アムステルダムのシンゲル運河内の17世紀の環状運河地区

Seventeenth-Century Canal Ring Area of Amsterdam inside the Singelgracht

  • オランダ
  • 登録年:2010年
  • 登録基準:文化遺産(i)(ii)(iv)
  • 資産面積:198.2ha
  • バッファー・ゾーン:481.7ha
世界遺産「アムステルダムのシンゲル運河内の17世紀の環状運河地区」とその周辺。中央左に4本並んでいる運河が世界遺産登録の運河群
世界遺産「アムステルダムのシンゲル運河内の17世紀の環状運河地区」とその周辺。中央左に4本並んでいる運河が世界遺産登録の運河群 (C) Amsterdam Municipal Department for the Preservation and Restoration of Historic Buildings and Sites (bMA)
世界遺産「アムステルダムのシンゲル運河内の17世紀の環状運河地区」、ケイザー運河
世界遺産「アムステルダムのシンゲル運河内の17世紀の環状運河地区」、ケイザー運河
世界遺産「アムステルダムのシンゲル運河内の17世紀の環状運河地区」、プリンセン運河。奥はウェスター教会、その手前がアンネ・フランクの家 (C) Martin Furtschegger
世界遺産「アムステルダムのシンゲル運河内の17世紀の環状運河地区」、プリンセン運河。奥はウェスター教会、その手前がアンネ・フランクの家 (C) Martin Furtschegger
世界遺産「アムステルダムのシンゲル運河内の17世紀の環状運河地区」、ケイザー運河からの眺め
世界遺産「アムステルダムのシンゲル運河内の17世紀の環状運河地区」、ケイザー運河からの眺め

■世界遺産概要

スペインを追い落として海上帝国を築き上げ、「オランダの世紀」「オランダ黄金時代」と讃えられた17世紀のオランダ。その主要港アムステルダムはアメリカ、アフリカ、アジアを結ぶネットワークの中心に君臨し、同時に世界に冠たる金融センターでもあった。この時代に同心円弧状の環状運河網を築き上げ、それまでにない計画的な港湾都市を生み出した。なお、世界遺産の資産の範囲はアイ湾からアムステル川にかけてシンゲル運河、ヘーレン運河、ケイザー運河、プリンセン運河と、アムステル川から東にニーウェ・ヘーレン運河、ニーウェ・ケイザー運河、ニーウェ・プリンセン運河と周辺の街路となっている。

○資産の歴史と内容

13世紀、アムステルダムはアムステル川の畔の小さな漁村にすぎなかった。その後交易都市となり、1428年頃にアイ湾とアムステル川に面した町を取り囲むように弧状のシンゲルの堀と土壁の城壁が築かれた。15世紀終わりには内部にクロフェニールスバーグワル、ゲルダーセカデといった運河が掘られ、湾と川・シンゲルに沿って城壁で取り囲んで堅固な城郭都市となった。この時代、オランダはスペインの支配下にあったが、1568年にはじまるオランダ独立戦争(八十年戦争)を経てスペインの手を離れ、ネーデルラント連邦共和国として独立する。これによりローマ・カトリックの政府に代わり、プロテスタントのブルジュワジー(商業資本家や産業資本家)を中心とする新政権が誕生した。

シンゲル内側のスペースは16世紀後半に使い果たされ、ブルジョワジー(有産市民階級)たちの声を受けてアムステルダムの都市改造がはじまった。新しい市域はシンゲル運河から西に800m広げられることになり、その間にシンゲルと平行に同心円弧状に3本の運河を築くことになった。まず、1601~03年に堀だったシンゲルが港に改造された。そしてアイ湾からライツェ運河(シンゲルから垂直に延びる運河)にかけて1612年にヘーレン運河、1615年に外側にケイザー運河、同年さらに外側にプリンセン運河が建設され、外縁に新たな堀と稜堡を持つ城壁が築かれた。1658年にはライツェ運河からアムステル川まで拡張され、それぞれ全長2.4km・2.8kn・3.2kmの運河が同心弧状に並んだ。17世紀後半にはさらにアムステル川を渡った東岸に拡張され、名称を変えてニーウェ・ヘーレン運河(新ヘーレン運河の意)、ニーウェ・ケイザー運河、ニーウェ・プリンセン運河が建設された。

こうした環状運河の周辺はビル街となり、主に企業の倉庫やブルジョワジーが暮らす住宅として使用された。スペースが限られているため狭い代わりにレンガ造の3〜6階建てで、切妻屋根の妻側(∧形の破風側)が運河に面するように築かれた。破風下の屋根裏窓が大きく取られており、窓から滑車を伸ばして堤防や船から直接荷物を引き上げられるように設計された。破風はそれぞれ個性的で、古典的な三角破風から曲線的なバロック破風、伝統的な階段破風、特に17~18世紀には首のような凸部を持ち彫刻やレリーフで彩られた独特なネック破風が流行した。住宅も倉庫も教会のような施設も基本的に同様のビル建築で、街全体の調和が図られた。そのため一部の公共建築を除いて名建築家による際立った建築はないものの、非常に整った近代的な街並みを見せている。

こうした運河が築かれた17~18世紀にオランダとアムステルダムは最盛期を迎え、ロンドンやパリ(世界遺産)よりも大きく、1685年のひとり当たりの都市収入はパリの4倍に達し、世界でもっとも裕福な都市となった。近代的なレイアウトを持つ計画都市として注目を集めるだけでなく、湾や河川・運河・水路に取り囲まれながら一度も浸水することがなく水管理の点でも称賛された。18世紀のヨーロッパ全域で模範とされ、イングランドやスウェーデン、ロシアの土木工学と都市計画に多大な影響を与え、特にロシアのピョートル大帝(ピョートル1世)が帝都サンクトペテルブルク(世界遺産)を建設する際には大いに参考にされた。

■構成資産

○アムステルダムのシンゲル運河内の17世紀の環状運河地区

■顕著な普遍的価値

○登録基準(i)=人類の創造的傑作

16世紀末に設計され、17世紀に建設された完全に人工的な港湾都市である。水工学や都市計画、近世に台頭したブルジョワジーの建築や合理的プロジェクトを代表する傑作である。また、ユニークで革新的かつ大規模でありながら均質である新たな都市建造物群である。

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

都市工学・都市計画・建築のみならず技術的・海事的・文化的分野においてほぼ2世紀にわたる多大な影響力を証言している。17世紀、アムステルダムは国際貿易と文化交流の中心地で「世界経済の首都」(歴史学者フェルナン・ブローデル)であるのみならず、プロテスタント的なヒューマニズムの形成と普及に大いに貢献した。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

水工学・土木工学・都市計画・建設および建築ノウハウに関する専門知識を求められ体現した都市建造物群の顕著な見本である。17世紀にはさまざまなファサード(正面)や破風を備えたオランダ住宅の典型とともに、人工的な港湾都市のモデルを確立した。アムステルダムは近代史におけるきわめて重要な時代を最高レベルで証言している。

■完全性

都市レイアウトのベースとなる同心円状の運河網と街路、ユニークなファサードを持つ歴史的建造物はほぼ手付かずで残されている。これらはすべて資産に含まれており、非常に多くの建築物や構築物が国や自治体によって保護されている。

■真正性

運河・街路のレイアウトは建設当時のままで、位置や形状・機能は維持されている。部分的にはウェースペル通りのように道路が拡幅され、現代的な建築物や再建された建築物を含むエリアもあるが、17~18世紀に築かれた建築物の大半は健全な保全状態にある。ただ、古くなった都市の基礎や堤防などの構築物が安易に交換されており、一部の現代的なビルや広告は景観を乱していて懸念材料となっている。

■関連サイト

■関連記事