ミケーネとティリンスの考古遺跡群

Archaeological Sites of Mycenae and Tiryns

  • ギリシア
  • 登録年:1999年
  • 登録基準:文化遺産(i)(ii)(iii)(iv)(vi)
世界遺産「ミケーネとティリンスの考古遺跡群」、ミケーネの堅牢な城壁とライオン門
世界遺産「ミケーネとティリンスの考古遺跡群」、ミケーネの堅牢な城壁とライオン門 (C) Joyofmuseums
世界遺産「ミケーネとティリンスの考古遺跡群」、右下はシュリーマンが発見したミケーネの円形墳墓A
世界遺産「ミケーネとティリンスの考古遺跡群」、右下はシュリーマンが発見したミケーネの円形墳墓A
世界遺産「ミケーネとティリンスの考古遺跡群」、ミケーネのアトレウスの宝庫
世界遺産「ミケーネとティリンスの考古遺跡群」、ミケーネのアトレウスの宝庫。ポータル上部の三角部分は石を少しずつ張り出させたコーベル・アーチで、その下に巨大なリンテルが敷かれている
世界遺産「ミケーネとティリンスの考古遺跡群」、ミケーネのアトレウスの宝庫の巨大なコーベル・ドーム
世界遺産「ミケーネとティリンスの考古遺跡群」、ミケーネのアトレウスの宝庫の巨大なコーベル・ドーム (C) Zde
世界遺産「ミケーネとティリンスの考古遺跡群」、ティリンスの城壁
世界遺産「ミケーネとティリンスの考古遺跡群」、ティリンスの城壁

■世界遺産概要

紀元前1600年頃に起こってギリシア世界を席巻し、紀元前1150年頃に突如消え去ったミケーネ文明の2大都市、ミケーネとティリンス。いずれもさまざまな神々が躍動するホメロスの叙事詩『イリアス』と『オデュッセイア』に描かれた伝説の都であり、エーゲ海の島々と沿岸部の多くを支配して古代ギリシアの礎を築いた。

○資産の歴史と内容

ミケーネ文明は後期青銅器時代の紀元前1600年頃、クレタ文明(紀元前2000~前1400年。ミノア文明)の影響を受けて誕生した。ペロポネソス半島東部に位置するミケーネとティリンスは紀元前4000~前3000年ほどから人間の居住の跡がある歴史ある土地で、ミケーネ文明によって飛躍的に発展した。ミケーネ文明の特徴は高度な石造文化で、後世の人々は巨大な石が積み重なる堅牢な城壁や建造物を見て人の手によるものとは信じられず、ひとつ目の巨人族サイクロプスが築いたものと考えた。ミケーネの都市はアクロポリスと呼ばれる見晴らしのよい丘の上に「サイクロプスの石積み(サイクロプス様式)」と呼ばれる城壁を建設し、内部に石造の宮殿や神殿・城塞・塔・住宅・墳丘墓などを築いて城郭都市を形成した。建築技術はきわめて高く、シンメトリー(対称)を重視し、少しずつ石を張り出させてアーチを描くコーベル・アーチ(持送りアーチ)を駆使してそれまでにない巨大な石造ドームを築き上げた。宮殿や神殿に見られるように王(ワナックス)や官僚・司祭を中心とした階層構造が整備され、奴隷制を採用していた。

また、ミケーネ文明はギリシア都市国家ポリスと違って多くの都市を従える領域国家で、版図はバルカン半島南部とペロポネソス半島全域、エーゲ海南部全域に及び、エーゲ海南端のクレタ島や東端のロードス島、現在トルコのあるアナトリア半島の一部までを治めていた。古代ギリシア世界全域に及ぶもので、ギリシア文明の礎を築いた。

ミケーネはペロポネソス半島のアルゴリド湾からコリントス、アテネ(世界遺産)に続くルートの要衝にあり、紀元前1600年頃にユーゴア山腹のアクロポリスに城郭都市が築かれた。ホメロスが「黄金に富む都」と記したミケーネ文明の中心都市で、最盛期の紀元前14世紀には城下町の人口は30,000人に達した。伝説では、ミケーネを創設したのは最高神ゼウスとアルゴス王の娘ダナエの息子ペルセウスであるという。ペルセウスは見た者を石に変える蛇髪の怪物メドゥーサや巨人アトラスを倒し、エチオピアの王女アンドロメダを救出して結婚する。しかし、祖父アクリシオスを意図せず殺害してしまい、自責の念からアルゴスを継承することを断念してティリンス王メガペンテスと土地を交換してティリンスへ赴き、やがてミケーネを創建したという。

ミケーネは厚さ6〜8mにもなる石灰岩製の城壁で囲まれており、初期のものは石がそのまま積み上げられているが、やがてハンマーで成形した石、後期には直方体に切り出した小さな切石で築かれている。城門であるライオン門(獅子門)には数十tに及ぶ巨大なリンテル(まぐさ石。柱と柱にわたした石造の梁)の上に2匹の向き合ったライオンのレリーフが掲げられている。丘の頂に立つ王宮跡は170×50〜80mという巨大ななもので、ふたつのポルティコ(列柱廊玄関)からなる前門プロピュライアを入ると中庭を経て本殿であるメガロンに至る。メガロンもポルティコや列柱を持ち、複数階建てだったと考えられている。この王宮はトロイア戦争でギリシア軍を率いたミケーネ王アガメムノンの居城で、戦争に勝利した後、愛人としてトロイア王妃カッサンドラを引き連れて帰還するものの、怒り狂った妻とその情婦に殺害され、さらに妻らも殺されるというアイスキュロスの悲劇『アガメムノン』の舞台として知られる。

アクロポリスの南東は宗教センターで、数々の神殿や祭壇跡・墳丘墓が立ち並んでいる。象徴的な遺跡が円形墳墓Aだ。紀元前16世紀のものと見られる直径27.5mの墳丘墓で、6つの竪穴の下に6基の墓を備えており、19体の遺骨とともに副葬品としてアガメムノンの仮面を含む5つの黄金の仮面や金の指輪・牡牛像・宝剣・レリーフ等が出土した。円形墳墓Bは直径28mの墳丘墓で、26基の墓から24体の遺骨とエレクトラムの仮面などの副葬品が発掘されている。墳丘墓には他に紀元前1500年建設のアイギストスの墓やライオン像が見られるライオンの墓などがある。際立って特徴的なのが紀元前1250年頃に建造されたアトレウスの宝庫(アガメムノンの墓)と呼ばれる墳丘墓で、直径14.5m・高さ13.5mという当時世界最大のドーム(コーベル・アーチを回転させてできたコーベル・ドーム)を備えている。ポータル(玄関)のリンテルは8.3×5.2×1.2mで重さ120tを誇り、こちらも当時世界最大とされる。ただ、残念ながら発掘時にすでに盗掘されていた。

これら以外の建物としては戦士クラテールの家やツォンタスの家、司祭の家、フレスコの家、石油商人の家といった高官の邸宅をはじめ、砦・貯水池・北門などが挙げられる。こうした建造物のほとんどは紀元前1350~前1200年に築かれている。

ティリンスはミケーネの南15kmほどに位置するミケーネ文明初とされる城郭都市で、アルゴリド平野から26mほどの高さのアクロポリスに位置している。ミケーネ文明の建築や政治・宗教システムの基礎を築き、最盛期は人口15,000人に達し、ミケーネにも多大な影響を与えた。ホメロスが「強力な城壁で囲まれた都」と書いたように全長750mの城壁はミケーネよりもさらに巨大で、最大で厚さ8m・高さ13mに及ぶ。ミケーネと同様に城門を入ると塔や宮殿があり、宮殿はプロピュライアやメガロンで構成されていた。メガロンは11.8×9.8mで、メインの部屋には玉座が置かれ、木製の柱で支えられていた。また、外のアーケードは美しいフレスコ画(生乾きの漆喰に顔料で描いた絵や模様)で覆われていた。伝説によると英雄ペルセウスが最初に都を置いた場所であり、またゼウスとティリンス王妃アルクメネから半神半人の英雄ヘラクレスが生まれた場所とされている。

ミケーネ文明は紀元前1200~前1100年ほどに突如勃興した混成海洋民族・海の民の襲撃を受けて滅亡し、ミケーネやティリンスのアクロポリスも破壊された(紀元前1200年のカタストロフ)。紀元前8~前7世紀ほどにポリスとして再興され、宮殿やヘラ神殿などが築かれたが、紀元前468年にいずれもアルゴスによって徹底的に破壊された。住民は追放あるいは連れ去られ、都市も放棄された。

ミケーネとティリンスの発見は19世紀のこと。1841年にギリシアの考古学者キリアコス・ピッタキスがミケーネ周辺の発掘を行ってライオン門を発見したが、これがミケーネであるとは考えられていなかった。幼少時から『イリアス』を愛読していたドイツの実業家ハインリヒ・シュリーマンは伝説の都トロイア(トロイ/イリオス。世界遺産)やミケーネの発見を夢見て生涯の目標としていた。そして50歳手前で貿易商を引退すると世界周遊の旅の後、遺跡の発掘に取り掛かった。1870年に開始された発掘調査でついにイリオスを発見し、1874年にはミケーネの発掘に着手して2年後に円形墳墓Aを発見した。ティリンスも他の考古学者によって発掘が進められていたが、シュリーマンは1884年に発掘をはじめ、すでに発見されていた遺跡を破壊して掘り進めた結果、ティリンスの発見に至った。多くの遺跡を破壊しながら発掘を行うシュリーマンの手法には非難が寄せられたものの、相次ぐ歴史的発見はセンセーショナルに報道され、古代ギリシアの研究を一気に加速させた。

■構成資産

○ミケーネの考古遺跡

○ティリンスの考古遺跡

■顕著な普遍的価値

○登録基準(i)=人類の創造的傑作

ライオン門やアトレウスの宝庫、ティリンスの城壁をはじめとするミケーネとティリンスの建築とデザインは人類の創造的な才能を示す傑作である。

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

ミケーネとティリンスに代表されるミケーネ文明は古代ギリシアの建築や都市デザインの発展を促進し、結果として現代の文化形態にも計り知れない影響を与えた。

○登録基準(iii)=文化・文明の稀有な証拠

ミケーネとティリンスはミケーネ世界の政治的・社会的・経済的発展に関して独創的な証拠を提示し、ギリシア文明の初期段階の最盛期を示している。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

ミケーネとティリンスの遺跡は芸術・建築・テクノロジーの分野におけるミケーネ文明の成果を独自の方法で示しており、後のヨーロッパ文化の発展の礎を築いた。

○登録基準(vi)=価値ある出来事や伝統関連の遺産

ミケーネとティリンスはホメロスの叙事詩『イリアス』と『オデュッセイア』とさまざまに関係しており、3,000年以上にわたってヨーロッパの文学と芸術に多大な影響を与えつづけた。

■完全性

ふたつの構成資産は資産内に顕著な普遍的価値を示すすべての重要な要素を含んでおり、ミケーネ文明の精神を古代から今日に引き継いでいる。完全性は厳格な法的枠組みによって確保されており、資産内のいかなる建設も禁止され、周辺地域の農業的特徴も維持されている。いずれの遺跡もギリシアの文化教育宗教省の監視・管理下に置かれている。両遺跡で現在進められている考古学的な研究プロジェクトは資産の歴史と価値を高めることを目的としており、フィールドワークに関するすべての国際基準を考慮し、体系的な方法で実施されている。建築コンプレックスや大規模葬祭遺跡をはじめ、発掘されたモニュメントの保存状態は良好である。遺跡の発掘は保全作業と同時に行われるため、発掘調査によって資産の完全性が損なわれることはない。

■真正性

ふたつの構成資産の真正性は疑いの余地がない。ミケーネの遺跡について、過去に行われたさまざまな修復作業は遺跡への介入に関して定められた国際基準に基づいており、同時にミケーネ文明の考古学的証拠や出土した建築物の遺物に沿ったものであり、真正性を維持している。そしてまたこうした修復に先立って、可逆性の原則に基づいた特別な研究が行われている。ティリンスの遺跡の真正性についてもよく保持されている。1950年代に行われた介入は穏やかなもので、もともとの建築システムによく適合していた。それ以上に、1998~2005年に行われた修復は古代の建築方法に基づいており、ミケーネ文明の建築的要素を完全に保存している。

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