ビスカヤ橋

Vizcaya Bridge

  • スペイン
  • 登録年:2006年
  • 登録基準:文化遺産(i)(ii)
  • 資産面積:0.8595ha
  • バッファー・ゾーン:12.36ha
世界遺産「ビスカヤ橋」、ビルバオの街並みとイバイサバル川、ビスカヤ橋
世界遺産「ビスカヤ橋」、ビルバオの街並みとイバイサバル川、ビスカヤ橋
世界遺産「ビスカヤ橋」、ビスカヤ橋の夕景
世界遺産「ビスカヤ橋」、ビスカヤ橋の夕景
世界遺産「ビスカヤ橋」、ビスカヤ橋の歩道
世界遺産「ビスカヤ橋」、ビスカヤ橋の歩道
世界遺産「ビスカヤ橋」、ビスカヤ橋のゴンドラ
世界遺産「ビスカヤ橋」、ビスカヤ橋のゴンドラ

■世界遺産概要

ビスカヤ橋はスペイン北東部バスク州の港湾都市ビルバオを流れるイバイサバル川(ネルヴィオン川)の河口に架かる全長160m・高さ45mの鉄橋で、1893年に完成した。建築家フェルナンド・アルノディンとアルベルト・パラシオが開発したゴンドラを吊り下げて運搬する世界初の吊り下げ式運搬橋で、19世紀の鉄工業と軽量ツイスト・スチール・ケーブル(撚り鋼索)の技術を駆使することで実現した。なお、ビスカヤ橋近くの道やビルバオ大聖堂(サンティアゴ大聖堂/使途聖ヤコブ大聖堂)は世界遺産「サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路:カミーノ・フランセスとスペイン北部の巡礼路群」の構成資産となっている。

○資産の歴史

バスク地方は古代から鉄工業が盛んで、ローマ以前のケルト人の時代にはすでに鉄鉱石の採掘が行われていた。13~16世紀に鉄は主要輸出品となり、フランスなどへ盛んに輸出された。15世紀にはじまる大航海時代を経てバスクの鉄は「太陽が沈まぬ帝国」といわれたスペイン海洋帝国各地に輸出され、新世界(ヨーロッパ人が大航海時代に発見した新たな土地)を開拓するための道具として活躍した。18世紀後半にイギリスで産業革命が起こると競争力を失って低迷するが、19世紀にビルバオ近郊で新たな鉄鉱石の鉱床が発見されるとふたたび鉄工業が活発化し、外国の資本と技術を取り入れて第2次産業革命(鉄鋼・機械・造船・ 鉄道等を中心とした重工業や化学工業における産業構造の改革)を達成し、スペインで最大、ヨーロッパでも屈指の鉄生産量を誇るまでに飛躍した。ビルバオ周辺では鉄工業・造船業・製紙業・製造業といった重工業が発達し、カタルーニャと並ぶ工業地帯へと変貌を遂げた。イバイサバル川の川岸や河口には造船所や鉄工場が立ち並び、鉄製品や鉄鉱石を中心に年1,200tもの製品が運び出されたという。

ビルバオはスペイン屈指の産業都市となったが、これに伴ってイバイサバル川の両岸に鉄道が通され、特に東岸が住宅地として開拓された。河口の両岸を結ぶ橋が待望されたが、数多くの船が行き来することからかなりの高さが必要で、高さを確保するために長いスロープ(傾斜路)が必要とされた。すでに発達した町ではそのような土地の確保は難しく、また昇開橋(橋桁が上下する橋)や跳開橋(跳ね橋)といった可動橋にするには川幅が広く、船の航行が多かった。

19世紀、鉄を細く延ばしたスチール・ケーブル(ワイヤー・ロープ)が発達し、捻りを加えたツイスト・スチール・ケーブルや、これをまとめてさらに捻りを加えた二重ツイスト・スチール・ケーブルが開発された。フランスの建築家・エンジニアのフェルナンド・アルノディンはこれを利用してきわめて頑強な鉄骨造の吊り橋や斜張橋を設計した。バスク出身の建築家でエッフェル塔(世界遺産)の開発者ギュスターヴ・エッフェルの弟子のひとりであるアルベルト・パラシオはこれを応用し、橋脚にあたるパイロン・タワーを極端に高くすることで高さを確保し、運搬用のゴンドラを吊り下げることでスロープを不用とする新しい運搬橋を開発した。このアイデアには軽くて強いワイヤー・ケーブルが必要だったが、アルノディンが新たに開発した軽量ツイスト・スチール・ケーブルが採用された。1887年に起工した工事は1893年に竣工し、世界初となる吊り下げ式運搬橋・ビスカヤ橋が誕生した。

○資産の内容

ビスカヤ橋は全長160mで東のゲチョと西のポルトゥガレテを結んでおり、パイロン・タワーの高さは61m、橋桁の高さは45mとなっている。鉄柱や鉄板を用いた鉄骨造で、組み合わせるふたつの鉄に穴を開けて熱したリベットを通して接合するリベット接合が採用されおり、三角形や四角形のフレームを並べたラーメン構造となっている。橋桁には歩行者用の通路が設けられており、現在はパイロン・タワーに設置されたリフト(エレベーター)でアクセスすることができる。ゴンドラは風に流されないようにクロスさせた複数の軽量ケーブルで約25m吊り下げられており、6台の自動車と数十人の乗客を1.5分で対岸に輸送する。当初は蒸気機関を利用して運用していたが、20世紀はじめに電気モーターに置き換えられた。スペイン内戦(1936~39年)時には上部構造が破壊されたが、戦後すぐに再建された。

ビスカヤ橋を皮切りに世界で20基を超える吊り下げ式運搬橋が建設されたが、その後衰退し、ビスカヤ橋完成後40年で8基を残すのみとなった。スペイン内戦時を除いてほとんど休まず稼働を続けており、いまでも毎年50万台の車両と600万人の乗客を運搬している。

■構成資産

○ビスカヤ橋

■顕著な普遍的価値

本遺産は(iii)「文化・文明の稀有な証拠」と(iv)「人類史的に重要な建造物や景観」でも推薦されていたが、ICOMOS(イコモス=国際記念物遺跡会議)は(iii)について文明または文化的伝統ではなく、(iv)について人類の歴史において重要なポイントとまでいえるものではないとしてその価値を認めなかった。

○登録基準(i)=人類の創造的傑作

河口と調和したビスカヤ橋の景観はきわめて美しく、機能と美観を兼ね備えた機能美を体現しており、人類の卓越した技術と創造性を証明する傑作である。

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

吊り下げ式運搬橋は当時最先端を誇ったスペインとフランスの鉄工技術とスチール・ケーブル技術のたまものであり、ビスカヤ橋が編み出した新しい構築物は完成後30年間にわたって世界中の橋の開発に影響を与えた。

■完全性

資産は橋とその構造部分のみだが、河口と川岸一帯が広くバッファー・ゾーンに設定されている。ここには顕著な普遍的価値を構成するすべての要素が含まれている。

ビスカヤ橋は1996年に公営から民営に移行し、1996~2000年の間に主要構造の修復やゴンドラの交換、リフトの設置、付属構築物の除去といった大々的な修復作業が行われた。これにより劣化から救われただけでなく、もともとの形状・素材へ回帰して完全性や真正性が回復された。

■真正性

ビスカヤ橋は建設以来、数々の修復・再建を経験している。蒸気から電気へのエネルギー・システムの転換、スペイン内戦時の破壊からの再建、1996~2000年の大修復は大きな要素だが、基本的に構造と機能の維持に必要なもので、形状についても大きく変更されてはいない。たとえば蒸気から電気への変更は巨大なボイラー室やコントロール室を不用にし、小さなシステムでの運用が可能となり、効率性や信頼性の向上に貢献した。ゴンドラの車輪は鋳鉄製のホイールからポリウレタン製に替わったが、これにより振動を抑えて安定性が増し、構造への影響を縮小した。ゴンドラ本体には風の抵抗を減らすために空力的にすぐれた設計が採用された。オリジナルと異なる現代的なデザインだが今日的なニーズに対応した技術的な回答であると見なすことができ、総合的に真正性は十分維持されていると考えることができる。

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