アグリジェントの考古地域

Archaeological Area of Agrigento

  • イタリア
  • 登録年:1997年
  • 登録基準:文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)
  • 資産面積:934ha
  • バッファー・ゾーン:1,869ha
世界遺産「アグリジェントの考古地域」、コンコルディア神殿
世界遺産「アグリジェントの考古地域」、コンコルディア神殿。下の基壇がクレピドーマ、柱の上の梁がエンタブラチュア、最上段の三角形がペディメント
世界遺産「アグリジェントの考古地域」、ユーノー神殿(ジュノーネ神殿)
世界遺産「アグリジェントの考古地域」、ユーノー神殿(ジュノーネ神殿)
世界遺産「アグリジェントの考古地域」、ヘラクレス神殿(エラクレ神殿)
世界遺産「アグリジェントの考古地域」、ヘラクレス神殿(エラクレ神殿) (C) Fernando García
世界遺産「アグリジェントの考古地域」、カストル=ポルックス神殿(ディオスクーリ神殿)
世界遺産「アグリジェントの考古地域」、カストル=ポルックス神殿(ディオスクーリ神殿)

■世界遺産概要

アグリジェントはシチリア島南西部に位置する都市で、郊外には古代ギリシアの植民都市アクラガスの都市遺跡が広がっている。その中心が「神殿の谷」で、ドーリア式最高峰とされる神殿の遺構が立ち並んでいる。

○資産の歴史

アグリジェントの地には紀元前7世紀頃からギリシア人入植地があり、紀元前6~前5世紀のファラリス、テロンの治世に城壁を巡らせて強力な植民都市となった。ギリシアのアクラガス、シュラクサイ(現在のシラクサ。世界遺産)とフェニキアのカルタゴ(世界遺産)の間で争われた紀元前480年のヒメラの戦いに勝利すると町は拡大し、人口は30万人に達した。マグナ・グラエキア(南イタリアのギリシア勢力圏)の有力都市のひとつに成長し、ギリシア最大の植民都市シュラクサイに匹敵する繁栄をもたらした。

アクラガスの中心はアクロポリス(ギリシャ都市ポリスの中心となる丘)のあったジルジェンティの丘の「アテネの岩」と呼ばれる地域で、紀元前5世紀頃にその南に位置する神殿の谷とともに整備された。町は「都市計画の父」と讃えられるヒポダマスが発明した「ヒポダミアン」と呼ばれる都市設計が採用され、碁盤の目状に整然と区画された。

多くの神殿がこの時代に建設されたが、そのすべてがドーリア式(ドリス式)だ。ギリシア神殿はクレピドーマと呼ばれる通常3段の長方形の基壇の上に築かれており、中心の本殿にはナオス(主室)、プロナオス(前室)、オピストドモス(後室)といった部屋が配された。内陣となるナオスには神々の像を収められ、本殿の周辺には多数の柱が建てられた(周柱式)。柱の上にはエンタブラチュアと呼ばれる石造の梁部分があり、エンタブラチュアは下から梁にあたるアーキトレープ、装飾用のフリーズ、軒下にあたるコーニスという三重の梁で成立した。頂部に置かれた三角形の破風が神殿の顔となるペディメントで、ペディメントの内部は極彩色の彫刻やレリーフで装飾された。以上が石造部分で、屋根や天井・一部の梁は木造だった。

このクレピドーマ-柱-エンタブラチュア-ペディメントの展開様式を「オーダー」と呼ぶ。ギリシア人はオーダーの構成を数学的に計算し、黄金比なども参考にもっとも美しい形を探し求め、全体の幅・柱の数・柱の直径・柱の高さ・柱頭の大きさと形・エンタブラチュアの幅などの比を厳密に定めた。特に支持された3大オーダーがドーリア式、イオニア式、コリント式で、ドーリア式はこれらの中でもっとも古い歴史を持つ。具体的には、柱の下部の直径と高さの比が1:6、全体は低く、柱は太く、柱間(柱と柱の間)が狭く、ズングリとした男性的で重厚なスタイルで知られる。柱は柔らかい膨らみを持つエンタシスで、フルーティングと呼ばれる溝が刻まれており、柱頭には装飾がない。このドーリア式神殿の最高傑作とされる建物がアテネのパルテノン神殿(世界遺産)と神殿の谷のコンコルディア神殿だ。

当時のアクラガスは「人類の生み出したもっとも美しい町」と讃えられたが、紀元前406年にカルタゴの攻撃を受けてほとんどの神殿が破壊された。一部の神殿の柱や梁は残され、一部は再建されたが、そうした神殿もその後地震で壊れたり、石材として持ち去られてしまった。共和政ローマやローマ帝国の下でも港湾都市としてありつづけたが、西ローマ帝国の滅亡とキリスト教の普及で衰退し、古代の歴史地区は放棄された。

○資産の内容

世界遺産の資産は神殿の谷を中心に地域で登録されており、おおよそアグリジェント市街の南、ヴィッラゼタの東、ヴィッラッジョ・モセの北西に展開している。主な遺構は神殿の谷に点在する以下7基の神殿だ。

コンコルディア神殿は紀元前430年頃の建設で、基壇はおおよそ40×17m、柱の高さは約6mで、長辺に13本・短辺に6本の柱が並ぶ形となっている。状態がよかったことからローマ時代以降も神殿として使用され、ローマ神話の調和の女神コンコルディアにちなんで命名された。6世紀以降はキリスト教の教会堂として使用されたため破壊を免れ、柱、エンタブラチュア、ペディメントの多くが残されている。

ユーノー神殿(ジュノーネ神殿)はローマ神話の婚姻と出産の女神ユーノー(イタリア語でジュノーネ)にちなんで名付けられた神殿で、ユーノーがギリシア神話の女神ヘラと同一視されていることからヘラ・ラチーニア神殿とも呼ばれる。基壇は約38×17mで、長辺に13本・短辺に6本を配する形となっている。ドーリア式神殿では短辺の柱は原則として偶数本で、特に6本柱が好まれたが、これはファサード(正面)の中央に空間を設ける必要があったためだ。ユーノー神殿は紀元前450年頃の建設と見られ、外周の柱と北側のアーキトレープがよく残されている。

ゼウス・オリンピア神殿(ゼウス神殿)はヒメラの戦いの戦勝を記念して紀元前480~前479年頃に築かれた神殿で、建設には戦争で入手したカルタゴ人奴隷(兵士)が投入された。ギリシア神話の最高神ゼウスにちなんでおり、約113×56mの基壇はギリシア最大を誇るが、未完のまま完成しなかったと考えられている。5段のクレピドーマを持ち、長辺に12あるいは14本・短辺に7本の柱を有し、柱の高さは14.5~20.2mに及んだとされるが、柱や梁はほとんど現存しておらず正確なサイズや外観はわかっていない。

ヘラクレス神殿(エラクレ神殿)はギリシア・ローマ神話の英雄ヘラクレス(イタリア語でエラクレ)にちなんだ神殿で、紀元前6世紀末の建設と考えられている。約67×25mの基壇を持つ細長い神殿で、長辺に15本・短辺に6本の柱を有していた。

カストル=ポルックス神殿はイタリア語でディオスクーリ神殿とも呼ばれるが、ディオスクーリあるいはディオスクーロイはギリシア神話のゼウスの息子たちで双子であるカストルとポルックスを示している。紀元前5世紀半ばの建設と見られ、基壇は約31×13mで長辺13本・短辺6本の柱が立ち並んでいたが、現在立っているのは北西角の4本のみとなっている。

ヘファイストス神殿(エフェスト神殿)はギリシア神話の炎と鍛冶の神ヘファイストス(イタリア語でエフェスト)から命名された神殿で、ローマ神話のウルカヌス(イタリア語でヴルカーノ)と同一視されていることからウルカヌス神殿(ヴルカーノ神殿)とも呼ばれる。ただ、こうした神殿の名称は古代の名称と必ずしも一致するものではなく、正確な祭神は不明だ。約43×21mの基壇を持ち、4段のクレピドーマの上に長辺13本・短辺6本の柱を有していた。紀元前550年前後と見られる遺構の上に築かれており、さらに古代の神殿を再建したものと考えられている。

アスクレピオス神殿(エスクラピオ神殿)は医学の神アスクレピオス(イタリア語でエスクラピオ)に捧げられた神殿で、神殿の丘の南東に位置するアスクレペイオン(アスクレピオスの聖域)に築かれたものと考えられている。周辺には病院や宿泊施設が立っており、多くの巡礼者を集めていたようだ。5世紀後半の建設と見られ、22×11mの小さな神殿で地下室を有していた。

神殿の谷の西にはローマ時代の墓地であるテロンの墓やキリスト教徒の地下墓地カタコンベがあり、死者の町=ネクロポリスとして使用された跡が残されている。

■構成資産

○アグリジェントの考古地域

■顕著な普遍的価値

○登録基準(i)=人類の創造的傑作

神殿群はドーリア式神殿の傑作であり、ギリシアの芸術文化のもっともすぐれたモニュメントのひとつである。

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

アクラガスは際立った証拠が示しているように地中海文明をリードした主要都市のひとつであり、ギリシア時代の見事な遺跡は人類の価値の重要な交流を伝えている。

○登録基準(iii)=文化・文明の稀有な証拠

アクラガスは古代の地中海世界においてもっとも偉大な都市のひとつで、保存状態のよい遺構の数々はギリシア文明の卓越した証拠である。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

神殿群はギリシア建築の際立った例であり、特にドーリア式の建築としては最高峰の作品群である。

■完全性

アグリジェントの考古地域には顕著な普遍的価値を構成するすべての重要な要素が含まれている。資産にはネクロポリスの壁外エリア、ヘレニズム・ローマ時代のアクラガスの居住区、複雑な地下水路網、広大な未発掘の考古学的遺構を含め古代ポリスの全領域が含まれている。こうした考古学的な構造は良好な状態で保存されており、その表現は本物である。ただ、土地の不安定性は以前から問題となっている。

■真正性

アグリジェントの考古遺跡の真正性は際立っている。18世紀後半および19世紀に行われた修復作業の一部は不適切であったが、現在は1964年のヴェネツィア憲章(建設当時の形状・デザイン・工法・素材の尊重等、建造物や遺跡の保存・修復の方針を示した憲章)に準拠して行われており、以前の誤った修復についても修正されている。

■関連サイト

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