ダーウェント峡谷の工場群

Derwent Valley Mills

  • イギリス
  • 登録年:2001年
  • 登録基準:文化遺産(ii)(iv)
  • 資産面積:1,228.7ha
  • バッファー・ゾーン:4,362.7002ha
世界遺産「ダーウェント峡谷の工場群」、クロムフォードのクロムフォード・ミル・コンプレックス、ローワー・ミル
世界遺産「ダーウェント峡谷の工場群」、クロムフォードのクロムフォード・ミル・コンプレックス、ローワー・ミル (C) Robert Powell
世界遺産「ダーウェント峡谷の工場群」、マトロック・バスのマッソン・ミル
世界遺産「ダーウェント峡谷の工場群」、マトロック・バスのマッソン・ミル (C) Robert Powell
世界遺産「ダーウェント峡谷の工場群」、ベルパーのイースト・ミルとダーウェント川
世界遺産「ダーウェント峡谷の工場群」、ベルパーのイースト・ミルとダーウェント川

■世界遺産概要

イングランド中部ダービーシャー州ダーウェント峡谷のダービーからマトロック・バスまで直線距離で24kmほどに点在する18~19世紀の紡績工場を中心とした産業集落と関連施設を登録した世界遺産。クロムフォード、マトロック・バス、ベルパー、ミルフォード、ダーリー・アビーといった産業集落には工場を中心に運河や鉄道、水路や水道橋、住宅やタウンハウス(2~4階建ての集合住宅)、教会堂や学校といったさまざまな施設が建設され、イギリス最大の綿工業地帯に発展した。

○資産の歴史

イギリスの産業革命は綿織物業の飛躍によってはじまった。綿産業について、綿花から綿糸を生産する過程を紡績、綿糸から綿織物を生産する過程を織布あるいは製織という。紡績において、綿糸の大量生産を可能にした革命的な発明がリチャード・アークライトが開発した水力紡績機だ。動力に水車による水力を用いた紡績機で、生産速度が600倍になっただけでなく、機械が強いひねりを入れることで強靭な綿糸の生産を可能にした。

1719年、ジョン・ロンベはダーウェント川に水車を設置し、ダービーの紡績工場ではじめて水力を導入した。1721年にジョンとトーマスのロンベ兄弟は5階建ての水力駆動式の工場=ミルを建設した。一方、アークライトは1769年に特許を取得し、ふたりの出資者を得て1771年にダーウェント川上流のクロムフォードにアッパー・ミルを建設し、1776年に稼働させた。さらに、有名な看護士フローレンス・ナイチンゲールの大叔父にあたるピーター・ナイチンゲールの資金提供を受け、1776~77年にローワー・ミルを建設した。同時に交通インフラも整備し、クロムフォード運河を建設してラングレーミルのエレウォッシュ運河と接続し、マンスフィールドの鉄道と連絡させた。

また、アークライトは労働者とその家族が住めるようにと住宅街を築いてクロムフォードの産業集落を開発した。これにより成長した子供が工場で働き、両親は生産された綿糸で織物を手編みするというライフスタイルを提供した。水力紡績機とミルが画期的だっただけでなく、住宅を備えた都市計画や、なんでもない農村を工業化したミル・システム(アークライト・システム)は世界に影響を与えた。

アークライトと工場に加わったジェデディア・ストラットはダーウェント川沿いにミルを拡大していった。1783年に上流のマトロック・バスでマッソン・ミルの建設がはじまり、同時期に下流のベルパーにもノース・ミルが建てられた。1781年にはさらに下流のミルフォードでもミルの開発がはじまった。ストラットはまたベルパーとミルフォードにクロムフォードにならって産業集落を建設し、数多くの住宅やタウンハウスを建設した。1782年にはトーマス、エドワード、ウィリアムのエヴァンス兄弟がダービー近郊のダーリー・アビーにミルを建設し、同様に産業集落を整備した。

1792年にアークライトが亡くなると息子が相続したが、やがてクロムフォードとマトロック・バス以外の工場は売却された。ダーウェント峡谷の工場群は主にストラット家が経営し、19世紀前半にはイギリス最大の綿工業地帯へと発展した。しかし、18世紀後半からマンチェスターをはじめとするランカシャー地方では水力に代わって蒸気機関を導入し、1830年にはイギリス最大の貿易港リヴァプールと鉄道で結ばれた。ダーウェントの工場群はランカシャーとの競争に敗れ、急速に衰退した。クロムフォードのミルは1870年代に稼働を停止。他の工場でも綿糸の生産は終了し、他の製品の工場として稼働していたが、1979年にすべての生産に幕を下ろした。

○資産の内容

世界遺産の資産にはダービーからマトロック・バスまでダーウェント峡谷の約35kmが地域で登録されており、13の保護区と838の建物がリストアップされている。中でも重要なのはクロムフォード、マトロック・バス、ベルパー、ミルフォード、ダーリー・アビーの5件の産業集落だ。

クロムフォードのクロムフォード・ミル・コンプレックでは1771年にレンガ造の全長28.5m・幅7.9m・5階建てのアッパー・ミル、1776年に全長36m・幅 8.0m・6階建てのローワー・ミルが建設され、アークライトの水力紡績機を導入して綿糸の生産を行った。また、関連施設として5階建ての倉庫や4階建ての別館、織機工場、水車小屋などが建てられた。1794年に完成したクロムフォード運河は初期の主要輸送施設で、全長23.5kmのうち10.5kmの区間が資産に登録されている。工場前に築かれたクロムフォード埠頭には倉庫やオフィスなどの施設が見られ、道中には数多くの橋やトンネルなどが残されている。1840年代まで主要輸送機関として年30tほどの物資を運搬したが、鉄道が開通すると取って代わられた。マンチェスター・バクストン・マトロック・アンド・ミッドランズ・ジャンクション鉄道は1840年代から建設がはじまり、1867年にマンチェスターまで開通した。工場はダーウェント川で水車を回したが、それとは別に貯水池や水路・水道橋を築いて産業用水と生活用水を確保した。生活インフラとしては、労働者のための住宅やタウンハウス、工場長の邸宅、教会堂、学校、市場、店舗などが建設された。

マトロック・バスはクロムフォードの北に位置する町で、1783年にクロムフォード・ミルの500mほど上流にマッソン・ミルが建設された。全長43m・幅8.4m・5階建てのレンガ造で、クロムフォードより強い川の流れを利用してアークライトの水力紡績機を動作させて綿糸を生産した。アークライトは近郊に建築家ウィリアム・トーマスに依頼して設計させた邸宅、ウィラーズリー城を建設している。

ベルパーはクロムフォードとダービーの中ほどに位置する町で、1784年にジェデディア・ストラットが水力紡績のためにノース・ミルを建設した。この工場は1803年の火事で焼失し、1804年に建築家チャールズ・ベイジが石膏・鉄・レンガを多用した耐火構造を取り入れて再建した。全長39m・幅9.4mの6階建てレンガ造で、支柱や梁には鋳鉄が多用された。隣接するダーウェント川には馬蹄形の堰を設け、水圧を増して水車を回した。また、クロムフォードにならって労働者のための住宅街を建設し、砂岩やレンガの家々を提供した。1840年にノース・ミッドランド鉄道が開通すると大いに盛り上がり、周辺には工場に部品を供給する工房や生産された糸で織物を織る工房など500もの工房が立ち上がり、繊維産業で繁栄した。1912年に建設されたイースト・ミルは77×42mほどの長方形の建物で、四隅に四角形の塔を持つ要塞のような7階建てとなっている。このイースト・ミルが完成してから一帯は最盛期を迎えた。

ミルフォードはベルパーの南に位置する町で、ストラットは1781年に土地を購入し、すぐに紡績と漂白のためのミルフォード・ミル・コンプレックスを建設した。工場と関連の施設は1960年に一掃されてほとんど残っていないが、ストラットが建設した労働者のための住宅や学校(ランカステリアン・スクール)・教会堂(ユニテリアン礼拝堂)などの公共施設はほとんど手付かずで伝えられている。

ダーリー・アビーはダービー郊外の町で、アビー(修道院)の名の通り12世紀~1538年まで活動していたダーリー修道院にちなんで命名された。もともと産業が盛んな土地で、紙やトウモロコシ、磁器用の石材などの生産が行われ、動力として水車も活用されていた。1778年にトーマス・エヴァンスが紡績工場のための土地を購入し、1782年に完成したが、この工場はまもなく焼失した。これに代わって1789年に全長38.4m・幅10.1m、屋根裏部屋を含めて6階建てのロング・ミルが完成した。1階は石積み、上層階はレンガ造で、鋳鉄製の柱が多用され、火災対策として木製の柱も金属で覆われた。ダーウェント川には堰が設けられ、水車の動きを活性化させた。周辺には倉庫やオフィスビル、厩舎などさまざまな施設が立ち並び、1818年にイースト・ミル、1821年にはウェスト・ミルが同様の造りで建設され、ミル・コンプレックスを形成した。また、エヴァンス家は工場の近隣に産業集落を建設し、130棟以上の住宅やタウンハウス、教会堂(セント・マシュー教会/聖マタイ教会)や学校(セント・マシュー・スクール)を労働者に提供した。これらの多くがいまに伝えられている。

■構成資産

○ダーウェント峡谷の工場群

■顕著な普遍的価値

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

ダーウェント峡谷は18世紀後半にリチャード・アークライトの綿紡績に関する革新的な紡績機を備えたミルで、世界の工場システムのモデルとなった。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

ダーウェント峡谷は農村が工業地帯に発展した最初の例であり、この地で綿糸の大量生産が行われた。労働者と管理者に住宅や種々の施設を提供するために建造された最初の近代的な産業居住地である。

■完全性

産業関係の建造物群や付随の居住地と、川とその支流および周辺の田園風景との関係は、特に峡谷の上流域においてほぼ無傷で維持されている。同様に、工場と運河・鉄道といった他の産業要素や労働者の住宅との関係性は依然として明確に視認できる。資産は文化的景観を構成する主要な特徴をすべて含んでいるが、こうした産業景観は開発による脅威に対して脆弱である。

■真正性

いくつかの産業用建造物は新しい技術的・社会的変化に対応するため大幅な変更と追加が行われたが、元の形状・素材・構造はそのまま引き継いでおり容易に見分けることができる。建物の修復作業は関連の資料や類似の近代建築の綿密な調査に沿って実施されており、互換性のある素材が使用されるようあらゆる努力が払われている。火災や解体によって建造物が失われた場合、復元は試みられていない。全体的な景観は水力によって発展した近代工場システムと、その技術的・社会的・経済的発展の様子をよく反映している。

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