テルチ歴史地区

Historic Centre of Telč

  • チェコ
  • 登録年:1992年
  • 登録基準:文化遺産(i)(iv)
  • 資産面積:36ha
  • バッファー・ゾーン:296.5ha
世界遺産「テルチ歴史地区」。手前がシュテプニツキー池、奥がウリツキー池、左の塔は聖ドゥハ教会の鐘楼、右の塔は聖ヤコブ長老教会の鐘楼
世界遺産「テルチ歴史地区」。手前がシュテプニツキー池、奥がウリツキー池、左の塔は聖ドゥハ教会の鐘楼、右の塔は聖ヤコブ長老教会の鐘楼
世界遺産「テルチ歴史地区」、色彩・形状豊かなザハリアーシュ広場の家並み
世界遺産「テルチ歴史地区」、色彩・形状豊かなザハリアーシュ広場の家並み
世界遺産「テルチ歴史地区」、聖ヤコブ長老教会の鐘楼から眺めた歴史地区。正面はイエズス教会
世界遺産「テルチ歴史地区」、聖ヤコブ長老教会の鐘楼から眺めた歴史地区。正面はイエズス教会
世界遺産「テルチ歴史地区」、ウリツキー池に映える歴史地区。左の鐘楼が聖ヤコブ長老教会、右の双塔がイエズス教会
世界遺産「テルチ歴史地区」、ウリツキー池に映える歴史地区。左の鐘楼が聖ヤコブ長老教会、右の双塔がイエズス教会
世界遺産「テルチ歴史地区」、聖ドゥハ教会の鐘楼から眺めたザハリアーシュ広場
世界遺産「テルチ歴史地区」、聖ドゥハ教会の鐘楼から眺めたザハリアーシュ広場 (C) Mgr. Pavel Kotrla

■世界遺産概要

テルチはチェコ中南部、ボヘミア(チェコ西部)との境に近いモラヴィア(チェコ東部)の中世都市。田園風景の中にルネサンス様式を中心としたカラフルでかわいらしい家並みが立ち並んでおり、「モラヴィアの真珠」と讃えられている。

○資産の歴史

伝説によるとテルチは1099年の創建とされるが、最古の記録は1315年で、13世紀に森林を開拓して築かれたと考えられている。モラヴィア辺境伯領だったこの土地は1339年にヴィートコフ家のオルドジフの所領となり、本格的な開発が進められた。ヴィートコフ家は14世紀半ばにテルチを城壁で囲い、中央広場を中心に城内を整備し、城塞や聖ヤコブ長老教会を建設した。しかし、この時代の建物はほとんど木造で、1386年の大火で多くを焼失した。大火後、町はゴシック様式を中心に石造で再建された。1423年にはローマ・カトリックに対する反乱であるフス戦争(1419〜36年)に巻き込まれ、フス派に占領されて被害を受けた。15世紀に町は見本市や酒の醸造、塩の販売といった特権を手にし、城がゴシック様式で再建されたが、町の回復には時間がかかった。

16世紀半ばにザハリアーシュ・ズ・フラデツがテルチを購入して君主となった。ザハリアーシュはルネサンスのヒューマニスト(人間性や人間の尊厳を重視する人文主義者)で、水道や病院といったインフラを整備し、最新の灌漑システムや農業生産法を導入し、ギルド(職業別組合)を設立して町の合理化を図った。また、イタリアの建築家や芸術家を呼び寄せてテルチ城をルネサンス様式に改め、同様にルネサンス様式での家の改築を奨励し、街並みを一新した。

三十年戦争(1618~48年)ではプロテスタントのスウェーデン軍とローマ・カトリックの神聖ローマ帝国軍の両軍の略奪を受けて苦しみ、1645年にはスウェーデン軍に占領されて大きな被害を受けた。17世紀後半から町の修復が進められ、イエズス大学やイエズス教会、薬局、墓地などが新設され、町の建物もバロック様式で改修された。

産業革命の影響を受けて18世紀に資本家が台頭し、裕福な資本家たちは彫刻家ダヴィド・リパートによるバロック様式のモロヴィー・スロウプ(ペスト記念柱/聖母マリア柱)や噴水、礼拝堂などを寄贈し、ロココ様式や新古典主義様式といった新しいスタイルも取り入れられた。19世紀はじめには織物工場や印刷所が築かれ、1898年には鉄道が開通するなど町の近代化が進められたが、新しい街並みは池の周辺に広がり、ふたつの池に挟まれた歴史地区は中世~近世の街並みが保存された。

○資産の内容

世界遺産の資産は南のウリツキー池、北のシュテプニツキー池、その間の歴史地区と西岸のザーメツカー庭園(城の庭園)だ。

歴史地区の主な建物としてテルチ城が挙げられる。城の創建は13世紀以前と伝わるが、1386年の大火で焼失し、15世紀にゴシック様式、16世紀にルネサンス様式で再建された。城内には北宮殿や南宮殿、中庭などがあり、北宮殿の黄金の間や南宮殿の全使徒礼拝堂など数多くの部屋や施設を含んでいる。城の付属庭園であるザーメツカー庭園は16世紀の創建で、チェコ最古級の庭園とされる。

テルチの教区教会である聖ヤコブ長老教会は1360~72年の創建と伝えられるゴシック様式の教会堂で、17世紀にルネサンス様式のクワイヤ(内陣の一部で聖職者や聖歌隊のためのスペース)や、バロック様式のクリプト(地下聖堂)や礼拝堂が増改築された。高さ約50mの鐘楼もゴシック様式で、バロック様式の尖頭は1687年に追加されたものだ。

町の西に立つ聖ヤコブ長老教会に対し、東に位置するのが聖ドゥハ教会(聖霊教会)だ。高さ49mを誇るロマネスク様式の鐘楼は13世紀頃の建設で、チェコの農村部では際立ったものとなっている。鐘楼頂部のゴシック・リバイバル様式の尖頭は19世紀に取り付けられた。教会堂も13世紀の創建と伝わるが、15世紀に現在のゴシック様式で再建されている。中世には病院を運営しており、旧・聖ドゥハ病院が隣接している。

イエズス教会は1666~67年に建設されたバロック様式の教会堂で、特徴的な双塔を掲げている。1651~65年に建てられた旧・イエズス大学や旧・イエズス高校に隣接しており、地域の宗教センターとして機能していた。大学や高校跡は現在、教育施設として利用されている。

聖アニー教会は1695〜98年の建設で、周囲には17世紀後半にオープンした墓地が広がっている。

ザハリアーシュ広場は16世紀にルネサンス様式の街並みを築き上げたザハリアーシュ・ズ・フラデツの名を冠した細長い三角形の中央広場で、85を数えるテルチ歴史地区の歴史的建造物の多くがここに集中している。さまざまな色で塗装されたルネサンス様式やバロック様式の建物が立ち並んでおり、隣の建物とは1Fのアーケードで結ばれている。屋上の破風は階段状の階段破風、三角形の三角破風、彫刻やレリーフで装飾されたバロック破風、凸形や釣鐘形のネック破風や釣鐘破風と、個性豊かな破風飾りを掲げている。商店や倉庫、ギルドハウス、邸宅、公共施設などとして使用されていた建造物群で、一部は見学することができる。

■構成資産

○テルチ歴史地区

■顕著な普遍的価値

○登録基準(i)=人類の創造的傑作

テルチ歴史地区は建築的にも芸術的にも卓越した建造物に満ちている。特にザハリアーシュ広場はほぼ無傷で伝えられている保存状態のよいルネサンス建築に囲まれており、すばらしい美観と調和にあふれ、文化的にも重要な役割を果たしている。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

中世後期、中央ヨーロッパでは政治的・経済的な要衝に計画的に都市を建設し、原生林を切り拓いて入植を進めた。テルチは現存する中世植民都市の最良の例である。

■完全性

資産は顕著な普遍的価値を伝えるために必要なすべての重要な要素を含んでおり、範囲とサイズは適切で、完全性は満たされている。周囲に設定されたバッファー・ゾーンは都市遺産保護区のエリアと同一で、周辺環境も含めて保護されている。これまでに実施された建物の軽微な改修は建築にも町にも悪影響を与えていない。ただ、屋根に対する改修は景観に対して重大な影響を与える可能性があり、視覚的な完全性の毀損が懸念される。現状、こうした開発圧力は遺産保護局によって適切に管理されており、また国家遺産研究所の地域部門がテルチに設置されていることからもそうしたリスクは抑えられている。

■真正性

チェコでは19世紀に過剰といえる復元が進められたが、テルチ歴史地区は復元の対象にならなかった。このため個々の建物と街並みの両面がほぼ手付かずで保存されており、真正性は高いレベルで維持されている。修復についても伝統的な素材・デザイン・技術を用いて行われており、遺産保護のための国際基準に則って進められている。

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