ブールジュ大聖堂

Bourges Cathedral

  • フランス
  • 登録年:1992年、2013年軽微な変更
  • 登録基準:文化遺産(i)(iv)
  • 資産面積:0.85ha
  • バッファー・ゾーン:105ha
世界遺産「ブールジュ大聖堂」の西ファサード。左が北塔、右が南塔、中央にバラ窓とランセット窓、下に5基のポータルが見える
世界遺産「ブールジュ大聖堂」の西ファサード。左が北塔、右が南塔、中央にバラ窓とランセット窓、下に5基のポータルが見える。縦に筋のように入っている壁が塔やファサードを支えるバットレス (C) JPRoche
世界遺産「ブールジュ大聖堂」、西ファサードの中央ポータル
世界遺産「ブールジュ大聖堂」、西ファサードの中央ポータル。上のアーチ状の飾りがアーキヴォールト、下のエントランス上に渡した横石がリンテル、アーチとリンテルの間の彫刻装飾がティンパヌム。ティンパヌムのテーマは「最後の審判」で、イエスが救済する者を選別している
世界遺産「ブールジュ大聖堂」、左奥が西ファサード、右手前がアプス。上層・中層・下層の3層構造
世界遺産「ブールジュ大聖堂」、左奥が西ファサード、右手前がアプス。上層・中層・下層の3層構造で、上層と中層から斜め下に飛び出している支えがフライング・バットレス、上部に見える小さな尖頭がピナクル (C) Wladyslaw Sojka at German Wikipedia
世界遺産「ブールジュ大聖堂」、椅子が並んでいる広い空間が身廊、左奥がアプス、右奥が内側廊、さらに外側が外側廊。身廊脇、柱が並んでいる部分が大アーケード、その上にトリフォリウム、最上層の窓部分がクリアストーリー
世界遺産「ブールジュ大聖堂」、椅子が並んでいる広い空間が身廊、左奥がアプス、右奥が内側廊、さらに外側が外側廊。身廊脇、柱が並んでいる部分が大アーケード、その上にトリフォリウム、最上層の窓部分がクリアストーリーで、3層構造となっている。内側廊も3層、外側廊は1層で、こうした特殊な構造によって明るく開放的な空間を演出している (C) Zairon
世界遺産「ブールジュ大聖堂」、左が身廊、右がアプス
世界遺産「ブールジュ大聖堂」、左が身廊、右がアプス、右下は周歩廊のステンドグラス群。ステンドグラスが3層に並んでおり、3層構造が確認できる (C) Julien Descloux
世界遺産「ブールジュ大聖堂」、北の周歩廊と放射状祭室に設置された13世紀のステンドグラス群
世界遺産「ブールジュ大聖堂」、北の周歩廊と放射状祭室に設置された13世紀のステンドグラス群。それぞれのテーマは、中央がミラのニコラオス(聖ニコラオ/聖ニコライ)、中央右はマグダラのマリア、中央左はエジプトのマリア(聖マリア)、右は聖ステファヌス、左は富める人とラザロ (C) Gerd Eichmann

■世界遺産概要

サントル=ヴァル・ド・ロワール地域圏、いわゆるサントル地方シェール県の都市ブールジュに位置する大聖堂で、正式名称をブールジュのサンテティエンヌ大聖堂 "Cathédrale Saint-Étienne de Bourges" という。3世紀に創設された歴史ある教会堂で、12~14世紀に築かれたゴシック建築はフランス・ゴシックを代表するもので、ステンドグラスや彫刻の美しさや希少性もフランス随一を誇る。それでいて「†」形のラテン十字式ではなくバシリカ式(ローマ時代の集会所に起源を持つ長方形の様式)で、身廊・内側廊・外側廊で3層に高さが変わるなど、独創的な構造でゴシック様式の可能性を追求している。

なお、本遺産は1992年の世界遺産リスト登録時に資産の範囲が明確に決められていなかったが、2013年の軽微な変更で確定されると同時にバッファー・ゾーンが設定された。

また、ブールジュ大聖堂はフランスの世界遺産「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」の構成資産のひとつとしても登載されている。

○資産の歴史

ローマ時代以前、ブールジュの地にはケルト系のビトゥリゲス人が建てたアヴァリクムというオッピドゥム(城郭都市)があった。「ブールジュ」という名称はこのビトゥリゲス、あるいはゲルマン系の言葉で「城」を意味する「ブルク」に由来すると考えられている。

3世紀にキリスト教がもたらされ、300年頃に大司教座が置かれた。この頃、最初の大司教と思われるブールジュのウルシヌス(聖ウルシヌス)によって、聖ステファヌス(聖ステファノ)に捧げられた大聖堂が創建された。聖ステファヌスはキリスト教黎明期にイエスの使徒らの補佐を行っていた人物で、35~36年頃にエルサレム(世界遺産)で石打ち刑に処せられた最初の殉教者として知られる。フランス語で「エティエンヌ」で、「聖人」を意味する "saint" を付けて「サンテティエンヌ "Saint-Étienne"」と呼ばれている。大聖堂は増改築を繰り返し、9世紀にカロリング朝期の建築様式で再建され、11世紀前半にロマネスク様式の巨大な教会堂に建て替えられた。現在の大聖堂の地下にその遺構が残されている。

11世紀末から12世紀はじめにフランス王フィリップ1世がブールジュをはじめサントル地方の多くを版図に加えた。その息子ルイ6世は1108年に王位に就いたが、1131年にランス大聖堂(ランスのノートル=ダム大聖堂。世界遺産)で戴冠式を行って息子ルイとともに共同統治を進めた。そのルイは1137年にアキテーヌ公であるアリエノール・ダキテーヌと結婚。同年に父王が亡くなったため、ブールジュ大聖堂で戴冠式を行って、ルイ7世として正式にフランス王となった。この頃までにブールジュ大聖堂はフランス北中部から南西部、サントル地方やアキテーヌ地方の中心的な大聖堂としてその名を轟かせた。

大聖堂は1190年代初頭に火事で損傷し、またブールジュ大司教オドン・ド・シュリーが寄付を行ったことから新たな大聖堂の建設計画が進められ、パリ(世界遺産)周辺のイル=ド=フランス地方で確立されたゴシック様式の教会堂がはじめてロワール川を越えて建設されることとなった。

建設は1195年にはじまり、クワイヤ(内陣の一部で聖職者や聖歌隊のためのスペース)やアプス(後陣)が1210年代に竣工を迎えて使用が開始され、1230年代に身廊が完成した。1324年に奉献された後も建設は続けられ、1424年に数学者でエンジニアでもあったジャン・フュゾリによる天文時計が設置され、14~16世紀にかけて13の礼拝堂が増築された。ただ、西ファサード(ファサードは正面)の双塔の建設は遅れ、南塔については強度不足で14世紀中に建設が中止された。北塔は1480年代にようやく完成したが、1506年に倒壊し、1508~40年にルネサンス様式を加えて再建された。西ファサードには塔やファサードを支える幾筋ものバットレス(控え壁)が見られるが、こうした基礎の不安定さを解消するために設置された。

1559年に火事で屋根が焼失し、1562年にはカルヴァン派プロテスタントである新教派=ユグノーが襲来して西ファサードやクワイヤ・スクリーン(内陣と外陣を分ける聖障。ルード・スクリーン/チャンセル・スクリーン)の彫刻を破壊した。一時は大聖堂の破壊やプロテスタントの教会堂への改装が計画されたが、これらは未遂に終わった。

18世紀半ばに改修が進み、主祭壇が白大理石製の新しいものと取り替えられ、クワイヤ・スクリーンは錬鉄製の柵となり、ステンドグラスの一部はより明るいものに換装され、フレッシュ(屋根に設置されたゴシック様式の尖塔。スパイアの一種)は撤去された。

1789年にはじまるフランス革命で略奪を受け、鐘などの金属は大砲を作るために接収された。このとき司教宮殿など隣接の建造物群も多くが破壊された。状態はきわめて悪化したが、1829~47年にかけて建築家アントワーヌ=ニコラ・ベイリーによって修復された。

○資産の内容

ブールジュ大聖堂はゴシック建築としては珍しくラテン十字形を取っておらず、バシリカ式・五廊式で、南塔を支える建物が付属していることもあって西ファサードがもっとも幅広くなっている。サイズ的には、全長125mで西ファサードの幅55m、身廊の幅41m、身廊の高さ47.6m、身廊内部の高さ37.15mとなっている。

一般的な大聖堂は側廊と身廊で高さが2段階に変化するが、ブールジュ大聖堂では身廊・内側廊・外側廊で3段階に高さが変わっており、最下層はバットレス、中層と上層は二重のフライング・バットレス(飛び梁。横に飛び出したアーチ状の支え)で支えられている。これにより身廊・内側廊・外側廊のいずれにも窓を確保し、それぞれにステンドグラスをはめ込んで明るく美しい空間を実現した。また、それまでのアーケード(下層のアーチ部分)、トリビューン(側廊の階上廊。ギャラリー)、トリフォリウム(側廊の屋根裏部分)、クリアストーリーという4層構造からトリビューンを廃止し、3層構造とした。身廊は高い大アーケードの上にトリフォリウムとクリアストーリーが並び、隣の内側廊も3層構造で、さらに外側に1層の外側廊が設けられている。身廊やアプスから眺めると上層・中層・下層にステンドグラスが並ぶ独創的な構成だ。

西ファサードについて、2基の双塔は非対称で、北塔は高さ65m、南塔は53mとなっている。南塔は基礎の不安定さから工事が中止され、その南に塔を支える建物が増設された。北塔は1506年に倒壊してゴシック様式とルネサンス様式の折衷で再建されている。このため南塔の窓が尖頭アーチ窓であるのに対し、北塔は半円アーチ窓となっている。西ファサードは全体がバットレスで支えられているが、これも基礎の脆弱性をカバーするためのものだ。

西ファサードの中央上部に三角破風のペディメント、その下にバラ窓とランセット窓が並び、左右にはロッジア(柱廊装飾)が見られ、最下層には5基のポータル(玄関)が並んでいる。ポータルはいずれもリンテル(まぐさ石。柱と柱、壁と壁の間に水平に渡した石)、ティンパヌム(タンパン。門の上の彫刻装飾)、アーキヴォールト(アーチ部分の迫縁装飾)、柱、壁面が見事な彫刻で埋め尽くされている。もっとも壮大な中央ポータルのティンパヌムのテーマは「最後の審判」で、イエスが信者を選別する様子が描き出されている。中央北のポータルのテーマは聖母マリア、中央南は聖ステファヌスで、もっとも外側のポータルは大司教のギヨームとウルサンだ。西ファサードに限らず、頂部はピナクル(ゴシック様式の小尖塔)やガーゴイル(悪魔や怪物を象った雨樋)といったゴシック装飾で飾られている。

南北に西ファサードのようなファサードは存在しないが、聖職者が使用する小さなポータルが設けられており、やはり彫刻やレリーフで飾られている。

内装について、大聖堂のステンドグラスは多くが13~17世紀のもので、16世紀の制作されたルネサンスの巨匠ジャン・ルクイエの作品なども含まれている。中心的なテーマは『新約聖書』のイエスやマリアの逸話、あるいは聖ステファヌスやパリのディオニュシウス(サン=ドニ/聖ドニ)といった聖人らの物語だ。アプスでは至聖所の周りに周歩廊が巡っており、周歩廊の外側には5基の放射状祭室が並び、いずれもステンドグラスで彩られている。放射状祭室に5基の礼拝堂、身廊に15基前後の礼拝堂が設置されており、それぞれのテーマや寄贈者が信仰する聖人の物語がステンドグラスや彫刻・絵画で描き出されている。一例が15世紀に大聖堂の執事であるジャン・デュ・ブルイユが寄贈したデュ・ブルイユ礼拝堂で、イエスに洗礼を施した洗礼者ヨハネをテーマとしたステンドグラスや壁画が見られることから洗礼者ヨハネ礼拝堂とも呼ばれている。また、ジャック・クール礼拝堂は大天使ガブリエルが聖母マリアにイエスを身ごもったことを知らせる受胎告知を描いたコリン・ル・ピカールのステンドグラスで知られる。ジャン・ルクイエのステンドグラスで名高いのは、テゥリエ家の面々が使徒のペトロやヤコブ、ヨハネらにひざまずく様子を描いたテゥリエ礼拝堂だ。西ファサードを飾るのは直径9mのバラ窓と6連のランセット窓で、その下に巨大なオルガンが設置されている。

■構成資産

○ブールジュ大聖堂

■顕著な普遍的価値

○登録基準(i)=人類の創造的傑作

ブールジュ大聖堂はゴシック建築の発展の歴史において、また中世フランスにおけるキリスト教の権威の象徴としてきわめて重要である。最大の特徴は、調和の取れたプロポーションと最高品質の装飾を組み合わせ、空間を見事に演出しているその際立った美しさにある。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

ブールジュ大聖堂はサン=ドニ、パリ、シャルトル、アミアンに代表されるフランス・ゴシックのメインストリームからは外れているが、このスタイルの大聖堂の建築的価値に多大な影響を与えた。そのデザインの統一性、空間の巧みなアーティキュレーション(明確・整然とした表現)、光の処理により、この種の建築物に適用されたスタイルの卓越した表現となっている。

■完全性

ブールジュ大聖堂のデザインは何世紀ものあいだ尊重されており、変わることなく伝えられている。大聖堂はプランとデザインの完全性を保持しており、すべての特徴は手付かずで保存されている。大聖堂はまた保護された都市環境にあり、資産は脅威にさらされていない。

■真正性

建物の形状や素材は13世紀後半の完成当時のままだが、そのメンテナンスと宗教的進化により他のゴシック様式の大聖堂と同様に多くの部材の交換が必要とされた。こうしたすべての修復作業は本来の伝統的な技術や建築素材を尊重して行われている。

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