ギリシア南部ペロポネソス半島のアルカディア山脈コティリオン山の中腹には「バッサイの聖域」と呼ばれる聖地が広がっており、紀元前5世紀に築かれたアポロ・エピクリオス(治療神アポロン)に捧げるギリシア神殿がたたずんでいる。
ペロポネソス半島西部アルカディア地方にはギリシア都市フィガリアが栄えていた。紀元前420~前400年頃、ペストに悩まされていたフィガリアの人々は町から6.5kmほど離れたコティリオン山の中腹、標高1,130mほどの場所にアポロ・エピクリオスに捧げる神殿の建設を開始した。古代ギリシアの地理学者で『ギリシャ案内記』の著者でもあるパウサニアスはアテネのパルテノン神殿(世界遺産)やヘファイストス神殿を設計した建築家イクティノスの作品とし、テゲアのアテナ・アレア神殿に次ぐ傑作としてこの神殿の名を挙げている。
平面プランは南北に軸を持つ39.87×16.13mの長方形で、短辺に6本(六柱式)、長辺に15本、全体で38本の石灰岩柱が取り囲む周柱式となっている。内部は前殿=プロナオス、内陣=アディトン、本殿=ナオス、後殿=オピストドモスの4室(アディトンをナオス内と考えると3室)で構成されており、アディトンにはアポロ・エピクリオスの石像が安置されていたと考えられているが、現在は失われている。
オーダー(基壇や柱・梁の構成様式)にはズングリとした男性的で荘重なスタイルで知られるドーリア式(ドリス式)が採用されており、きわめて太い柱が連なり、柱は上部と下部がすぼまるエンタシスで、縦にフルーティングと呼ばれる溝が走っている。しかしながら内部の大理石柱はイオニア式で、ナオスの中央にはコリント式の柱が見られる。古代ギリシアのオーダーは全体の高さや広さ・デザイン、柱の数や太さ・長さは全体のバランスを見極めて設定されているため、このようにドーリア式・イオニア式・コリント式が並存するケースはほとんどなく、稀有な例となっている。ナオスのフリーズと呼ばれる梁部分はアマゾン(アマゾネス)やケンタウロスといったギリシア神話の場面を描いたイオニア式の彫刻パネルで飾られていた。また、アカンサスと呼ばれる植物の葉を彫り込んだコリント式の柱頭は現存最古を誇る。ただし、彫刻パネルやコリント式柱頭はイギリスに持ち去られ、現在はロンドンの大英博物館に展示されている。
2世紀にパウサニアスによる記述があるものの、その後の地震で倒壊し、神殿の存在は18世紀まで忘れ去られた。1765年、この地で別荘の建設を請け負ったフランス人建築家ジョアシャン・ボシェが偶然、遺跡を発見。1812年、この地を支配していたオスマン帝国から許可を得てイギリスの考古学者チャールズ・コックレルとドイツ人貴族ハラー・フォン・ハラーシュタインが中心となって発掘を行った。出土したフリーズ部分の彫刻パネルについてはイギリス王ジョージ4世の命令で22枚のパネルが持ち出され、コリント式の柱頭とともに最終的に大英博物館によって落札された。19世紀半ばにはロシア人チームによる発掘が行われ、遺構の一部はロシアに流出した。
1902年に神殿の修復が行われ、20世半ばにはギリシア考古学会による本格的な発掘調査が行われた。1965年の調査で遺跡の状態が危機的であることが確認され、1975年から大規模な改修工事が行われた。現在神殿は白いテントで覆われており、保全が図られている。
バッサイの神殿は南北に延びる縦長の平面プランや15×6本の周柱など古代ギリシア建築の際立った特徴を表現している。また、ドーリア式ながらイオニア式とコリント式のオーダーを併用しており、使用されている原料の多彩性やアディトンとナオスの構成の独創性などに大胆な革新性が見られ、きわめてユニークな芸術的成果を示している。
ナオスの中央に立つ大理石柱は現存最古のコリント式柱頭であり、ギリシア、ローマ、ロマネスク、新古典主義等々、その後に続くすべてのコリント式のモニュメントのモデルと考えることができる。
山中に隔離された環境にあるアポロ・エピクリオス神殿は地方に位置する古代ギリシアの聖域の卓越した例である。
資産には顕著な普遍的価値を伝えるために必要なすべての重要な要素が含まれている。資産は環境的に独立しており、考古遺跡として法的に保護されている。周柱式の列柱や内部のプロナオス、アディトン、ナオス、オピストドモスの配置など、神殿を際立たせている特徴の多くはほとんど当時のまま保存されている。残念ながら装飾の重要部分を構成していたフリーズの彫刻パネルについては1812年に取り去られ、コリント式の柱頭とともに大英博物館に展示されている。
現在、モニュメントは極端な天候による劣化や崩壊を最小限に抑えるために保護シェルターや水の流出システムを導入しており、資産全体を継続的に保全するための管理体制が敷かれている。
人の居住地から遠く離れた場所にありつづけたことから古代ギリシアの神殿の中でも真正性はきわめて高いレベルで維持されている。およそ1,700年にわたって忘れ去られていたモニュメントであり、紀元前5世紀に建設されてから大きな変更は加えられておらず、当時の構造や素材がほとんど手付かず保存されている。
神殿周辺の広大なエリアが保護区に指定され、自然景観の中で聖域の環境が維持されており、これらは広大なバッファー・ゾーンに反映されている。神殿の修復と保全工事はヴェネツィア憲章(建設当時の形状・デザイン・工法・素材の尊重等、建造物や遺跡の保存・修復の方針を示した憲章)に基づいて行われており、必要に応じてオリジナルと同じ素材である地元の石灰岩を用いて修復されている。
何世紀にもわたってほぼ無傷で伝えられてきた神殿と周囲の景観は芸術・建築両面における古代ギリシアの発展を決定付けた最初の表現を示しており、訪問者の感銘を誘っている。