ヴァールベリはスウェーデン南部、ハッランド県に位置する都市で、グリメトン・ラジオ無線局は大西洋を横断する無線通信を行う無線局として1922~24年に建設された。電子技術導入以前の長波送信局としては唯一現存するものであり、最後のアレキサンダーソン・オルタネーター式送信機が稼働可能な状態で保全されている。なお、本遺産は2004年に「ヴァールベリ・ラジオ無線局 "Varberg Radio Station"」の名前で世界遺産リストに登録されたが、2014年に現在の名称に変更されている。
19世紀、マイケル・ファラデー、ジェームズ・マクスウェル、ハインリヒ・ヘルツ、グリエルモ・マルコーニといった科学者たちの功績により電気通信が現実化した。20世紀はじめにアメリカに移住したスウェーデン人電気工学者アーンスト・アレキサンダーソンはゼネラル・エレクトリック社で遠距離通信に適した超長波通信の研究に従事していた。1906年12月24日、アレキサンダーソンが設計したアレキサンダーソン・オルタネーター(交流発電機)を取り付けた送信機を使用して、カナダの電気技術者レジナルド・フェッセンデンがクリスマス・イヴに世界初のラジオ放送を行い、賛美歌を演奏して聖書の一節を読み上げた。アレキサンダーソンは1915年と1919年に大西洋を越える無線通信の実験を行い、高周波オルタネーターやマルチ同調アンテナなど数多くの画期的な機材の開発・改良を進めた。1919年にはオーウェン・D・ヤングがRCA(アメリカ・ラジオ会社)を設立し、アレキサンダーソンも参加して第1次世界大戦(1914~18年)で失われた国際コミュニケーションを回復・推進することを目的に、世界的な無線電信ネットワークの構築計画を推進した。
第1次世界大戦では有線の電信システムが使用されたが、ケーブルの切断などに対して脆弱であることは明らかで、実際に通信障害が起こった。特にスウェーデンのような国は他国の海底ケーブル・ネットワーク網に依存しており、独自の無線電信局の建設が急務とされた。
スウェーデンは無線の送信局と受信局の建設を決め、送信局としてヴァールベリ、受信局としてクングスバッカを選出した。そして送信機としてRCAのアレキサンダーソン・オルタネーター式送信機を採用し、1922年に無線局の建設を開始した。この通信システムは電離層伝搬と呼ばれる現象を利用したもので、上空70~500kmほどの電離層が電波、特に長波を反射することを利用して、電離層と大地の間をジグザグに反射させながらはるか遠くまで電波を伝える技術だ。そのために強力な発電機を備えた無線送信機と巨大なアンテナが必要で、独自に設計された200kWアレキサンダーソン・オルタネーター式送信機に加え、高さ127mを誇る6基の鉄塔で支えられた全長1.9kmにもなる12本(後に8本)のワイヤーで構成されたフラット・トップ・アンテナ(複数の塔で支持されたアンテナ)が設置された。これら送信機とアンテナの設計はアレキサンダーソンが直接担当した。オルタネーターを収める新古典主義様式の無線局は建築家カール・オケルブラッド、鉄塔は構造技師ヘンリック・クルーガーの設計で、鉄塔については建設当時、スウェーデンでもっとも高い人工建造物となった。
1924年に竣工すると周波数16.5kHz(後に17.2kHz)でアメリカ・ロングアイランドのRCA受信局に送信を行い、通信が確認された。そしてスウェーデン王グスタフ5世の宣言によって1925年に正式にオープンした。1930年代にはさまざまな種類の指向性アンテナとともに短波の送信機が追加導入された。オープンまもなく無線局はほとんどフル稼働し、アメリカへの通信を行った。第2次世界大戦では電信ケーブル網が切断されて使用不能に陥ったが、無線通信は維持されて主要通信システムとして活躍した。長波だからこそ可能である潜水艦との通信にも成功し、独自の役割を開拓した。
しかしながら1920年代後半には真空管を利用したより小さな送信機が開発され、まもなく巨大な発電機を付けたアレキサンダーソン・オルタネーター式送信機は時代遅れとなった。多くの無線局で交換が進んだが、グリメトン・ラジオ無線局では主に海軍の送信機として1960年まで利用が続けられた。同年に商業利用は停止されたが、新しい送信機を導入して海軍によって無線局の使用が継続された。1920年前後に建設された9基の長波送信局は次々と閉鎖され、最後の送信局として残された。1996年に国の文化遺産として指定を受け、送信は終了した。ただ、現在もアレキサンダーソン・オルタネーター式送信機は稼働可能な状態に保たれており、毎年7月2日のアレキサンダーソン・デーにテスト・メッセージを送信している。
ヴァールベリのグリメトン無線局は第1次世界大戦後の通信技術の発展過程を代表する卓越したモニュメントである。
ヴァールベリのグリメトン無線局は電気通信施設の際立ってよく保存された例であり、1920年代初頭までの技術的成果を伝えるとともに、その後約30年間にわたる発展の歴史を留めている。
ヴァールベリのグリメトン無線局は現在も稼働中で、新古典主義様式の建物に収められた電子時代以前のアレキサンダーソン・オルタネーター式送信機や、鉄塔やアンテナなど空中に形成された包括的アンテナ・システムなど、初期の無線通信に関連するすべての重要な要素を含んでいる。資産はその重要性を伝える機能とプロセスを保持し、完全性が保たれている。また、開発あるいは放棄といった悪影響を受けておらず、バッファー・ゾーンも設定されており、開発が進むスウェーデン沿岸エリアの魅力的な地域に位置しながら保全状態は良好である。
ヴァールベリのグリメトン無線局は形状やデザイン・素材・原料・用途・機能・位置・環境や全体構造をよく維持しており、人類の通信史における重要な時代を真正かつ独創的に伝えている。アレキサンダーソンによる種々の装置は1922~24年に建設されて以来、基本的に変更されておらず、無線局が1960年に商業活動を停止するまで継続して使用され、その後も軍事目的で時折使用された。この無線局にはもともと制御装置や補助機械とともに2台のアレキサンダーソン・オルタネーターが導入され、1台は1960年に解体・廃棄されたが、2台目はよく保存されており、稼働可能な状態に保たれている。6基の鉄塔を持つアンテナ施設についても1923~24年の建設当時と基本的には変わっておらず、鉄塔については40年の間にわずかな変更が加えられたのみである。送信機を収めたホールも1925年の建設時の状態をほぼ保っており、技術の変化や管理上の都合でこちらもわずかな変更が行われた。局の他の付属建物についても同様だ。職員のための居住施設は現在も使用されており、住宅基準の変化に伴って改修されているが、歴史的価値は守られており真正性も維持されている。