アルフェルトのファグス工場

Fagus Factory in Alfeld

  • ドイツ
  • 登録年:2011年
  • 登録基準:文化遺産(ii)(iv)
  • 資産面積:1.88ha
  • バッファー・ゾーン:18.89ha
世界遺産「アルフェルトのファグス工場」、南から眺めたファグス工場。左から倉庫、乾燥場、靴型工場、本館
世界遺産「アルフェルトのファグス工場」、南から眺めたファグス工場。左から倉庫、乾燥場、靴型工場、本館 (C) Carsten Janssen
世界遺産「アルフェルトのファグス工場」、北東から眺めたファグス工場。左は本館、煙突はエンジン・ハウス、その背後は倉庫
世界遺産「アルフェルトのファグス工場」、北東から眺めたファグス工場。左は本館、煙突はエンジン・ハウス、その背後は倉庫 (C) Carsten Janssen
世界遺産「アルフェルトのファグス工場」、靴型工場の内部の様子
世界遺産「アルフェルトのファグス工場」、靴型工場の内部の様子

■世界遺産概要

ドイツ中北部ニーダーザクセン州の都市アルフェルトに位置するファグス社(現社名:Fagus-GreCon Greten GmbH & Co. KG)の靴型・抜型工場コンプレックスで、1911~25年に建設された。主要施設の設計を担当したのは「近代建築の4大巨匠」のひとりに数えられるヴァルター・グロピウスで、巨大なガラス・パネルや機能主義的美観に代表されるモダニズムの建築デザインを工場に持ち込んで近代建築運動の先駆けとなり、「労働者の宮殿」と讃えられた。

○資産の歴史

1858年にドイツの農家に生まれたカール・ベンシャイトは生まれつき身体が弱く、幼い頃からさまざまな治療を受け、自らも医師を志していた。しかし、経済的な理由で勉強を断念して自然治療施設の従業員となり、医師アーノルド・リクリの下で働いた。その中で整形外科学的な視点から靴を捉えなおし、靴にさまざまな問題があることに気付いたという。ヨーロッパでは18世紀に靴の大量生産が実現し、木製の靴型を使って工場生産が行われていた。この時代の靴は基本的に左右同型で、19世紀半ばにようやく左右異型の靴の開発がはじまった。それでも土踏まずはわずかで踵の保護もないなど未発達で、改善の余地が多分にあった。ベンシャイトは靴の研究を行って数々の論文を書き上げた。1887年にはカール・べーレンスが経営するアルフェルトの靴型工場に技術顧問として採用され、べーレンスの死後は社の総合的な管理を任された。しかし、創業家との意見の相違から1910年に職を辞した。

ベンシャイトはまもなくべーレンスの工場の鉄道を挟んだ反対側に靴型や抜型の生産を行うファグス有限会社アルフェルト工場 "Fagus-Werk GmbH Alfeld" を設立。建築家エドゥアルト・ヴェルナーに設計を依頼し、施設の配置など全体設計を行った。レイアウトは定まったものの、個々の建物のデザインについてベンシャイトは満足せず、近代的かつ革新的な工場を目指してドイツのモダニズム建築家ペーター・ベーレンスの下でAEGタービン工場を仕上げた新進気鋭の建築家グロピウスを起用した。グロピウスはAEGタービン工場で共に働いた建築家アドルフ・マイヤーの支援も得て、建物の設計の見直しを行った。ベンシャイトは工場として機能的であるだけでなく、労働者の健康や福祉に配慮し、加えて美しく広告性のあるデザインを求めた。合理性・機能性・美観を求めるアプローチはグロピウスの理念と一致し、1911~25年にかけて3つのフェーズで建設が進められた。

1911~13年の第1フェーズではできるだけ早く操業するために靴型の生産ラインである靴型工場を中心に、動力を発生させるエンジン・ハウスと煙突、倉庫や乾燥場、オフィスビルである本館などが建設された。1914~15年の第2フェーズでは靴型工場と倉庫が約2倍に拡張され、エンジン・ハウスが再建された。1924~25年の第3フェーズでは石炭倉庫や本館などが建設・拡張された。第1・第2フェーズの時点で鉄とガラスを多用したデザインは高く評価され、グロピウスの名を世界に知らしめた。グロピウスは1919年にワイマールでバウハウス(世界遺産)を開設して近代建築運動をリードしたが、その先駆けとなった。

第2次世界大戦では大きな被害を受けず、戦後まもなくの1946年に早くも歴史的建造物に指定された。1970年代に靴型が木製からプラスチック製に替わり、乾燥場が工場の一部になるなど役割の見直しが行われた。エンジン・ハウスや型抜工場といった稼働を停止した建物については見学可能な博物館として改装された。1980年代以降に大規模な修復が行われ、火事で損傷した製材所が再建された。いずれにおいてもヴェルナーのレイアウトやグロピウスの設計は尊重され、配置やデザイン・素材はオリジナルのまま維持された。一部は見学者に開放されながらも、現在も靴型の生産は続けられている。

○資産の内容

世界遺産として工場が地域で登録されており、資産には10棟が含まれている。原材料の搬入・保管・加工から靴型・抜型のデザイン・製造・保管・発送、オフィスに至るまで工場内ですべてが完結し、効率的な導線が描かれている。多くの建物に共通するのは黒レンガの土台と鉄骨によるフレーム構造、ポイントに使われた黄レンガで、特に強力な鉄骨を利用することで壁を不用とし、荷重の掛からないカーテン・ウォール(帳壁)となった壁面にガラスを多用することができた。

工場のシンボルとなっているのがL字形・3階建ての本館で、事務や管理を行うオフィスビルとなっている。全面ガラス張りで、柱を内側に引っ込めたことで角についても柱が見えない構造となっている。ガラスには金属フレームによって縦横にラインが入っており、黄レンガによる縦横のラインと相まって新旧の素材が調和した美しい外観を奏でている。本館のファサード(正面)は鉄道に面しており、その美しい姿によって恒久的な広告効果が期待された。ガラス・パネルは美観に貢献するだけでなく、内部を明るく保つことができ、作業効率の向上や労働環境の改善・照明の節約によるコスト削減といった種々の効果をもたらした。

L字形の本館に囲まれた建物が靴型工場で、正方形に近い大きな平屋となっている。1911年に建設され、1914年に拡張されて現在の姿となった。屋根は木造で鉄柱で支えられており、外部に通じる南西ファサードの連続した大きなガラス窓によって適度に採光している。ファグス工場のメインとなる生産ラインが入っており、現在もさまざまな機械を使用して靴型が生産されている。

靴型工場の北西に隣接している建物が乾燥場で、1911~13年に建設された。30台のストーブによって木材を乾燥させて加工可能な状態に保たれた。窓は上下に付いているが、内部は平屋となっている。

乾燥場に隣接している6階建て(もともと5階建て)の建物が倉庫で、1911~13年に建設された。靴型の原材料となる木材を保管する倉庫で、自然乾燥を行う場所でもあった。明るさよりも耐久性が重視されており、階段は頑丈なレンガ造で窓は小さくエレベーターを備えており、搬入・搬出のための出入口が大きく取られている。

乾燥場の北、倉庫の東に位置している建物がエンジン・ハウスだ。平屋のガラス張りで、設置されたエンジンによって電気を発生させて各棟に供給している。ランドマークとなっている煙突が強力な垂直線となって全体の景観を引き締めている。

倉庫の西に隣接する平屋が製材所だ。1911~13年に建設され、1921年にグロピウス、1938年にバウハウスの学生によって拡張された。ブナ(ラテン語で "Fagus" で社名の由来となっている)の幹を適当なサイズにカットする場所で、靴型製作の最初の工程となっていた。

工場の入口に立つのは1925年に完成した守衛棟で、現在はビジター・センターとして使用されている。鉄・ガラス・レンガによるファグス工場の基本スタイルを踏襲している。

南東に位置する型枠工場は平屋の従来型の工場で、靴型に次ぐ生産品だった革の型枠が切り抜かれていた。

北に立っている建物は木材チップや石炭の倉庫で、1911年に築かれ、1923~24年に拡張された。

鉄道の脇に立つ小さな建物は貨物の重さを量るための計量所で、計量装置を備えている。

■構成資産

○アルフェルトのファグス工場

■顕著な普遍的価値

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

アルフェルトのファグス工場は合理主義およびモダニズムの建築の誕生を示しており、さまざまな世代にまたがるドイツ、ヨーロッパ、北アメリカの建築家の交流を示している。技術的・芸術的・人文主義的な発展の統合の場となり、各地の多くの建築作品に影響を与えてバウハウス運動の起点となった。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

設計を担当したグロピウスはファグス工場の建設によって近代建築に金字塔を打ち立て、国際的な名声を獲得した。それは特に明るさと軽さを両立させたカーテン・ウォールによる革新によってもたらされた。そしてまた生産性と労働環境の人道性について工場コンプレックスの機能性を具体的に表現したものであり、工業美術や工業デザインという近代的な概念を組み込んだものである。

■完全性

資産を構成する10棟の建物はすべて当初のレイアウトと建築形態のまま保全されている。工場は1910年頃に設計された計画に基づいており、建物の追加や解体は行われていない。レイアウトと建物の外観について完全性は保持されている。

■真正性

1985~2001年に大規模な修復・復元が行われた。これらは20世紀の工業建築の卓越した証として大きな敬意を持って実施され、建築と装飾の両面で真正性の状態維持に貢献した。

■関連サイト

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