壊し、より豪壮な宮殿を目指して石造のチャールズ宮殿の建設を開始した。このとき建設されたのがバロック様式のキング・チャールズ・コートなどの建造物群だ。また、フランスからヴェルサイユ庭園(世界遺産)やフォンテーヌブロー庭園(世界遺産)を設計した造園家アンドレ・ル・ノートルを呼び寄せて設計を依頼し、フランス式の平面幾何学式庭園が造営された(異説あり)。しかし、予算不足のため1669年に作業は全面的に中止された。

この頃、イギリスはアメリカに進出し、フランスと競うように新世界(ヨーロッパ人が大航海時代に発見した南北アメリカ大陸をはじめとする新たな土地)への進出を強めていた。当時の航海技術は天体観測とともにあり、帝国の繁栄には天文学の発達が不可欠とされた。そこでチャールズ2世は1675年、公園の丘に王立天文台(グリニッジ天文台)を設立し、初代王室天文官兼天文台長にジョン・フラムスティードを指名した。

当時の航海上の最大の課題は経度を正確に知ることだった。地球上の位置は緯度(赤道と平行に地球を横断するライン)と経度(地球を北から南に縦断するライン)で表されるが、緯度は北極星の角度などから知ることができた。しかし、経度の計測は難航した。この問題に対してフラムスティードは天文台の時間と現地の時間の差を比較することで経度を測定する方法を確立した。たとえばグリニッジが正午(太陽がもっとも高い位置に来る時間。この方角が南で、このときの太陽の高度を南中高度という)であるとき、地球の裏側では午前零時になるように、グリニッジとの時間差によって経度を測ることができる。ただ、このためにはつねにグリニッジの時間を表示しつづける正確な時計が必要で、その開発に尽力した。当時の振り子時計やゼンマイ時計では不十分だったが、18世紀はじめに携帯用ゼンマイ時計クロノメーターが発明されると手軽に経度を知ることができるようになった。フラムスティードが著した『天球図譜』は長らく航海や測量の教科書となった。

1692年、イギリス海軍のラホーグの戦いでの大勝に触発された女王メアリー2世は宮殿として建てられた施設群をイギリスの命運を握る海軍のために使用することを決め、建築家クリストファー・レンと弟子のニコラス・ホークスムーア、後にはジョン・ヴァンブラが引き継いで王立病院(グリニッジ病院)に改築された。施設は利便性だけでなく公園や川からの景観も重視され、4棟の「□」形のコートハウス(中庭を持つ建物)=ザ・コーツに分割され、公園は船員と関係者に開放された。王立病院は1869年に閉鎖され、1873年に王立海軍大学となった。これらは1998年に海軍の手を離れてグリニッジ財団の管理となり、現在はグリニッジ大学とトリニティ・ラバン音楽学校のキャンパスとして使用されている。

王立天文台では1851年に王室天文官ジョージ・ビドル・エアリーが子午環と呼ばれる機器を用いて窓から太陽の南中高度などを計測した。これにより時間と経度の基準が正確に定まり、グリニッジ標準時とグリニッジ子午線が定められた。王立天文台は時間と経度について世界の中心となり、いずれかの領土に日が照っているという「太陽が沈まぬ帝国」を支えた。1884年に国際子午線会議が開催されるとグリニッジ子午線が本初子午線(経度0度)として認められ、グリニッジ標準時が国際標準時に定められた。なお、1957年に天文台は移転し、現在は博物館として公開されている。また、本初子午線もその後の人工衛星を使用した精密測定によって102.5mほど東に移動している。

○資産の内容

世界遺産の資産はグリニッジ公園からテムズ川に至る一帯とその周辺で、地域で登録されている。

王立公園であるグリニッジ公園は1,000×750mほどの長方形の公園で、1427年にグロスター公の土地となって以来、王立公園となった。17世紀はじめにアンドレ・ル・ノートルによって幾何学式庭園が造営されたと伝わるが、明確な証拠はない。その後、自然を模したイギリス式庭園となったが、直線的な道々に幾何学式庭園の跡が残っている。公園はロンドン最古のシカ公園でもあり、いまでも公園の一部にアカシカとダマジカが放たれている。

園内に立つグリニッジ天文台は1675年に設立された旧王立天文台で、最初の建物であるフラムスティード・ハウスは建築家クリストファー・レンと初代王室天文官ジョン・フラムスティードが設計を行って1676年に完成した。長らく時間と経度について世界の中心だった場所であり、夜になるとレーザーがグリニッジ子午線を空に描く。また、塔に設置されたタイム・ボールと呼ばれる赤い球は毎日12:55に上昇をはじめ、13:00に下に落ちて時刻を示す。天文台には他に、1890年代に建設された天体観測所である大赤道ドーム・ビルや、プラネタリウムなどを有する十字形の新物理天文台(現・天文台博物館)などの施設がある。

グリニッジ公園の北の外れに位置するのがクイーンズ・ハウスだ。建築家イニゴ・ジョーンズの設計で1616~35年に建設された宮殿で、後期ルネサンスのパッラーディオ様式でデザインされている。およそ40m四方の2階建てで、南ファサードの2階にはイオニア式の円柱が並ぶロッジア(柱廊装飾)が見られ、ギャラリー・ホールやチューリップ階段といった見所を有する。19世紀にトスカーナ式の柱が立ち並ぶ列柱廊が設置され、左右のウイング(翼廊/翼棟/袖廊。複数の棟が一体化した建造物群の中でひとつの棟をなす建物)が増設された。隣接するネオ・バロック様式の国立海洋博物館は1937年に設立された新しい建物だ。

ザ・コーツは4棟のコートハウスで、川沿い西のキング・チャールズ・コート、東のクイーン・アン・コート、内陸西のキング・ウィリアム・コート、東のクイーン・メアリー・コートからなっている。

キング・チャールズ・コートはチャールズ宮殿時代に建設がはじまり、一時の中断を経て1705年に完成した。建築家ジョン・ウェッブの設計によるバロック建築で、他のコートのデザインのベースとなった。川に面した北ファサードはふたつのペディメント(三角破風)とコリント式の円柱と角柱からなるオーダーを持ち、荘厳なたたずまいを見せている。これ以外のコートは18世紀半ばから後半の建設で、クリストファー・レンとニコラス・ホークスムーアが設計を担当し、トマス・リプリーやジョン・ヴァンブラが引き継いだ。キング・チャールズ・コートの東に立つクイーン・アン・コートは、北ファサードについてはほぼ同じデザインで、左右に分かれたふたつのコートが威圧感を演出している。

内陸部のふたつのコートはバロック様式のドームを持ち、北ファサードについてはほぼ対称形となっている。クイーン・メアリー・コートのドーム下は王立病院時代に築かれた礼拝堂となっている。18世紀後半の火事で焼失し、ジェームズ・スチュアートとウィリアム・ニュートンによって再建された。一方、キング・ウィリアム・コートにはペインテッド・ホールが入っており、18世紀はじめに画家ジェームズ・ソーンヒルが天井や西壁いっぱいに描いた天井画や壁画から「イギリスのシスティーナ礼拝堂」の異名を持つ。他にもトロンプ・ルイユ(立体に見せる騙し絵)やキアロスクーロ(濃淡を強調して立体感を出す技法)といった絵画技法で装飾されており、ザ・コーツ随一の見所となっている。

公園やザ・コーツの周辺は18世紀頃から高級住宅街として開発が進められ、歴史的な住宅や教会堂も登録対象となっている。一例がジョン・ヴァンブラがゴシック・リバイバル様式で築いた自らの邸宅・ヴァンブラ城であり、ジョゼフ・ケイ設計で鋳鉄製のバルコニーと天蓋付きの窓を持つトラファルガー・タヴァーン、ジョン・ジェームズが設計したパッラーディオ様式・赤レンガ造のレンジャーズ・ハウス、ニコラス・ホークスムーアの傑作として名高いセント・アルフレッジ教会だ。

■構成資産

○河港都市グリニッジ

■顕著な普遍的価値

○登録基準(i)=人類の創造的傑作

グリニッジの公共・民間の建物と王立公園は人類の芸術的・創造的な努力を証言する最高品質で際立ったアンサンブルを形成している。

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

河港都市グリニッジはクリストファー・レンやイニゴ・ジョーンズの作品で証明されているように、ヨーロッパ建築の発展における重要な段階を表現している。また、公園は2世紀にわたる人と自然の相互作用を示している。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

17~18世紀におけるイングランド王室の権力や支配力・影響力の象徴であり、文化と自然を両立させて都市を設計するすぐれた能力の証明である。

○登録基準(vi)=価値ある出来事や伝統関連の遺産

グリニッジは人類の建築・芸術の卓越した成果であるだけでなく、グリニッジ子午線やグリニッジ標準時の策定に見られるように王立天文台の活動は天文学や航海技術の発展に大きく寄与した。

■完全性

資産は旧王立海軍大学、クイーンズ・ハウス、旧王立天文台、旧王立公園に加えてこれらへのアクセス路上に位置する建物が含まれており、顕著な普遍的価値を構成するすべての要素を内包しており、法的に保護されている。ただ、周囲の開発圧力は強く、高層ビル等により景観は悪影響を受けている。

■真正性

真正性は高いレベルで維持されている。旧王立海軍大学、特にペインテッド・ホールや礼拝堂はほぼ建設当時のままである。公園も設計時の形とデザインを伝えており、当時の木々が残されている。こうした19世紀の建造物はすべて国立海洋博物館の一部としてグリニッジ財団が統一的に管理・保護している。王立公園の景観は形状とデザインをある程度保持しており、当時の木々がまだ残っている。

中心的な建造物群の周辺にはスタッコで装飾されたスレート屋根を持つ住宅街と公園があり、商業および居住区としての機能を維持している。建築の一貫性と保全状態は良好だが、第2次世界大戦の爆撃とその後の復興によって混乱した都市レイアウトを修正・修復する必要がある。

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