バイロイト辺境伯のオペラハウス

Margravial Opera House Bayreuth

  • ドイツ
  • 登録年:2012年
  • 登録基準:文化遺産(i)(iv)
  • 資産面積:0.19ha
  • バッファー・ゾーン:4.22ha
世界遺産「バイロイト辺境伯のオペラハウス」、西ファサード
世界遺産「バイロイト辺境伯のオペラハウス」、西ファサード
世界遺産「バイロイト辺境伯のオペラハウス」の華麗な内装
世界遺産「バイロイト辺境伯のオペラハウス」の華麗な内装 (C) Z thomas

■世界遺産概要

ドイツ南西部バイエルン州の都市バイロイトに位置するオペラハウス(歌劇場)で、ブランデンブルク=バイロイト辺境伯であるフリードリヒ3世・フォン・ブランデンブルク=バイロイトの依頼で1745~50年に建設された。建築家ジョゼフ・サン=ピエールが設計、ジュゼッペ・ガッリ・ビビエーナが内装を担当し、「バロック劇場建築の最高峰」と称賛される後期バロック様式のオペラハウスを築き上げた。

○資産の歴史

フリードリヒ3世は近代化を成し遂げるために合理的な思想(啓蒙思想)に基づく政策の下で国家運営を行う啓蒙専制君主で、人々から「愛されし者 "Vielgeliebten"」と呼ばれるほど人気があり、学問と芸術にも明るかった。1731年にプロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム1世の娘であり、フリードリヒ大王の姉弟でもあるヴィルヘルミーネ・フォン・プロイセンと結婚し、翌年ヴィルヘルミーネは娘のエリーザベト・フリーデリケ・ゾフィーを出産した。1735年にフリードリヒ3世が辺境伯領を相続すると、バイロイトのエルミタージュ新宮殿をはじめ数多くの建物を建設した。ヴィルヘルミーネも芸術に対する造詣が深く、特に音楽に関しては自ら作曲を手掛けるほどで、数多くの音楽家をバイロイトに呼び寄せた。1737年にはバイロイト劇場社を設立し、1714年に建設されていたオペラハウスの運営を行った。

エリーザベトとヴュルテンベルク公カール・オイゲンの結婚が決まると、フリードリヒ3世はその祝いとして1745~50年にかけて新しいオペラハウスの建設を進めた。設計はフランス人建築家ジョゼフ・サン=ピエールで、内装はイタリアの劇場建築家ジュゼッペ・ガッリ・ビビエーナが担当した。完成は間に合わなかったものの1748年の結婚式で開放され、類を見ないバロック様式の豪奢な姿が披露された。オペラハウスはそれまで宮殿内に築かれるものだったが、独立して建設されたオペラハウスは19世紀の大規模な公共劇場の先駆けとなった。

完成後、主に運営を行ったのはヴィルヘルミーネで、自ら作曲を行い舞台に上がることもあったという。辺境伯領の財政は逼迫したものの、フリードリヒ3世やヴィルヘルミーネの活躍によってバイロイトの芸術文化は花開き、「バイロイト・バロック」「バイロイト・ロココ」と呼ばれる独自のスタイルを生み出した。しかし、1758年にヴィルヘルミーネ、1763年にフリードリヒ3世が亡くなるとバイロイトの栄光は陰りを見せ、オペラハウスの使用もほぼ停止された。オペラハウスは数多くのロウソクを使用するためしばしば火災が起こるが、この時代の使用期間の短かさがバロック劇場としてほとんど唯一、木造の上部構造が残されていることの一因と考えられている。

バイロイトは1806~10年にかけてナポレオン率いるフランス帝国の版図に入り、オペラハウスは倉庫として使用され、舞台の背景や小道具類は失われた。1810年にバイエルン王国、1871年にはドイツ帝国に組み込まれ、バイエルン州の地方都市に落ち着いた。オペラハウスはバイエルン王国やバイエルン州の管理に移り、劇場として再整備された。19世紀にガス灯が採用され、カーテンを耐火処理するなど火災対策が進められ、1919~30年には電気が導入された。バイロイトはいつしか音楽の都となり、1876年にはリヒャルト・ワーグナーが主催してバイロイト音楽祭が開催されて会場のひとつとなった。ワーグナーはこの日のためにバイロイト祝祭劇場を建設して『ニーベルングの指環』を公演している。

ナチス=ドイツの政権下で数多くの宮殿が取り壊されたが、ヒトラーがワーグナーを愛好しており、バイロイトをドイツ文化の重要地として尊重していたことからオペラハウスは保護された。1935年にはオリジナルの状態に戻すことを目的とする修復プログラムも始動。第2次世界大戦の空襲被害も受けず、きわめて良好な状態で現在に引き継がれている。

○資産の内容

世界遺産の資産はオペラハウスのみで、周囲がバッファー・ゾーンに指定されている。オペラハウスは全長71.5m・幅30.8m・高さ26.2mで、西ファサード(正面)にエントランスが設けられている。バロック様式の西ファサードはサン=ピエールの設計で、2階のバルコニーに据えられたコリント式の柱や屋根の彫像群が重厚な雰囲気を醸している。

劇場の収容人数は約500人で、屋根や天井はもちろん、左右と背後の壁面に連なる3層のボックス席もすべて木造で、地上階の床も寄木細工となっている。装飾を担当したのはビビエーナで、オペラ・セリア(正歌劇。古典を題材とした正当・高貴なイタリア・オペラ)のオペラハウスの典型的なデザインとなっている。彫刻やレリーフ、スタッコ(化粧漆喰)、絵画などのバロック装飾で覆われており、建築と装飾が一体化した総合芸術ゲサムトクンストヴェルクを体現している。画家ヨハン・ベンヤミン・ミュラーによる天井画はトロンプ・ルイユ(だまし絵)で、観客が見上げると吹き抜けから天国を望むような形になっている。神々が見下ろしているが、ローマ神アポロはフリードリヒ3世を示しているといわれる。

■構成資産

○バイロイト辺境伯のオペラハウス

■顕著な普遍的価値

本遺産はバロック様式の宮廷文化に関する卓越した証拠であるとして登録基準(iii)「文化・文明の稀有な証拠」でも推薦されていたが、ICOMOS(国際記念物遺跡会議)は顕著な普遍的価値は証明されていないとして価値を認めなかった。

○登録基準(i)=人類の創造的傑作

バイロイト辺境伯のオペラハウスはジュゼッペ・ガッリ・ビビエーナによるバロック様式の宮廷劇場建築の傑作であり、形状・音響・装飾・象徴といった点で卓越した作品となっている。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

バイロイト辺境伯のオペラハウスはバロック様式の宮廷劇場の傑作であるが、それまでのように宮殿内ではなく、都市の公共空間に建設されている点で革新的だった。19世紀の壮大な公共劇場を予見させるものであり、オペラハウスの発展史の中でひとつの転換点となっている。

■完全性

資産には顕著な普遍的価値を表現するために必要な要素が単一の建造物にすべて含まれており、手付かずで良好な状態を保っている。開発や放棄などの影響は見られず、全体的な保全修復計画が政府によって承認されている。

■真正性

建物の大部分と装飾は変更されておらず、改修は公共建築に対する火災や安全のための規制、現在の劇場の使用状況に合わせたものに限定されている。高度に統一されたバロック様式の建築や装飾がいまに引き継がれており、鑑賞することができるだけでなく、木材や布類といった舞台の内装が残っていることでオペラハウス本来の音響特性をいまでも楽しむことができる。これらによって18世紀のオペラハウスとしての真正性が証明されている。

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