サラマンカ旧市街

Old City of Salamanca

  • スペイン
  • 登録年:1988年
  • 登録基準:文化遺産(i)(ii)(iv)
  • 資産面積:50.78ha
  • バッファー・ゾーン:130.3ha
世界遺産「サラマンカ旧市街」、マヨール広場。正面はサラマンカ市庁舎
世界遺産「サラマンカ旧市街」、マヨール広場。正面はサラマンカ市庁舎
世界遺産「サラマンカ旧市街」、ローマ橋とサラマンカ新大聖堂
世界遺産「サラマンカ旧市街」、ローマ橋とサラマンカ新大聖堂
世界遺産「サラマンカ旧市街」、左がサラマンカ大学シニア・スクールのファサード、中央は詩人ルイス・デ・レオン像、右は旧大学病院で現在は学長棟
世界遺産「サラマンカ旧市街」、左がサラマンカ大学シニア・スクールのファサード、中央は詩人ルイス・デ・レオン像、右は旧大学病院で現在は学長棟 (C) Cruccone
世界遺産「サラマンカ旧市街」、サラマンカ・ポンティフィシア大学のラ・クレレシア、研究のパティオ
世界遺産「サラマンカ旧市街」、サラマンカ・ポンティフィシア大学のラ・クレレシア、研究のパティオ
世界遺産「サラマンカ旧市街」、サン・エステバン修道院(左)と神学者フランシスコ・デ・ビトリア像、サン・エステバン美術館(右)
世界遺産「サラマンカ旧市街」、サン・エステバン修道院(左)と神学者フランシスコ・デ・ビトリア像、サン・エステバン美術館(右)
世界遺産「サラマンカ旧市街」、サン・エステバン修道院主祭壇
世界遺産「サラマンカ旧市街」、サン・エステバン修道院主祭壇。黄金装飾や6本のねじり柱(ソロモン柱)、草花装飾などがチュリゲラ様式の特徴
世界遺産「サラマンカ旧市街」、貝殻の家
世界遺産「サラマンカ旧市街」、貝殻の家

■世界遺産概要

サラマンカはスペイン中西部カスティリャ・イ・レオン州、トルメス川の川岸に広がる都市で、13世紀にサラマンカ大学が設立されるとスペイン最高峰の神学者や修道士、科学者・探検家、芸術家・建築家が集い、最盛期スペインの宗教・科学・芸術をリードした。旧市街はロマネスク、ゴシック、ムデハル、ルネサンス、プラテレスコ、バロック、チュリゲラといった芸術・建築の傑作で彩られ、黄金都市「ラ・ドラダ "La Dorada"」と讃えられた。

○資産の歴史

サラマンカにはケルト以前から集落があり、紀元前3世紀にカルタゴのハンニバルが占領して砦を築いている。まもなく共和政ローマの支配を受け、イベリア半島を縦断するラ・プラタ街道(銀の道)の要衝になると植民都市サルマンティカが建設された。旧市街の都市構造は1世紀後半の皇帝トラヤヌスの治世のプランがベースで、新大聖堂周辺にはローマ時代の市壁が残されており、ローマ橋も街道の一部だった。その後、ゲルマン系諸民族の侵入が相次ぎ、6~7世紀にゲルマン系西ゴート人が建てた西ゴート王国の支配を受けた。

712年にウマイヤ朝の支配下に入ってイスラム教の時代がはじまった。スペイン北部でキリスト教徒によるレコンキスタ(国土回復運動)が開始され、サラマンカを流れるトルメス川と北のドウロ川の間の地はイスラム教勢力とキリスト教勢力の最前線となり、さらにはキリスト教勢力のカスティリャ王国とレオン王国などの間でも戦闘が起こった。この時代にサラマンカは衰退したが、同君連合(同じ君主を掲げる連合国)カスティリャ=レオン王国のアルフォンソ6世が1085年にセゴビア(世界遺産)やアビラ(世界遺産)とともにサラマンカを解放し、イスラム教勢力の拠点都市トレド(世界遺産)を押さえると安定し、町の発展がはじまった。古い城壁の周囲に町が建設され、12世紀前半に旧大聖堂の建設も開始された。また、同世紀にアルフォンソ7世が旧市街を大きく取り囲む新しい市壁を建設した。この市壁は19世紀までに撤去されたが、現在見られる楕円形の環状道路はこの市壁にほぼ沿っている。

1134年にサラマンカ大学の前身となる学校が創立を迎え(大聖堂付属学校時代を含めるとさらに古い)、1218年にレオン王アルフォンソ9世によって王立総合学校となり、1255年に教皇アレクサンデル4世から大学の認可を受けた。総合大学としてはボローニャ大学、パリ大学、オックスフォード大学に次ぐもので、神聖ローマ帝国と教皇庁が認める最高の教育機関ストゥディウム・ゲネラーレのひとつでもあった。15世紀末にスペイン王国が誕生し、1492年にレコンキスタが完了、16世紀はじめに南北アメリカ大陸やアジアの植民地化を進めるが、行政・司法・立法や植民地の統治機構、宗教改革やルネサンスに対する基本的な思想など、中世から近世へ移行するスペインの新しい思想や研究はこの大学で形成された。一例がクリストファー・コロンブスで、サン・エステバン修道院に滞在してサラマンカ大学に通い、地理学や天文学の専門家と西回りでのインド到達の可能性とルートを研究していたと伝えられている。16世紀末には住民約25,000人に対して毎年6,500人前後が学生登録を行う大学都市となり、大学のみならず各種学校・病院・図書館・博物館・美術館・教会堂・修道院など数多くの関連施設が築かれた。

サラマンカ大学はその先端的な思想のためスペインの中でも対抗宗教改革(反宗教改革。新教の否定と旧教への回帰)やルネサンスでも主導的な役割を果たした。宗教面において、大学の科学的成果のため一時は神聖ローマ皇帝の取り調べを受けるなどしたが、逆に異端審問(宗教裁判)を行って締め付けを図り、スペインのローマ・カトリックの盟主としての立場を後押しした。芸術面において、レコンキスタ後にイスラム美術を取り入れたムデハル様式やフランス・ドイツから輸入したゴシック様式、これらが融合したイザベル様式などが発達したが、こうした装飾要素を引き継いだスペイン独自の華やかなルネサンス様式がプラテレスコ様式として開花した。16世紀にサラマンカで最盛期を迎え、サラマンカ大学や新大聖堂、サンクティ・スピリトゥス教会のファサード(正面)、ドゥエニャス修道院のクロイスター(中庭を取り囲む回廊)といった傑作を残した。また、17世紀後半~18世紀はじめにはカタルーニャ出身の建築・装飾・彫刻家一族であるチュリゲラ家が過剰なまでに装飾を施したバロック様式=チュリゲラ様式(チュリゲレスコ)を完成させた。サラマンカはチュリゲラ兄弟の活躍の場となり、ホセ・ベニート・デ・チュリゲラのサン・エステバン修道院主祭壇、アルベルト・デ・チュリゲラのマヨール広場、ホアキン・デ・チュリゲラの新大聖堂のクワイヤ(内陣の一部で聖職者や聖歌隊のためのスペース)など、こちらも多くの名作を残している。

16世紀末にスペインの首都がエル・エスコリアル(世界遺産)に遷されると近郊のマドリードが急速に発展して周辺都市が衰退し、17世紀後半のスペインの没落に伴って多くの都市は繁栄を終えた。そんな中でサラマンカは大学・芸術都市の役割を貫き、「美徳・科学・芸術の母」と讃えられた。

○資産の内容

世界遺産の構成資産は市内中心部の旧市街と、周辺の教会・修道院・学校など計8件。旧市街はローマ橋からマヨール広場の少し北まで南北約1.4km・東西約1kmほどの地域となっている。「キリスト教世界で最高の広場」と称されるバロック様式のマヨール広場はおおよそ80m四方で、アルベルト・デ・チュリゲラによる設計で1729~55年に建設された。4階建てのパビリオンが取り囲んでおり、北の市庁舎は建築家フアン・ガルシア・ベルグイヤの設計だ。半神半人の英雄ヘラクレスの創建と伝わるローマ橋は1世紀に築かれた全長約360m・幅5.5~6.0mのアーチ橋で、26のアーチのうち15はローマ時代のものと見られている。

サラマンカ大学の主要施設は15~16世紀のルネサンス様式で、特に学校のパティオ(中庭)に隣接した1411年起工のシニア・スクール(エスクエラス・マヨレス)と1413年起工の学長棟(旧大学病院)のプラテレスコ様式のファサードが名高い。ジュニア・スクール(エスクエラス・メノレス)は1428年の起工で、同様式の美しいパティオ(中庭)を中心に構成されている。総合歴史図書館は1254年創立のスペイン最古の図書館で、構造はゴシック様式ながらバロック様式の部屋やチュリゲラ様式の本棚など多彩な装飾で彩られている。アイルランド学院はローマ・カトリックの弾圧が行われていたアイルランドの学生のための施設で、1592年に設立され、1608年にサラマンカ大学に編入された。プラテレスコ様式の建物で、18世紀に学院が廃止されて以降は病院や学校など公共施設として使用されている。カラトラヴァ大学はカルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)が1552年に帝国大学として設立した大学で、カラトラヴァ騎士団の所属で、まもなくサラマンカ大学に合流した。キャンパスは18世紀、ホアキン・デ・チュリゲラの設計で、ルネサンス・バロック様式で築かれた。サラマンカ大学は19世紀に神学部と教会法学部を廃止したが、教皇ピオ12世紀はその受け皿として1940年に教皇庁大学を設立し、サラマンカ・ポンティフィシア大学が誕生した。キャンパスはイエズス会の聖霊大学だったラ・クレレシアを転用している。

主要な教会建築として、新旧の大聖堂が挙げられる。旧大聖堂は12世紀前半に建設がはじまり、14世紀後半にロマネスク様式をベースにゴシック様式を加えて竣工した。新大聖堂は1513~1733年と建設期間220年を要し、完成が延びたことから旧大聖堂の使用が続き、取り壊されることなく伝えられることになった。新大聖堂はゴシック様式をベースにルネサンス・バロック様式で建設され、ラテン十字式・三廊式は旧大聖堂と同様ながら、倍近い規模を誇る。平面およそ115×55m、クロッシング塔(十字形の交差部に立つ塔)のバロック・ドームの高さ約93mとセビリア大聖堂(世界遺産)に次ぐ規模で、鐘楼に至っては高さ110mとヒラルダの塔(世界遺産)を凌いでいる。ゴシック様式の屋根・天井、プラテレスコ様式のファサード、バロック様式のドーム、チュリゲラ様式のクワイヤのほか、あらゆるスタイルの装飾が集う礼拝堂の数々を見ることができる。サン・エステバン修道院はドミニコ会の修道院で、1524~1610年にゴシック・ルネサンス・バロック様式の折衷で建設された。プラテレスコ様式のファサードとチュリゲラ様式の主祭壇は両様式を代表する作品とされるほか、ルネサンス様式の教会堂や王のクロイスター、バロック様式の聖具室や外階段など数々の傑作で知られる。ラ・クレレシアは旧イエズス会聖霊大学(現・サラマンカ・ポンティフィシア大学)の建物で、バロック様式の教会堂や研究のパティオ、チュリゲラ様式の主祭壇などが見られる。ドゥエニャス修道院は創立1419年のドミニコ会女子修道院で、14世紀後半にムデハル様式で建設され、16世紀はじめに教会堂や僧院が増築された。特にプラテレスコ様式のファサードとクロイスターで知られる。これ以外にもロマネスク様式のサン・マルコス教会やサン・フリアン教会、サン・クリストバル教会、サン・フアン・バルバロス教会、ゴシック様式のサンクティ・スピリトゥス教会やラス・クララス修道院、ルネサンス様式のサンタ・テレサ修道院、サンタ・マリア・デ・ロス・カバリェロス教会、バロック様式のベラクレス礼拝堂、サン・パブロ教会など名高い教会堂や修道院が少なくない。これらの建築様式については折衷主義様式(特定の様式にこだわらず複数の歴史的様式を混在させた19~20世紀の様式)が多い。

宮殿建築もゴシックからモダニズムまで多彩で、使徒ヤコブの象徴であるホタテの貝殻で覆われたゴシック・プラテレスコ様式の貝殻の家、ファサードを飾る頭蓋骨からその名が付いたルネサンス・プラテレスコ様式の死の家、同様式のモンテレー宮殿やサリナ宮殿、ルネサンス・マニエリスム様式のオレリャーナ宮殿、フェリペ2世とマリアの結婚式が行われたアロンソ・デ・ソリス宮殿などが知られる。

■構成資産

○旧市街

○アイルランド学院(大司教フォンセカ学院)

○サン・マルコス教会

○サンクティ・スピリトゥス教会

○ラス・クララス修道院

○サンタ・テレサ修道院

○サン・フアン・バルバロス教会

○サン・クリストバル教会

■顕著な普遍的価値

○登録基準(i)=人類の創造的傑作

サラマンカのマヨール広場は1710年にフェリペ5世によって建設が決定されたもので、バロック美術の中でも特に独創的な芸術的成果であり、黄金都市の中心をなした。1729年にアルベルト・デ・チュリゲラによって設計され、アンドレス・ガルシア・デ・キニョネスによって1755年に完成し、チュリゲラ家のニコラス・デ・チュリゲラやホセ・デ・ララ・チュリゲラらも貢献している。18世紀ヨーロッパでもっと重要な都市アンサンブルのひとつに数えられている。

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

マヨール広場、ラ・クレレシア、カラトラヴァ大学、サン・アンブロシオ学院、サン・セバスティアンとサンタ・クルス・デ・カニサレスの教会群、新大聖堂、サン・エステバン修道院などがあるサラマンカは、カタルーニャ出身の建築・装飾・彫刻家一族であるチュリゲラ家が活動した主要アート・センターのひとつである。チュリゲラ様式は18世紀にイベリア半島のみならずラテン・アメリカでも多大な影響を与えた。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

サラマンカ大学はボローニャ大学、パリ大学、オックスフォード大学よりも遅れて設立されたが、1250年にはすでにヨーロッパ最高の学術機関の地位を確立していた。キリスト教世界における大学機関の多彩な機能を示す豊富な建築資産を保有し、大学病院(ホスピタル・デル・エストゥディオ)、シニア・スクール、ジュニア・スクールをはじめ大学施設は15~18世紀の間に増加し繁栄した。これらは多数のすぐれた宗教建築や公共建築を誇る歴史地区の中でも際立って一貫性のある建造物群を形成している。

■完全性

「サラマンカ旧市街」は旧市街と周辺の7件の構成資産で形成され、資産は顕著な普遍的価値を表現するために必要なすべての要素を含んでいる。特に重要な特徴は大学に関するすべてのモニュメントを網羅している点と、スペインのバロック美術、特にマヨール広場に代表されるきわめて重要な作品群を含んでいる点である。こうした特徴はサラマンカの歴史を物語り、大学都市としての機能を証明している。

モニュメントの分類とその認識はそれらの特徴を理解し適切に保護するために必要であり、完全性の保持に貢献している。しかし、新たな建設や開発に起因する潜在的な脅威に効果的に対処するために、適切な規制措置や都市計画が厳密に実施される必要がある。

■真正性

「サラマンカ旧市街」の真正性は形状・デザイン・素材・原料といった点で保たれており、近代都市にあって位置や環境・機能・用途についても維持されている。旧市街は発展を続けており、都市インフラや建物の改修といった変化の影響を受けてきたが、これらの変更は顕著な普遍的価値に悪影響を与えないように市や自治体の厳しい管理下に置かれている。将来も同様に価値を損なうことのないように継続的に注意を払う必要がある。

■関連サイト

■関連記事