オランジュのローマ劇場とその周辺及び凱旋門

Roman Theatre and its Surroundings and the "Triumphal Arch" of Orange

  • フランス
  • 登録年:1981年、2007年軽微な変更
  • 登録基準:文化遺産(iii)(vi)
  • 資産面積:9.45ha
  • バッファー・ゾーン:232ha
世界遺産「オランジュのローマ劇場とその周辺及び凱旋門」、ローマ劇場=テアトルム。右の壁がステージ壁=スカエナエ・フロンス
世界遺産「オランジュのローマ劇場とその周辺及び凱旋門」、ローマ劇場=テアトルム。右の壁がステージ壁=スカエナエ・フロンス
世界遺産「オランジュのローマ劇場とその周辺及び凱旋門」、テアトルムの観客席と正面から見たスカエナエ・フロンス。壁龕に立っているのがアウグストゥス像
世界遺産「オランジュのローマ劇場とその周辺及び凱旋門」、テアトルムの観客席と正面から見たスカエナエ・フロンス。壁龕に立っているのがアウグストゥス像
世界遺産「オランジュのローマ劇場とその周辺及び凱旋門」、ルイ14世が絶賛したと伝わるテアトルムのファサード外壁
世界遺産「オランジュのローマ劇場とその周辺及び凱旋門」、ルイ14世が絶賛したと伝わるテアトルムのファサード外壁 (C) Suwannee.payne
世界遺産「オランジュのローマ劇場とその周辺及び凱旋門」、コリント式のオーダーを持つオランジュの凱旋門
世界遺産「オランジュのローマ劇場とその周辺及び凱旋門」、コリント式のオーダーを持つオランジュの凱旋門
世界遺産「オランジュのローマ劇場とその周辺及び凱旋門」、オランジュの凱旋門、北面のレリーフ群
世界遺産「オランジュのローマ劇場とその周辺及び凱旋門」、オランジュの凱旋門、北面のレリーフ群 (C) Christophe.Finot

■世界遺産概要

オランジュはフランス南部プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏のヴォクリューズ県の古都で、帝国有数のローマ都市として知られていた。特にローマ劇場=テアトルム、通称・古代劇場=テアトル・アンティークは同種の遺跡の中でもっとも完全かつ保存状態のよいもので、また凱旋門は「ローマの平和=パックス・ロマーナ」の到来を告げるレリーフが刻まれたもっとも重要な凱旋門のひとつとして知られている。構成資産は「古代劇場」と「凱旋門」の2件で、「古代劇場」にはテアトルムの背後に広がるコリンヌ・サントゥトロップ公園(サントゥトロップの丘公園)も含まれている。なお、本遺産は2007年の軽微な変更でバッファー・ゾーンが設定された。

○資産の歴史と内容

オランジュの地には古くからケルト人の町・アラウシオがあり、やがてケルト系あるいはゲルマン系といわれるキンブリ人の土地となった。紀元前2世紀末に共和政ローマがプロヴァンス地方に進出すると、キンブリ人やゲルマン系のテウトネス人、ケルト系のアンブロネス人らが連合を組んで対抗してキンブリ=テウトニ戦争が勃発。紀元前105年のアラウシオの戦いでローマ軍を散々に打ち破った。共和政ローマは大敗を受けてガイウス・マリウスが軍制革命を行うと、紀元前102年のアクアエ・セクスティアエの戦い、紀元前101年のウェルケラエの戦いに大勝し、アラウシオを版図に収めて諸民族をほとんど消滅に追い込んだ。

紀元前35年頃、アラウシオはローマ植民都市コロニア・ユリア・フィルマ・セクンダノルム・アラウシオ(第2軍団によって設立されたアラウシオのユリウス植民都市)として再建され、全長3.5kmの市壁に囲まれた方格設計(碁盤の目状の都市設計)の城郭都市となった。ガリア(イタリア北部からフランス、スイス、ベルギーに至る地域)の文化とローマの文化が融合したガロ・ローマ文化の中心地のひとつとして繁栄し、特に初代皇帝アウグストゥスの治世(紀元前27~後14年)に数多くの建造物が建設された。テアトルムと凱旋門もそのひとつだ。

テアトルムはアウグストゥスの時代の紀元前1世紀にサントゥトロップの丘の北に建設されたガロ・ローマ初のローマ劇場で、ファサードの壁は全長103m・高さ37mを誇る。ファサード壁の中央には王室の門、左右には来賓者の門と3基のポータル(玄関)があり、下部にはアーケード(屋根付きの柱廊)が並んでいる。その整然としたたたずまいはフランス王ルイ14世を感嘆させ、「我が王国でもっとも美しい壁なり」とつぶやいたと伝えられている。高さ1mのステージは全長61m・幅9mで、ステージの壁に当たるスカエナエ・フロンスのほぼ全体が残されたきわめて希少なテアトルムとなっている。中央上部の壁龕(へきがん。装飾用の壁の窪み)には全長3.5mのアウグストゥス像がたたずんでおり、所々にコリント式の柱廊装飾が残されている。半径55mほどの半円形の観客席は9,000人前後を収容し、貴族から奴隷まで身分ごとに座る区画が指定されていた。3世紀にキリスト教が伝わり、313年のミラノ勅令で公認されると次第に劇場は下火となり、391年に閉鎖された。テアトルムとその背後に広がるサントゥトロップの丘(コリンヌ・サントゥトロップ)は一種の聖域で、かつて丘には神殿が立っていた。丘にはその遺構のほか、中世や近世の城塞跡が残されている。

一方、テアトルムの北700mほどに位置し、アグリッパ街道に築かれた凱旋門は紀元10~25年頃の建設と見られ、アウグストゥスがカエサルによるガリア戦争の勝利とアラウシオへの都市建設を記念して創設したものと考えられている。完成は第2代皇帝ティベリウスの時代で、ティベリウスはゲルマン諸民族に対する勝利を祝って建設を進めた。凱旋門を飾るレリーフは非常に名高く、ガリアにおける戦闘の様子や戦利品・武器、鎖につながれたケルト人、紀元前31年のアクティウムの海戦と思われる海戦の様子などが刻まれており、ローマがヨーロッパで覇を唱える様子が描き出されている。また、カエサルやアウグストゥスの偉業や、ティベリウスとその養子ゲルマニクス・ユリウス・カエサルへの敬意が碑文で記されている。凱旋門は平面19.6×8.4m・高さ19.2mで、通路となる3基のアーチを有し、コリント式の大理石柱で飾られている。現在もほとんどその姿を留めており、きわめて貴重な史料となっている。

ローマ帝国はゲルマン系諸民族の圧力に抗しきれず、395年に東西に分裂。アラウシオは412年にゲルマン系の西ゴート人によって征服され、略奪を受けた。その後もフランク人、東ゴート人らの侵略を受け、多くの建造物が破壊され、町を再建する際に石材が持ち去られた。中世初期、テアトルムは砦として使用され、16世紀の宗教改革でも町が略奪を受けて人々の避難施設として使用された。ローマ時代の遺跡は市壁の一部や神殿の基礎などを除いて多くが失われたが、テアトルムと凱旋門は彫刻や大理石柱などを除いて奇跡的にその姿を留めている。

テアトルムと凱旋門の修復は1820年代にはじまった。テアトルムでは劇場とその周辺の発掘が進められ、出土した柱や梁が修復された。壁龕に収められているアウグストゥス像は1951年に発見されたものだ。また、凱旋門では建築家オーギュスト・カリスティによって修復が行われ、発掘された遺物の統合や欠損部分の復元が進められた。

なお、オランジュという名称はアラウシオからアウレンギアなどと次第に変化したもので、11~12世紀にはオーレンギーと呼ばれていた。12世紀に成立したオランジュ公国(1163~1713年)の時代にオランジュと呼ばれるようになった。

■構成資産

○古代劇場

○凱旋門

■顕著な普遍的価値

○登録基準(iii)=文化・文明の稀有な証拠

アウグストゥスの時代に築かれたオランジュの古代劇場はローマ時代のテアトルムの中でも傑出した作品である。

○登録基準(vi)=価値ある出来事や伝統関連の遺産

オランジュの凱旋門の北面のローレリーフ(浅浮き彫り)に刻まれた出来事(異民族との戦争とパックス・ロマーナの確立)は普遍的な重要性を有している。

■完全性

構成資産は古代劇場と凱旋門だけでなく、テアトルムの背後に広がり、テアトルムを含む宗教コンプレックスの遺構が残されたサントゥトロップの丘の全体を含んでいる。テアトルムはこれらの遺構や凱旋門と同様に元の状態にはないが、古代の遺構に一般的に見られることであり、保存された要素は壮大で本遺産の価値を十分に表現している。

■真正性

オランジュのローマ遺跡は何世紀にもわたって他の用途に転用されたり改築された結果として現代に引き継がれている。凱旋門は1824年に修復されたが、この種の介入としてはフランスでもっとも古いもののひとつである。19世紀以降、洗浄や修復のキャンペーンが進められ、こうしたモニュメントをより安定したものとした。特にテアトルムを以前の用途に戻すために行われた修復は、古代の素材を尊重して行われた。

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