ブレナヴォン産業景観

Blaenavon Industrial Landscape

  • イギリス
  • 登録年:2000年
  • 登録基準:文化遺産(iii)(iv)
  • 資産面積:3,290ha
世界遺産「ブレナヴォン産業景観」、ブレナヴォン製鉄所跡
世界遺産「ブレナヴォン産業景観」、ブレナヴォン製鉄所跡 (C) Alan Stanton
世界遺産「ブレナヴォン産業景観」、ビッグ・ピット国立石炭博物館
世界遺産「ブレナヴォン産業景観」、ビッグ・ピット国立石炭博物館 (C) Chris Gunns / The Big Pit colliery museum / CC BY-SA 2.0
世界遺産「ブレナヴォン産業景観」、ビッグ・ピット・ホルト駅に停車中のポンティプール=ブレナヴォン鉄道の蒸気機関車
世界遺産「ブレナヴォン産業景観」、ビッグ・ピット・ホルト駅に停車中のポンティプール=ブレナヴォン鉄道の蒸気機関車 (C) Gareth James / Pontypool & Blaenavon Railway: Big Pit Station / CC BY-SA 2.0

■世界遺産概要

ブレナヴォンはウェールズ南東部、エイヴォン・スロイド渓谷に位置する町で、19世紀には鉄と石炭の生産でイギリス帝国を支えた。鉄鉱石・石炭生産に関係する鉱山や採石場・工場・鉄道・運河・住宅街・教会堂・学校などが伝えられており、周囲の山岳風景と調和した産業的・文化的景観が広がっている。

○資産の歴史

ブレナヴォンの鉱山では少なくとも1675年から鉄鉱石の採掘が行われていた。ただ、採鉱は大規模なものではなく、周辺の山地では放牧が主な産業だった。1788年、アバーガヴェニー侯爵が所有していた丘をトーマス・ヒル、トーマス・ホプキンス、ベンジャミン・プラットという起業家に貸し出すと、3人はウェールズで2番目の大きさを誇るブレナヴォン製鉄所を建設した。1789年までに蒸気機関を利用した3基の高炉が稼働を開始し、1796年までに5,400t、5基の炉を稼働させた1812年には年14,000tの鉄を生産する世界有数の製鉄所となった。1880年に開拓された主力坑ビッグ・ピットは鉄鉱石だけでなく石炭の埋蔵量も豊富で、石炭は燃料あるいは還元剤として使用された。

鉱山の周辺には鉄や石炭を輸送するためにポンティプール=ブレナヴォン鉄道やブレックノック運河、アバーガヴェニー運河といった鉄道や運河・水路が張り巡らされた。また、製鉄所や鉱山・採石場の側に労働者が暮らすための住宅や教会・学校が築かれ、鉱山町が形成された。労働者は地元ウェールズのみならずイングランドやスコットランド、アイルランドなどブリテン諸島全域の農村から集められ、ウェールズ随一の産業都市へ発展した。

1878年にシドニー・ギルクリスト・トーマスとパーシー・ギルクライストはブレナヴォンでトーマス法、あるいは塩基性ベッセマー法と呼ばれるリン酸鉄鉱石から鋼(鉄と炭素の合金)を大量生産する新たなシステムを確立した。これにより生産は拡大し、ブレナヴォンの鉄製品は世界各地に輸出された。新たな町が建設され、1891年にはブレナヴォン教区の人口は11,452人に達した(ピークは1921年の12,500人)。

21世紀に入ると鉄製品の需要は減ったが、石炭生産が成長した。しかし1913年のピークを過ぎると急速に衰退し、鉄鋼生産は1938年に終了した。1947年にイギリスは石炭産業を国有化し、ビッグ・ピットは拡大されが、その後は人口も採掘量も減りつづけ、1980年に閉鎖された。

それからまもない1983年、一帯はビッグ・ピット国立石炭博物館として公開がはじまり、産業都市の建造物や景観はほとんどそのまま引き継がれた。

○資産の内容

世界遺産の資産にはブレナヴォンの町とその周辺の一帯が広く登録されている。

ブレナヴォン製鉄所は一帯の中心的な工場で、イギリスが誇る18~19世紀の製鉄技術の粋が集められている。1788年に開発がはじまり、以降に導入された3基の高炉や動力を生み出すエンジン・ハウス、煆焼窯、給水塔、水路、オフィスなどがほとんど手付かずで残されている。また、周囲の山々は鉄鉱石や石炭・石灰岩がよく採れたため、採石場となっていた。。

ビッグ・ピットはイギリスでもっとも重要だった石炭採掘施設で、1830年代から石炭の採掘が行われた。メインとなる竪坑は19世紀後半のもので、1970年頃まで使用されていた。地下に動力を伝える巻上機や、巻上機を動かすためのエンジン・ハウス、地上と地下を結ぶために竪坑の上に築かれたヘッドフレーム(竪坑櫓)、送風を行うファン・ハウス、空気を圧縮するためのコンプレッサー・ハウス、コンベア用のエンジン・ハウス、溶接所、電気技師室、管理者のオフィスや従業員の部屋、食堂、シャワー室、医療所など、さまざまな施設・設備が残されている。

ガーンディリーズ鍛造所は1817年にオープンした鍛鉄(叩いて鍛えられた鉄)の製造所で、鉄道のレールやタイヤ、船舶用の金属プレートなどを生産していた。建物はほとんど撤去されたが、建物の遺構や鉄道・水路・貯水池の跡が残されている。

輸送施設として、まずポンティプール=ブレナヴォン鉄道が挙げられる。ブレナヴォンとブリンマウルを結ぶ約5.6kmの鉄道で、1860年代に開通すると主に石炭を運搬した。ブリンマウルからはヘッズ・オブ・ザ・バレー線でミッドランド地方に運ばれた。第2次世界大戦時から1980年のビッグ・ピット閉鎖まで部分的な閉鎖が続いたが、1983年の博物館のオープンとともに保存鉄道(遺産鉄道 "heritage railway")として再始動した。ブレックノック運河とアバーガヴェニー運河はモンマスシャー=ブレコン運河の一部として1797~1812年に建設された運河で、最終的にアスク川からブリストル海峡へ通じていた。これ以外にも19世紀前半から馬車鉄道(ウマを動力とする鉄道)や小鉄道が敷かれており、各地にその跡が残されている。

水利施設としては、水を確保するための貯水池や、貯水池や川から水を引くための水路網がある。ブレナヴォンは山地にあるため通年を通した水の確保が難しく、多数の貯水池を築いて渇水に備えた。また、地下水の排水路や工場で利用した廃水を排出するための水路は別に用意された。

労働者のための居住施設としては、スタック・スクエアやエンジン・ローの住宅街が挙げられる。18~19世紀に建設されたコテージが立ち並ぶ住宅街で、一般的に3部屋ほどがある2階建ての石造住宅で、一部は復元されている。

ブレナヴォンの町は18世紀後半に開拓がはじまった町で、1800年頃から鉄道システムの発達とともに発展した。特徴的な建物には、地元で製造された鉄を用いて建設されたセント・ピーターズ教会(聖ペトロ教会)や、労働者のための施設であるブレナヴォン労働者会館、セント・ピーターズ・スクール、鉄マイスターの邸宅などが挙げられる。

■構成資産

○ブレナヴォン産業景観

■顕著な普遍的価値

○登録基準(iii)=文化・文明の稀有な証拠

鉄生産に関するほぼすべての施設・設備を含み、19世紀の産業の社会・経済構造を示す卓越した証拠である。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

ブレナヴォンの鉱山を中心とした産業都市は19世紀の産業景観の傑出した例である。

■完全性

資産は主要なモニュメントや採鉱集落に加え、石炭や鉱石の採掘・採石施設、初期の鉄道、運河といった広大な遺跡を有するエイヴォン・スロイド渓谷の景観を含み、産業革命形成期における初期産業を特徴付けるすべての要素を備えている。世界遺産登録時、こうした特徴の多くは適切に保全されておらず脆弱だったが、その後製鉄所やビッグ・ピット、入植地、景観の大規模な保全作業が実施された。こうした作業は細心の調査と保全計画の下で行われており、現在はより広い景観の継続的な保護プログラムが実施されている。

産業景観には鉱山町を取り巻く新しい住宅地が含まれているが、これは町を取り囲む高台から非常に目立つ。資産の本質的な価値と重要な景観が損なわれないように、これ以上の新しい開発を管理する必要がある。バッファ-・ゾーンは設定されておらず、ボタ山(石の捨て場)や露天掘りの採掘施設の再利用や風力発電所などの再開発に対して脆弱である可能性がある。これまでのところそのような企画は合意された計画方針に従って適切に処理されている。

■真正性

ブレナヴォン産業景観のキーとなる要素はハッキリと視認でき、ブレナヴォン製鉄所やビッグ・ピットといったほぼ完全な状態で残る主要モニュメントと、交通インフラ、集落、鉱物の廃棄物といった施設設備の関係を容易に観賞・研究・理解することができる。これらは産業革命初期の形成期における鉄と石炭の生産を通じた産業社会の発展の複雑なプロセスを理解する機会を提供している。

ただ、こうした産業アンサンブルは脆弱で、開発が関係性を毀損する可能性がある。建物や遺構の効果的で持続可能な使用を実現するために、あるいは資産を効率的に紹介・解説するために、場合によっては追加の施設を建設したり歴史的な景観に適応させる作業が必要になる。そのような場合、合意された保全計画に従って作業が実施され、変更と追加が明確に識別される必要がある。

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