モラヴィア教会の入植地クリスチャンスフェルド

Christiansfeld, a Moravian Church Settlement

  • デンマーク
  • 登録年:2015年
  • 登録基準:文化遺産(iii)(iv)
  • 資産面積:21.2ha
  • バッファー・ゾーン:384.6ha
世界遺産「モラヴィア教会の入植地クリスチャンスフェルド」、モラヴィア教会
世界遺産「モラヴィア教会の入植地クリスチャンスフェルド」、モラヴィア教会 (C) JEK
世界遺産「モラヴィア教会の入植地クリスチャンスフェルド」、クリスチャンスフェルドの街並み、ブロドレフセット
世界遺産「モラヴィア教会の入植地クリスチャンスフェルド」、クリスチャンスフェルドの街並み、ブロドレフセット (C) S.Juhl
世界遺産「モラヴィア教会の入植地クリスチャンスフェルド」、クリスチャンスフェルドの街並み
世界遺産「モラヴィア教会の入植地クリスチャンスフェルド」、クリスチャンスフェルドの街並み (C) Leif Jørgensen

■世界遺産概要

ユトランド半島中東部に位置するクリスチャンスフェルドの入植地は1773年にモラヴィア教会(モラヴィア兄弟団)によって創設された。プロテスタントの一派であるモラヴィア教会の教えに基づいてデザインされた計画都市で、その構造や建造物群は教会の平等主義や人道主義の精神を体現している。

○資産の歴史と内容

モラヴィア教会はローマ・カトリックを批判して1415年に火刑に処されたボヘミア(チェコ西部)の宗教改革家ヤン・フスの思想を伝える新教=プロテスタントのフス派の教団で、1618~48年の三十年戦争で旧教=ローマ・カトリックに敗れ、ボヘミアやモラヴィア(チェコ東部)の地を追われることとなった。人々はオランダのようなプロテスタント国に移住したが、デンマークも16世紀にクリスチャン3世が宗教改革を進めてプロテスタントのルター派(ルーテル教会)に移行していた。

18世紀後半、オランダ・ザイストのモラヴィア教会入植地を見学したクリスチャン7世はその繁栄を見て受け入れを決め、入植地の建設を認めて10年間にわたる10%の免税や建物に対する10%の補助金、兵役の免除といった特権を与えた。これを受けてモラヴィア教会は土地を購入し、1773年4月1日にクリスチャンスフェルドの入植地を創設した。

新しい町はクリスチャン7世の名前を取ってクリスチャンスフェルドと命名され、1773年~1830年にかけて建設が進められた。モラヴィア教会の教会堂と教会広場を中心に教会ホール、合唱団の家、牧師館、消防署といった宗教・公共施設を集中させ、東西に延びる北のノールゲードと南のリンデゲードというふたつの幹線道路に沿って住宅や学校・店舗・宿・工房などを配置した。住宅は平等主義に基づいてほとんど同じ大きさ・デザインで、ベースは黄色のレンガ造、屋根は切妻造の赤タイル張りで、装飾はほとんど存在せず機能性を追求した造りとなっているが、道路と反対側に大きな庭を備えていた。教会堂も同様だが、屋根については黒い瓦を葺いており、中央の尖塔がアクセントとなっている。教会内部も白で統一されたほとんど飾りのない長方形の空間で、ローマ・カトリックの教会堂とは一線を画している。隣接してホールと合唱団の家が立っており、未婚の男女は合唱団の家の兄弟棟と姉妹棟でそれぞれ共同生活を送った。当初は5軒の建物しかなかったが、1779年までに人口は279人に達し、染料工場、手袋と陶器の製造工場、タバコとデンプンの製造工場、製糸・紡績工場、製材所、パン屋、毛皮屋、川なめし屋、仕立て屋、肉屋、大工、時計職人など17の工房と4つの工場が稼働していた。

19世紀半ばになると南北に走る東のコンゲンスゲードと、教会墓地に通じるキルケゴール・エルが建設され、方格設計(碁盤の目状の都市設計)の整然とした街並みに整備された。ただ、19世紀に州政府が破綻したため経済危機に陥り、さらにプロイセンとの間で戦われた1864年の第2次シュレースヴィヒ=ホルシュタイン戦争に敗れて1864~1920年のあいだプロイセンに割譲された。この期間に産業は破壊され、町は衰退した。第2次世界大戦中にコミュニティの住人たちは共同所有権をモラヴィア教会に委譲し、多くが教会の管理下に入った。1954~65年の間に新たな建設ラッシュを迎え、町の南に住宅地が造成され、1983年まで町は西を除く3方に大きく広がった。1970~2007年までクリスチャンスフェルドは自治を行っていたが、2007年にコリング市に加わった。

世界遺産の資産となっているのはクリスチャンスフェルド中西部のモラヴィア教会を中心とした歴史地区で、現在でも伝統に基づいてモラヴィア教会による自立経営と管理が続けられている。

■構成資産

○モラヴィア教会の入植地クリスチャンスフェルド

■顕著な普遍的価値

○登録基準(iii)=文化・文明の稀有な証拠

モラヴィア教会の入植地クリスチャンスフェルドでは町のレイアウトや建築・職人技、そして多くの建造物がいまなお当初の機能と用途で使用されている。モラヴィア教会の活動と伝統が引き継がれており、教会の教義について卓越した証拠を示している。クリスチャンスフェルドはコミュニティの社会的・倫理的価値観を反映させた計画都市であり、その保存状態は際立っており、ヨーロッパのモラヴィア教会入植地の中で最良の例でもっとも完全な状態を保っている。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

クリスチャンスフェルドはプロテスタントの計画され理想とされた入植地の傑出した例であり、都市の計画的・統一的・機能的なレイアウトに示されているようにモラヴィア教会の都市社会に対するビジョンを体現している。他のモラヴィア教会入植地と同様に啓蒙主義時代に導入された新しいアイデア、たとえば平等と社会共同体といった概念を先取りしているが、これらがヨーロッパに人々にとって現実のものとなるのはずっと後のことである。

モラヴィア教会の民主的な組織は農地をベースに築かれており、福祉を目的とした重要な共有建造物を中心に配置して開放した都市プランに人道主義が表れている。また、クリスチャンスフェルドは町として必要な機能をすべて備えており、高い品質を誇る様式・形状・素材・職人技を共有する均質な建造物群に統一性が示されている。

■完全性

資産にはクリスチャンスフェルドの当初の計画都市がすべて含まれており、モラヴィア教会入植地として設計されたすべての要素を内包している。当時の建造物の大部分は保存されており、レイアウトも明確に残っている。こうした空間設計の目的である宗教的な儀式や信仰は現在も継続的に実践されており、墓地と周辺の景観をはじめ町のさまざまな部分の視覚的な関係も保たれている。クリスチャンスフェルドはそのすぐれた保存状態によってヨーロッパのモラヴィア教会入植地の中でもっとも多くの特徴を伝えており、完全性は高いレベルで保持されている。

モラヴィア教会入植地の総合的ネットワークという意味で、将来的に各地の入植地を横断的に構成資産にすることでクリスチャンスフェルドの完全性に貢献する可能性がある。

■真正性

建設当時の計画都市の構造と特徴はほとんど変更されずに伝えられている。すべての建造物、特に1820年の初期モラヴィア時代のものは素材・原料・デザイン・技術、そしていくつかの機能と用途において真正性を保持している。モラヴィア教会コミュニティの継続性はその精神性と印象、そして資産の空気感といった意味における真正性の維持に貢献している。ほとんどの住宅は可能な限り真正性を保ちつつ現代の生活水準に合わせて内装を近代化されており、いくつかのケースでは真正性をより尊重する形で改装が行われている。ただ、一部については建築家がより美しく現代的なインテリアを目指して不適切な改装を行い、伝統的な建築素材や技術を用いず価値を損なってしまったものも存在する。こうした近代化については内装を含めて歴史的な外観の保全に特別な注意を払う必要がある。

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