ソルテア

Saltaire

  • イギリス
  • 登録年:2001年
  • 登録基準:文化遺産(ii)(iv)
  • 資産面積:20ha
  • バッファー・ゾーン:1,078ha
世界遺産「ソルテア」、奥がソルト・ミル、手前は労働者用の住宅群で、左がタウンハウス群
世界遺産「ソルテア」、奥がソルト・ミル、手前は労働者用の住宅群で、左がタウンハウス群
世界遺産「ソルテア」、ニュー・ミルとエア川
世界遺産「ソルテア」、ニュー・ミルとエア川

■世界遺産概要

実業家タイタス・ソルトが19世紀後半にイングランド北部ウェスト・ヨークシャー州ブラッドフォードに建設した繊維工場を中心とした産業集落で、パターナリズムに基づいた理想的な産業コミュニティは国際的な名声を勝ち取った。

○資産の歴史

18~19世紀はじめにかけて、リース近郊の町ブラッドフォードは繊維産業で急速に成長し、1780~1850年にかけて8,500人の人口は一気に104,000人まで急増した。しかし労働環境や住環境は劣悪で、労働時間は1日16時間に及び、住宅はバラックで、公害はイングランド随一といわれる酷い有様だった。多くの労働者が事故のケガや病気で苦しみ、若者が多かったにもかかわらず平均余命(あと何年生きられるかという期待値)はわずか20年にすぎなかったという。

父親とともに毛織物業に従事していたタイタス・ソルトは1848年にブラッドフォード市長に当選して環境改善に尽力するが、議会の反対にあって断念。代わりにブラッドフォード郊外に土地を取得し、所有していた5つの工場を集約した理想的な産業集落の建設を開始した。

ソルトは地元の建築家ヘンリー・ロックウッドとリチャード・モーソンに、機能性はもちろんかつてないほど清潔で安全な工場の建設を依頼した。また、発電機は著名なエンジニア、ウィリアム・フェアバーンの協力を仰いだ。1853年に開業した繊維工場はエア川とリーズ川、マンチェスター運河、リヴァプール運河、ミッドランド鉄道といった陸運・水運の要衝に建設され、西のリヴァプール港、東のハル港とのアクセスも確保された。鉄道沿いに建設されたメイン工場であるソルト・ミル(ミルは工場を意味する)は南面の全長166m・高さ22mの4階建てという規模で、石造だが耐火性を得るために部分的にレンガと鉄のフレームが使用された。東に高さ68mの煙突が設けられ、最先端の蒸気エンジンが搭載された。工場の施設や設備はソルト・ミルに集約されていたが、1871年には運河を挟んだ隣にニュー・ミルと呼ばれる2棟の新工場が増設された。

タイタス・ソルトは親子関係のように主人が従者の面倒を見るべきであるという「パターナリズム(父子主義)」を掲げ、労働者の健康で安全な生活環境と労働環境を整えた。工場や周辺には食堂や台所、シャワー室や洗面所、図書室やビリヤード場・病院・教会・学校・庭園・遊歩道・運動場・退職者のための施設などが設けられ、近郊には800棟以上の住宅が建てられた。労働者の家族のための住宅は石造で、水道とガスが通っており、屋外トイレを備えていた。一方、独身者には3階建てのタウンハウス(2~4階建ての集合住宅)の一室が提供された。また、郊外には労働者の食生活を向上させるために農地も用意された。この町は自身と川の名前からソルトとエアを取ってソルテアと命名された。

ソルテアは理想的な産業集落として国際的な名声を勝ち取り、たとえばイタリアのクレスピ・ダッダ(世界遺産)の産業集落はソルテアのレイアウトを参考に建設された。1872年には日本政府が送った岩倉使節団も視察に訪れている。

タイタス・ソルトは1876年に亡くなるが、葬列には約10万人が参列し、遺体は工場の西にたたずむソルテア会衆派教会(現・URC教会)に埋葬された。ソルトの死後、3人の息子に引き継がれたが、次第に業績は悪化して1892年に解散した。所有者が代わっても工場は稼働していたが、1986年に停止。1987年にジョナサン・シルバーが買収し、施設は文化・商業・居住センターとして改装された。

○資産の内容

世界遺産の資産はソルト・ミルとニュー・ミルを中心に、教会堂や学校・食堂・公園・住宅街などを含む産業集落が地域で登録されている。中心的な施設はほとんどロックウッドとモーソンによって歴史主義様式(ゴシック様式やルネサンス様式、バロック様式といった中世以降のスタイルを復興した様式)で設計されている。

ソルト・ミルは1851年に建設がはじまり1853年に開業した19世紀イタリア様式の建物で、南に旧ミッドランド鉄道、北にエア川が走り、リーズ川とリヴァプール運河がエア川とほぼ並行して流れている。地元の砂岩を利用した石造で、一部でレンガと鋳鉄フレームを使用している。エントランスにもなっている西のオフィスビルは2階建てで、ユニークな破風を持つ荘厳な建物となっている。本工場は4階建てのおおよそT字形で、南面は全長166m・高さ22mの長大な建物となっている。屋根は構造部分に鋳鉄を多用した寄棟屋根で、これにより当時世界最大規模といわれた巨大で軽い屋根が実現した。エンジン・ルームに設置されたフェアバーン設計の2基のビーム・エンジンは1,250馬力を発生させ、工場に動力を提供した。地下には他にボイラ-・ルームや雨水を貯める貯水池などが設置された。蒸気を排出する高さ68mの煙突は石造で、ソルテアの顔となっている。

ニュー・ミルは運河を挟んでソルト・ミルの北、もともとディクソン・ミルと呼ばれる工場が立っていた場所に1871年に建設された。運河と平行・垂直に走る4階建てのふたつの棟からなり、西の垂直の棟にはヴェネツィア(世界遺産)のサンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂の鐘楼を象った方形の煙突が付属している。

ダイニング・ルームはソルト・ミルの西に1854年に築かれた石造の平屋で、労働者に対して毎日600食の朝食と700食の夕食を提供していたという。また、教室や集会所としての役割も果たしており、しばしば宗教的な会合が開催された。

ソルテア会衆派教会は現在URC教会と呼ばれている教会堂で、1856~59年に建設された。バシリカ式(ローマ時代の集会所に起源を持つ長方形の様式)で単廊式(身廊のみで側廊を持たない様式)の教会堂で、ネオ・ルネサンス様式をベースとした華麗な鐘楼を備えている。内部も歴史主義様式の装飾で彩られており、クリプト(地下聖堂)にはタイタス・ソルトの棺が収められている。

アルムスハウシズは1868年に建てられた主として退職者向けの住宅群だ。歴史主義様式の石造1~2階建てで、45の家屋(現存するのは41)それぞれにオーブンやボイラー、パントリー、ベッドを備えており、最大60人を収容した。入居者の多くは元従業員で、高齢者やケガ・病気等で労働できなくなった人々が居住していた。

タイタス・ソルト病院も1868年に建設された歴史主義様式の石造ビルで、もともと2階建てだったが、1908~09年に3階建てに拡張され、1926~27年に再拡張された。これを受けてベッド数は9→17→30床に増加し、最終的に47床となった。

1868年に建設された学校は石造の平屋で、幼稚園と小学校の役割を果たしていた。2室の大ホールは男女の児童、中央の小さなホールは幼児のために使用され、最大750人を収容した。

インスティテュート(現・ヴィクトリア・ホール)は1867~71年の建設で、地下室と地上2階の構成となっている。800人を収容する講義室や200人用の小ホール、会議室・図書館・読書室・ゲーム場・ビリヤード場・体育館・倉庫・キッチンなど多くの部屋があり、周辺にも遊歩道や野外ステージ、プールやグラウンドといった施設を備えている。

工場の南は工場城下町で、碁盤の目状のグリッドを持つ整然とした街並みが広がっており、当初は14の店舗と163の住宅、タウンハウスが提供された。1854~68年に建設された労働者用の住宅は石造2階建てで、小さな地下室と庭・屋外トイレを備え、水とガスが供給されていた。一方、3階建てのタウンハウスの部屋は独身者に提供された。

これらの他に、エア川の畔に立つボートハウス、公共浴場であるウォッシュ・ハウス、自動車が普及するまで主要交通機関となっていた馬車用の厩舎と小屋、現在ロバーツ公園と呼ばれているソルテア公園といった施設がある。

■構成資産

○ソルテア

■顕著な普遍的価値

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

19世紀半ばの工業都市の傑出した例であり、そのコンセプトは緑あふれる美的空間を目指すガーデンシティ運動に見られる都市計画の発展に大きな影響を与えた。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

19世紀半ばの慈善的なパターナリズムを示す顕著な例であり、経済的・社会的発展において繊維産業が果たした重要な役割を表現している。

■完全性

産業集落のモデルとしてソルテアは十分な完全性を備えている。資産の範囲は村と関連の建物・工場コンプレックスの大部分・公園など、タイタス・ソルトの当初の開発の範囲と一致している。元の建物の1%程度は過去に取り壊されたが、世界遺産登録時点で存在していた建物と複合施設のレイアウトはそのまま残されている。1980年代半ばに産業活動が停止した後、工場の機械は撤去され、資産内での新たな開発の機会は限られている。

■真正性

工場コンプレックス全体の再生と保全に関する集中的な計画は形状・デザイン・素材・原料・機能(存続しているコミュニティとして)といった特徴を維持し、顕著な普遍的価値を表現しつづけることを意味する。もともとの地方の河谷という設定は過去100年で徐々に消えたが、重要な景観が残されている。ソルトの当初の意図は、ソルテアを健全な環境に置くことであったことを考慮すると、バッファ-・ゾーンは重要である。

■関連サイト

■関連記事