ランメルスベルク鉱山、歴史都市ゴスラー及びオーバーハルツ水利管理システム

Mines of Rammelsberg, Historic Town of Goslar and Upper Harz Water Management System

  • ドイツ
  • 登録年:1992年、2008年軽微な変更、2010年重大な変更
  • 登録基準:文化遺産(i)(ii)(iv)
  • 資産面積:1,009.89ha
  • バッファー・ゾーン:5,654.69ha
世界遺産「ランメルスベルク鉱山、歴史都市ゴスラー及びオーバーハルツ水利管理システム」、歴史都市ゴスラー。左の双塔がマルクト教会、右の鐘楼が聖ステファニー教会
世界遺産「ランメルスベルク鉱山、歴史都市ゴスラー及びオーバーハルツ水利管理システム」、歴史都市ゴスラー。左の双塔がマルクト教会、右の鐘楼が聖ステファニー教会 (C) Kassandro
世界遺産「ランメルスベルク鉱山、歴史都市ゴスラー及びオーバーハルツ水利管理システム」、カイザープファルツ。右が皇宮、左の建物は付属の聖ウルリッヒ礼拝堂
世界遺産「ランメルスベルク鉱山、歴史都市ゴスラー及びオーバーハルツ水利管理システム」、カイザープファルツ。右が皇宮、左の建物は付属の聖ウルリッヒ礼拝堂
世界遺産「ランメルスベルク鉱山、歴史都市ゴスラー及びオーバーハルツ水利管理システム」、マルクト広場のカイザーヴォルト
世界遺産「ランメルスベルク鉱山、歴史都市ゴスラー及びオーバーハルツ水利管理システム」、マルクト広場のカイザーヴォルト
世界遺産「ランメルスベルク鉱山、歴史都市ゴスラー及びオーバーハルツ水利管理システム」、ランメルスベルク鉱山。左下は博物館エントランスとなっているクラフトツェントラーレ
世界遺産「ランメルスベルク鉱山、歴史都市ゴスラー及びオーバーハルツ水利管理システム」、ランメルスベルク鉱山。左下は博物館エントランスとなっているクラフトツェントラーレ (C) Gavailer
世界遺産「ランメルスベルク鉱山、歴史都市ゴスラー及びオーバーハルツ水利管理システム」、オーバーハルツ細大の貯水池オダータイヒ
世界遺産「ランメルスベルク鉱山、歴史都市ゴスラー及びオーバーハルツ水利管理システム」、オーバーハルツ細大の貯水池オダータイヒ

■世界遺産概要

ドイツ北中部ニーダーザクセン州のハルツ山地に位置する世界遺産で、ランメルスベルク鉱山では1,000年以上にわたって銀・銅・鉛・錫(スズ)といった非鉄金属の採掘が行われた。鉱山町ゴスラーには皇帝の宮殿が建設され、神聖ローマ帝国の直轄地として繁栄した。オーバーハルツ水利管理システムはハルツ山地に張り巡らされた貯水池や水路などの水利施設群で、サムソン坑やヴァルケンリート修道院なども含まれている。なお、本遺産は1992年に「ランメルスベルク鉱山と歴史都市ゴスラー "Mines of Rammelsberg and the historic town of Goslar"」の名称で登録され、2008年の軽微な変更でふたつの構成資産がひと続きとなり、不明確だったバッファー・ゾーンが明確に設定された。2010年にはオーバーハルツ水利管理システムが追加登録され、現在の名称となった。

○資産の歴史

伝説ではランメルスベルク鉱山では紀元前3世紀には鉱石の採掘が行われていたという。10世紀に神聖ローマ皇帝であり東フランク王であるオットー1世が狩りに訪れ、ウマがひづめで地面を掘って銀鉱脈を発見し、これをきっかけに銀の採掘が開始されたと伝えられている(異説あり)。「ランメルスベルク」の「ベルク」は山を意味するが、「ラン」あるいは「ラム」「ラメ」はその時の従者の名にちなむとも、銅を意味するラテン語に由来するともいわれる。

ランメルスベルク鉱山で採掘される銀は帝国財政の中で重要性を増し、神聖ローマ皇帝ハインリヒ2世は1005年頃に鉱山の北東2kmほどに位置する鉱山町ゴスラーにカイザープファルツ(皇帝宮殿)を建設し、1009~1219年まで帝国議会を開催した。また、皇室鋳造所を建設して「オットー・アーデルハイト・ペニヒ」と呼ばれる銀貨を発行したほか、カイザープファルツを大幅に拡張した。この時代に宮殿の東にゴスラー大聖堂が建設されたが、宮殿と大聖堂はいずれも当時のロマネスク建築としてはドイツ最大級を誇った。ゴスラーはやがて帝国の拠点が置かれていたヴェルラに取って代わり、地方の拠点都市となった。またこの頃、聖ペトロ修道院など宗教施設が次々と建設され、町は鉱山町としてのみならず宗教センターとしても活発に活動を行った。

11世紀後半、ゴスラーで生まれたハインリヒ4世はゴスラーに「ライヒスフォークト」と呼ばれる代官を置き、諸侯の支配を受けず帝国の下で一定の自治を認める帝国都市の地位を与えた。しかし、ハインリヒ4世が聖職者の任命権(聖職叙任権)を巡って教皇グレゴリウス7世と対立して1076年に破門されると、ドイツ諸侯は皇帝位の廃位を要求。1077年にイタリアのカノッサで教皇に謝罪して破門を解かれた(カノッサの屈辱)。これ以降、ゴスラーは皇帝・教皇・諸侯の勢力争いに巻き込まれ、特に皇帝フリードリヒ1世バルバロッサをはじめとするホーエンシュタウフェン家とハインリヒ獅子公(ザクセン公ハインリヒ3世)らのヴェルフ家の抗争を受けて鉱山が破壊され、一時は操業停止に追い込まれた。フリードリヒ2世はゴスラーで最後の帝国議会を開催したが、1250年に死去。息子コンラート4世が跡を継いだが、こちらもわずか4年で病死した。これでホーエンシュタウフェン家は断絶し、神聖ローマ帝国は皇帝不在の大空位時代を迎えた。

皇帝の影響力が消えた13世紀後半、ゴスラーは帝国自由都市(諸侯や大司教・司教の支配を受けず神聖ローマ帝国の下で一定の自治を認められた都市)としてより大きな自治権を獲得し、都市同士が同盟を結んで商業・防衛を行う都市同盟・ハンザ同盟に加盟した。銀・銅・鉛・亜鉛といった金属やその加工品・木材・ビール等の輸出で繁栄し、町には商人・鉱業従事者・パン屋・肉屋・靴屋といったギルド(職業別組合)が形成されてギルドハウスが立ち並んだ。14世紀には木製のパイプを利用して水道システムが完備され、市民は井戸で水をくむ必要もなくなった。こうしてゴスラーは15世紀に最盛期を迎えた。

16世紀はじめ、ヴェルフ家のブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯ヘンリー5世はハルツ山地の土地を買収し、その多くを手に入れてゴスラーと対立した。ゴスラーは宗教改革の中でプロテスタント化し、シュマルカルデン同盟に参加して神聖ローマ皇帝カール5世のローマ・カトリック政策に反対した。ローマ・カトリックであるヘンリー5世はシュマルカルデン戦争(1546~47年)で力を失ったゴスラーを包囲し、1552年に鉱山の所有権を奪取。これ以降、ゴスラーはブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル侯領の管理下に入った。三十年戦争(1618~48年)など相次ぐ戦争およびヴェルフ家と市民との対立によりゴスラーは衰退したが、おかげで中世の街並みが保存されることにもなった。1777年にゴスラーを訪れた作家ゲーテは「腐朽した帝国都市」と評している。

ナポレオン戦争(1803~15年)の混乱の後、1866年にプロイセン王国の支配下に入った。これまでに多くの建物が失われたが、ハルツ山地はベルリンやハノーファーの富裕層の別荘地となり、プロイセン王家のホーエンツォレルン家によって1868年にカイザープファルツが再建されるなど歴史都市としての景観が回復された。第2次世界大戦(1939~45年)ではナチス=ドイツの支配を受けて強制労働による鉱山開発が行われたが戦争で被害を受けることはなかった。鉱山は1988年6月30日に閉山され、伝説時代を含めれば2,000年以上にわたって続けられた採掘にピリオドを打った。

○資産の内容

世界遺産の構成資産は「ランメルスベルク鉱山と歴史都市ゴスラー」と「オーバーハルツ水利管理システム」の2件。ただし、後者は1件といっても非常に多くの水路や貯水池・地下トンネルなどを含んでいる。

ランメルスベルク鉱山は銀・銅・鉛・錫・亜鉛・金といった多彩な鉱物の採掘場で、一説では2,000年以上、記録が残る時代に限っても1,000年以上の歴史を誇り、延べ2,700万t以上の鉱石が採掘されたとされる。鉱山は現在博物館として公開されており、坑道や巻上機などの採掘施設、炉や貯鉱槽などの精錬施設、水車や水路・排水トンネル・貯水池などの水利施設、管理棟や監視塔などの事務施設、教会堂や礼拝堂などの宗教施設、監督者や労働者の家といった居住施設など、10~20世紀に築かれた数々の施設・設備が伝えられている。

ゴスラーはマルクト広場を中心とした旧市街全域が登録されており、南の山域を含めてランメルスベルク鉱山エリアと結ばれている。一帯にはロマネスク、ゴシック、ルネサンス、バロック、新古典主義といったさまざまな様式の建物が連なっており、特にゴスラーの盛期である中世~近世の歴史的景観を留めている。代表的な建物には、神聖ローマ帝国時代の栄光を伝える皇帝宮殿=カイザープファルツとゴスラー大聖堂跡が挙げられる。カイザープファルツはハインリヒ2世が11世紀前半にロマネスク様式で建設し、代々の皇帝が増改築を行っておおよそ現在の姿となった。皇帝が去った13世紀半ば以降は裁判所や刑務所・穀倉など公共施設として使用されたが、次第に崩壊が進んで18世紀末には廃墟となった。19世紀後半にドイツ皇帝でプロイセン王のヴィルヘルム1世が再建を行った。約340×180mの敷地に立つ54×18m・2階建ての宮殿で、大きなホールを中心とした「ザールゲショスバウ "Saalgeschossbau"」と呼ばれる多層建築で各階にホールが設置されており、上階は皇帝によって使用された。南に立つ八角形の建物は皇室礼拝堂である聖ウルリッヒ礼拝堂で、上下に礼拝堂を持つ二重礼拝堂となっている。ゴスラー大聖堂は11世紀半ばに建設されたロマネスク様式のラテン十字形・三廊式の教会堂だが、19世紀はじめに取り壊されて現在は北ファサードのポータル(玄関)のみが残されている。マルクト広場の中心には13世紀の噴水が稼働しており、15世紀にゴシック様式で建てられたラートハウス(市庁舎)や、同じく15世紀ゴシック建築でギルドハウスのひとつであるカイザーヴォルトなどが立ち並んでいる。その西に立つ12世紀ロマネスク建築のマルクト教会(聖コスマス=ダミアン・マルクト教会)の双塔と、東に立つ12世紀創建で18世紀に再建されたゴシック様式の聖ステファニー教会の鐘楼は旧市街のランドマークとなっている。いずれも外観はロマネスクやゴシック様式ながら、バロック様式の見事な祭壇や内装で知られる。他に、16世紀創立の元・キリスト教学校である評議会学校、兵舎であるヴェルダーホフ、城楼で大砲が置かれていたツィンガー塔、鉱山労働者の病院や集落、ハーフティンバー(木造と石造を組み合わせた半木骨造建築)の家並みなど数々の見所が点在している。

オーバーハルツ水利管理システムはハルツ山地でも標高が高いオーバーハルツ地区に設けられた水路や貯水池・排水トンネルなどの水利施設群だ。こうした水利施設は掘削や地下水の汲み上げの動力として水車を動かしたり、選鉱(鉱石を分離すること)や蒸気機関、後には水力発電などに用いられた。こうした水を安定して確保するために小川に堰を築いて貯水池を造って管理した。また、オーバーハルツには豊富な地下水脈があったため地下水を排水する必要があり、排水トンネル網が築かれた。一帯には143もの貯水池と総延長500kmの水路、30kmの地下水路、100kmの排水トンネルが築かれたとされ、一部が現存している。資産に含まれているのは12の採掘場の周辺にある施設・設備計719点で、内訳は貯水池107、水路552、採掘・排水トンネル60となっている。一例がシトー会のヴァルケンリート修道院と関連の施設群で、1127年に設立された修道院では農業だけでなく石炭や銅の採掘が行われていた。ゴシック様式の教会堂や修道院だけでなく、一帯最古級の水路網が残されている。また、15~20世紀にかけて操業していたサムソン坑は地下800m以上という一帯最深を誇る坑道で、エレベーターのように機能する鉱山シャフトや地下発電所・地下排水トンネル網といったユニークな水利設備を伝えている。貯水池としては、1722年の建造で、19世紀末に近代的なダムが建設されるまでドイツ最大を誇った人工池オダータイヒが挙げられる。

■構成資産

○ランメルスベルク鉱山

○歴史都市ゴスラー

○オーバーハルツ水利管理システム

■顕著な普遍的価値

本遺産は拡大登録にあたって登録基準(iii)「文化・文明の稀有な証拠」でも推薦されていたが、ICOMOS(イコモス=国際記念物遺跡会議)は水資源をはじめとする地元の環境や素材の利用はすべての採掘施設に共通したものであり、他の要素についても(i)や(iv)で言及されている内容であるため、(iii)に関しては顕著な普遍的価値は証明されていないとの判断を下した。

○登録基準(i)=人類の創造的傑作

ランメルスベルク鉱山、歴史都市ゴスラー、オーバーハルツ水利管理システムの歴史的鉱山ネットワークはヨーロッパ最大の非金属鉱業・冶金の複合施設を形成している。こうした鉱山開発は古代から行われてきたことが知られており、中世以降は継続的に使用され、当初はシトー会の修道士によって、後には地域の王室と神聖ローマ帝国の管理下で開発が進められ、ゴスラーはその中心的な都としてありつづけた。本遺産は鉱業技術と工業用水管理の分野で人類の創造的才能を証明する卓越した建造物群である。

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

ランメルスベルク鉱山、歴史都市ゴスラー、オーバーハルツ水利管理システムの歴史的鉱山ネットワークは鉱業・水管理技術の分野において中世から現代に至るヨーロッパの人々の重要な価値観の交流を明示している。特にルネサンス期の冶金学と鉱業に関する権威ある作品であるゲオルク・アグリコラ著『デ・レ・メタリカ』のインスピレーションの源となり、その後のヨーロッパ全域に多大な影響を与えた。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

ランメルスベルク鉱山、歴史都市ゴスラー、オーバーハルツ水利管理システムの歴史的採掘システムは非鉄金属の採掘技術と排水・電力のための水管理技術の分野で卓越した包括的・技術的アンサンブルを構成しており、その範囲と継続的な操業期間は際立っている。また、ヴァルケンリート修道院遺跡と歴史都市ゴスラーの都市プランは中世とルネサンス期の行政と商業組織の特徴を明示している。

■完全性

構成資産には顕著な普遍的価値を示すすべての重要な要素が含まれており、法的保護下にある。ランメルスベルク鉱山は閉山時に公立博物館として使用することが決定され、以後適切に保護・管理されている。ゴスラーの街並みについても歴史センターとして旧市街全域が管理対象となっており、重要な建造物は教会堂のように現在も同様の目的で使用されているか、文化財として指定・保護されている。1992年の登録時はバッファー・ゾーンが不明瞭だったが、2008年に是正された。

オーバーハルツ水利管理システムについては包括的な実施形態、現在も使用されている機能面、そしてオーバーハルツ山地の景観といった点で際立っており、ルネサンス期から現代に至る時代的変遷を表している。ただ、いくつかについては伝統的な水管理システムを保存するために適切な管理が不可欠である。

■真正性

ランメルスベルク鉱山の工業的・技術的要素に関しては現存する要素の真正性に疑う余地はない。ゴスラーについて、修復や改修・変更は10世紀の間、つねに行われているが、現在の旧市街歴史地区のほとんどは完全に本物である。オーバーハルツ水利管理システムの多くは近年まで運用・管理され、放棄されたものもそのまま維持されており、一部は再利用されている。1930年代の鉱業の衰退は幸いにもコンクリートや鉄鋼といった新素材の使用を防ぎ、水利施設は伝統的な形のまま伝えられることとなった。ヴァルケンリート修道院もよく保存されていて真正性に疑いの余地はなく、現在は博物館として再利用されている。

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