オロモウツの聖三位一体柱

Holy Trinity Column in Olomouc

  • チェコ
  • 登録年:2000年
  • 登録基準:文化遺産(i)(iv)
  • 資産面積:0.05ha
  • バッファー・ゾーン:85.2ha
ホルニ広場。左の建物はオロモウツ市庁舎と時計塔、右下が世界遺産「オロモウツの聖三位一体柱」
ホルニ広場。左の建物はオロモウツ市庁舎と時計塔、右下が世界遺産「オロモウツの聖三位一体柱」
世界遺産「オロモウツの聖三位一体柱」、背後はオロモウツ市庁舎と時計塔
世界遺産「オロモウツの聖三位一体柱」、背後はオロモウツ市庁舎と時計塔
下から見上げた世界遺産「オロモウツの聖三位一体柱」。左右が第1層の彫刻群、その上が第2層、さらに上が第3層、中央上部の黄金部分の付け根が聖母マリア被昇天像、最上段が聖三位一体像
下から見上げた世界遺産「オロモウツの聖三位一体柱」。左右が第1層の彫刻群、その上が第2層、さらに上が第3層、中央上部の黄金部分の付け根が聖母マリア被昇天像、最上段が聖三位一体像
世界遺産「オロモウツの聖三位一体柱」、聖三位一体像。上の鳩が聖霊、左がイエス、右が御父、下が大天使ミカエル、中央が地球
世界遺産「オロモウツの聖三位一体柱」、聖三位一体像。上の鳩が聖霊、左がイエス、右が御父、下が大天使ミカエル、中央が地球

■世界遺産概要

オロモウツはチェコ東部、モラヴィア中部に位置する都市で、中世より司教座・大司教座が置かれてモラヴィアのローマ・カトリックの中心地として栄えた。ホルニ広場に立つ聖三位一体柱は18世紀半ばに完成したもので、ヨーロッパの広場にしばしば見られるペスト記念柱の最高傑作のひとつとされる。なお、チェコ政府は1997年にオロモウツの聖三位一体柱、聖母マリア記念柱、6つのバロック様式の噴水群をまとめて推薦したが登録には至らず、1999年に聖三位一体柱に絞って再推薦を行い、翌年世界遺産リストに登録された。

○資産の歴史

オロモウツは1063年に司教座が置かれ、1777年に大司教座に昇格したモラヴィアのローマ・カトリックの拠点都市だ。旧教=ローマ・カトリックと新教=プロテスタントで争った1618~48年の三十年戦争ではプロテスタント側で参戦したスウェーデン軍の侵略を受け、オロモウツの4/5が破壊され、住民の90%以上が避難し、1648~50年にはスウェーデンの支配を受けた。戦後、司教都市として回復する際に町はバロック様式で再建され、「オロモウツ・バロック」と呼ばれる特有のスタイルを築き上げた。その象徴的な建造物が記念柱や噴水群であり、中でも最高傑作とされるモニュメントがホルニ広場のモロヴィー・スロウプである聖三位一体柱だ。

モロヴィー・スロウプはチェコやスロバキアにおいてペスト記念柱、ペスト柱、疫病柱などと呼ばれる柱を示す。こうした柱は16~18世紀のヨーロッパでペストの沈静化に対する感謝、あるいはペストの予防の祈念を表して建てられた。聖三位一体(三位一体は父なる神、子なるイエス、聖霊の三者を同一の存在であると認める考え方)に捧げられる場合は聖三位一体柱、聖母マリアに捧げられる場合は聖母マリア柱などとも呼ばれる。

モラヴィアは1714~16年にかけてペストに襲われたが、オロモウツの石工のマイスター(職人の親方)であるヴァーツラフ・レンデルはペストの終息を祈念・感謝して1715年に他の都市では見られないような最高のペスト記念柱を建てる企画を立案した。翌年議会で承認されると1717年にプロジェクトが始動し、ライフ・ワークとして資金調達から設計・建設までほとんど自身で手掛けたという。1720年代にはオロモウツの彫刻家フィリップ・サットラーによって柱を飾る彫刻の制作が開始された。残念ながらレンデルは完成を見ることなく1733年に死去。遺言で、財産のほとんどが町に寄贈され、記念柱の制作に費やされた。

レンデルの遺志はフランティシュク・トネツコヴィ、ヤヌ・ヴァーツラフ・ロキツケム、アウグスティヌス・ホルツォヴィらに引き継がれたが、彼らも完成を見ることはできず、最終的にレンデルの息子ヤン・イグナッツがその役割を担った。1745~52年にはモラヴィアが誇る彫刻家オンドレイ・ザハネルが参加し、彫刻18点とレリーフ9点を完成させた。そして最上部の聖三位一体像や聖母マリア被昇天像が銅で鋳造され、オロモウツの金細工職人シモン・フォストネルによって金メッキで仕上げられると、ついに完成を迎えた。1754年に神聖ローマ皇帝フランツ1世とオーストリア大公でボヘミア・ハンガリー王であるマリア・テレジアの夫妻を招いて奉献された。

地元オロモウツやモラヴィア出身の建築家・彫刻家らによって制作された聖三位一体柱はすぐに町の誇りとなった。1740~63年にボヘミア王国を含むハプスブルク帝国とプロイセン王国の間でシュレージエン戦争が勃発し、オロモウツは1758年にプロイセン軍による包囲を受けた。プロイセン軍はホルニ広場に大砲を放ったが、市民らは敵将ジェームス・キースに聖三位一体柱を壊さないよう嘆願し、将軍もこれを聞き入れたという。柱に埋め込まれた砲弾はこれを記念してデザインしたものだ。

○資産の内容

世界遺産の資産は非常に小さく、鎖で結ばれた18本の石のポールで区分された直径17mの円内に限られる。聖三位一体柱は正六角形の基壇上に立っており、六角形の角に合わせて6つの欄干の突起があり、6つの凹部のそれぞれに7段の階段を備えている。中央は円堂で小さな礼拝堂となっており、イエスの像の他に『旧約聖書』のノアの洪水や『新約聖書』のイエスの死の場面を描いたレリーフなどが飾られている。礼拝堂の上はピラミッド形で、おおよそ最上部の柱、上から第3~第1層、地上層の5層構造で、全体で高さ35mを誇る。

最上部は高さ10mの柱で、頂部には聖三位一体像を掲げている。地球の上に輝く鳩が聖霊を示し、父なる神や十字架を持つ子たるイエス、下段には天使の筆頭とされる大天使ミカエルの像が設置されている。柱の下部を飾るのは聖母マリア被昇天像で、ふたりの天使が聖母マリアを支えている。自ら天に昇ったイエスに対し、神ではないマリアは自らの力だけでは昇天できないため被昇天となっている。

柱の下の第3層には6人の聖人像が取り巻いており、洗礼者ヨハネ、ナザレのヨセフ、聖母マリアの両親である聖ヨアキム、聖アンナ、そして聖書をラテン語に翻訳し教会を体系化した聖ヒエロニムス、ローマ帝国の迫害を受けて殉教した聖ローレンスが祀られている。また、像の間のレリーフには信仰・希望・愛というローマ・カトリックの美徳が表現されている。

その下の第2層にも同様に6人の聖人像が配されており、スラヴ人の守護聖人である聖コンスタンティン、聖メトディオス、チェコの聖アダルベルト、聖ブラジウス、比較的新しい時代のチェコの殉教者である聖ヤン・ネポムツキー、聖ヤン・サルカンデルの像が掲げられている。こちらのレリーフには十二使徒のうちの6人が描かれている。

第1層の6聖人はオロモウツの教会を象徴するチェコとオーストリアの守護聖人である聖ヴァーツラフと聖モーリス、フランシスコ会のパドヴァの聖アントニオ、聖ジョヴァンニ・ダ・カピストラーノ、イエズス会の聖アロイシウス・ゴンザガ、そして火事の守護者・聖フロリアンだ。レリーフには十二使徒の残りの6人が描かれている。

地上層の各階段の両側に立って人々を迎え入れている12体の天使像は光を運ぶ天使ルシファー像だ。

このようにオロモウツの聖三位一体柱はペスト記念柱であるのみならずローマ・カトリックの信仰を表現したものであり、オロモウツやモラヴィアの伝統や象徴・宗教的献身を示す高い象徴的価値を持っている。

■構成資産

○オロモウツの聖三位一体柱

■顕著な普遍的価値

本遺産は登録基準(ii)「重要な文化交流の跡」、(vi)「価値ある出来事や伝統関連の遺産」でも推薦されていたが、その価値は認められなかった。

○登録基準(i)=人類の創造的傑作

オロモウツの聖三位一体柱は中央ヨーロッパのバロック美術表現の頂点に立つ卓越した作品である。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

聖三位一体柱はバロック期の中央ヨーロッパの宗教的信仰を示す特徴的な史料であり、オロモウツの聖三位一体柱はそのもっともすぐれた表現といえる。

■完全性

資産には顕著な普遍的価値を伝えるすべての重要な要素が含まれている。周辺の歴史地区はバッファー・ゾーンに指定されており、都市遺産保護区として法的保護下にあるため視覚的な完全性についても担保されている。都市計画も適切であり、完全性を脅かすような変更は計画されていない。

■真正性

オロモウツの聖三位一体柱は他に類を見ない記念柱であり、完成直後から自治体や市民・観光客の敬意を集めた。地元の誇りであり、形状と外観は当初のデザインを忠実に引き継いでいて一切の変更が加えられておらず、真正性は高いレベルで保持されている。

定期的な修復と保全作業が2世紀以上にわたって継続されているが、おおよそ軽微な修復と金メッキの作業に限られており、真正性の保持に十分に留意して行われている。過去の変更点として、第2次世界大戦末期の戦闘で破損した下層の松明台の像が挙げられる。こちらは石造の精巧なレプリカに置き換えられている。また、1999~2001年にかけて国家遺産保護局の厳格な管理下で包括的な修復作業が実施された。現在ではモニュメントの素材の自然劣化による真正性喪失を防ぐために、予防的な保全措置が講じられている。

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