クレスピ・ダッダ

Crespi d'Adda

  • イタリア
  • 登録年:1995年
  • 登録基準:文化遺産(iv)(v)
世界遺産「クレスピ・ダッダ」全景。左はアッダ川
世界遺産「クレスピ・ダッダ」全景。左はアッダ川
世界遺産「クレスピ・ダッダ」の労働者住宅街
世界遺産「クレスピ・ダッダ」の労働者住宅街
世界遺産「クレスピ・ダッダ」、ヴィッラ・クレスピ
世界遺産「クレスピ・ダッダ」、ヴィッラ・クレスピ (C) Blackcat

■世界遺産概要

クレスピ・ダッダはイタリア北部ロンバルディア州のカプリアーテ・サン・ジェルヴァージオに位置する企業城下町で、クリストフォロ・ベニーニョ・クレスピとその息子シルヴィオ・ベニグノ・クレスピによって開拓された。綿花から採れる短い繊維を紡いで綿糸を作る紡績、綿糸を織って布にする織布(製織)、織物を色付ける染色の工場を中心に、19~20世紀の産業集落がほぼ手付かずの状態で伝えられている。

○資産の歴史

1875年、ブスト・アルシーツィオで繊維メーカーを営んでいたクリストフォロ・クレスピはアッダ川とブレンボ川の合流地点にある渓谷一帯の土地を購入し、アッダ川沿いに紡績・織布・染色を行う工場を建設した。また、イギリスやスウェーデン、ドイツなどの先端的な工場を参考に、道路を隔てた東側に労働者のために3階建ての集合住宅を建てて企業城下町を築いた。これらの施設は1878年7月に稼働を開始し、綿織物の生産が行われた。

1889年、息子のシルヴィオ・クレスピは父の事業を引き継ぐと、工場を拡張。1894年にはイタリアの王妃マルゲリータ・ディ・サヴォイア=ジェノヴァを招いて就任式を行い、新生産ラインは1896年に稼働を開始した。シルヴィオはイギリスの世界遺産「ソルテア」を参考により理想主義的・ユートピア的なイデオロギーに基づいて一帯の再構成を図った。敷地を幾何学的に区切って整理すると、労働者のために庭付き一戸建ての住宅を階級ごとに用意し、司祭や医者のための邸宅や教会・病院・学校・劇場・スポーツセンター・消費者協同組合・墓地などを整備した。さらには鉄道を呼び込んで駅を建て、水力発電所を建設して無料で電気を供給するなどインフラの整備にも気を配った。

生活レベルは当時の一般的な労働者のはるか上を行くもので、最盛期には3,200人を数えた労働者の満足度は高く、クレスピ家が経営を手放すまでの約50年間でストライキのような労働争議はいっさい起こらなかったという。

1929年の世界恐慌による経営環境の悪化とムッソリーニのファシズム政権による政策を受けてクレスピ家は工場をイタリアの繊維会社に売却。それでも少なくとも1970年代までは単一企業の産業集落として管理された。工場は21世紀に入っても綿織物を生産していたが、2004年に稼働を停止した。

○資産の内容

世界遺産の資産としては、工場と集落の一帯が地域で登録されている。

錬鉄製の赤門の内側に広がる工場施設には紡績・織布・染色・その他の4つの主要施設が生産工程ごとに集約されている。アッダ川にはダムが設けられ、全長約1km・幅12~22mの運河を利用して水を引いて水力発電所に接続した。現在見られる水力発電所は1909年に完成したもので、同年から2011年まで稼働していた。

宗教施設としては、クレスピ・ダッダ教会(サンティッシモ・ノメ・ディ・マリア教会/マリアの御名教会)が挙げられる。1890年代はじめに築かれたゴシック・リバイバル様式の教会堂で、正方形の平面プランの上に八角形のドームが掲げられており、ドームはロッジア(柱廊装飾)で囲まれている。シンプルな外見に反し、内部は見事なフレスコ画やスタッコ細工で装飾されている。隣接する墓地は1905~08年に築かれたもので、アール・ヌーヴォー調のクレスピ家の霊廟を中心に労働者の墓石が立ち並んでいる。

ヴィッラ・クレスピは1893~94年に築かれたクレスピ家の城館で、建築家エルネスト・ピロバーノの設計で歴史主義(ロマン主義)様式で建設された。邸宅ながら城壁や胸壁(凹部と凸部が並ぶ防御用の壁)・城壁塔が見られる中世の城塞のような造りで、ロッジアのような装飾を組み合わせてドラマティックな意匠を実現した。

パラッツォッティは19世紀後半に築かれたレンガ造の3棟の集合住宅で、最初の建物は地下室・地上3階・屋根裏部屋で構成されており、20家族が暮らすことができた。住宅建築にはこれ以外に集合住宅カッシーナ・マグナや、労働者の家、職長の家、医者の家、司祭の家といった戸建住宅がある。シルヴィオは1880年代以降、集合住宅よりも一戸建てを重視し、数多くの庭付住宅や二世帯住宅を建設して労働者に提供した。

公共施設には2~3階建ての学校ラ・スクオーラや生活協同組合所、病院、ホテル、洗濯所、公衆トイレ、スポーツ・トラックなどがある。

■構成資産

○クレスピ・ダッダ

■顕著な普遍的価値

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

19~20世紀のヨーロッパ・北アメリカにおける産業集落の際立った例であり、イギリスのパターナリズム(父子主義。親子関係のように主人が従者の面倒を見ること)の影響を受けた経営者の啓蒙的な哲学がよく表れている。

○登録基準(v)=伝統集落や環境利用の顕著な例

クレスピ・ダッダには町と建築の構造が手付かずで残されており、経済や社会の発展によってもたらされる不可避とされる脅威を生き延びた企業城下町の稀有な例である。

■完全性

クレスピ・ダッダでは工場・住宅・サービスといった産業都市のすべての側面がよく保存されており、完全性を維持している。これは工場生産が2004年まで続いたという事実によるところが大きい。その結果、公的・私的および産業用の施設が取り壊されたり大幅な改修を受けずに無傷で伝えられ、さらにはこうした構成要素間の関係を維持することができた。

村は手付かずだが経済的・社会的条件の変化、特に人口の減少はその存続を脅かす危険性がある。この脅威は人口統計学的および社会経済学的な計画による近年の前向きな変化によって抑制・緩和される可能性がある。

■真正性

他のイタリアやヨーロッパの企業城下町では大都市に近接していることから経済状況や社会構造の変化に合わせて所有者による変更や改修が行われたのに対し、河谷にたたずむクレスピ・ダッダはその孤立した環境から際立った真正性が維持された。

村は企業城下町の要素をそのまま保持しており、街路のレイアウトや建造物の形状・デザインといった点で真正性は明白である。公共施設や産業施設、私的な建造物は取り壊されたり大幅な改修を受けることなく手付かずで引き継がれている。しかし、窓枠を取り囲む赤レンガがよく映える住居の白い外壁の色が塗り替えられるなどいくつかの変更が行われており、さらに産業の実務的変化を受けて多くの建物の使用目的が変わりつつある。

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