レーロース鉱山都市とその円周

Røros Mining Town and the Circumference

  • ノルウェー
  • 登録年:1980年、2010年重大な変更
  • 登録基準:文化遺産(iii)(iv)(v)
  • 資産面積:16,510ha
  • バッファー・ゾーン:481,240ha
世界遺産「レーロース鉱山都市とその円周」、レーロース鉱山都市の中心部。中央はレーロース教会の鐘楼
世界遺産「レーロース鉱山都市とその円周」、レーロース鉱山都市の中心部。中央はレーロース教会の鐘楼
世界遺産「レーロース鉱山都市とその円周」、レーロース鉱山都市の木造家屋群
世界遺産「レーロース鉱山都市とその円周」、レーロース鉱山都市の木造家屋群
世界遺産「レーロース鉱山都市とその円周」、レーロース教会
世界遺産「レーロース鉱山都市とその円周」、レーロース教会 (C) Aslak Raanes

■世界遺産概要

レーロースはスカンジナビア山脈南部、トロンデラーグ県に位置する町で、17世紀に銅山の鉱山城下町として開設された。200を超える鉱山と、鉱石から金属を抽出する製錬所、坑道などの採掘施設、水路や貯水池などの水利施設、輸送ルートといった鉱山関連施設・設備に加え、周辺の鉱山都市や農村・農場の跡が保存されており、自然・町・産業が一体化した近世・近代の文化的景観が伝えられている。なお、本遺産は1980年に「レーロース鉱山都市 "Røros Mining Town"」の名前で世界遺産リストに搭載され、2010年に「サーカムフェレンセン(円周)」と呼ばれる鉱山特区内の広い範囲に拡大されて、冬季輸送ルートであるヴィンターレーデンやフェムンドシッタ鉱山地区などが追加された。

○資産の歴史

レーロースの地では古くからサーミ人(サーメ人/ラップ人)が暮らしており、狩猟採取生活やトナカイとともに遊牧生活を行っていた。デンマーク=ノルウェー二重王国の国王クリスチャン4世の時代にスウェーデンと戦ったカルマル戦争(1611~14年)や国際的な大戦争に発展した三十年戦争(1618~48年)といった戦争が相次ぎ、戦費や金属の調達のために鉱業が奨励された。1623年に開山したコングスベルグの銀山や1630年に採掘がはじまったクヴィクネの銅山に続き、レーロースでも1644年に銅鉱石が発見され、ガムレ・ストールワルツ鉱山の開発がはじまった。同年にレーロース製銅所(Røros Kobberverk)が稼働を開始し、銅の生産がはじまった。製銅技術は当時最先端を誇ったドイツから輸入し、ドイツやデンマーク、スウェーデンから技術者や労働者を呼び寄せた。

1646年にクリスチャン4世は円周を意味するサーカムフェレンセンと呼ばれる半径4ノルウェー・マイル(45.2km)の円形の特区を設定し、レーロース製銅所に円内の鉱物・森林・水の独占権を与えた。製銅所は土地の所有者に所有地の大きさに応じて使用料を支払い、周辺の集落に食料(穀物や塩)・教育・医療サービス等を提供した。土地の農民は労働者として動員され、工場で働きながら夏場は農業を営み、工場に食料や商品・木材を販売したり輸送作業を行って収入を得た。農業が奨励されていたため農業休暇制度が設けられており、定められた日数内で従業員は農作業に出ることが許された。こうしたダブルワーク的な労働環境は人里離れた山中深くに位置し、冬は-50度にもなる厳しい気候に対応するためのもので、農業や林業を行って自給自足に近い生活を行い、厳しい環境への適応を図った。

17世紀後半から18世紀はじめにかけてスウェーデン(バルト帝国)との戦争が繰り返され、北方戦争(1655~60年)やスコーネ戦争(1675~79年)、大北方戦争(1700~21年)を戦った。レーロースはデンマーク=ノルウェー領とスウェーデン領の間を行き来し、何度かスウェーデン軍の攻撃を受け、特に1679年の襲撃で鉱山都市は廃墟となった。ただ、銅の生産は続けられて両国の財政を潤し、1685年には銀鉱脈も発見された。この時代、スウェーデンはスカンジナビア半島の2/3、フィンランド、エストニア、ラトビア、ドイツ北部の一部と、バルト海沿岸部の多くを支配してバルト帝国を成立させていた。しかし、デンマーク=ノルウェー、ロシア帝国、ポーランド=リトアニア共和国などと戦った大北方戦争で疲弊し、1718年にスウェーデン王カール12世が暗殺されるとまもなくレーロースから撤退し、バルト帝国も崩壊した。

大北方戦争後からデンマーク=ノルウェーが崩壊する1814年まで、レーロースは黄金時代に入る。1723年にクリスティアヌス・セクストゥス鉱山、1736年にコンゲンス鉱山(王の鉱山)、1770年にムッグルーヴァ鉱山で採掘が開始され、銅や銀・黄鉄鉱の採掘がピークを迎えた。銅の生産に関して、17世紀にスウェーデンのファールン銅山(世界遺産)が世界の銅の2/3を産出したが、18世紀にレーロースはファールンの生産量を凌駕した。

ナポレオン戦争(1803~15年)においてデンマーク=ノルウェーは敗戦国となり、1814年のキール条約で解体されてノルウェーはスウェーデンに割譲された。スウェーデン王カール13世がノルウェー王を兼ねる同君連合(同じ君主を掲げる連合国)が成立し、スウェーデン=ノルウェー連合王国が誕生した。これにより、実質的にノルウェーはスウェーデンの支配下に入った。

18世紀に銅の需要はピークに達し、その後は次第に減少に転じた。19世紀に入ると銅の価格が大幅に下落し、収益性も悪化の一途をたどった。1818年にレーロース製銅所の独占が解除され、いくつかの商業が立ち上がった。この頃には鉱山労働者はフルタイムで働いており、農民も農作業に専念して兼業はなくなった。

19世紀後半には新しい技術が次々と導入された。1870年代にダイナマイトの使用がはじまり、1877年にはレーロースを経由して北のハーマルと南のステーレンを結ぶ全長384kmの鉄道が開通(レーロース鉄道)、1887年にはベッセマー法という画期的な製鋼法が導入された。燃料も木炭からコークス(石炭を蒸し焼きにして抽出した炭素を主成分とする固体燃料)へ移行し、1896年に水力発電所が完成して高圧送電線で電気が引かれた。

ノルウェーは1905年に同君連合を解消してノルウェー王国として独立。1854年にニーエ・ソルシネ鉱山、1918年にロダレン鉱山、1937年にオラヴスグルーヴァ鉱山、1973年にレルグルヴバッケン鉱山といった鉱山の開発を進めた。こうした努力と銅価格の上昇、鉄や亜鉛の生産などによって工場は持ち直したが、1977年秋に倒産して事業を停止した。最終的に、レーロースの一帯では1644~1977年の333年間で200以上の鉱山が開発され、約11万tの銅に加えて亜鉛やクロム・鉄・銀などが生産された。

レーロースでは1923年頃から重要な建造物の法的保護が進められており、1977年に鉱山としての活動を終えると直後から産業遺産としての保護活動が進められた。その結果、早くも1980年に世界遺産リストへの搭載に成功した。

○資産の内容

世界遺産の構成資産は2件で、「レーロース鉱山都市の文化的景観と冬季輸送ルート」と「フェムンドシッタ」となっている。前者は鉱山・鉱山都市・農村・農場・輸送ルート・それらの文化的景観と内容は多彩で広範囲にわたっており、後者はフェムンドシッタ鉱山地区のみとなっている。

レーロース鉱山都市はレーロース東部の丘陵地帯に広がる旧市街を示す。1644年に銅鉱石が発見された際には農場が広がるのみだったが、1646年の製錬所の稼働開始から製錬所とボタ山(不用な岩石や廃石を捨ててできた山)、農場に隣接する形で集落が形成された。町は川と平行したメインストリート沿いに建設され、整然とした方格設計(碁盤の目状の都市設計)の形で発展した。1679年にスウェーデン軍によって破壊されたがすぐに再建されている。80棟ほど残る1~2階建ての家屋はノルウェーの伝統的な木造建築を引き継いでおり、住居の他に納屋・厩舎・離れなどがある。鉱山都市のランドマークがレーロース教会だ。町には1651年に最初の木造教会堂が建てられたが、状態が悪化したことから再建され、1784年に完成した。石造で細長い八角形をしたバロック様式の教会堂で、鐘楼は町でもっとも高い建造物でその文化的景観を彩っている。

レーロース鉱山都市の北東に位置するストールワルツ鉱山地区はレーロースでもっとも重要な採掘エリアで、1645年から1972年まで継続して採掘が行われた。中でも最古を誇る鉱山が旧ストールワルツを意味するガムレ・ストールワルツ鉱山(1645年操業開始)で、他にニーベルゲット鉱山(1650年)、ヘストクレッテン鉱山(1660年)、ガムレ・ソルシネ鉱山(1673年)、クリスティアヌス・クイントゥス鉱山(1692年)、ミルグルーヴァ鉱山(1694年)、ニーエ・ストールワルツ鉱山(1708年)、ニーエ・ソルシネ鉱山(1854年)、オラヴスグルーヴァ鉱山(1937年)という9つの主要鉱山を有していた。鉱山、坑道、竪坑、巻上機(地下に動力を伝える装置)、エンジン・ハウス(エンジンを備えた施設)、ボタ山、水路、水車、水道橋、貯水池、排水路、送電線、輸送専用道、空中ケーブル、管理者の家、労働者用の宿舎といった施設・設備があり、特に1972年まで稼働していたオラヴスグルーヴァ鉱山の状態はよく、1979年から隣接の博物館とともに公開されている。

レーロース鉱山都市の北に位置する北鉱山地区(ノルドグルーヴフェレット)も古い鉱山地帯で、最初に開発されたアルヴェダル鉱山(1657年)をはじめ、クリスティアヌス・セクストゥス鉱山(1723年)、コンゲンス鉱山(1736年)、ムッグルーヴァ鉱山(1770年)などの重要な鉱山が連なっている。特に18~19世紀に先端的な技術を導入して新世代の鉱山地区として開発が進められた。「王の鉱山」の名を持つコンゲンス鉱山ははじめて水車による動力を利用した鉱山であり、1841年には蒸気機関が導入された。鉄と硫黄が結び付いた黄鉄鉱が豊富で、鉄の需要が増えて採掘が活発化すると周辺に住居や商店・学校・郵便施設などが築かれて集落を形成した。こうした施設はクリスティアヌス・セクストゥス鉱山やムッグルーヴァ鉱山でも採用された。1886年に鉄道のアルヴェダル線が開通してレーロース鉄道と結ばれると北鉱山地区の重要性はさらに高まった。1896年にノルウェー初のクーロスフォス水力発電所が完成し、1897~99年にかけてストールワルツ鉱山地区と北鉱山地区の主要鉱山に電気が供給された。発電所に関連してダムや全長24kmの高圧線網が整備され、1910年には輸送用の電動ケーブル網も敷かれている。20世紀に入ると主要鉱山が活動を停止する一方で、1918年にロダレン鉱山、1973年にレルグルヴバッケン鉱山が操業をはじめた。レルグルヴバッケン鉱山は主に亜鉛鉱石を採掘し、1977年の操業停止まで稼働を続けた最後の鉱山となった。

レーロース鉱山都市の南西、フェムンデン湖の西岸に位置するフェムンドシッタ鉱山地区は木炭の元になる豊富な森林資源を利用するために開発され、1739年に製錬所が稼働を開始した。製錬所で処理された黒銅鉱や木材の輸送には船が使用され、湖面が凍結する冬にはウマやウシの曳くソリが活用された。黒銅鉱はレーロース製錬所でさらに精錬を進めて銅を抽出した。周辺には集落があり、労働者たちは工場労働に加えて農業や狩猟・漁労を行って生計を立てた。また、一帯ではサーミ人が遊牧生活を行っており、物々交換が行われていた。

ヴィンターレーデンは冬季輸送ルートを意味し、特にレーロースから南西に延びるトゥフシンダルまでのルートが世界遺産の資産となっている。円周=サーカムフェレンセン内には輸送用の道が張り巡らされていたが、特にこの区間はその象徴といえる。1880年頃まで、冬季の鉱石や木材・商品の輸送にはウマやウシのソリが使用されていた。湖や川が凍結するためソリのルートとなり、天候がよければ1日に20~40kmを移動したという。ルート上の農場に設置された宿泊施設と厩舎を利用し、これらを結んで移動を行った。こうした典型的な農場はセヴァダレン、コルシジョン、ホッラなどの集落に残されている。

農村地区は鉱山の周辺の農牧場地帯で、農村の周辺に農場や放牧場・牧草地が広がっている。代表的な農村として、スモーセトラン、エステルハガ、ユープダルスハガ、ストルモハガ、クヴィツサンスハガ、シャルクガルシャハガなどが挙げられる。

■構成資産

○レーロース鉱山都市の文化的景観と冬季輸送ルート

○フェムンドシッタ

■顕著な普遍的価値

○登録基準(iii)=文化・文明の稀有な証拠

1644年にレーロースの山中で銅鉱石が発見されてから1977年に製銅所が倒産するまで、人里離れた地域で貴重な銅を採掘するためにユニークな文化を発展させた。当初はドイツの採掘技術を中心に導入し、ドイツ人、デンマーク人、スウェーデン人、そしてノルウェー人を雇用した結果、それらの特徴を併せ持つ特有の文化が育まれた。現在、この地域で鉱業は行われていないが、レーロースの鉱山都市と採掘・製錬・輸送・水管理システムの施設・設備跡は、厳しい自然環境や遠隔地であるという立地条件に対する技術の適応を示す独創的な証拠となっている。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

レーロースの街並みと関連の鉱業および農業景観は、都市環境内における鉱業・農業そして家庭活動の並立が図られており、厳しい環境にいかに適応して生活を行ってきたかをすぐれた方法で示している。また、利用可能な自然資源を活用して効率的に住居を建設し、食料を生産し、さらに国の財政に大いに貢献した。土着の材料と技術を使用した建造物や設備は技術的な進化を繰り返し、機能的に鉱業と農業の両立を果たすと同時に、極端な気候条件にも対応することができた。

○登録基準(v)=伝統集落や環境利用の顕著な例

レーロース鉱山都市とその円周は伝統的な集落と土地利用のすぐれた例であり、その全体を表現している。このような集落はこの地域で行われてきたさまざまな活動に関して、首尾一貫した相互協力の基礎的な単位を構成している。過酷な気候と人を寄せ付けない環境のため人間がこうした活動を行う限界点に近く、そのユニークな文化的景観は鉱山と鉱山都市がこれらを克服するために複雑で時に脆弱なシステムをいかに機能させてきたのかを物語っている。

■完全性

資産には顕著な普遍的価値を表現するためのすべての要素が含まれており、そのもっとも重要な特徴は高いレベルあるいは良好なレベルにあり、完全性を維持している。鉱山を中心とした景観は自然の中に残された遺構であるが、製銅所の閉鎖後、変化や侵食はほとんど見られない。

■真正性

資産のほぼすべての外観と特徴が保持されており、すべての遺構がこの地の歴史と発展の信頼できる証拠であり、真正性が保たれている。これは製銅所の歴史を記録した豊富な史資料によって補強されている。

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