トスカーナ地方のメディチ家の別荘と庭園群

Medici Villas and Gardens in Tuscany

  • イタリア
  • 登録年:2013年
  • 登録基準:文化遺産(ii)(iv)(vi)
  • 資産面積:125.4ha
  • バッファー・ゾーン:3,539.08ha
世界遺産「トスカーナ地方のメディチ家の別荘と庭園群」、ヴィッラ・ディ・カファッジョーロ
世界遺産「トスカーナ地方のメディチ家の別荘と庭園群」、ヴィッラ・ディ・カファッジョーロ (C) Massimilianogalardi
世界遺産「トスカーナ地方のメディチ家の別荘と庭園群」、ヴィッラ・メディチ・ア・フィエーゾレ (C) sailko
世界遺産「トスカーナ地方のメディチ家の別荘と庭園群」、ヴィッラ・メディチ・ア・フィエーゾレ (C) sailko
世界遺産「トスカーナ地方のメディチ家の別荘と庭園群」、ヴィッラ・ラ・ペトライアの中庭のフレスコ画『メディチ家の栄光』
世界遺産「トスカーナ地方のメディチ家の別荘と庭園群」、ヴィッラ・ラ・ペトライアの中庭のフレスコ画『メディチ家の栄光』 (C) sailko
世界遺産「トスカーナ地方のメディチ家の別荘と庭園群」、ヴィッラ・ディ・アルティミーノ
世界遺産「トスカーナ地方のメディチ家の別荘と庭園群」、ヴィッラ・ディ・アルティミーノ (C) sailko
世界遺産「トスカーナ地方のメディチ家の別荘と庭園群」、ヴィッラ・デル・ポッジョ・インペリアーレ
世界遺産「トスカーナ地方のメディチ家の別荘と庭園群」、ヴィッラ・デル・ポッジョ・インペリアーレ (C) sailko

■世界遺産概要

15~17世紀、フィレンツェ(世界遺産)を拠点とするメディチ家がイタリア半島北部のトスカーナ地方に建設したルネサンス様式の12のヴィッラとふたつの庭園を登録した世界遺産。10件がフィレンツェ、2件がプラート、残りはピストイアとルッカに位置している。

なお、ピッティ宮殿のボーボリ庭園は世界遺産「フィレンツェ歴史地区」の構成資産でもある。

○資産の歴史

フィレンツェを拠点に金融業で成功し、ヨーロッパ経済を担ったメディチ家はその莫大な富を芸術や建築に投資してルネサンスの飛躍をもたらした。1400年代=クワトロチェントの黄金期、フィレンツエにパラッツォ(宮殿)を建設し、ルネサンス都市として整備するだけでなく、郊外に華麗なヴィッラと庭園を建設した。ヴィッラはローマ時代に起源を持ち、貴族が地方に築いた別荘や別邸を意味する。ローマ時代のヴィッラの一例がイタリアの世界遺産「ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレ」や「ヴィッラ・アドリアーナ[ティヴォリ]」だ。ローマ帝国滅亡後、地方の貴族や農場主が領地に築いた城塞状の邸宅(カントリーハウス)もヴィッラと呼ばれるようになった。

当初、メディチ家が築いたヴィッラは都市郊外の戦略拠点に築かれ、堀や城壁を備えた城のような造りで軍事拠点となるものだった。ヴィッラは長方形や正方形の平面プランをベースに城塞のような厚い壁を持ち、壁面にアーチや窓が連なる幾何学構造を持つルネサンス様式で、要所に塔や砲台が設けられた。当初は庭園なども存在せず、その分、中庭が重視された。

時代が進むと見晴らしのよい丘の上に築かれるようになり、ギリシア・ローマ建築の象徴であるペディメント(三角破風)やドーリア式・イオニア式・コリント式の柱を持つポルティコ(柱廊玄関)や、「ロッジア」と呼ばれるイタリア中部特有の柱とアーチを並べた柱廊装飾が組み込まれた。内装はいっそう華やかで、フレスコ画(生乾きの漆喰に顔料で描いた絵や模様)やスタッコ(化粧漆喰)細工・絵画・彫刻などで色鮮やかに装飾された。

やがてヴィッラの周囲を庭園が取り囲むようになり、土地を幾何学的に区切った整形庭園が設置された。こうした庭園では丘を利用して水路に水を流し、各エリアごとのテーマに沿って運河や池、カスケード(階段状の連滝)、噴水、ボスコ(樹林)、花壇、迷園(立体迷路)、グロッタ(洞窟)、彫刻などを配置した。ルネサンス期に生まれたこうした庭園をイタリア式庭園、あるいはイタリア・ルネサンス庭園と呼ぶ。そして全体を壁や堀で囲み、門や跳ね橋が各所に配された。

こうしてルネサンス様式のヴィッラは教会建築が主導していた建築文化のメインストリームを宮殿に移行させる端緒となり、同時にヨーロッパ庭園文化の基礎を築いた。

○資産の内容

世界遺産の構成資産は14件で、フィレンツェを中心にトスカーナ大公国の版図だったエリアに点在している。

ヴィッラ・ディ・カファッジョーロは1451年にコジモ・デ・メディチがルネサンスの名建築家ミケロッツォ・ディ・バルトロメオに改修を依頼したメディチ家最初期のヴィッラだ。1基の塔がそびえる「□」形のコートハウス(中庭を持つ建物)で、城壁・砲台・堀・跳ね橋を持つ城塞のような構造でメディチ家のヴィッラのプロトタイプとなった。

ヴィッラ・デル・トレッビもコジモ・デ・メディチがミケロッツォに改修させたと見られるヴィッラで、ヴィッラ・ディ・カファッジョーロの近郊に位置し、形状もよく似ている。やはり1基の塔を備え、堀や跳ね橋を持つ城塞のような造りだが、中庭にロッジアを組み込んで宮殿らしい華麗さを演出した。この時代にはまだルネサンス様式の庭園は存在しない。

ヴィッラ・ディ・カレッジは1417年にメディチ家によって買い取られた城塞で、こちらもコジモ・デ・メディチとミケロッツォによって改修が行われた。中庭を持つコートハウスだが形はいびつで多くのウイング(翼廊/翼棟/袖廊。複数の棟が一体化した建造物群の中でひとつの棟をなす建物)を持つ。このヴィッラでは景観を重視して城壁が取り去られ、塔も排除されている。アラベスク(イスラム文様)を刻んだロッジアを多様するなど、より都市型の宮殿建築に近づいている。

ルネサンスのヴィッラの方向性を決めたのがジョヴァンニ・ディ・ビッチが1458年に建設を開始したヴィッラ・メディチ・ア・フィエーゾレだ。こちらもミケロッツォの設計で、アルノ渓谷の急な斜面に位置し、周囲の美しい景観を見下ろしている。ヴィッラは正方形のコートハウスでロッジアを持ち、長方形の庭園が階段状に連なっている。最初期のイタリア式庭園だが、現在の庭園は20世紀に改修されたもので、ネオ・ルネサンス様式となっている。景観に配慮し、住人の快適性や美観を重視したヴィッラの先駆けであり、都市計画や環境開発にさえ影響を与えるもので、ルネサンスのヒューマニズム(人文主義。人間性や人間の尊厳を重視する思想)を体現するものとなった。

初期のイタリア式庭園のプロトタイプとされるのがロレンツォ・デ・メディチが建設したニコロ・トリボロ設計のヴィッラ・ディ・カステッロだ。フィレンツェの丘に立つ長方形のコートハウスで、斜度の緩い階段状の庭園に水路と滝を設置し、花壇や噴水・グロッタ・温室を配した整形庭園となっている。16世紀にコジモ1世がヴィッラに隣接してリモナイア(レモンハウス)と呼ばれる温室を設置し、その前に新たな整形庭園を建設した。華麗な厩舎が設けられたのもこの頃だ。

ジュリアーノ・ダ・サンガッロ設計のヴィッラ・ディ・ポッジョ・ア・カイアーノは美しい森が広がる丘に築かれたヴィッラで、自然とヴィッラの調和がいっそう進展している。宮殿は「H」形の平面プランで、壁面はシンプルながらファサード(正面)中央にイオニア式のポルティコ、下部にロッジアを配し、柱とアーチが均等かつ対称に立ち並ぶ古典的でルネサンスらしい意匠となっている。

ヴィッラ・ラ・ペトライアはコジモ1世が買収したヴィッラで、トスカーナ大公に即位したフェルディナント1世が大公にふさわしいヴィッラを目指して改修を行った。1基の塔を持つ方形のコートハウスで、洗練された城塞のような意匠となっている。特筆すべきが1636~46年頃に中庭の柱廊壁面に描かれた画家ヴォルテッラーノ(バルダッサーレ・フランチェスキーニ)によるフレスコ画『メディチ家の栄光』で、メディチ家を代表する芸術作品となっている。1872年にこの中庭はガラス屋根で覆われてボールルーム(ダンスなどを行うための大広間)となった。正面は広大なイタリア式庭園で、3層構成でそれぞれ微妙に傾斜しており、フィレンツェの街並みを借景としている。

ボーボリ庭園はピッティ宮殿(パラッツォ・ピッティ)に隣接したイタリア式庭園の最高峰のひとつで、世界遺産「フィレンツェ歴史地区」の構成資産でもある。1550年にメディチ家に買収され、コジモ1世の大公妃エレオノーラ・ディ・トレドが拡張・改修を行った。改修は半世紀にわたって続き、建築家もニコロ・トリボロからバルトロメオ・アンマナーティ、ベルナルド・ブオンタレンティへ移行した。17世紀にコジモ2世によってさらなる拡張を受け、ジュリオとアルフォンソのパリージ親子が設計を担当した。現在でも450,000haを誇る広大な庭園で、宮殿の正面に伸びるモーセ洞窟、円形劇場、ネプチューン噴水、アブンダンティア像を縦軸、ヴィオットローネと呼ばれる通路を横軸として周辺に種々の施設が配されている。代表的な施設には、島を中心とした庭園で神々の像で飾られたイゾロット、見事な彫刻やレリーフで覆われたブオンタレンティ洞窟、果樹温室であるリモナイア、喫茶室カフィーハウスなどが名高い。特に水関係の施設は当時の工学技術を駆使したもので、水圧や空気圧を利用してオルガンや小鳥のさえずりを自動演奏させるなど、ドラマティックな演出にあふれている。

ヴィッラ・ディ・チェッレート・グイディは町の中心の丘にたたずむヴィッラで、1560年代にコジモ1世が改修を行った。シンプルな長方形のヴィッラで、中央にホールを持つ当時のヴィッラの標準的な造りとなっている。隣接するサン・レオナルド教区教会は12世紀建設の歴史ある教会堂で、ポルティコなどは後年に増築されている。

パラッツォ・ディ・セラヴェッツァはフィレンツェの北西約80km、沿岸の町ビアレッジョ近郊に位置するパラッツォで、コジモ1世が1560年代に建設した。アルプス・アプアネ山の峡谷の中央部を押さえる国境防衛基地であり、豊かな自然に恵まれていることから狩猟館や銀・大理石の採石場の拠点としても使用された。装飾のないシンプルな「コ」形のコートハウスで、城砦としての特徴が強調されている。

プラトリーノ庭園はもともとパラッツォ・ディ・プラトリーノと呼ばれるヴィッラだったが、1820年に解体されて庭園のみが残されている。その後、ロシア人のデミドフ氏が買い取って別荘を建てたことからヴィッラ・デミドフとも呼ばれる。メディチ家のフランチェスコ1世が1568年に購入し、建築家ベルナルド・ブオンタレンティが改修した庭園で、直線の通路が直交してはいるが左右非対称で、カスケードは自然の川のようにくねっており、山や池・グロッタ・水路などもランダムに配されている。ルネサンス様式の均衡を逸脱したマニエリスム様式の庭園で、「驚異の庭園」と評された。1819年にフェルディナンド3世が周囲の自然を組み込んでイギリス式庭園(自然を模したイギリスの風景式庭園)に改修した。

ヴィッラ・ラ・マジアも1584年にフランチェスコ1世が購入してブオンタレンティが改修したヴィッラで、近くに王室狩猟場があったため主に狩猟館として使用された。1基の塔を持つ正方形のコートハウスで、外装にほとんど装飾のないシンプルな意匠となっている。すばらしいのは景観で、周辺の森とふたつのリモナイアに挟まれた整然とした庭園、彼方の町が見事に調和している。背後には深い森が広がっており、狩猟場であるだけでなく、釣りに興じることができるように人工湖が設置された。

ヴィッラ・ディ・アルティミーノはフェルディナンド1世の依頼でブオンタレンティが1596~1600年に建設したヴィッラで、メディチ家のヴィッラの集大成となった。渓谷や平野を望む山頂に位置し、森と牧草地・農場に囲まれた美しい環境を背景に、長方形の堅牢なヴィッラが築かれた。一見無骨だが、ファサードのロッジアや中段の窓、屋根の煙突が宮殿らしさを演出している。かつては広大な整形庭園が広がっていたが、現在は失われている。

メディチ家のヴィッラの完成形と評されるのがヴィッラ・デル・ポッジョ・インペリアーレだ。ピッティ宮殿の代わりとなるパラッツォを目指してコジモ2世がジュリオ・パリージに依頼し、1622~25年にかけて改築が行われた。18世紀にはさらに新古典主義様式で改修されている。「日」形で3つの中庭を持つコートハウスで、北ファサードの東西に2本のウイングが突き出しており、城塞らしさのない都市型の宮殿建築となっている。ファサードは新古典主義様式で、正面に伸びるポッジョ・インペリアーレ通りはフィレンツェのサン・フレディアーノ門に伸びている。内部はルネサンス様式をベースに、バロック様式の豪奢な装飾で覆われている。サンティッシマ・アンヌンツィアータ礼拝堂は新古典主義様式のきわめて荘厳な空間となっている。

■構成資産

○ヴィッラ・ディ・カファッジョーロ

○ヴィッラ・デル・トレッビョ

○ヴィッラ・ディ・カレッジ

○ヴィッラ・メディチ・ア・フィエーゾレ

○ヴィッラ・ディ・カステッロ

○ヴィッラ・ディ・ポッジョ・ア・カイアーノ

○ヴィッラ・ラ・ペトライア

○ボーボリ庭園

○ヴィッラ・ディ・チェッレート・グイディ

○パラッツォ・ディ・セラヴェッツァ

○プラトリーノ庭園

○ヴィッラ・ラ・マジア

○ヴィッラ・ディ・アルティミーノ

○ヴィッラ・デル・ポッジョ・インペリアーレ

■顕著な普遍的価値

本遺産は登録基準(i)「人類の創造的傑作」でも推薦されたが、ICOMOS(イコモス=国際記念物遺跡会議)は一連の建造物群の価値を認めたものの特定の時代の特定の建築様式や美的形態を代表するものではなく、登録基準(ii)と(iv)により適合するとした。

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

トスカーナ地方のメディチ家のヴィッラと庭園は中世末期の地方における貴族の住宅建築の集大成であり、美的・経済的・政治的野心の表現でもある。ヴィッラと庭園のモデルとなり、その影響はルネサンス期にイタリア全土に広がり、ヨーロッパ全域に拡散された。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

レジャー・芸術・知性を追求したメディチ家のヴィッラは地方貴族の建築を代表するもので、メディチ家はおよそ3世紀にわたって革新的な建築様式と装飾様式を開発しつづけた。また、建築と庭園・環境が調和した美的・技術的構成の重要な証言であり、ルネサンスとヒューマニズムに特徴付けられた景観の端緒となった。

○登録基準(vi)=価値ある出来事や伝統関連の遺産

ヴィッラの建築と庭園はトスカーナの風景とともに、新しい美学と生活様式の誕生に早くから決定的な貢献をした。これらはメディチ家によって行われた並外れて文化的で芸術的な支援を証拠付けるものであり、イタリア・ルネサンスの理想と特徴を導き、やがてヨーロッパ全域に影響を与えた。

■完全性

トスカーナ地方にはメディチ家によって建設された36のヴィッラがあるが、14の構成資産の選択は適切で、顕著な普遍的価値を有する物件が網羅されている。プラトリーノのヴィッラやヴィッラ・デル・ポッジョ・インペリアーレのように、後年破壊されたり修復・放棄された邸宅や庭園も存在するが、核心部分についてはルネサンス期の特徴を引き継いでおり、全体として完全性を満たしている。

資産の周囲には広大なバッファー・ゾーンが設けられているだけでなく、12件にはランドスケープ・ゾーンが設定されており、その景観も保護下にある。

■真正性

構成資産はいずれもメディチ家の時代の建築や景観の特徴・理想・様式を引き継いでおり、真正性はおおむね維持されている。建築形態や装飾様式・素材・庭園構成・宮殿の使用法等に関して不適切な部分も見られるが、こうした部分は復元プログラムの対象となり、博物館や文化施設として使用するなど使用法の見直しが検討されている。

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