シングヴェトリル国立公園

Þingvellir National Park

  • アイスランド
  • 登録年:2004年
  • 登録基準:文化遺産(iii)(vi)
  • 面積:9,270 ha
  • IUCN保護地域:II=国立公園
世界遺産「シングヴェトリル国立公園」、シンクヴァトラキルキャ教会、シングヴェトリル・ファーム
世界遺産「シングヴェトリル国立公園」、中央右の建物は左がシンクヴァトラキルキャ教会、いくつか並んだ建物はシングヴェトリル・ファーム
世界遺産「シングヴェトリル国立公園」に見られる大地の裂け目「ギャオ」
世界遺産「シングヴェトリル国立公園」に見られる大地の裂け目「ギャオ」

■世界遺産概要

アイスランドの首都レイキャヴィクの北東約50kmに位置する世界遺産で、プレート活動によって生まれたダイナミックな景観の中に10世紀までさかのぼる最古級の民主議会の跡が残されている。「シング」は集会や議会、「ヴェトリル」は広場・平原で「議会の広場」を意味する。国立公園だが世界遺産としては自然遺産ではなく文化遺産として登録されている。

○資産の歴史と内容

アイスランドの地下は新しい地表が形成される現場となっている。地球はおおよそ内核-外核-マントル-地殻からなるが、アイスランド島のはるか地下ではマントル層からホット・プルームと呼ばれる高温の岩石やマグマの上昇流があり、この圧力で地表を年19mmのペースで西の北アメリカ・プレートと東のユーラシア・プレートに引き裂いている。この作用で生まれた大地の裂け目がシングヴェトリルで見られる「ギャオ」で、裂け目に水が入り込んで誕生した美しい湖沼や溶岩原が神々しい景観を描き出している。特にシンクヴァトラヴァトン湖はそんな亀裂にできた湖で水深110mを超える。

ノルマン人(北方ゲルマン人)が早くから入植していた土地でもあり、870年前後には定住がはじまった。人々はそれぞれの集落でシングと呼ばれる民主的な集会を開催していたが、930年にはこの地で「アルシング」と呼ばれる全島議会が創設された。アルシングの主な機能は立法で、全島共通の法律を定め、裁判所としての役割も果たしていた。法律といっても一種の社会契約で強制するものではない柔軟なものだった。これらは1117~18年に書き留められ、12世紀の写本として残されている。

集会は野外議会の形を取り、平地に芝を植え、座席となる石が配された。出席者は50人ほどだったが、周囲では市が立ち、舞台や芸術・スポーツ大会なども開催された。数週間にわたることもあったため周囲には宿泊施設が用意され、食事を提供するために農場やウシやヒツジの牧場、醸造所、礼拝所などが整備されていた。代表的な名所に「法律の岩」がある。開会宣言や演説が行われていた場所と考えられているが、このような岩は複数あったようだ。このようにアルシングは殺伐とした議会ではなく、全島的にも緩い連合で強い中央集権を持つものではなかった。

1000年前後に人々はアルシングを開催してキリスト教への改宗を決め、シンクヴァトラキルキャ教会が創設された。現在の建物は1859年に建て替えられたものだ。隣接するシングヴェトリル・ファームは古典的なアイスランド様式の建物で、現在はアイスランド首相のサマー・レジデンスとなっている。

中世アイスランドの叙事物語集サガによると、12~13世紀に強い法律が制定されるようになり、13世紀初頭には指導者間の衝突が起こっていたようだ。13世紀にノルウェー王国の支配下に入ったものの、自治は続けられた。17世紀に同君連合となったデンマーク=ノルウェーが絶対主義を採用し、アイスランドにも導入されたためアルシングの権限は大幅に削減された。18世紀半ばには立法権を奪われ、1789年に大地震の被害を受けてアルシングはレイキャヴィクに遷され、1800年に廃止された。

シングヴェトリルは1,000年にわたるこうした土地利用の跡を留めており、周囲の自然と調和した美しい文化的景観を奏でている。アイスランドの自然と社会の象徴であり、民族の魂や精神が眠る場所として誇りとされ、アルシング創設1,000年を記念して1930年にアイスランド初の国立公園に指定された。

■構成資産

○シングヴェトリル国立公園

■顕著な普遍的価値

○登録基準(iii)=文化・文明の稀有な証拠

アルシングとその背後地であるシングヴェトリル国立公園は、集会場遺跡に残る出席者のためのブース跡や、アルシング創設時までさかのぼると思われる集落の景観の証拠を伝えており、930年の創立から18世紀まで存続した中世の北ヨーロッパ・ゲルマン文化を反映している。

○登録基準(vi)=価値ある出来事や伝統関連の遺産

司法・立法・行政の中枢で、定められた法はサガや法律書グラォガォスに記された。これらを通して知られ、北ヨーロッパ・ゲルマン民族の統治に抵抗したアルシングは美しい自然とともに民族の誇りとなり、19世紀の独立闘争の際には人々を支え、今日においても聖地として国民の精神的支柱となっている。

■完全性

世界遺産の資産にはアルシングの集会エリアと景観を構成する周辺の自然環境が含まれており、顕著な普遍的価値を表現するすべての要素を内包している。国立公園として法的に保護されており、外側にバッファー・ゾーンも設定されている。活発な地震帯に位置するこの地は自然の変化に左右され、アルシングが創設されて以来、地盤は3〜4mほど沈下しており、今後も続くものと思われる。

■真正性

全体的な文化的景観は10世紀以降ほとんど変わっておらず、シンクヴァトラキルキャ教会やシングヴェトリル・ファームといった近年の建物は伝統的なスタイルを尊重している。

世界遺産登録時、資産はサマー・レジデンスと針葉樹という2点で真正性に欠けていた。特に集会場の南西、シンクヴァトラヴァトン湖の西岸に位置するサマー・レジデンスは景観を損なっており、心理面に対する訴求力やスピリチュアルな価値に影響を与える可能性がある。一方、集合場に植樹されていた針葉樹はその後、伐採された。また、世界遺産登録時に立っていたホテル・ヴァルホールは2009年に焼失している。

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