歴史的城壁都市クエンカ

Historic Walled Town of Cuenca

  • スペイン
  • 登録年:1996年
  • 登録基準:文化遺産(ii)(v)
  • 資産面積:22.79ha
  • バッファー・ゾーン:170.49ha
世界遺産「歴史的城壁都市クエンカ」、右がイントラムロス、中央~左はサン・パブロ橋と旧サン・パブロ修道院、下はウエカル川
世界遺産「歴史的城壁都市クエンカ」、右がイントラムロス、中央~左はサン・パブロ橋と旧サン・パブロ修道院、下はウエカル川
世界遺産「歴史的城壁都市クエンカ」、イントラムロス中心部。中央上のラテン十字形の建物がクエンカ大聖堂、左手前が宙吊りの家
世界遺産「歴史的城壁都市クエンカ」、イントラムロス中心部。中央上のラテン十字形の建物がクエンカ大聖堂、左手前が宙吊りの家
世界遺産「歴史的城壁都市クエンカ」、クエンカ大聖堂
世界遺産「歴史的城壁都市クエンカ」、クエンカ大聖堂
世界遺産「歴史的城壁都市クエンカ」、宙吊りの家
世界遺産「歴史的城壁都市クエンカ」、宙吊りの家

■世界遺産概要

クエンカはスペイン中東部カスティリャ=ラ・マンチャ州の都市で、フカル川とウエカル川が流れる深い渓谷に位置している。12世紀にカスティリャ王国はこの地を征服するとふたつの川に挟まれた切り立った台地を城壁で囲い、ロマネスクやゴシックといったキリスト教美術はもちろん、イスラム美術の影響を残すムデハル様式など多彩なスタイルの建造物を建設し、美しくも堅牢な要塞都市を建設した。

○資産の歴史

カセレスの周辺は水が浸透しやすく水に溶けやすい石灰岩台地で、フカル川とウエカル川が大地を侵食して深い渓谷を築き上げた。8世紀にイスラム王朝であるウマイヤ朝がイベリア半島を侵略し、756年に後ウマイヤ朝に引き継がれると、9世紀前後に後ウマイヤ朝は首都コルドバ(世界遺産)の前線基地としてふたつの川に挟まれたS字状の台地に要塞を建設した。まもなく城下町が形成され、農業と牧畜で栄えたという。1031年に後ウマイヤ朝が滅亡すると、イスラム小王朝タイファのひとつであるトレド王国に引き継がれた。

11~12世紀にキリスト教徒によるレコンキスタ(国土回復運動)が進み、1177年にカスティリャ王国のアルフォンソ8世が町を包囲し、降伏させた。カスティリャ王国は王家直轄の要塞都市として再開発を行い、1183年には司教座が置かれ、まもなくクエンカ大聖堂(サンタ・マリア・イ・サンタ・フリアン大聖堂)や司教宮殿(エピスコパル宮殿)の建設が開始された。ふたつの川に挟まれた台地は城壁で取り囲まれ、城壁内のイントラムロスと城壁外のエクストラムロスに分割された。クエンカは渓谷を意味するラテン語「コンカ」から命名されたようだ。

15世紀はカスティリャ王国、アラゴン王国、ナスル朝といった国々の争いに巻き込まれたが、16世紀に安定するとスペイン王国の主要都市となり、人口は急増した。特にヒツジの放牧による羊毛と織物の生産で繁栄し、16世紀末に人口は約16,000人に達した。この過程でイントラムロスはクエンカ大聖堂や種々の教会堂・修道院・宮殿・庁舎を中心とした宗教・行政地区となり、富裕層は断崖を降りた周辺に移動し、庶民の住宅街は南の平野部に広がった。しかし、17世紀に入るとスペインはイギリスやオランダに追い落とされて没落し、繊維産業も低迷して大打撃を受けた。17世紀半ばに人口は4,000人まで激減し、町は半ば放棄された。17世紀後半から18世紀にかけて町はゆっくりと回復し、この時期に教会堂や修道院にバロック様式が導入された。19世紀のナポレオン戦争(1803~15年)やスペイン独立戦争(1808~14年、半島戦争)の混乱でふたたび衰退したが、おかげでイントラムロスの多くの建造物は手付かずで残された。

○資産の内容

イントラムロスの中心はクエンカ大聖堂と中央広場であるマヨール広場だ。イスラム教時代には大モスクが立っていた場所で、クエンカ大聖堂は12世紀末から1257年にかけて建設された。フランスのゴシック建築を参考に設計されたスペイン最初期のゴシック建築で、バラ窓、ランセット窓(細長い連続窓)、尖頭アーチ(先の尖ったアーチ)、フライング・バットレス(飛び梁。横に飛び出したアーチ状の支え)、交差リブ・ヴォールト(枠=リブが付いた×形のヴォールト)、ゴシック彫刻といった特徴が確認できる。内部は多彩なスタイルの祭壇や礼拝堂・装飾にあふれ、名建築家ヴェンチュラ・ロドリゲスによるバロック様式のサンタ・フリアン祭壇やルネサンス様式のクロイスター(中庭を取り囲む回廊)、近代画家グスタヴォ・トーナーのステンドグラスなどで知られている。

大聖堂の南に隣接するのは司教宮殿で、その名の通り司教の生活の場となっていた。宮殿は複数の建物からなり、それ自体が博物館であるほか、クエンカ博物館や大聖堂宝物博物館が入っている。マヨール広場の北に位置するラス・ペトラス修道院(サン・ペドロ・デ・ラス・フスティニアナス修道院)は18世紀のバロック建築で、バラ窓を持つピンク色のファサード(正面)が特徴的だ。その南、道路上に立つ市庁舎も18世紀のバロック建築で、3つのアーチで支えられており、アーチは門としても機能して有事には閉鎖することができた。

重要な宗教建築として、サン・ペドロ教会が挙げられる。アルフォンソ8世の建設と伝わる教会堂で、ファサードは18世紀にバロック様式で改修されており、八角形の礼拝堂内ではムデハル様式(キリスト教美術にイスラム美術を取り入れた折衷様式)の見事な木造格天井が見られる。ムデハル様式の格天井は13世紀建設のサン・ミゲル教会のものも名高い。サン・ニコラス・デ・バリ教会はロマネスク様式の重厚な造りで、ルネサンス様式で改修されている。エル・サルヴァドール教会は塔と単廊のシンプルなバシリカ式教会堂で、16世紀のバロック建築が18世紀にネオ・バロック様式で改装されている。メルセド修道院は16~18世紀のメルセド・カルサダ修道会の修道院で、バロック様式で築かれている。ウエカル川を挟んだ断崖に立つサン・パブロ修道院は16世紀に建設されたドミニコ会の修道院跡で、ゴシック建築ながらルネサンス・バロック・ロココ様式の装飾が見られる。現在はパラドール(高級ホテル)となっており、世界遺産ではないがバッファー・ゾーンに含まれている。

その他の主要な建築としては、ランドマークとなっている宙吊りの家(カサス・コルガーダス)が挙げられる。13~15世紀の建設と見られ、木造3層のバルコニーが断崖から飛び出している様子からその名が付いた。レイの家の2棟とシレナの家の1棟の計3棟からなる邸宅で、1棟にはスペイン抽象美術館が入っている。イントラムロスは土地が限られていたため、断崖まで利用してこうした高層建築によって居住スペースを確保した。北の城跡(カスティーリョ)はイントラムロスの北のエントランスを守る城塞跡で、イスラム教時代から要塞が立っていた。道路上のアーチは16世紀の建設だ。

世界遺産の資産にはイントラムロスに加えてエクストラムロスの3か所、城跡の北のカスティーリョ地区、フカル川の北のサン・アントン地区、ウエカル川の南のティラドレス地区が含まれている。これらの地区は個々の建物よりも、中世から伝わる街並み全体が評価されている。

■構成資産

○イントラムロス(城壁内)

○カスティーリョ地区

○サン・アントン地区

○ティラドレス地区

■顕著な普遍的価値

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

ムーア人(イベリア半島のイスラム教徒)がコルドバ防衛のために建設したクエンカはきわめて保存状態のよい中世の要塞都市である。12世紀にカスティリャ王国に征服されるとムーア人の町の上に新しい町が建設され、スペイン初のゴシック建築である大聖堂や宙吊りの家といった特徴的な建物が建設された。ロマネスクやゴシックといったキリスト教美術に加え、イスラム美術の影響を残したムデハル様式や、その後のバロック・ロココ様式など、多彩なスタイルが特殊なロケーションと融合して美しく堅牢な都市を描き出している。

○登録基準(v)=伝統集落や環境利用の顕著な例

ふたつの川に挟まれた台地を利用して築かれた要塞都市であり、12~18世紀にかけて宗教・世俗両面で非常にすぐれた数多くの建造物が建設された。要塞都市は周辺の美しい自然や田園風景と見事に調和しており、環境利用の顕著な例を示している。

■完全性

4件の構成資産は明確に定義・保護されており、顕著な普遍的価値を示すすべての重要な要素を含んでいる。周辺には広いバッファー・ゾーンも設定されており、構成資産の建造物群だけでなく、顕著な普遍的価値の一部を形成しているその景観も保護されている。監督官庁の許可なしに建物の変更等はできず、適切に管理されている。

■真正性

歴史的城壁都市クエンカの顕著な普遍的価値は歴史的建造物群と景観も含めた街並み全体にある。こうした特徴は長期にわたる経済的な低迷と社会の衰退の結果、ほとんど手付かずで伝えられており、周辺の自然環境についても開発は進んでいない。結果的に、クエンカの真正性は非常に高いレベルで保持されている。

■関連サイト

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