ウィレムスタット歴史地域:キュラソーのインナー・シティと港

Historic Area of Willemstad, Inner City and Harbour, Curaçao

  • オランダ
  • 登録年:1997年
  • 登録基準:文化遺産(ii)(iv)(v)
  • 資産面積:86ha
  • バッファー・ゾーン:87ha
世界遺産「ウィレムスタット歴史地域:キュラソーのインナー・シティと港」、プンダの街並み。右のオレンジ色の建物がペンハ・ビル
世界遺産「ウィレムスタット歴史地域:キュラソーのインナー・シティと港」、プンダの街並み。右のオレンジ色の建物がペンハ・ビル
世界遺産「ウィレムスタット歴史地域:キュラソーのインナー・シティと港」、プンダから眺めたオトロバンダ、中央の水路はセント・アナーバイ
世界遺産「ウィレムスタット歴史地域:キュラソーのインナー・シティと港」、プンダから眺めたオトロバンダ、中央の水路はセント・アナーバイ
世界遺産「ウィレムスタット歴史地域:キュラソーのインナー・シティと港」、アムステルダム要塞。右の城壁が要塞時代の名残、中央右の塔はフォート教会、左の建物は知事公館
世界遺産「ウィレムスタット歴史地域:キュラソーのインナー・シティと港」、アムステルダム要塞。右の城壁が要塞時代の名残、中央右の塔はフォート教会、左の建物は知事公館
世界遺産「ウィレムスタット歴史地域:キュラソーのインナー・シティと港」、ペンハ・ビル
世界遺産「ウィレムスタット歴史地域:キュラソーのインナー・シティと港」、ペンハ・ビル

■世界遺産概要

キュラソーは南アメリカ大陸の北約70kmほどに浮かぶキュラソー島を中心としたオランダの構成国で、海外領土となっている。ウィレムスタットはその首都で、オランダが黄金時代に築いたカリブ海の交易都市として知られる。本国と西アフリカ・南アメリカを結ぶ交易で発展し、多様な文化を吸収しながらユニークな植民都市を築き上げた。

○資産の歴史と内容

キュラソー島は1499年、スペイン人航海士アロンソ・デ・オヘダによって発見された。以来スペイン領となってスペイン人が入植を開始し、住民は奴隷として連れ去られた。オランダは1568~1648年にスペインとオランダ独立戦争(八十年戦争)を戦い、戦中にネーデルラント連邦共和国として独立した。カリブ海で交易の拠点となる港湾都市を探しており、1634年にオランダ西インド会社がキュラソー島を急襲して奪取した。これ以降、19世紀はじめに数年のあいだイギリスが占領した時期を除き、オランダ領としてありつづけた。

島を奪うとスペインの襲撃に備え、スコッテガトと呼ばれる湾の出入口にあたるセント・アナーバイにアムステルダム要塞の建設を開始した。1638年に完成した要塞は5基の稜堡が突き出した星形要塞だったが、まもなく南の稜堡は取り壊された。

ウィレムスタットは南アメリカとスペインを結ぶ中継地として繁栄し、17世紀半ばからオランダ-西アフリカ-南アメリカをつなぐ三角貿易の拠点となり、多数の黒人奴隷を輸入・販売した。この頃、スペイン・ポルトガル系ユダヤ人であるセファルディムが多数入植し、1730年までに白人人口の半数を占めた。

ウィレムスタットへの入植はアムステルダム要塞を中心に進められ、プンダ、オトロバンダ、ピーターマーイ、スカールーの4つの居住区が開発された。

最古の居住区がプンダだ。1650年代にアムステルダム要塞に隣接して碁盤の目状の方格設計でグリッドを築き、一帯を城壁で囲って要塞都市とした。これはオランダ伝統の要塞システムを流用したものだ。1674年には北の湾を埋め立ててワーイガット地区を加えて拡大。18世紀はじめには城壁内に200棟以上の住宅が立ち並んだ。代表的な建物には1732年にユダヤ教の礼拝堂として建設されたミクヴェ・イスラエル=エマヌエル・シナゴーグや、1745年に石造建築となったフォート教会がある。城壁は必要が薄れたこともあり、1866年に撤去された。

1707年にはセント・アナーバイを挟んでプンダの対岸でオトロバンダの開発がはじまった。当初、アムステルダム要塞からの射線を確保するために平屋しか認められなかったが、城壁がないため土地を制約されることもなく、プランテーションの農場主たちは広々とした住宅を建設した。入植者が増えると南側を中心に手工業者や労働者の住宅街となり、小さな住宅が高密度に連なる家並みが誕生した。19世紀後半には北西部が拡張され、コーティン地区が開発された。

18~19世紀にはプンダの東でピーターマーイの開発が進んだ。船長や政府高官・貿易商らが暮らす高級住宅街で、1866年にプンダの城壁が撤去されるとユダヤ人が移り住んだ。

スカールーはプンダやピーターマーイの北に位置する地域で、18世紀にはプランテーションが広がっていたが、19世紀にユダヤ人が開発を行い、特に1870年以降、高級住宅街となった。大きな邸宅が多く、ユダヤ人が去った後、政府の施設として転用された。

入植地の住宅は当初、16~17世紀のオランダの住宅建築がそのまま持ち込まれた。城壁に囲まれた狭い土地を活かすために2~3階建てのレンガ造で、バルコニーが設置され、1階は店舗や倉庫として利用し、2階以上が居住用に使用された。屋根は三角形の木造切妻造で、ファサード(正面)の破風(頂部の∧部分)はそれぞれユニークなデザインで彩られた。建物の素材は輸入したり船のバラストとして使われていたレンガを使用したが、量が足りないため現地のサンゴ石灰岩やビーチロックが使用された。18世紀には破風の湾曲したバロック装飾が特徴的なキュラソー・バロック様式が流行した。典型的な建物がブンダのペンハ・ビルだ。こうした建物は赤や青・黄といったパステル・カラーで彩られたが、これは1817年の政府通達のためで、石灰岩の白が目によくないための施策といわれる。19世紀に入ると新古典主義様式の落ち着いた住宅が流行した。一例がオトロバンダのヴィラ・ベルヴェデーレだ。もっともこうした様式は一様ではなく、取引を行っていたスペインや先住民・黒人の文化をも取り込んで多様に発展した。

■構成資産

○ウィレムスタット歴史地域:キュラソーのインナー・シティと港

■顕著な普遍的価値

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

ウィレムスタット歴史地域はカリブ海の植民地時代の建造物群であり、3世紀にわたる多文化コミュニティの有機的発展を伝えている。また、オランダ黄金時代のカリブ海における際立った港湾都市であり、都市計画と建築について重要な証拠を残している。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

ウィレムスタット歴史地域の4つの居住区は町の何世紀にもわたる歴史的発展の段階を示している。歴史的・文化的発展の教科書的な町で、その様子は明確に確認することができる。

○登録基準(v)=伝統集落や環境利用の顕著な例

都市構造や建築はヨーロッパの伝統的なスタイルを新世界に持ち込んだものである。しかし、アメリカとアフリカの文化と地域の文化的特性が融合し、ヨーロッパの要素を典型的なカリブ海のスタイルに発展させた。

■完全性

ウィレムスタット歴史地域は1650~1800年にかけての歴史的な都市構造の完全性を維持している。街への玄関口としてありつづけている港を囲むいくつかの歴史地区は3世紀以上にわたる町の発展の様子を示している。プンダとオトロバンダの狭い路地など、資産の大部分の街路パターンと都市構造は比較的手付かずで伝えられている。

歴史地域の遺産に変化や破壊がないわけではなく、20世紀初頭のシェル石油の製油所建設にはじまる石油産業に関連する開発は歴史地域に影響を与えた。1960年代の高速道路や1974年のクイーン・ジュリアナ橋へのアクセス道路の建設はオトロバンダとスカールーを切り裂いた。加えてプンダとオトロバンダでの火災により歴史的なインフラが損傷を受けた。歴史地域に対する脅威としては、メンテナンスの欠如や塩水・気候といった環境被害に起因する歴史的建造物への影響や、プンダにおけるホテル建設やウオーター・フロントの開発といった観光産業の開発圧力が挙げられる。

1990年代初頭から新しい保全組織が結成され、歴史地域における開発に新基準が設けられた。これに従っていくつかの開発プロジェクトが環境に配慮した形で実行された。クラ・フランダやピーターマーイの民間開発に続き、政府と政府組織はステゲンゲビートやコーラレンゲビートといったオトロバンダの歴史地区、最近ではスカールーとフルール・デ・マリーの中心部の再興に主導的な役割を果たした。

■真正性

都市構造と歴史的な街並みは比較的変わっておらず、市内のさまざまな地区においていまだに確認することができる。セント・アナーバイは活発な商業港として機能しつづけており、アムステルダム要塞は行政機能を維持しており、知事の住居や庁舎・役所・プロテスタントの教会堂などが立ち並んでいる。プンダは路地や通りの名前を含めて都市レイアウトの大部分が維持されている。1990年にこの地区で行われた考古学的作業により、ウィレムスタットのもっとも古い部分に関する情報がもたらされた。

町の建築に関して、多くのモニュメントはデザイン・素材・工法について本物であり、歴史的建造物として保護されている。建物のカラフルな外観は伝統的なもので、赤・青・黄土色・緑といった色が並んでいる。オトロバンダとスカールーにはキュラソー・バロック様式の建物が数多く残されており、状態もよい。この様式の特徴は湾曲したオランダ式の切妻で、ペンハ・ビル(1708年)が代表例である。

不十分なインフィル開発、断片化された都市構造、規制導入前の修復など、いくつかの歴史的建造物において真正性は影響を受けている。現在、修復・保全プロジェクトにおける輸入原料への交換は条例や規制により厳しく監視されている。

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