古都トレド

Historic City of Toledo

  • スペイン
  • 登録年:1986年
  • 登録基準:文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)
  • 資産面積:259.85ha
  • バッファー・ゾーン:7,669.28ha
世界遺産「古都トレド」、右上がアルカサル、中央上がトレド大聖堂、そのすぐ左上がサン・イルデフォンソ教会、左の大きな建物がコンシリアール・デ・サン・イルデフォンソ神学校
世界遺産「古都トレド」、右上がアルカサル、中央上がトレド大聖堂、そのすぐ左上がサン・イルデフォンソ教会、左の大きな建物がコンシリアール・デ・サン・イルデフォンソ神学校
世界遺産「古都トレド」、ライトアップされた右上がアルカサル、その左がトレド大聖堂、下はタホ川
世界遺産「古都トレド」、ライトアップされた右上がアルカサル、その左がトレド大聖堂、下はタホ川
世界遺産「古都トレド」、大司教宮殿(左)とトレド大聖堂の西ファサード(右)
世界遺産「古都トレド」、大司教宮殿(左)とトレド大聖堂の西ファサード(右) (C) Querubin Saldaña
世界遺産「古都トレド」、ゴシック様式の彫刻や祭壇画で装飾されたトレド大聖堂の主祭壇
世界遺産「古都トレド」、ゴシック様式の彫刻や祭壇画で装飾されたトレド大聖堂の主祭壇
世界遺産「古都トレド」、トレドの紋章と守護天使サグラリオの聖母像を掲げたビサグラ新門
世界遺産「古都トレド」、トレドの紋章と守護天使サグラリオの聖母像を掲げたビサグラ新門 (C) Michel wal
世界遺産「古都トレド」、ムデハル様式のシナゴーグを教会堂に改修したサンタ・マリア・ラ・ブランカ教会
世界遺産「古都トレド」、ムデハル様式のシナゴーグを教会堂に改修したサンタ・マリア・ラ・ブランカ教会。幾何学文様、馬蹄形アーチ、多弁アーチなど随所にイスラム装飾が見られる (C) DavidMP
世界遺産「古都トレド」、対岸からの眺め
世界遺産「古都トレド」、対岸からの眺め

■世界遺産概要

トレドはスペイン中部カスティリャ=ラ・マンチャ州の都市で、ローマ帝国の植民都市を経て西ゴート王国の首都として発展し、イスラム王朝であるウマイヤ朝、後ウマイヤ朝、タイファ諸国の主要都市でレコンキスタ(国土回復運動)の舞台となり、キリスト教勢力の奪還後はカスティリャ王国やスペイン王国の首都として整備された。古代・中世・近世を通じてイベリア半島の主要都市としてありつづけ、ローマ、イスラム、キリスト、ユダヤ、ムーアと多彩な宗教・文化が混在する国際都市として名を馳せた。

○資産の歴史

トレドの地にはローマ以前から都市があったが、紀元前193年に共和政ローマが征服した。ローマ植民都市トレトゥムが建設され、城壁や水道・貯水池・道路といったインフラを整備し、多くの建物が築かれた。後の時代にほとんどが撤去されて切石は他の建造物に転用されたが、城壁や水道、公衆浴場、テアトルム(ローマ劇場)、アンフィテアトルム(円形闘技場)、キルクス(多目的競技場)、ヴィッラ(貴族の別荘・別邸)、ネクロポリス(死者の町。墓地)などは遺構が残されている。ヘラクレスの洞窟はローマ時代の貯水池跡と見られる遺構で、アルカンタラ橋は皇帝トラヤヌス治世の2世紀はじめの創建とされるが、時代時代の改修を受けている。

イベリア半島ではローマ時代末期にゲルマン系諸民族の侵入が激化した。フランス南部では418年にゲルマン系西ゴート人による西ゴート王国が成立していたが、5世紀後半にイベリア半島に侵出し、6世紀にはトレドもその版図に入った。6世紀後半にはイベリア半島の大半とフランス南部を版図に収め、首都をトレドに遷している。また、589年の第3回トレド公会議では異端とされていたアリウス派からローマ・カトリックへの改宗を行い、トレドはイベリア半島におけるローマ・カトリックの拠点都市となった。その中心を担ったのが6世紀創建のトレド大聖堂(サンタ・マリア大聖堂)だ。西ゴート王国はローマ時代の城壁を3倍ほども巨大なものに再建したという。アラルコネス門のベースと周辺の城壁はこの時代のものと考えられている。

711年にイスラム王朝であるウマイヤ朝がイベリア半島に進出し、同年にトレドを征服して西ゴート王国を滅ぼした。西アジアでウマイヤ朝がアッバース朝に滅ぼされると、756年にコルドバ(世界遺産)を首都に後継となる後ウマイヤ朝が成立。トレドでは信教の自由が認められたが、トレド大聖堂など大きな教会堂はモスク(イスラム教の礼拝堂)に改修され、城壁や門を除いて主だった建物も取り壊された。イベリア半島北部を中心にキリスト教徒はレコンキスタを開始し、一方イスラム教徒の間でも反乱が相次ぎ、トレドは安定しなかった。1031年のカリフ(イスラム教創始者ムハンマドの後継者でありスンニ派最高指導者)の廃位をもって後ウマイヤ朝は滅亡し、イベリア半島は「タイファ」と呼ばれるイスラム王朝の乱立時代に入り、トレドではトレド王国(1035~85年)が成立した。この時代の代表的な建造物としてクリスト・デ・ラ・ルス・モスク(ビブ・マルドゥム・モスク)が挙げられる。999年頃建設されたモスクで、後に教会堂に転用されてアプス(後陣)が取り付けられたが、建物はほぼ当時のまま残されている。同時代の建物にはヴァルマルドン門、アルフォンソ6世門(ビサグラ旧門)やテネリアス浴場跡などがある。

11世紀にレコンキスタが激化し、トレドはイベリア半島中部におけるイスラム教勢力の拠点都市となった。カスティリャ=レオン王国のフェルナンド1世らさまざまなキリスト教勢力の攻撃を受けた後、1085年に同国のアルフォンソ6世がトレドを落として入城した。アルフォンソ6世は首都をトレドに遷し、「レポブラシオーネ(再定住)」と呼ばれる入植政策でキリスト教化と城郭都市の再整備を進めた。モスクとなっていたトレド大聖堂が再建されるなどトレドもキリスト教都市として再構築されたが、イスラム教徒やユダヤ教徒の信教の自由や居住権・財産権等は認められ、文化の融合が進んだ。一例がムデハル様式で、イスラム美術を取り込んだキリスト教美術が隆盛を迎えた。また、アラブ世界で進んでいたギリシア・ローマの哲学・科学・芸術の研究成果を記したアラビア語やヘブライ語の書籍の翻訳が進み(大翻訳時代)、古典復興を基礎とした文芸の興隆がはじまった(12世紀ルネサンス)。トレドには翻訳学校や図書館を含む多くの学校施設が建設され、近代ルネサンス時代のベースを築いた。

レコンキスタが進む中で、1469年にカスティリャ女王イザベル1世とアラゴン王フェルナンド2世が結婚して連合が成立し、1479年に合併して事実上スペイン王国が誕生。カトリック両王(フェルナンド2世とイザベル1世)は1492年にナスル朝を滅ぼしてレコンキスタを完了させた。両王が15世紀末にフアン王子誕生とポルトガルに対する勝利を記念して築いた修道院がサン・フアン・デ・ロス・レジェス修道院だ。王家の教会堂・墓所・宮殿を兼ねた修道院コンプレックスで、基本はゴシック様式ながらムデハル様式の木製天井など随所にイスラム美術の影響が見られる。

両王の孫であるカルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)の時代にコンキスタドール(征服者。新大陸の探検家)エルナン・コルテスが中央アメリカでアステカ帝国、フランシスコ・ピサロが南アメリカでインカ帝国を滅ぼしてスペインに莫大な富と領土をもたらした。カルロス1世はトレドを首都として整備したが、その過程でアルカサルを再建し、この宮殿に1525年にコルテス、1529年にピサロを迎えている。中央集権が進んで王権は強化されたが、国王による強い締め付けを受けて1520年にトレドで都市反乱が勃発。このコムネロスの反乱はアビラ(世界遺産)やセゴビア(世界遺産)など多くの都市に飛び火したが、翌年鎮圧され、都市の自治は大幅に制限されてスペイン・ハプスブルク家による支配体制が進んだ。カルロス1世の息子フェリペ2世はトレドの北80kmほどにエル・エスコリアル(世界遺産)を建設し、トレドやバリャドリード、セゴビアなどに分散していた首都機能を集中させた。王室や行政・宗教機能のみならず繊維工場など産業機能も移転したためトレドは急速に衰退し、その繁栄は終わりを告げた。また、16~17世紀にはキリスト教への強制改宗やユダヤ人とムーア人(イベリア半島のイスラム教徒)の追放を行ったため文化的にも多様性や独自性を失った。

○資産の内容

世界遺産の資産はおおよそ東・西・南のタホ川の川岸と北の城壁の周辺および内側で、タヴェラ病院やヌエストラ・セニョーラ・デ・ラ・カベサ礼拝堂(カベサの聖母庵)、ヴィルヘン・デル・バリェ礼拝堂(渓谷の処女庵)などタホ川と城壁の外側も若干含まれている。

トレド大聖堂は西ゴート王国時代の6世紀創建で、イスラム教時代も中心的なモスクとして使用されていた。レコンキスタによる奪還後、11世紀にアルフォンソ6世によって教会堂として再整備され、13世紀にフェルナンド3世によってゴシック様式で再建された。ゴシック様式がベースながら木製天井やミナレットを模した鐘楼の構造や装飾などにイスラム美術の影響を受けたムデハル様式が配されている。多数の礼拝堂があり、モサラベ(イスラム教支配下のキリスト教美術様式)、ゴシック、ムデハル、プラテレスコ(スペイン特有のルネサンス様式)、ルネサンス、バロック、チュリゲラ(スペイン特有のバロック様式)、新古典主義とあらゆる芸術様式が見られる。大聖堂以外の主要な宗教建築としては、12世紀に建設された最古級の教会堂のひとつであるサン・セバスティアン教会、12世紀建設のシナゴーグ(ユダヤ教の礼拝堂)を14世紀に教会堂に改修したサンタ・マリア・ラ・ブランカ教会、13世紀のムデハル様式の教会堂として名高いサンティアゴ・デル・アラバル教会やサン・ロマン教会、サント・トメ教会、トレドの守護聖人レオカディアを埋葬したクリスト・デ・ラ・ヴェガ礼拝堂、ルネサンス様式のクロイスター(中庭を取り囲む回廊)で名高いサン・ペドロ・マルティル修道院、イエズス会の教会堂で1629年から1世紀以上かけて完成したバロック様式のサン・イルデフォンソ教会などがある。また、トランシト・シナゴーグは14世紀ムデハル様式のシナゴーグとして知られる。

代表的な宮殿としてがアルカサルが挙げられる。もともと3世紀に建設されたローマ帝国の宮殿で、以来西ゴート、イスラム、カスティリャ時代を通じて城や宮殿・公共施設として使用された。現在のルネサンス様式をベースとした建物は16世紀にカルロス1世やフェリペ2世が再建したもので、王室建築家フラン・デ・エレラやアロンソ・デ・コヴァルビアス、フランシスコ・デ・ヴィリャルパンドらによって設計された。大司教宮殿は16世紀にアロンソ・デ・コヴァルビアスが設計した宮殿で、18世紀の改修も含めてルネサンス様式やバロック様式が混在している。他にもムデハル様式のガリアナ宮殿やフエンサリダ宮殿、テンプル騎士団が所有していたテンプル邸など数々の宮殿・邸宅がある。

代表的な公共施設には「城内の病院」サンタ・クルス病院(現・サンタ・クルス美術館)、「城外の病院」タヴェラ病院(現・フンダシオン・ドケ・デ・レルマ博物館等)があり、いずれも15~16世紀建設のプラテレスコ様式で知られる。また、城門には古いものが多く、すでに記したもの以外に14世紀ムデハル様式のソル門、16世紀ルネサンス様式のカンブロン門などがある。東に架かるアルカンタラ橋はローマ時代の創建ながら10・13世紀に再建されており、18世紀にバロック様式の凱旋門が取り付けられた。西のサン・マルティン橋は全長40m・5つのアーチを持つ壮大な石橋で、13~14世紀の建設で、16世紀に堅牢な砦が設置された。

■構成資産

○古都トレド

■顕著な普遍的価値

○登録基準(i)=人類の創造的傑作

トレドの町は西ゴート時代の教会堂から18世紀初頭のバロック様式の建造物に至るまで、きわめて独創的で途切れることのないすばらしい芸術的成果を示している。

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

トレドはフランス南部ナルボンヌ地方にまで版図を広げた西ゴート王国の首都であった時代とルネサンスの時代にスペインでもっとも重要な芸術都市のひとつとなり、全土に多大な影響を与えた。

○登録基準(iii)=文化・文明の稀有な証拠

トレドは現在見られないいくつかの文化の際立った証拠を示している。一例がローマ時代のキルクス、上下水道跡、西ゴート時代のワンバ王の城壁、サンタ・クルス美術館の遺物、コルドバ首長国(後ウマイヤ朝アミール領)時代のバニョ・デ・ラ・カヴァ橋跡、ビサグラ旧門、トルネリアス・モスク、ビブ・マルドゥム・モスク(999年)やいくつかのハンマーム(公衆浴場)だ。また、1085年のキリスト教勢力による征服後、サンタ・マリア・ラ・ブランカ・シナゴーグ(現教会。1180年)やトランシト・シナゴーグ(1366年)といったユダヤ教建築や、トレド大聖堂、サン・ローマン教会、サンティアゴ教会、サン・ペドロ・マルティル修道院といったキリスト教建築、さらにサン・セルヴァンド城などの城壁や城砦・橋・邸宅・通りといったモニュメントが建設された。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

トレドにはサン・フアン・デ・ロス・レジェス修道院やトレド大聖堂、サンタ・クルス病院やタヴェラ病院、ビサグラ新門など、15~16世紀の傑出した建造物が残されている。これらの建造物は宗教的であるか否かを問わずスペイン黄金世紀を代表する建築の数々である。また、トレドは中世に西ゴートとイスラムの芸術の構造と装飾を組み合わせ、ムデハル様式を生み出した。一例がサンティアゴ・デル・アラバル教会(13世紀)やムーア人工房、ソル門(14世紀)、サンタ・クルス病院の羽目板張り、トレド大聖堂のチャプター・ハウス(15~16世紀)だ。

■完全性

資料なし

■真正性

資料なし

■関連サイト

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