ヴィッラ・アドリアーナ[ティヴォリ]

Villa Adriana (Tivoli)

  • イタリア
  • 登録年:1999年
  • 登録基準:文化遺産(i)(ii)(iii)
  • 資産面積:80ha
  • バッファー・ゾーン:500ha
世界遺産「ヴィッラ・アドリアーナ[ティヴォリ]」、小運河カノープス
世界遺産「ヴィッラ・アドリアーナ[ティヴォリ]」、小運河カノープス
世界遺産「ヴィッラ・アドリアーナ[ティヴォリ]」、セラピス神殿
世界遺産「ヴィッラ・アドリアーナ[ティヴォリ]」、セラピス神殿
世界遺産「ヴィッラ・アドリアーナ[ティヴォリ]」、テアトロ・マリッティモ
世界遺産「ヴィッラ・アドリアーナ[ティヴォリ]」、テアトロ・マリッティモ

■世界遺産概要

イギリスの歴史学者ギボンが「人類がもっとも幸福だった時代」と讃えたパックス・ロマーナ(ローマによる平和)の時代を築いた五賢帝の1人、皇帝ハドリアヌスがローマ郊外のティヴォリに築いたヴィッラ(別荘・別邸)。

○資産の歴史と内容

ハドリアヌスは在位21年間のうちローマには7年程度しか滞在しなかったといわれるほど世界中を旅した皇帝で、建築や芸術に対する造詣も深く、各地に偉大な建物を残したことでも知られている。帝都ローマのパンテオン(再建)やサンタンジェロ城、帝国の北端を決めたハドリアヌスの長城、レプティス・マグナのハドリアヌス浴場やカルタゴのハドリアヌス水道橋など世界遺産に登録されているものも少なくない。そんなハドリアヌスが皇帝位に就いた 117年の翌年から建設を開始し、亡くなる138年まで理想郷を追い求めて築きつづけた作品がヴィッラ・アドリアーナだ。

ヴィッラ・アドリアーナは4グループ・約30の建物からなるが、その第1が北のテアトロン(ギリシア劇場)とアフロディーテ・クニディア神殿(ヴィーナス神殿)のグループだ。両者とも円形で、劇場は直径36m、神殿はかなり小ぶりだが数本のドーリア式の柱と破壊されたアフロディーテ像が残されており、近くには屋内競技場ギムナシオンの遺跡が横たわっている。

第2は中央から東にかけての皇宮周辺で、直径43mを誇る円形劇場テアトロ・マリッティモ(海の劇場)、ドーリア式の広大なペリスタイル(列柱付きの中庭)を持つピアッツァ・ドーロ(黄金広場)、ラテン語図書館、ギリシア語図書館、ホスピタリア(客間)、哲学者の館といった重要施設が集中している。ハドリアヌスはテアトロ・マリッティモがお気に入りで、しばしば1人で中央の島にこもっていたという。

第3は中央から南にかけての運河地帯で、232×97mを誇る大運河ペシール、石像やカリアティード(女人像柱 )がよく映える小運河カノープス、ドーム天井が特徴的な大浴場と小浴場、アテネのストア・ポイキレを模したポイキレ競技場、セラピス神殿、兵舎などが散在している。カノープスはエジプト・アレクサンドリアのセラピスの聖域を再現した運河で、ナイル川で水死した最愛の美少年アンティノウスをしのんで築かれたという。

第4は南の丘陵地帯で、アテネのティモンの塔を模したロカブルーナの塔や多くの建物が連なるアカデミー、リリーの池、地下ギャラリーなどが含まれている。

ヴィッラはハドリアヌスの死後、しばらくは使用されていたようだが、3世紀までに放棄され、建物の多くは破壊されて建築資材として持ち去られた。遺跡が再発見されるのは1461年で、ルネサンスの時代にギリシア・ローマの芸術文化が再興される過程でふたたび脚光を浴び、教皇ピオ2世やアレクサンドル6世の指示の下で発掘・研究が進められた。その大きな成果が建築家ピッロ・リゴーリオが建設したティヴォリのもうひとつの世界遺産「ティヴォリのエステ家別荘」だ。そしてエステ家の別荘=ヴィッラ・デステはフランスのヴェルサイユ宮殿に影響を与え、さらにヴェルサイユ宮殿はドイツのサンスーシ宮殿やロシアのペテルゴフ宮殿(いずれも世界遺産)をはじめ世界中の宮殿に影響を与えていく。

■構成資産

○ヴィッラ・アドリアーナ[ティヴォリ]

■顕著な普遍的価値

○登録基準(i)=人類の創造的傑作

ヴィッラ・アドリアーナは古代の地中海世界の物質文化を独自にまとめ上げて表現した類まれな傑作である。

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

ヴィッラ・アドリアーナを構成するモニュメントの研究はルネサンスおよびバロックの建築家による古典建築の再発見・再興に重要な役割を果たした。その影響力は19~20世紀の建築家やデザイナーにも及んでいる。

○登録基準(iii)=文化・文明の稀有な証拠

ヴィッラ・アドリアーナはローマ帝国初期の卓越した遺跡であり、数多くの建築物や構築物を含み、部屋の内外を飾る彫像や彫刻のコレクションはローマ皇帝ハドリアヌスの趣味と博識を示している。広い文化的視野を持つハドリアヌスは広大な帝国を旅して得たインスピレーションを元に自らヴィッラの建設を監督し、最高の文化的要素をこの豪華な別荘コンプレックスに持ち込んだ。

■完全性

ヴィッラ・アドリアーナの考古学エリアには顕著な普遍的価値を構成するすべての重要な要素が含まれている。エリアのもっとも重要な特徴には広大な緑地の中の典型的で並外れた構造、庭園・運河・噴水と少なくとも18世紀から変わっていない没入型の景観を生み出す建築構成が挙げられる。主要建造物のレイアウトは周辺の景観とともに完全に保存されている。15世紀以前の何世紀にもわたる略奪と破壊にもかかわらず構造の完全性は十分に維持されており、建物の構造のさまざまな要素を正確に理解することができる。

資産の境界に隣接して設定されたバッファ-・ゾーンは資産の顕著な普遍的価値の強化・表現および保護を促すうえで重要かつ繊細なエリアであり、入念な管理と保護が要求される。

■真正性

19世紀後半までヴィッラ・アドリアーナで行われていた修復作業は考古学的な修復の理論と技術に沿って行われた。その基準は後にローマのコロッセオの修復に適用され、ヴェネツィア憲章(建設当時の形状・デザイン・工法・素材の尊重等、建造物や遺跡の保存・修復の方針を示した憲章)として明文化された。こうした緻密な分析と徹底した研究によってバラバラになった構造の接合・復元さえ可能となった。現在、修復はすべてヴェネツィア憲章に沿って行われており、真正性は高いレベルで維持されている。

■関連サイト

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