ヴェゼール渓谷の先史遺跡群と装飾洞窟群

Prehistoric Sites and Decorated Caves of the Vézère Valley

  • フランス
  • 登録年:1979年
  • 登録基準:文化遺産(i)(iii)
  • 資産面積:105.733ha
世界遺産「ヴェゼール渓谷の先史遺跡群と装飾洞窟群」、ラスコー洞窟、ウシ(オーロックス)の彩色壁画(復元)
世界遺産「ヴェゼール渓谷の先史遺跡群と装飾洞窟群」、ラスコー洞窟、ウシ(オーロックス)の彩色壁画(復元)
世界遺産「ヴェゼール渓谷の先史遺跡群と装飾洞窟群」、ラスコー洞窟、中央上はシカ(メガロセロ)。他にもウシやウマ、斑点状の文様が見える(復元)
世界遺産「ヴェゼール渓谷の先史遺跡群と装飾洞窟群」、ラスコー洞窟、中央上はシカ(メガロセロ)。他にもウシやウマ、斑点状の文様が見える(復元)
世界遺産「ヴェゼール渓谷の先史遺跡群と装飾洞窟群」、クロマニヨン岩陰遺跡
世界遺産「ヴェゼール渓谷の先史遺跡群と装飾洞窟群」、クロマニヨン岩陰遺跡
世界遺産「ヴェゼール渓谷の先史遺跡群と装飾洞窟群」、ロジュリー・バス岩陰遺跡のウシのペトログリフ (C) Sémhur
世界遺産「ヴェゼール渓谷の先史遺跡群と装飾洞窟群」、ロジュリー・バス岩陰遺跡のウシのペトログリフ (C) Sémhur
世界遺産「ヴェゼール渓谷の先史遺跡群と装飾洞窟群」、グラン・ロック洞窟の鍾乳石や石筍・石柱 (C) Petr1888
世界遺産「ヴェゼール渓谷の先史遺跡群と装飾洞窟群」、グラン・ロック洞窟の鍾乳石や石筍・石柱 (C) Petr1888

■世界遺産概要

ヴェゼール渓谷はフランスの西部ヌーヴェル=アキテーヌ地方のドルドーニュ県に位置する渓谷で、40×30kmほどの範囲に150以上の先史遺跡群と30ほどの装飾洞窟群が集中している。40万~1万年前の人類の生活の痕跡が残されており、一帯からは10万点に及ぶ人間や動物の骨片、フリント(火打石)、石器や骨角器、彫刻、ペトログラフ(岩絵・壁画)やペトログリフ(線刻・石彫)が発見されている。特に「洞窟壁画のシスティーナ礼拝堂」「先史時代のヴェルサイユ」の異名を持つラスコー洞窟などに見られる洞窟壁画は人類学・民族学・歴史学・芸術学の観点から比類ないものとなっている。このうち7件の洞窟遺跡と8件の岩陰遺跡(岩や岩壁の下やくぼみ・割れ目・浅い洞穴といった岩の陰に営まれた遺跡)の計15件が世界遺産の構成資産となっている。なお、本遺産は1979年に「ヴェゼール渓谷の装飾洞窟群 "Decorated grottoes of the Vezere Valley"」の名称で登録されたが、岩陰遺跡を含むため2006年に現在の名称に変更された。

○資産の歴史

ヴェゼール渓谷で発見された最初期の人類の痕跡はネアンデルタール人(ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス。異説あり)によるものだ。40万~30万年ほど前に誕生し、3万~2万年前に絶滅した旧人で、すでに「文化」と呼べるものを獲得していた。洞窟を住居としていたこともあり、石灰岩をベースとしたカルスト地形で洞窟の多いヴェゼール渓谷は過ごしやすかったのか、この地で火やさまざまな素材の打製石器や骨角器を使いこなし、仲間が死ぬと埋葬を行った。スペインのラ・パシエガ洞窟(世界遺産)などでは4万年以前にさかのぼる洞窟壁画や装飾品が発見されており、芸術を理解していたとする説も提唱されている。9万年ほど前に誕生したネアンデルタール人の文化がムスティエ文化(紀元前90000~前35000年頃)で、ヴェゼール渓谷のムスティエ岩陰遺跡群から出土した 「ル・ムスティエ」と呼ばれる頭蓋骨からこの時代名が付けられた。

5万~3万年前に現生人類ホモ・サピエンス・サピエンスの一派である新人のクロマニヨン人がヨーロッパに拡散した。当初は共存していたようだが、やがてネアンデルタール人が絶滅し、ムスティエ文化はフランス南部とスペインを中心に南ヨーロッパや中央ヨーロッパで繁栄したオーリニャック文化(紀元前45000~前28000年頃)へ移行した。オーリニャック文化の大きな特徴が芸術で、見事な洞窟壁画や彫刻・装飾品が多数発見されている。ヴェゼール渓谷のクロマニヨン岩陰遺跡がこの時代の象徴的な遺跡で、1868年に出土した初期人類の人骨がクロマニヨン人発見のきっかけとなった。

これ以降、文化は発達を続け、シャテルペロン文化(紀元前35000〜前30000年頃)、グラヴェット文化(紀元前30000〜前21000年頃)、ソリュートレ文化(紀元前22000~前17000年頃)、マドレーヌ文化(マグダレニアン文化。紀元前17000~前11000年頃)などが繁栄した(シャテルペロン文化とグラベット文化はペリゴール文化とも呼ばれるなど、時代区分や年代には諸説ある)。特にマドレーヌ文化は華やかな彩色壁画で知られ、ヴェゼール渓谷のラスコー洞窟やスペインのアルタミラ洞窟(世界遺産)はあまりに有名だ。また、彫刻や骨角器が著しく発達した時代でもあり、ヴェゼール渓谷のマドレーヌ岩陰遺跡から多彩な彫刻や骨角器が出土しており、マドレーヌ文化の名称の元となった。

○資産の内容

世界遺産の構成資産15件は以下。

「ラスコー洞窟」について、1940年に愛犬がウサギを追って穴に落ちたことを切っ掛けに10代の青年が洞窟を発見し、翌日ランプを持って3人の友人と内部を探索したところ鮮やかな彩色壁画の発見に至った。教師を介して報告を受けた考古学者アンリ・ブルイユが壁画を調査し、世紀の発見であることを確認した。

6,000体もの動物画と多数の幾何学図形が見つかっており、その色彩・バリエーション・大きさといった点で無二の遺跡であり、時代的には紀元前17000年前後、オーリニャック文化からマドレーヌ文化にかけての作品と考えられている。しかし、1日千人を超える見学者が押し寄せるようになり、人間の呼気や熱、カビや地衣類等の菌類によって壁画が急速に劣化したため1963年に非公開となった。その後、殺菌剤や抗生物質を使用して菌類の一掃を図り、空調システムを導入して厳正な管理下に置かれた。現在まで一般には公開されていないが、1983年に隣接地にレプリカ洞窟ラスコー2、2009年にハイライトを集めた移動式のラスコー3、2016年にモンティニャック市内に3Dスキャンやデジタル技術を駆使した原寸大のラスコー4がオープンしている。

ラスコー洞窟の全長は約235mで、内部は7セクションに分かれており、入口側から牡牛のホール、軸のギャラリー、通路、身廊、ネコのチャンバー、アプス(後陣)、井戸となっている。この中で牡牛のホールと軸のギャラリーは方解石を含む硬くて粗い壁面であることから顔料を塗ったペトログラフが主で、身廊以降は比較的柔らかい石灰岩層であるため壁を彫って線を刻んだペトログリフが多くなっている。ラスコーでは100以上のランプが発見されているが、クロマニヨン人はランプを使って洞窟を照らし、足場を作って天井にまで作品を描いた。顔料には鉄やマンガンの酸化物や木炭を使用し、樹液や血液・脂肪に混ぜて使用していたようだ。

もっとも壮大なセクションが牡牛のホールで、最大5mになるオーロックス(ウシの絶滅種)や10頭ほどのウマ、2本の角のような直線が描かれた「ユニコーン」をはじめ華やかな彩色壁画で彩られている。軸のギャラリーや身廊もアイベックスやウマ、オーロックス、メガロセロ(シカの絶滅種)といった多彩な動物画が見られ、斑点状の文様をはじめ幾何学図形も点在している。ネコのチャンバーはネコ科の動物のペトログリフを主とするセクションで、次のアプスでは1,000点以上のペトログリフが見られ、いくつかは彩色されている。井戸には鳥の頭を持つ人間の周りにバイソンやサイ、ウマなどが描かれた不思議な壁画があり、神話的要素も指摘されている。

「クロマニヨン岩陰遺跡」は1868年の道路(鉄道とも)工事中に幼児1体を含む5体の人骨が出土したことから発見された。調査の依頼を受けた古生物学者エドゥアール・ラルテと、その息子で現地調査を行ったルイ・ラルテは骨格や姿勢が現代のコーカソイド(白色人種)とほとんど変わらず、ネアンデルタール人と異なることを確認し、クロマニヨン人と命名して発表した。その後の調査からこれらの遺体が埋葬されていたことが判明し、一緒に出土した貝殻や象牙のペンダントやネックレスが副葬品であることを示唆していた。また、一帯からはフリントや骨角器も数多く出土している。

「ポワソン岩陰遺跡」の「ポワソン」はフランス語で「魚」を意味し、1912年に発見された魚のレリーフに由来する。岩陰に刻まれた全長約1mの魚はサーモンで、25,000年ほど前のグラヴェット文化のものと見られる。遺跡自体は1892年に発見されており、動物画の他に、手をかざして顔料を吹き付けたステンシル画法による手の壁画が見つかっている。

「フォン・ドゥ・ゴーム洞窟」は地元で子供の遊び場になっていた全長125mほどの洞窟で、1901年に洞窟壁画が発見された。状態は良好とはいえないが、ラスコー洞窟に匹敵する見事な彩色壁画が200点以上確認されている。対象は動物が多く、トナカイやバイソン、オオカミ、ウマといった現在見られる動物に加え、ライオンやサイのようにヨーロッパでは見られなくなった野生種や、すでに絶滅したオーロックスやマンモスといった動物が描かれており、当時の生態系を知る貴重な手掛かりとなっている。2頭のトナカイの対決シーンや妊娠中のバイソンのような物語性のある描写が見られる他、十字形や四角形といった幾何学図形や人物像も含まれており、ペトログラフとペトログリフの両者が見られる。これらはマドレーヌ文化のもので、洞窟壁画が描かれた最後の時代の作品群と考えられている。

「ミコック岩陰遺跡」は1895年に発見された遺跡で、厚さ10mほどの石灰岩の堆積層から40万~13万年前にさかのぼるネアンデルタール人の石器が多数発掘されている。多いのは石斧や石刃、フリントで、石器の進化の様子がうかがえる。

「ムート洞窟」は1894年に農家の親子が発見し、医師で考古学者でもあったエミール・リヴィエールに報告され、翌年から本格的な調査がはじまった。直径37cmほどの小さな穴から全長180mを超える洞窟が伸びており、90mより奥の空間から200点以上のペトログラフやペトログリフが発見された。主に描かれているのはバイソンやオーロックスで、トナカイやマンモス、サイ、ヘラジカ、アイベックス、ウマなども見られる。300点以上のランプや多彩な骨角器も出土しており、多くはマドレーヌ文化のものとされる。

「ロジュリー・バス岩陰遺跡」はエドゥアール・ラルテが1860年代に発掘調査を行った遺跡で、600点以上の遺物が発見されている。特に名高いのはレリーフ「雌トナカイ」や頭部のない女性像「ヴィーナス・アンプディーキ(控え目なヴィーナス)」といった彫刻で、いずれもマドレーヌ文化の作品だ。他にオーロックスやシャモア、ノロジカのペトログリフが見られるほか、新石器時代や青銅器時代の遺物も発見されており、1万年以上にわたる人類の痕跡が記録されている。

「ロジュリー・オート岩陰遺跡」は1863年に調査が開始された遺跡で、全長200mほどの堆積層からグラヴェット文化からソリュートレ文化を経てマドレーヌ文化まで、紀元前24000~前15000年の1万年近くにわたる遺物が発見されている。柳の葉のような形のソリュートレ文化の石刃や、ペンダントをはじめとするマドレーヌ文化の装飾品がよく知られている。

「グラン・ロック洞窟」は1924年に発見された鍾乳洞で、つららのように垂れ下がる鍾乳石や下から盛り上がる石筍(せきじゅん)、両者が結び付いた石柱、石灰岩や鉄・マンガン化合物などによる多彩な形状と色彩豊かな結晶体が見られ、「鉱物の森」と呼ばれる。鍾乳洞は美しく、断崖にへばりつくように築かれた建造物群もユニークだが、先史時代の重要な遺物は発見されておらず、本遺産の構成資産としてふさわしくないとする意見もある。

「コンバレル洞窟」はフランスの考古学者ダニー・ペイロニー、ルイ・カピタン、アンリ・ブルイユらによって1901年に発見された洞窟で、マドレーヌ文化のペトログリフを中心に動物画800点以上が発見されている。動物はアイベックスやウマ、バイソン、トナカイ、ネコからヨーロッパでは見られなくなったサイ、絶滅したマンモスやオーロックス、ホラアナライオンまで多彩で、人間の姿も見られる。これ以外に石器や骨角器も数多く出土している。

「カップ・ブラン岩陰遺跡」は1908年に発見された遺跡で、幅15m・高さ2mほどの断崖にウマ、バイソン、アイベックスの姿が刻まれていた。約15,000年前のマドレーヌ文化のペトログリフで、もともとは彩色されていたが退色してしまった。1911年には「マドレーヌの少女」と呼ばれる女性の全身骨格が出土している。

「クロ・ドゥ・グランヴィレ洞窟(ルーフィニャック洞窟)」は古くから知られる洞窟で、1575年の記録が存在し、19世紀には観光名所となっていた。約15,000年前、マドレーヌ文化のペトログラフやペトログリフが見られ。160体以上に及ぶマンモスを筆頭に、バイソン、ウマ、アイベックス、サイなど260体の動物画と数体の人物画が存在する。ホラアナグマの巣だった時代もあったようで、壁を引っ掻いた爪の跡が確認されている。

「ロック・ドゥ・サン=シルク洞窟(ソルシエ洞窟)」は1952年に発見された洞窟で、入口付近に刻まれた男性のペトログリフから「魔術師(ソルシエ)の洞窟」とも呼ばれている。人間やウマ、バイソン、アイベックスなどのペトログリフはソリュートレ文化やマドレーヌ文化の作品と見られている。

「ムスティエ岩陰遺跡群」はふたつの岩陰遺跡からなる構成資産で、イギリス人考古学者のヘンリー・クリスティとフランス人のエドゥアール・ラルテによって1863年に調査が開始された。1908年に「ル・ムスティエ」と呼ばれる約45,000年前のネアンデルタール人の頭蓋骨が発掘され、その後も子供のものと見られる「ル・ムスティエ2」をはじめ発見が相次いだ。これら以外にも16万年前までさかのぼるムスティエ文化の石器や、3万年ほど前のオーリニャック文化やシャテルペロン文化の石器が出土しており、ネアンデルタール人の文化がクロマニヨン人の文化に移り変わる時代の遺跡となっている。

1863年に発見された「マドレーヌ岩陰遺跡」もヘンリー・クリスティとエドゥアール・ラルテによって発掘された遺跡で、20世紀に入ってダニー・ペイロニーによってより詳細に調査された。もっとも特徴的な遺物が「マドレーヌの幼児」と呼ばれる3歳前後の幼児の全身骨格で、1,000以上の貝殻を用いた装飾品とともに丁重に埋葬されていた。約1万年前との測定結果が出ており、マドレーヌ文化、あるいはそれを引き継いだアジール文化のものと考えられている。他にも象牙やトナカイの骨にウマやマンモス、ライオンの姿を刻んだ彫刻作品が発見されており、レリーフで飾られた投槍器は特に有名で、これらの多くは17,000~12,000年前のマドレーヌ文化の遺物と考えられている。岩陰には他に13世紀の城壁や14世紀のゴシック様式のサント・マドレーヌ礼拝堂が残されている。

■構成資産

○クロマニヨン岩陰遺跡

○ポワソン岩陰遺跡

○フォン・ドゥ・ゴーム洞窟

○ミコック岩陰遺跡

○ムート洞窟

○ロジュリー・バス岩陰遺跡

○ロジュリー・オート岩陰遺跡

○グラン・ロック洞窟

○コンバレル洞窟

○カップ・ブラン岩陰遺跡

○ラスコー洞窟

○クロ・ドゥ・グランヴィレ洞窟(ルーフィニャック洞窟)

○ロック・ドゥ・サン=シルク洞窟(ソルシエ洞窟)

○ムスティエ岩陰遺跡群

○マドレーヌ岩陰遺跡

■顕著な普遍的価値

○登録基準(i)=人類の創造的傑作

ヴェゼール渓谷の洞窟や岩陰で発見された具象的な作品群は先史時代の芸術の世界的な傑作である。特にマルゲのカップ・ブラン岩陰遺跡に隣接するローセル岩陰遺跡から出土した彫刻「ローセルのヴィーナス」や、1940年に発見されたモンティニャックのラスコー洞窟の壁画は、先史時代の美術史においてきわめて重要な位置を占めている。100体の動物で狩りの場面を巧みに描き出したラスコー洞窟の壁画は当時の人々の観察眼の正確さと色彩の豊かさ、生き生きとした描写といった点で驚異的なものである。

○登録基準(iii)=文化・文明の稀有な証拠

ヴェゼール渓谷で発見された遺物と芸術作品群ははるか昔に消滅した文化のきわめて稀有な証拠であり、解明が難しい文化に光を当てるものである。人類史においてもっとも初期の時代を理解するうえで重要なこれらの史料は旧石器時代までさかのぼるもので、人類学・民族学・歴史学・芸術学の観点から際立って興味深いものである。

■完全性

ヴェゼール渓谷の遺跡群は旧石器時代の遺跡の多様性と密度から顕著な普遍的価値を評価されており、40万~1万年前にわたる人類の多彩な居住と先史時代の芸術活動の様子を示している。遺跡の核心部分は発見された当初の状態で保存されており、真正性が確保されている。また、環境的に主として伝統的な農村地域に属しており、その中で完全性も保持されている。

遺跡の保存状態はよく、記録もしっかり残されている。先史時代の先駆的な地域で長い研究の歴史があり、国と地方自治体の表現の場である国際先史遺跡センターに代表されるように、遺跡の解明と記録に関して卓越した技術を有している。

■真正性

ラスコー洞窟では壁画に対する脅威のため1963年に一般公開を中止し、国に移管して厳しい管理体制が調えられた。2000年にカビなどの生物による損傷が確認されたが、新たな対策が取られ、壁画と堆積層の真正性が確保された。ラスコーの壁画の表面には一部に茶色い修復跡が残されているが、ごくわずかにすぎない。

■関連サイト

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