ヴァルトブルク城

Wartburg Castle

  • ドイツ
  • 登録年:1999年
  • 登録基準:文化遺産(iii)(vi)
標高411mの山上に立つ世界遺産「ヴァルトブルク城」
標高411mの山上に立つ世界遺産「ヴァルトブルク城」
東から眺めた世界遺産「ヴァルトブルク城」。右はトーハウス、城壁の上にハーフティンバーの建物が並んでいる
東から眺めた世界遺産「ヴァルトブルク城」。右はトーハウス、城壁の上にハーフティンバーの建物が並んでいる
世界遺産「ヴァルトブルク城」、前城のハーフティンバーの家並み
世界遺産「ヴァルトブルク城」、前城のハーフティンバーの家並み
世界遺産「ヴァルトブルク城」。右の建物がホーフブルク、中央奥が主塔ベルクフリート
世界遺産「ヴァルトブルク城」。右の建物がホーフブルク、中央奥が主塔ベルクフリートで、塔の上に十字架トゥルムクロイツが輝いている
世界遺産「ヴァルトブルク城」、ホーフブルクの歌合戦の間に飾られたモーリッツ・フォン・シュヴィントのフレスコ画『歌合戦』
世界遺産「ヴァルトブルク城」、ホーフブルクの歌合戦の間に飾られたモーリッツ・フォン・シュヴィントのフレスコ画『歌合戦』

■世界遺産概要

ドイツ中部テューリンゲン州アイゼナハ郊外の山上に立つ城塞で、11世紀に創建された。マルティン・ルターがドイツ語版聖書を書いた場所であり、テューリンゲンの聖エリーザベト伝説やドイツ学生組合ブルシェンシャフト決起の地であるなど、中世~近世のドイツ史できわめて重要な役割を果たした。

○資産の歴史

ヴァルトブルク城の創建は1067年で、東100kmほどに位置する姉妹城ノイエンブルク城とともに国境を守る城塞としてテューリンゲン伯ルートヴィヒ・デア・シュプリンガーによって建設された。伝説によると、狩りで獲物を追っていたシュプリンガーは美しい岩山を発見して「山よ待て(wart)! 貴殿は我が城(Burg)となるべし!!」と叫び、12人の騎士で一帯を落として剣(ヴァルトブルクの剣)を突き立てて領地に加えたという。12世紀はじめにはルートヴィヒ家の拠点が移され、居城となった。この頃、ドイツでは聖職者の任命権(聖職叙任権)や課税を巡って教皇と神聖ローマ皇帝の対立が加熱しており、諸侯や都市も教皇派(ゲルフ)と皇帝派(ギベリン)に分かれて争っていた。当初、ルートヴィヒ家はマインツ大司教の影響下で教皇派として動いていたが、12世紀のルートヴィヒ2世の時代に神聖ローマ皇帝フリードリヒ1世バルバロッサと同盟を結び、教皇派と戦った。この時代に宮殿であるホーフブルク(王宮の意味)や東の城壁、トーハウス(ゲート・ハウス)などが築かれて城は増強された。

中世のヴァルトブルク城はヘルマン1世の治世(1190~1217年)に最盛期を迎える。文学や芸術を愛したヘルマン1世は数々の詩人や芸術家を呼び寄せて庇護したが、特に詩については中世ドイツ最大の詩人と謳われたヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデやヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ、ハインリヒ・フォン・オフターディンゲンらを招いて歌会を催した。リヒャルト・ワーグナーの歌劇『タンホイザー』はこのヴァルトブルクの歌合戦を元に制作されている。現在、ホーフブルクの歌合戦の間には19世紀に画家モーリッツ・フォン・シュヴィントが描いた歌合戦の様子を描いたフレスコ画(生乾きの漆喰に顔料で描いた絵や模様)が飾られている。

1221年、ヘルマン1世の息子ルートヴィヒ4世がハンガリー王エンドレ2世の娘エリーザベトと結婚した。エリーザベトは信仰心のあついキリスト教徒で貧者や病人に対する慈善事業に積極的に参加し、ヴァルトブルク城の麓に病院を開設した。1227年に第6回十字軍に参戦したルートヴィヒ4世が26歳で夭折すると城内で激しい勢力争いが起こった。エリーザベトはすべての財産を放棄して無一文で家を出て、一時は豚小屋で暮らすほどだったという。親戚の保護を受けてマールブルクに小さな貧者向けの病院を設立し、自ら看護士として働いたが、1231年にわずか24歳で亡くなった。その献身的な活動から名は知られており、死の直後から巡礼者が詰め掛けたという。1235年に教皇グレゴリウス9世によって列聖(徳と聖性を認めて聖人の地位を与えること)され、ヴァルトブルク城は巡礼地のひとつとなった。19世紀の画家アウグスト・エトケンはホーフブルクのエリーザベトの間にモザイク画(石やガラス・貝殻・磁器・陶器などの小片を貼り合わせて描いた絵や模様)で彼女の生涯を描いた。

1247年に城はルートヴィヒ家の手を離れてウェッティン家の手に渡った。しかし、1406年以降、ウェッティン家の居城は東のゴータ城に移り、次第に衰退した。この時代により安価なハーフティンバー(木造と石造を組み合わせた半木骨造建築)の家並みが築かれている。

1521年のヴォルムス帝国議会で宗教改革をリードしたマルティン・ルターの破門が決定し、神聖ローマ皇帝カール5世は帝国からの追放を宣言した。ザクセン選帝侯フリードリヒ3世はこれを無視し、ルターをヴァルトブルク城にかくまった。ルターは「ユンカー・イェルク」という偽名を使い、第1中庭に面した質素な部屋に同年5月4日から翌年3月1日まで滞在し、『新約聖書』のドイツ語翻訳に注力した。ルターの翻訳と活版印刷によってドイツ語版聖書が出回るようになると、庶民はキリスト教の教えに直接触れることができるようになり、聖書を根拠とした教会批判が可能になって宗教改革が加速した。ルターの間は当時の姿を留めており、執筆中に襲ってきた悪魔にインク瓶を投げ付けたときにできたとされるインクの染みが残されている。ヴァルトブルク城はやがて宗教改革の重要なモニュメントとなり、プロテスタントの巡礼地のひとつとなった。

16世紀以降、軍事的・経済的な要衝から外れたヴァルトブルク城は城としての目的を失い、次第に荒廃が進んだ。1777年にこの地を訪れた作家ゲーテは廃墟の中でホーフブルクだけがほぼ無傷で保たれたヴァルトブルク城の姿を描いている。ドイツがナポレオンに侵略された後、1814~15年のウィーン会議で35の君主国と4の帝国自由都市(諸侯や大司教・司教の支配を受けず神聖ローマ帝国の下で一定の自治を認められた都市)がドイツ連邦を形成した。大国に太刀打ちできないことを悟ったドイツ人は1つにまとまる必要を感じ、ナショナリズムが高揚した。「ドイツ国民の聖人」といわれる聖エリーザベトと、「ルターの国(Lutherland)」と呼ばれるドイツを象徴するルターのゆかりの地であるヴァルトブルク城はゲーテの働き掛けもあってふたたび注目を集めた。1815年にイェーナ大学でドイツ学生組合ブルシェンシャフトが結成されると、学生たちは自由主義とナショナリズムの名の下にドイツの改革と統一を求めて運動を行った。ルターがヴィッテンベルク城教会(世界遺産)に95か条の論題を貼り付けてからちょうど300年を経た1817年、宗教改革300年祭を祝うためにドイツ各地から学生がヴァルトブルク城に集まった(ヴァルトブルク祭)。これ以来、学生組織の本部が置かれ、1848年革命(3月革命)や1871年のドイツ帝国の成立(ドイツ統一)などに関わった。

19世紀初頭からザクセン王国(前身はザクセン選帝侯領)がヴァルトブルク城の再建に乗り出し、1853年頃から建築家フーゴ・フォン・リトゲンを起用して中世・近世の姿を取り戻す工事が開始された。城の最高所に立つベルクフリート(主塔)を中心に西側を除く多くが修復・再建され、1859年にベルクフリートの頂部に宗教的象徴である高さ3mのトゥルムクロイツ(塔の十字架)が立てられて再建工事は終了した。

○資産の内容

世界遺産の資産はヴァルトブルク城と周辺の山地で、主に城外の要塞、前城、本城、南城の4エリアで成立している。要塞は城の東の要塞跡で、塔や城壁の跡が残されている。前城はエントランスに続く第1中庭を中心としたエリアで、跳ね橋のあるトーハウス、リターハウス(騎士の家)、ルターの間を含むハーフティンバーの家々が立ち並んでいる。本城はホーフブルクとベルクフリートが立つ城の中心で、他に夫人館や兵器庫・倉庫などがある。ホーフブルクは12世紀に建設されたロマネスク様式の建物で、特にノルマン人によるノルマン様式の影響を受けたものとなっている。伯爵たちの部屋の他に、歌合戦の間やエリーザベトの間といった見所がある。南城は最南端に位置し、1318年に建てられたロマネスク様式の南塔が立っている。

■構成資産

○ヴァルトブルク城

■顕著な普遍的価値

○登録基準(iii)=文化・文明の稀有な証拠

ヴァルトブルク城は中央ヨーロッパ封建時代の卓越したモニュメントである。

○登録基準(vi)=価値ある出来事や伝統関連の遺産

ヴァルトブルク城は文化的関連性に富んでおり、特に『新約聖書』をドイツ語に翻訳したマルティン・ルターの逃亡地となった。そしてまたドイツの統一と完成の力強い象徴でもある。

■完全性

ヴァルトブルク城は歴史的な出来事の中心地あるいは目撃者として顕著な普遍的価値があり、資産にはその価値を表現するために必要なすべての要素が含まれている。資産のサイズはその重要性を伝える機能とプロセスを保護するために適切で、法的保護を受けており、完全性は満たされている。

■真正性

石造の宮殿ホーフブルクや城壁・南塔の石積み部分はノルマン様式の民間建築のきわめて重要な例である。他の部分についてはかつてこの城に住んでいた聖エリーザベトやルターといった歴史上の偉人の存在を証明するためにロマン主義的理想の下で復元されたものであり、ドイツの国家統一を求める政治思想を体現するものである。本遺産における真正性は、主に宮殿や要塞に見られる考古学的な真正性と、形状よりも思想的背景に価値を有する象徴的な真正性という2種類に分けることができる。資産はすぐれた建造物であるだけでなく、真なる思想を表現したきわめて質の高い建築芸術作品である。

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