アウクスブルクの水管理システム

Water Management System of Augsburg

  • ドイツ
  • 登録年:2019年
  • 登録基準:文化遺産(ii)(iv)
  • 資産面積:112.83ha
  • バッファー・ゾーン:3,204.23ha
世界遺産「アウクスブルクの水管理システム」、ホーフアブラス堰
世界遺産「アウクスブルクの水管理システム」、ホーフアブラス堰
世界遺産「アウクスブルクの水管理システム」、ヴォルフツァーナウ発電所
世界遺産「アウクスブルクの水管理システム」、ヴォルフツァーナウ発電所 (C) Neitram
世界遺産「アウクスブルクの水管理システム」、ローテン・トーア給水所のカステン塔(左奥)とグローサー塔(手前)
世界遺産「アウクスブルクの水管理システム」、ローテン・トーア給水所のカステン塔(左奥)とグローサー塔(手前) (C) Regio Augsburg Tourismus GmbH, Fotograf: Reinhard Paland
世界遺産「アウクスブルクの水管理システム」、アウグストゥス噴水。柱上に立つのは初代ローマ皇帝アウグストゥス、左はアウクスブルク市庁舎
世界遺産「アウクスブルクの水管理システム」、アウグストゥス噴水。柱上に立つのは初代ローマ皇帝アウグストゥス、左はアウクスブルク市庁舎

■世界遺産概要

レヒ川とヴェルタハ川が合流する地に築かれたドイツ南部バイエルン州の都市アウクスブルク。700年以上を費やしてダムや運河・水路・水道・堰・水門・給水塔等を整備し、上水(飲用水)と中水(飲用には適さない生活用水や産業用水)を分離して供給する高度な水管理システムを構築した。世界遺産は運河網と水路網で結ばれた地域一帯で、給水・配水・排水施設や噴水・冷房施設・水力発電所など計22施設で構成されている。

○資産の歴史

アウクスブルクは紀元前1世紀にローマ帝国によってトリーア(世界遺産)に次いで築かれたドイツの植民都市で、初代皇帝アウグストゥスとトリーアにちなんで「アウグスタ・トレヴェロルム」と呼ばれた。1世紀にアルプス山脈を縦断するローマ街道が整備されると交易都市として発展し、アルプス以北で最大のローマ人居住地となった。この頃にはケルト人の部族名にちなんで「アウグスタ・ヴィンデリコルム」と呼ばれ、ラエティア属州の首都となった。

町はレヒ川とヴェルタハ川の合流地点に位置したが、洪水の危険から両河川の間の20mほどの丘の上に築かれた。水害対策や防衛には適していたが、丘には川や池がいっさい存在しないため、町の中に水を引き入れる水路が必要とされた。アウクスブルクの南の地下には氷河期に形成されたモレーン(氷河に削られた岩石や土砂が堆積した地形)による砂利の堆積物があり、地下水を含む帯水層となっていた。こうした地域の湧き水や井戸から数十kmにわたって水路を築いて水を引き入れた。この時代の水路は溝を掘って周囲を粘土で固めて木で固定した簡単なもので、4~5世紀ほどには放棄されたようだ。しかし、これらをベースにより高度な水路に建て替えたり、発想や技術を応用することで中世の水管理システムに発達した。

1276年の記録によると、アウクスブルクにはこの時代にすでに運河や水路が町に引き入れられていた。一例がロッホ川と呼ばれる人工河川で、レヒ川上流から15kmほどの水路を築いて町を縦断させ、製粉所や革なめし場・染色場・金細工工房などに産業用水を供給していた。運河や水路には各所に堰(せき。水深や流量を調節するため水をせき止める構築物)や水門(取水や排水のために開閉可能な構築物)を設け、水路内の水を一定に保ち、送水先を調節していた。一例が1346年にはじめて記録に登場するホーフアブラス堰で、ダムのようにレヒ川をせき止めて取水し、町に送り込んだ。1462年にアウクスブルクは自由に取水する権利を得て、ホーフアブラス堰は位置を変えてより大きく建て直された。

アウクスブルクは1545年までに水路システム全体で上水と中水を分離し、飲用水を流す上水路と生活・産業用水の中水路を分けて運用していた。1416~1879年まで、上水と中水の分離・供給を担った中心的な施設がローテン・トーア給水所だ。水源はふたつ用意され、町の南に位置するレヒフェルトで湧き出す地下水を上水路であるブルネン川で引き込むと同時に、地下に掘られたアウクスブルク最大の井戸が使用された。こうして得られた水をカステン塔、グローサー塔、クライナー塔という3基の給水塔に引き上げて、高低差で生まれる水圧を利用して市内に送り出した。アウクスブルクの給水塔では水の引き上げに水車やアルキメディアン・スクリュー(ネジのような螺旋を回転させて水を引き上げる装置)が使用された。同時に、ローテン・トーア給水所ではレヒ川の水を引き入れたロッホ川の流れを堰で受けて管理し、中水を市内各地に分配した。また、1538~1879年まで稼働していたフォーゲル・トーア配水所も上水施設で、井戸水を水車でフォーゲル塔と呼ばれる給水塔に引き上げて、上水路でレッヒヴィアテル地区に供給していた。

こうしたすぐれた水管理システムの象徴が噴水だ。噴水は水圧を生み出す給水塔によって可能になったシステムで、1594年にはローテン・トーア給水所のカステン塔から供給される水を利用してアウグストゥス噴水が建設された。噴水柱の頂点に立つアウグストゥス像はマニエリスムの彫刻家ヒューバート・ゲルハルトの傑作で、周辺の4柱の神々はレヒ川、ヴェルタハ川、シンゴールド川、ブルネン川の水域を示している。この噴水にメルクール噴水、ヘラクレス噴水を加えて「アウクスブルク3大噴水」と呼ばれるが、いずれもカステン塔の水を使用していた。

19世紀、産業革命による近代的な機械システムの発達やコレラの流行などにより、より上質の飲用水を確保するためにパイプ網とポンプ・システムの導入が図られた。1878~79年に市南東部のジーベンティッシュの森にホーフアブラス給水所が建設され、当初はホーフアブラス堰の水力、後には蒸気エンジンによるタービンで井戸水を汲み上げ、圧力を掛けて水道管に送り込んだ。こうした近代的水道システムの普及によってほとんどの給水塔はその役割を終え、ブルネン川のような従来の上水路は中水用に転用された。

19世紀後半から水力発電の導入が開始された。当初は第1次産業革命をリードする紡績(綿糸の製造)工場のために計画され、最初の発電所として1873~75年にシュタットバッハ発電所が建設された。シュタット川を利用して水力発電を行い、流域にあるドイツ最大の綿紡績工場に電力を供給した。後に建設されたヴォルフツァーナウ発電所やプロヴィアントバッハ発電所もこの紡績工場のための発電所だった。19世紀末、さらなる電力需要に応えるために、レヒ川とヴェルタハ川の合流地点の下流に、レヒ川と並行して全長約18kmのレヒ運河(LEWヴェルク運河)が建設された。そしてゲルストホーフェン発電所、ラングヴァイト発電所、マイティンゲン発電所が1910~20年代に稼働をはじめ、地域や工場に電力を供給した。これによりアウクスブルクの水管理システムの姿が完成した。

○資産の内容

世界遺産は地域で登録されており、700年以上にわたって築かれた運河網1、水路網1、競技用運河1、堰1、給水・配水施設4、冷房施設1、噴水3、発電所10の計22施設で成立している。これらはすべて運河網・水路網で結ばれているため、構成資産は1件となっている。

レヒ運河網はレヒ川から分岐する総延長77kmの運河網で、29mの高低差を利用して水を供給している。主な運河はアウクスブルク、インネンシュタット、ウルリッヒシュフィアテル、レヒフィアテの4件で、これらから分岐するフォルダラー・レヒ、シュヴァルレヒ、ミットララー・レヒ、ヒンテラー・レヒ、シュタットクラーベン、インネラー・シュタットクラーベン、シュタット、ブルネンマイスターといった川も人工河川で航行可能な運河となっている。こうした運河網によって製粉・製材・染色・革なめし・製紙・製糸・紡績・金属加工など、あらゆる産業用水が確保された。また、こうした運河は堀でもあり、防衛システムの一部を兼ねていた。一方、1900年前後に下流に建設された新しいレヒ運河は水力発電用に築かれたものだ。

ガルゲン水路網はアウクスブルクの南に広がるジーベンティッシュやシュタットといった森から引かれた上水路で、グランツ川、ブルネン川、ジーベンブルンナー川や地下水路網が含まれている。こうした上水と中水の分離がアウクスブルクの水管理システムを際立ったものにしていた。水源は市の自然保護区や飲用水保護区として保護されており、緑豊かな自然が広がっている。

カヌー競技場(アイス運河)は1972年のミュンヘン・オリンピックのカヌー競技の会場で、ハウプトシュタット川とレヒ川の間に人工的に作り出した急流で競技が行われた。上流に位置するホーフアブラス堰で水位を上げ、その高低差で流れを作り出した。

ホーフアブラス堰(レヒ堰)は1346年以前からの歴史を持つ堰で、15世紀に移転して再建された。この時代の堰は木と石で築かれていたが、1910年の洪水で破壊されたため、1911~12年に金属とコンクリートで現在の形に建て直された。全長145m・高さ12mの堰で、ここからハウプトシュタット川やノイ川を経て市内に水が運ばれた。

ローテン・トーア給水所は中世・近世の給水・配水システムの要となった施設で、1416年から市内に飲用水を供給した。地下にはアウクスブルク最大を誇る井戸と貯水池が掘られ、上水路であるブルネン川で運び込み込まれた上水とともに、カステン塔、グローサー塔、クライナー塔に引き上げて配水を行った。また、中水の配水施設でもあり、レヒ川の水をロッホ川で引き入れて分配した。ヨーロッパ随一の給水・配水システムと称賛され、水道技術の教科書的な書物となったカスパール・ワルター著『ハイドラウリカ・アウグスターナ(アウクスブルクの水力学)』で詳細に紹介されたこともあってヨーロッパ各地の都市が同種のシステムを導入した。1879年で閉鎖され、文化公園の博物館として公開されている。

ウンテレス配水所は1500年頃から運用が開始された配水所で、ローテン・トーア給水所に次いで2番目に大きく2番目に古い上水施設となっている。ブルネン川の上水を引き入れ、アルキメディアン・スクリューによって3階建てのウンテレス塔に引き上げていた。17世紀に6階建てに増築され、水車に入れ替えられた。19世紀には近代的な水道管システムに置き換えられたが、1879年に上水施設としての役割を終えた。

ホーフアブラス給水所は1878~79年にノイ川の上に築かれた上水の給水・配水所で、井戸水を給水した後、当初はホーフアブラス堰の水力で、1885年からは蒸気エンジンによって飲用水を鋳鉄製の水道管に送り込んだ。これにより多くの上水路や給水塔を不要とし、配水システムを近代化した。建築家カール・アルベルト・ゴルヴィツァーによる新古典主義様式あるいはネオ・ルネサンス様式のレンガ造で、威厳あるたたずまいを見せている。1973年に閉鎖し、現在は博物館兼情報センターとなっている。

フォーゲル・トーア配水所は1538~1879年に稼働していた上水の配水所で、城壁を増築してフォーゲル塔を建設した。このように城壁を利用して給水塔を造る例は多かった。1774年にはゴシック様式の城壁塔を給水塔に改造し、以前の塔は撤去された。

シュタットメッツガーは1606~09年に建築家エリアス・ホルが建設した4階建ての建物で、市営の肉屋として1930年まで食肉の加工・販売を行った。地下をフォルダラー・レヒ川が通っており、その冷涼な空気を利用して施設を冷却すると同時に、排水施設としても利用していた。上階の部屋にはさまざまなギルド(職業別組合)が入っていた。

アウグストゥス噴水はアウクスブルク3大噴水の筆頭とされる噴水で、1589~94年に建設された。3大噴水はいずれもローテン・トーア給水所のカステン塔から供給される水を利用しており、水管理システムの象徴となっている。大理石製噴水柱の上に立つ身長約2.5mの真鍮像は初代ローマ皇帝アウグストゥスで、彫刻家ヒューバート・ゲルハルトの代表作として知られる。噴水柱の周囲の像はレヒ川、ヴェルタハ川、シンゴールド川、ブルネン川を神格化したもので、やはりゲルハルトによる真鍮像だ。噴水柱の装飾は18世紀にロココ様式で改装されている。

メルクール噴水も3大噴水のひとつで、1596~99年に築かれた。大理石製の噴水柱に立つ身長2.69mのブロンズ像は彫刻家アドリアエンデ・フリースの作品で、ローマ神話の商業の神マーキュリーを象っている。噴水柱には愛の神キューピッドやヘビの髪を持つ怪物メドゥーサなどの像が設置されている。

ヘラクレス噴水も3大噴水のひとつで、1596~1600年に建てられた。大理石製噴水柱に立つ身長3.47mのブロンズ像はローマ・ギリシア神話の英雄ヘラクレスの像で、やはりフリースの作品だ。ヘラクレスがまたがっているのは多頭の大蛇ヒュドラで、噴水柱の周囲にはナイアード(ナイアス)と呼ばれる妖精や海の神トリトン、キューピッドなどの像が置かれている。また、3枚のブロンズ製レリーフ・パネルにはアウクスブルクの創設神話が刻まれている。

残り10の施設は発電所で、シュタットバッハ、ファブリックカナル、ジンゴルト、ヴォルフツァーナウ、ゲルストホーフェン、ゼンケルバッハ、ラングヴァイト、ヴェルタハカナル、プロヴィアントバッハ、マイティンゲン各発電所となっている。いずれも1870~1920年代に築かれており、シュタットバッハ発電所のように当初は特定の紡績工場に電力を供給するために建設され、後には一般向けに設置された。ユニークなのはヴェルタハカナル発電所で、もともとは路面電車用の発電所だった。いずれの施設もよく保存されており、ファブリックカナル発電所やマイティンゲン発電所のように現在も稼働している施設もある。

■構成資産

○アウクスブルクの水管理システム

■顕著な普遍的価値

本遺産は登録基準(vi)「価値ある出来事や伝統関連の遺産」でも推薦されていたが、ICOMOS(イコモス=国際記念物遺跡会議)は、上水と中水の分離をはじめ水管理に関するさまざまな成果はドイツを越えてヨーロッパに大きな影響を与えたが、それは登録基準(ii)にふさわしく、芸術的・文学的な作品や普遍的なアイデア・信念との関係は証明されていないとした。

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

アウクスブルクの水管理システムは重要な技術革新を生み出し、水工学の先駆者としてアウクスブルクの主導的地位を確かなものにし、長年にわたって維持された。飲用水と産業用水の厳密な分離が導入されたのは1545年のことであり、汚れた水が多くの病気の原因であることが衛生学の研究によって明らかにされるはるか以前のことである。水の生成と供給に関する技術者の国際交流が発展し、カスパール・ワルターのような地元の技術者の革新への意欲が刺激された。その結果、多くの技術がアウクスブルクではじめて試験され、数多くの革新につながった。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

アウクスブルクの水管理システムは、水資源の適切な利用と純度の高い水の生産が中世以降の都市の継続的な成長と繁栄の基礎となったことを示している。人類史におけるふたつの重要な転機であるルネサンスと産業革命において、アウクスブルクは水の芸術である噴水やパイプとポンプのシステムによって際立った違いを生み出した。こうした数々の建築的・技術的モニュメントは都市管理と水管理の明確な証拠であり、長年にわたる進化を保存した社会的・技術的アンサンブルとなっている。

■完全性

資産の完全性は機能的な統一性と、相互に依存する22施設の統合された全体性に基づいており、水管理システムの長期にわたる継続的な管理の証である6つの構築物の類型として表現されている。このシステムを構成する技術的・建築的アンサンブルは適切なサイズで、法的に保護されており、資産の重要性を伝える特徴とプロセスをすべて含んでいる。現在の状態は700年以上にわたって適応・変更・置換が繰り返された成果であり、資産の完全性を表現している。

■真正性

資産は中世以来の都市の水管理システムの発展を記録した卓越した構築物群であり、非常によく保存されている。システムの機能は運河、水路、飲用水のための水道、水力学的な構築物と建築物、際立った芸術性を持つ3基の噴水、冷房装置を持つ肉の加工・販売所、水力発電所といった建造物群をベースとしており、よく保全されている。

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