デル・モンテ城

Castel del Monte

  • イタリア
  • 登録年:1996年
  • 登録基準:文化遺産(i)(ii)(iii)
  • 資産面積:3.1ha
  • バッファー・ゾーン:10,847.3ha
世界遺産「デル・モンテ城」
世界遺産「デル・モンテ城」
世界遺産「デル・モンテ城」
世界遺産「デル・モンテ城」(C) Joldersman
世界遺産「デル・モンテ城」、中庭の眺め
世界遺産「デル・モンテ城」、中庭の眺め

■世界遺産概要

デル・モンテ城はイタリア南西部プッリャ州アンドリアに位置する要塞で、才人で知られ「王家初の近代人」と称された神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世(フェデリーコ2世)が自ら設計し、1240年に完成させた。イタリア語で "Castel del Monte"(カステル・デル・モンテ)で、「山城」を意味する。

○資産の歴史と内容

1197年、フリードリヒ2世は幼くして両親を亡くすとわずか3歳でホーエンシュタウフェン家の家督を継ぎ、1215年までにシチリア王、神聖ローマ皇帝、ローマ王、エルサレム王に即位する。王の不在で荒れ果てていたシチリア島や南イタリアを整備し、ナポリ大学を創設したりアリストテレスやプトレマイオスなど古代ギリシアの作品をラテン語に翻訳するなど芸術家や科学者を招いて文化活動を奨励し、「世界の驚異」「南ルネサンス」と讃えられる繁栄をもたらした。

フリードリヒ2世はイタリア統一の夢を持ち、教皇庁や北イタリアの諸都市と対立し、2度も破門されて教皇派の攻撃を受けている。こうした背景もあって拠点となるシチリア島やイタリア半島の爪先と踵にあたるカラブリアやプーリアに数々の城や要塞を建設した。そのひとつがデル・モンテ城だ。

デル・モンテ城は中庭を中心とした王冠のような正八角形の平面プランで、それぞれの角に八角形の塔を備えており、外壁の中央にコーニス(梁の突起)のラインが入っている。点対称・線対称できわめて幾何学的な構成だ。2階建てで各階に8部屋を備えており、それぞれの塔の中央に設けられた螺旋階段で結ばれている。正八角形、各階8つの部屋、ポータル(玄関)の8枚のクローバー、柱頭やキーストーンの8枚の葉など、「8」がキーワードになっている。

ポータルはサンゴ石灰岩で、中東の凱旋門を模していると思われる。部屋の1階の窓は城塞のような開口部だが2階の窓は教会のようなゴシック様式で、コリント式の大理石柱で装飾されている。特徴的なのは排水設備を備えたバス・トイレで、アラブの浴場ハンマームを持ち込んだものと考えられている。塔の螺旋階段は上りが反時計回りで攻城側に有利であるため(右利きの戦士にとって攻め上がる側が攻撃しやすくなるため)、ひとつの謎とされている。一説では城や要塞というよりも客を招く別荘のような機能を果たしていたともいわれる。

フリードリヒ2世は南イタリアのみならず神聖ローマ帝国が支配していたドイツ滞在も長く、また第6回十字軍(破門十字軍)に参加してエルサレムに遠征するなどイスラム文化にも通じていた。そのためかデル・モンテ城にはギリシア・ローマの古代建築からシトー会の修道会に見られるゴシック様式をはじめとするキリスト教建築、ウマイヤ朝を中心としたイスラム建築の影響も見られ、さまざまな文化的要素が融合した類を見ない構造・デザインとなっている。

■構成資産

○デル・モンテ城

■顕著な普遍的価値

○登録基準(i)=人類の創造的傑作

北ヨーロッパ・イスラム世界・古典古代の文化的要素の調和の取れた融合と形態的な完全さを考慮すると、デル・モンテ城はその設計者であるホーエンシュタウフェン家フリードリヒ2世のヒューマニズム(人文主義。人間性や人間の尊厳を重視する思想)を反映した中世軍事建築の独創的な傑作であるといえる。

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

フリードリヒ2世と不可分に結びついたデル・モンテ城は、ギリシア・アラブ・イタリア・ユダヤの学者をパレルモの宮廷に集めた皇帝のコスモポリタニズム(世界市民主義。国・民族・宗教等を超えて人類をひとつの世界市民とみなす思想)の精神を体現している。これこそが彼を近代ヒューマニズムの先駆者たらしめている。

○登録基準(iii)=文化・文明の稀有な証拠

イタリアのイエシで生まれ、シチリアで育ち、幼い頃から東洋世界に魅了されたドイツの皇帝の地中海政策の象徴であり、偉大な地中海文明の知的で道徳的な要素の結晶である。

■完全性

デル・モンテ城はその構造について重大な変更が行われておらず、完全性は維持されている。ただ、大理石やモザイク(石やガラス・貝殻・磁器・陶器などの小片を貼り合わせて絵や模様を描く技法)の内部装飾などは劣化しており、撤去されたものも少なくない。

デル・モンテ城は丘の上にただ一基、孤高にそびえており、城の周囲が保護されているのみならず、バッファー・ゾーンとなっている周辺景観も保護の対象となっている。ふたつの領域は遺産の卓越した記念碑的な特徴を完全に表現しており、保存状態もよい。

■真正性

デル・モンテ城はほとんど構造的に変化していないため、主要エリアの多くで真正性を維持している。城のロケーションについても周囲を睥睨する岩山の頂部に位置しており、この点についても変わっていない。本来の八角形の形状とインテリア・デザインも保持されている。建築素材に関して外側の石灰岩ブロック構造は手付かずだが、内部の大理石やモザイク装飾は撤去されたり崩壊したりと状態は悪化しており、バーリの博物館に収められている2点の彫刻のように持ち去られたものもある。ただ、このようなことは近年ほとんど起きていない。1878年以降の保全活動のクオリティは高く、イタリアの水準をクリアしており、モニュメントの真正性は高いレベルで維持されている。

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