ポン・デュ・ガール[ローマの水道橋]

Pont du Gard (Roman Aqueduct)

  • フランス
  • 登録年:1985年、2007年軽微な変更
  • 登録基準:文化遺産(i)(iii)(iv)
  • 資産面積:0.3257ha
  • バッファー・ゾーン:691ha
景観との調和が美しい世界遺産「ポン・デュ・ガール[ローマの水道橋]」
景観との調和が美しい世界遺産「ポン・デュ・ガール[ローマの水道橋]」(C) Krzysztof Golik
世界遺産「ポン・デュ・ガール[ローマの水道橋]」。ローマ最大級のアーチ建築で、川の流れが激しい中央部ほどアーチが大きくなっている
世界遺産「ポン・デュ・ガール[ローマの水道橋]」。ローマ最大級のアーチ建築で、川の流れが激しい中央部ほどアーチが大きくなっている (C) Иерей Максим Массалитин
世界遺産「ポン・デュ・ガール[ローマの水道橋]」。所々に見える出っ張りは足場となる石材
世界遺産「ポン・デュ・ガール[ローマの水道橋]」。所々に見える出っ張りは足場となる石材
世界遺産「ポン・デュ・ガール[ローマの水道橋]」。セゴビアやラス・ファレラス、ミラグロスといった他の世界遺産の水道橋と比較してズングリした印象を受けるが、これらの水道橋が高さ30m未満なのに対し、ポン・デュ・ガールは約50mと圧倒的に大きい
世界遺産「ポン・デュ・ガール[ローマの水道橋]」。セゴビアやラス・ファレラス、ミラグロスといった他の世界遺産の水道橋と比較してズングリした印象を受けるが、これらの水道橋が高さ30m未満なのに対し、ポン・デュ・ガールは約50mと圧倒的に大きい
世界遺産「ポン・デュ・ガール[ローマの水道橋]」、左のアーチは中層、右の道路橋は1746年に増築されたもの
世界遺産「ポン・デュ・ガール[ローマの水道橋]」、左のアーチは中層、右の道路橋は1746年に増築されたもの
世界遺産「ポン・デュ・ガール[ローマの水道橋]」、ニームに上水を供給していた上層の水道部分 (C) Le plombier du désert
世界遺産「ポン・デュ・ガール[ローマの水道橋]」、ニームに上水を供給していた上層の水道部分 (C) Le plombier du désert

■世界遺産概要

ポン・デュ・ガールはフランス南部オクシタニー地域圏のヴェール=ポン=デュ=ガールに位置するローマ時代の水道橋で、西暦50年前後(一説では紀元前20年頃)にニーム水道の一部として建設された。三重アーチ橋の上層は全長275m・最大高48.77mとローマ帝国でもっとも高く雄大な水道橋で、周囲の景観との調和も際立っており、技術的にも芸術的にもローマ建築の最高峰のひとつと讃えられている。

「ポン・デュ・ガール」の名称について、"Pont" はフランス語で「橋」、"Gard" は下を流れるガール川(現・ガルドン川)を示し、「ガール橋」という意味になる。

なお、本遺産は2007年の軽微な変更でバッファー・ゾーンが設定された。

○資産の歴史

ニームは古くからのオッピドゥム(城郭都市)で、共和政ローマが紀元前123年に遠征を開始するとローマ属州ガリア・ナルボネンシス(ガリア・トランサルピナ)に組み込まれた。イタリア半島からイベリア半島に至るドミティア街道が整備されるとその要衝となり、ローマ植民都市コロニア・ネマウサが建設された。町を囲む市壁は6kmに及び、その中にディアナ神殿やメゾン・カレ、テアトルム(ローマ劇場)、アンフィテアトルム(円形闘技場)といった多くの建造物が建設された。人口は2万に達したといわれるが、市民に上水(飲用水)を供給したのがニーム水道だ。

コロニア・ネマウサはローヌ川に近く、小さな河川もいくつか流れていたため生活用水や産業用水には事欠かず、井戸によって飲用水も確保することができた。このため水道は不可欠なものではなかったが、豊富な飲用水と鉱泉や温泉、庭園や噴水用の清潔な水の供給は長らく望まれていた。近場の水源は標高が低すぎて使えず、唯一使えそうだったのが直線距離で北東20kmほどに位置するユゼス近郊のフォンテーヌ・デュールの水源で、ここから水道を築いて水を引くことになった。ただ、ニームとフォンテーヌ・デュールの標高差はわずか12.17mで、平均勾配を1km当たり25cmに抑える必要があった。これを実現するために山や丘があればトンネルを掘るか迂回し、谷があれば橋を架けなければならなかった。この結果、全長50.02kmもの水道が築かれることとなった。

ニーム水道の最大の難所がガルドン川が流れるガルドン峡谷で、標高が50~60mも下がっているためそれまでにない高さの橋が必要になった。ただ、高さ50m以上の橋は技術的に困難だったため、水道橋の直前まで勾配を強くし、その分、その後の勾配は限界まで抑えられた。実際の水道橋の勾配は1,000m当たり約5.5cmで、その後の水道には1,000m当たり1cm以下という箇所も存在している。こうした勾配の精密測定には両端に重りを垂らした木製の水準器が用いられた。また、丈夫な橋脚が必要だったため、近郊のエステル採石場から最大6tにもなる巨大な石灰岩を切り出して下層と中層に使用し、川の流れを妨げないように下層のアーチは両端より中央付近が大きく造られた。さらに、ガルドン川の水位上昇に備えて水道橋全体が上流側に張り出す形で湾曲している。この水道の完成により1日平均3万~4万立方mの水がニームへ送られた。

ポン・デュ・ガールの建設年代について、以前はこの水道の建設は初代皇帝アウグストゥスの腹心で都市や道路の建設を担当していたアグリッパが指揮し、紀元前20年前後に完成したといわれていた。しかし、現在では出土した硬貨やその他の遺物からクラウディウスやネロの治世である西暦40~50年代に築かれたものと考えられている。

ローマ帝国が衰退した4世紀以降、次第にメンテナンスが行き届かなくなって水量は大幅に減少し、6世紀初頭には水道橋としての機能を失った。ただ、ガルドン峡谷を渡る橋として使用が続けられ、この橋の権利を得た領主や司教らは橋を保全して有料で使用を許可した。ただ、12世紀に教会堂や他の建物を建てるために上層の12のアーチが破壊され、石材は建築素材として持ち去られた。

中世から水道橋は名高く、シャルル9世やルイ14世といったフランス王がこの地を訪れた。特にルイ14世の治世の1699~1702年にかけて橋脚が大規模な修復を受けた。18世紀半ばにも土木建築家アンリ・ピトーが修復し、1746年には人やウマが行き来できるように下層を拡張して道路橋が取り付けられた。特に大きな関心を示したのがフランス皇帝ナポレオン3世で、現地を訪れると古代の皇帝の偉業として敬意を表し、建築家シャルル・レーネに修復を命じた。

18世紀に入って産業革命が進展すると交通の発達もあって観光開発が進み、ポン・デュ・ガールも南フランスの重要な観光地となった。感銘を受けた作家や芸術家は数多く、作家・思想家のジャン=ジャック・ルソーは「私は自らの小ささを思い知らされつつも、魂を高揚させる計り知れない何かを感じ取り、ため息をつきながら『なぜ私はローマ人に生まれなかったのか』とつぶやくほどだった」と語っている。またスタンダールは「ポン・デュ・ガールの前で私の魂は長く深い驚きに没入します。あのローマのコロッセオでも私をこれほど深い幻想に導くことはありませんでした」と述べ、画家のユベール・ロベールは数多くの作品に描いている。

こうしてローマ帝国の高度な建築技術と以後の人々の保全努力によって、約2,000年を経た現在においてもポン・デュ・ガールはその美しい姿で見る者を魅了している。

○資産の内容

世界遺産の資産としてはポン・デュ・ガールが単独で登録されており、周辺景観やガルドン川の600mほど下流の沿岸に位置するエステル採石場などはバッファー・ゾーンに含まれている。

三重アーチ橋のポン・デュ・ガールは「V」字形の峡谷に架かるように下層が狭く上層が広い構造で、下層から全長142.35m・幅6.36m、中層242.55m・4.56m、上層275.00m・幅3.06mとなっている。アーチは下層に6、中層に11、上層に35(もともと47)を有しており、下層のアーチは両端が21.87m、その間は24.52mで、ローマ建築最大級のアーチとなっている。高さについても最大48.77mとローマ帝国の水道橋としてはもっとも高い。使用されている切石は最大6tで、総重量は約50,000tと見積もられている。下層と中層の切石は巨大な石灰岩で、上層はより小さな石が使用されている。上層上部に幅1.35mの水道が通っており、底に砂利を敷き詰めモルタルで塗装して水漏れを防ぎ、上部に蓋をして雨水や埃が入らないように設計されていた。橋脚も水の流れをよくするためにモルタルが塗られているが、ほとんどの部分については石を積み上げるのみとなっている。

■構成資産

○ポン・デュ・ガール[ローマの水道橋]

■顕著な普遍的価値

○登録基準(i)=人類の創造的傑作

ポン・デュ・ガールはローマ時代の技術的傑作であり、その存在によって景観を一変させた卓越した芸術的業績でもある。

○登録基準(iii)=文化・文明の稀有な証拠

ポン・デュ・ガールはローマ時代に築かれた水道橋の中でも傑出した建造物である。ローマ文明のひとつの特徴として都市と領土の開発が挙げられるが、この開発を可能にしたローマのエンジニアと建築家の技術の高さを証明している。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

ポン・デュ・ガールはローマ帝国の時代の建築的発展を示すもっとも代表的な作品のひとつである。

■完全性

中世、この古代建築は多くの石材を喪失し、上層のアーケードについては12のアーチが失われた。また、同じ中世に人や動物が通るための通路が設置され、中層のパイル(杭)が厚さの半分以上を削られたことでこの建築作品の安定性が脅かされた。こうした改変にもかかわらず、ポン・デュ・ガールのすぐれた保存状態は特筆すべきものがある。1699年から1702年にかけて橋脚が修復され、橋脚の高さに合わせて道路となるコーベル(持ち送り)が架けられた。そして1746年、水道橋の下層に設置する道路橋の建設がエンジニアのアンリ・ピトーに依頼され、ピトーは古代の水道橋と可能な限り調和させることに腐心し、これを完成に導いた。

■真正性

ガルドン川の流れに対応するためわずかに湾曲したレイアウトや、橋脚の前に取り付けられたリップ(縁)といった工夫をはじめ、ポン・デュ・ガールの設計には並外れた創造性が発揮されている。この構築物はまた洗練された石細工や、石工や石切のための道具の跡や、組み立てのための記号が残る切石の組石をはじめ、ローマ帝国初期の建設過程についてもっとも豊富な情報を提供するものである。そして石を切り出した採石場も遺跡から600mほど離れた場所に保存されている。

ニーム水道は6世紀はじめに機能を停止し、以降、ポン・デュ・ガールがその用途を取り戻すことはなかった。17世紀末から今日まで何度も修復されており、ローマ文明を代表する記章的なモニュメントとして見事な孤高の姿を伝えている。今日ポン・デュ・ガールは4,500人の人口を持つもっとも近郊の村々から離れた場所にあり、近くには1865年と1901年に築かれたわずか2棟、製粉所からレストランに改装された左岸の建物と、右岸に建設されたホテルが立つのみに留まっている。

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