ウェールズ北西部のスレートの景観

The Slate Landscape of Northwest Wales

  • イギリス
  • 登録年:2021年
  • 登録基準:文化遺産(ii)(iv)
  • 資産面積:3,259.01ha
世界遺産「ウェールズ北西部のスレートの景観」、ナショナル・トラストが保有し美術館や博物館として公開されているペンリン城
世界遺産「ウェールズ北西部のスレートの景観」、ナショナル・トラストが保有し美術館や博物館として公開されているペンリン城 (C) Tom Parnell
世界遺産「ウェールズ北西部のスレートの景観」、ウェールズ最古級のスレート採石場であるキルグイン採石場
世界遺産「ウェールズ北西部のスレートの景観」、ウェールズ最古級のスレート採石場であるキルグイン採石場
世界遺産「ウェールズ北西部のスレートの景観」、ディノルイグ採石場とディノルイグ水力発電所
世界遺産「ウェールズ北西部のスレートの景観」、ディノルイグ採石場とディノルイグ水力発電所 (C) Takver
世界遺産「ウェールズ北西部のスレートの景観」、フェスティニオグ鉄道のポルスマドグ港駅。狭軌であるため列車自体も小さい
世界遺産「ウェールズ北西部のスレートの景観」、フェスティニオグ鉄道のポルスマドグ港駅。狭軌であるため列車自体も小さい (C) Skinsmoke
世界遺産「ウェールズ北西部のスレートの景観」、右がパダーン湖、中央左がギルファッハ・ドゥで現・国立スレート博物館
世界遺産「ウェールズ北西部のスレートの景観」、右がパダーン湖、中央左がギルファッハ・ドゥで現・国立スレート博物館 (C) Hefin Owen

■世界遺産概要

ウェールズ北西部グウィネズ州のスノードン山周辺の渓谷地帯に位置するスレート(粘板岩)採石に関連する鉱山・採石場・ミル(工場)・水路・道路・鉄道・港といった産業遺産と、周辺の集落および自然を加えた文化的景観を登録した世界遺産。スレート生産はローマ時代から続いているが、18世紀後半の産業革命期に生産が急拡大し、19世紀後半には世界の屋根用スレートと建築用スラブ(石板)の1/3を産出した。

○資産の歴史

「スレート」は水中に堆積した泥岩や頁岩といった堆積岩が高い圧力を受けて変成した剥離しやすい性質を持つ岩石で、粘板岩ともいわれる。また、タイルのように屋根に葺いたり壁板や床板に使用する建材としての石質の薄板もスレートと呼ばれる。ウェールズは高品質のスレート層で知られるが、これらは古生代のカンブリア紀・オルドビス紀・シルル紀(約5億4,000万~4億1,600万年前)に堆積したものと考えられている。ローマ時代からこうしたスレートが採石され、石葺き屋根の素材として使用された。一例がローマ時代に築かれたカーナーヴォンのセゴンティウム要塞で、地元のスレートが使用されている。

中世には数多くの採石場で小規模な採石が行われ、農家は農牧業に加えてスレートの採石を家計の足しにしていた。12世紀にナントスレ渓谷のキルグイン採石場、15世紀にオグウェン渓谷のペンリン採石場、16世紀にデュラス渓谷のアベルスレベンニ採石場などが記録に登場する。こうして集められたスレートはバンガーに近いアベログウェン港やビューマリス港、カーナーヴォン港などから海路でイングランドやアイルランドに運ばれた。

スレート産業が飛躍するのが18世紀後半にはじまる産業革命期だ。この時代にイギリス各地に巨大なミルや倉庫、銀行や庁舎・教会堂といった施設、宮殿やカントリーハウス(貴族の本拠となる邸宅)などが築かれる中でスレートは建材として多用され、大きな需要を呼び起こした。そんな中でイギリス最大の貿易港としてリヴァプール港が整備され、イングランド、アイルランド、フランスなどへの海路が発達してウェールズのスレートは有力な交易品として取引された。18世紀末にイギリスのスレート生産は年約45,000tに及んだが、このうち26,000tがウェールズのスレートで、特にペンリン採石場は15,000tと世界最大のスレート生産を誇った。

ペンリン採石場では渓谷からスレートを大量に運搬するため1798年にランデガイ・トラムウェイと呼ばれる馬車鉄道を導入し、1801年にはペンリン港に至るペンリン鉄道という狭軌(レール幅の狭い鉄道。ナローゲージ)の馬車鉄道が開通した。続いて1824年にディノルイグ採石場のディノルイグ鉄道(後にパダーン鉄道)、1828年にナントスレ採石場のナントスレ鉄道、1836年にフェスティニオグ採石場のフェスティニオグ鉄道、1859年にコリス・ウチャフ採石場やアベルレフェンニ採石場を結ぶコリス鉄道といった狭軌馬車鉄道が開通し、19世紀半ばからこれらの鉄道は徐々に蒸気機関化された。1866年に開通したタリスリン鉄道は最初から蒸気機関車が導入され、ブリンエグルイス採石場はウェールズ中部最大の採石場に成長した。1850~70年代にはロンドンとリヴァプールなどを結ぶロンドン・アンド・ノース・ウェスタン鉄道の支線がペンリンやディノルイグなどに開通し、陸路によるスレート運搬が増加した。この頃にはアメリカやドイツ、オーストラリアなどの需要が急増し、スレート生産はさらに伸長した。ウェールズ産のスレートは世界遺産にも影響を与え、ドイツ・ハンブルクの「シュパイヒャーシュタット地区とチリハウスを含むコントールハウス地区」やオーストラリア・メルボルンの「ロイヤル・エキシビジョン・ビルとカールトン庭園」などで使用された。

19世紀半ばから蒸気機関が導入され、蒸気で発生した動力はラインシャフトと呼ばれる回転する軸状の装置によって各地に伝えられ、そのまま回転力として使ったり、上下運動に転換して使用された。機械力を導入したことでスレート生産は著しく増加し、19世紀半ばにウェールズの生産量は350,000~450,000tに達し、世界の1/3を占めた。特にペンリン採石場やフェスティニオグ採石場は約100,000t、ディノルイグ採石場は約80,000tを産出した。採石場は蒸気機関を収めるエンジン・ハウスをはじめ鉄道や水路・水車などさまざまな施設・設備が調えられ、山は階段状に削られ、深い竪坑や横穴が張り巡らされて景観は一変した。

また、巨大な採石場の周囲には労働者が暮らす集落が建設され、人口が急増した。たとえばブライナイ・フェスティニオグの人口は1800年頃には1,000人に満たなかったが、1880年前後には12,000人を数えた。これに伴って各集落には国教会の教会堂やその他の教派の礼拝堂、庁舎・議場・ホール・学校・図書館・病院・福祉施設、労働者のためのバラック(細長い質素な石造の宿舎)やテラスハウス(境界壁を共有する長屋のような連続住宅)、タウンハウス(2~4階建ての集合住宅)、実業家のための大きな庭園を持つカントリーハウスが建設された。

スレート生産は19世紀末から徐々に減少に転じ、第1次世界大戦(1914~18年)でドイツの市場を失って大きな被害を受けた。1906年に水力発電所が操業をはじめて一帯の電化が進められ、効率化が図られた。しかし、第2次世界大戦(1939~45年)で貿易が急減し、さらにスレートからタイルやコンクリートへ需要が変化したため戦後も生産量は戻らなかった。このため1950年代~70年代にかけてペンリン採石場など一部を除いて多くの採石場が閉鎖された。

○資産の内容

世界遺産の構成資産は以下6件。このうち最初の3件は古生代カンブリア紀(約5億4,000万~4億9,000万年前)のスレート層、後半の3件は古生代オルドビス紀(約4億9,000万~4億4,300万年前)のスレート層を中心としたものとなっている。

「ペンリン・スレート採石場とベセスダ、およびペンリン港に至るオグウェン渓谷」は19世紀後半に世界最大のスレート採石場となったペンリン採石場を中心とした構成資産。周辺にはフェリン・ファウル・スレート・スラブ・ミルなどの施設・設備や、マニズ・スランダガイの居住地のような労働者の住宅地、鉱山城下町として発達したベセスダの町などがある。ベセスダには19世紀に築かれた教会堂や礼拝堂など数多くの歴史的建造物が残されており、スレート屋根が多用されている様子を見ることができる。採石場やベセスダとペンリン港を結んだのが1801年に開通したペンリン鉄道(ペンリン採石場鉄道)で、1879年に蒸気化された。鉄道の他にペンリン採石場道路も構成資産となっている。港地区にはスレートの積出港だったペンリン港と、18~19世紀に拡張されたノルマン・リバイバル様式のペンリン城、ペンリン公園などがある。

「ディノルイグ・スレート採石場山地の景観」はナント・ペリス渓谷に位置するディノルイグ採石場やヴィヴィアン採石場を中心とした構成資産で、スノードン山やパダーン湖、ペリス湖、13世紀に築かれたドルパダーン城といった山岳・湖沼風景が美しい一帯となっている。1787年に開発がはじまったディノルイグ採石場は1824年にディノルイグ鉄道(ディノルイグ採石場鉄道)が開通し、1843年にパダーン鉄道となって蒸気機関車が導入されてから産出量を増大させ、一時はウェールズ第2のスレート採石場にまで発展した。現在、国立スレート博物館となっているギルファッハ・ドゥ(ディノルイグ採石場ワークショップ)は1870年にヴィヴィアン採石場に隣接して築かれた機械類の製造・メンテナンスのための施設で、巨大な水車や鋳造設備などを備えていた。この一帯で発達した鉱山町としてはダイニオレンやクルト=ア=ボントがある。また、労働者の居住施設としてバラックが多数築かれたが、特に1937年まで使用されていたアングレセイ・バラックスは当時の様子を伝えている。ディノルイグ採石場病院は労働者のための治療施設で、X線装置など最先端の技術を積極的に導入していた。

「ナントスレ渓谷スレート採石場の景観」にはナントスレ渓谷のキルグイン採石場やブラエン・ア・カエ採石場、ドロテア採石場、ペン・ア・ブラン/クロッドファール・ロン採石場、ペン・アー・オルセッド採石場といった中小規模の採石場が集中しており、最盛期には40~50もの採石場が活動していた。特にキルグイン採石場は12世紀までさかのぼる最古級の採石場だ。この地域のスレートは1828年に開通したナントスレ鉄道によってカーナーヴォン港に運ばれ、1860年代にはロンドン・アンド・ノース・ウェスタン鉄道の支線が開通して置き換えられた。現在これらはポルスマドグとカーナーヴォンを結ぶウェルシュ・ハイランド鉄道に組み込まれている。この地域の集落にはナントスレやキルグイン、タル・ア・サルン、プラス・タル・ア・サルンなどがあり、各地にミルやロープウェイ、水力ポンプシステムなどの施設・設備が残されている。

「ゴルセダウとプリンス・オブ・ウェールズのスレート採石場群、鉄道およびミル」はゴルセダウ採石場やプリンス・オブ・ウェールズ採石場を中心とした構成資産で、ペンリン採石場で開発された技術を転用することで1850~70年に生産量を大きく伸ばした。ただ、スレートの質が高くなかったことからそれ以上の発展はなかった。1857年にゴルセダウ採石場からポルスマドグへ馬車鉄道のゴルセダウ鉄道、後にプリンス・オブ・ウェールズ採石場へ蒸気鉄道が開通したが、あまり使用されることなく撤去された。同様に多くの施設・設備が撤去されたが、採石場にはミルやバラックなどが残されている。草原の中に打ち捨てられたイニシパンディ・スレート・ミルは1857~66年に活動していた工場で、水車を動力としてスレートを切り出していた。トレフォリスの集落はオグウェン渓谷のマニズ・スランダガイの居住地を模倣したもので、18対のバラックが立ち並んでいた。

「フェスティニオグ:そのスレート鉱山群と採石場群、『スレートの町』およびポルスマドグへ至る鉄道」はフェスティニオグ採石場、マエノフェレン採石場、レチウェッド採石場、オーケレー採石場、ディフイス・カッソン採石場といった採石場を中心とした構成資産だ。この地域の採石場は地下深くに坑道を持つことが多く、たとえばレチウェッド採石場には地下150mを超えるスレート洞窟が口を開けている。スレートの鉱山町としてウェールズ最大規模を誇るブライナイ・フェスティニオグはウェールズ語で「スレートの町 "dinas y llechi"(ディナス・ア・レチ)」と呼ばれていた。1880年代に人口は12,000人に達し、ウェールズでも先端的なミルや倉庫、教会堂や礼拝堂、学校、公共施設などが築かれた。1836年にポルスマドグに至るフェスティニオグ鉄道が開通する前はドゥイリド川を利用して船でスレートを輸送しており、スレートで港の岸壁などが築かれた。1863年にはフェスティニオグ鉄道に蒸気機関車が導入され、1865年には旅客鉄道の運行も開始された。鉄道は1946年に一旦廃止されたが、1982年に保存鉄道(廃線となった鉄道路線を再興して運行・保存されている鉄道)として全線が再開され、2011年にはウェルシュ・ハイランド鉄道と接続された。他に特徴的な建造物としては、電力を使用した最初のスレート工場であるディフイス・スレート・ミルや、1904年に操業を開始してレチウェッド採石場に電力を供給していたパンツ・イル・アフォン水力発電所、電気を引いた最初のカントリーハウスとされるプラス・タン・ア・ブルフなどがある。

「ブリンエグルイス・スレート採石場、アベルガノルイン村およびタリスリン鉄道」は1840年代に開発がはじまったブリンエグルイス採石場を中心とした構成資産で、1866年にタリスリン鉄道が開通したことで一気に生産量が増大した。ブリンエグルイス採石場では良質のスレート層が地下深くに位置していたため地下7層まで開発され、水車の動力を伝えるシャフト・システムが導入された。タリスリン鉄道は採石場近くのアベルガノルイン(現在はナント・グエルノル)と海岸のティウィン・ワーフを結ぶ狭軌鉄道で、1946年に採石場の閉鎖に伴ってまもなく廃止されたが、1951年に世界初の保存鉄道として再興された。採石場近くのアベルガノルインは労働者のために築かれた集落で、教会堂や礼拝堂・学校・商店などを備えていたが、採石場の閉鎖に伴って多くの住民が集落を後にした。

■構成資産

○ペンリン・スレート採石場とベセスダ、およびペンリン港に至るオグウェン渓谷

○ディノルイグ・スレート採石場山地の景観

○ナントスレ渓谷スレート採石場の景観

○ゴルセダウとプリンス・オブ・ウェールズのスレート採石場群、鉄道およびミル

○フェスティニオグ:そのスレート鉱山群と採石場群、「スレートの町」およびポルスマドグへ至る鉄道

○ブリンエグルイス・スレート採石場、アベルガノルイン村およびタリスリン鉄道

■顕著な普遍的価値

本遺産は登録基準(v)「伝統集落や環境利用の顕著な例」でも推薦されていたが、伝統的な人間の居住地と限界農地の土地利用パターンに関する産業変革のすぐれた例であり、伝統集落の近代化への適応を示しているとするイギリスの主張に対し、ICOMOS(イコモス=国際記念物遺跡会議)は農業から工業への土地利用の変化は登録基準(iv)によって示されており、またスレートの採石文化はウェールズの伝統文化を代表するものとはいえないなどとして、顕著な普遍的価値は証明されていないとした。

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

本遺産は特に1780~1940年の建築やテクノロジーの発展に関して重要な文化交流を示している。スレートはローマ時代からウェールズ北西部の山々で採石されてきたが、18世紀後半から20世紀初頭にかけての継続的な大規模生産は屋根材の世界市場を席巻した。ウェールズのスレートは大陸を越えて建築と建築物を大きく発展させ、この文化的景観からの技術・熟練労働者・知識の移転はヨーロッパ大陸やアメリカ大陸のスレート産業の伸長を促した。また、現在も蒸気によって運行されている狭軌鉄道は世界のさまざまな地方の社会的・経済的発展に大きく貢献した後続の保存鉄道システムの先駆けとなった。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

本遺産は産業革命期の農業環境の変化を示す採石・鉱業景観の卓越した例である。スノードン山の山岳地帯には高品質のスレートが大量に堆積しており、一帯の主要な地質資源となっている。分散した地域であるため要所要所に集落などの開発地が誕生し、安定的に運営された独創的な水力システムや、大陸間貿易を可能にする新港へ続く革新的かつ先端的な鉄道システムが導入された。本遺産は広大な地域の中にイギリスの工業化時代に形成された多様な遺産を含んでおり、際立って特徴的な景観を形成している。

■完全性

資産は顕著な普遍的価値を示すすべての基本的な要素、ウェールズ北西部のすでに稼働していない主要なスレート生産地と、もっとも重要な加工施設や居住地・輸送ルートといった関連の産業遺産群を含んでいる。資産と環境の完全性を強化するために、これらは保護メカニズムとして一貫して使用されつづける必要がある。

■真正性

本遺産の文化的景観の保存状態はよく、真正性を高いレベルで保持しており、産業活動を行っていた主要な時期から現在までほとんど新たな介入を受けていない。顕著な普遍的価値の諸要素については明確に識別・理解された年代、空間分布、用途と機能(継続中のコミュニティや運行中の鉄道を含む)、形状とデザイン、素材と原料、および接続性と全体的な機能的・構成的完全性を含むそれらの相互関係が物理的要素によって伝えられている。また、構成資産はスレート加工技術やウェールズ語の継続的かつ広範な使用を含む活気に満ちた文化的伝統を体現しており、鍵となる要素は伝えられている工場エリアや輸送ルート、関連の集落や社会インフラを含む景観の品質と採石場の特徴に反映されている。歴史的な集落について真正性は許容できるレベルで維持されているが、管理システムとそれぞれの地域の管理計画によって綿密に監視・管理される必要がある。

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