ディヴリーイの大モスクと病院

Great Mosque and Hospital of Divriği

  • トルコ
  • 登録年:1985年
  • 登録基準:文化遺産(i)(iv)
  • 資産面積:2,016ha
世界遺産「ディヴリーイの大モスクと病院」、全景。右の塔はミナレット、中央がモスク、左が病院の尖塔
世界遺産「ディヴリーイの大モスクと病院」、全景。右の塔はミナレット、中央がモスク、左が病院の尖塔 (C) Bertramz
世界遺産「ディヴリーイの大モスクと病院」、病院のポータルとなっているタチ門
世界遺産「ディヴリーイの大モスクと病院」、病院のポータルとなっているタチ門
世界遺産「ディヴリーイの大モスクと病院」、モスクの北門の繊細なレリーフ。中央がムカルナス
世界遺産「ディヴリーイの大モスクと病院」、モスクの北門の繊細なレリーフ。中央がムカルナス (C) Bertramz
世界遺産「ディヴリーイの大モスクと病院」、大モスクの内部の様子
世界遺産「ディヴリーイの大モスクと病院」、大モスクの内部の様子 (C) Bertramz

■世界遺産概要

メンギュジェク侯国のアフメッド・シャーとその一族が1228~29年に中央アナトリア地方シヴァス県の町ディヴリーイに建設した大モスク(ウル・モスク)で、病院と一体化した複合施設となっている。

○資産の歴史

アナトリア半島のトルコ化・イスラム化を国家として最初に進めたのがセルジューク朝だ。1038年にイランの地でテュルク系(トルコ系)の人々が築いたイスラム王朝で、アナトリア半島に侵入すると1071年のマラズギルトの戦いでビザンツ帝国(東ローマ帝国)を破って支配を確立し、1077年にはニカイア(ニケーア)を首都にルーム・セルジューク朝として独立した。ルーム・セルジューク朝は各地にベイ(君侯)を君主とするベイリク(君侯国)を配して統治させたが、ディヴリーイを中心とする地域はベイであるエミール・メンギュジェクに与えられ、1080年にメンギュジェク侯国が成立した。12世紀に同侯国はエルズィンジャン・コルとディヴリーイ・コルというふたつのコル(自治体)に分けて統治された。

1220年にディヴリーイ・コルのベイに就いたのがムスタファ・アフメッド・シャーだ。アフメッド・シャーが新たなモスクの建設を決めると妻のメリケ・チュラン・メレクは隣接して病院の建設を計画し、アララト出身の建築家ヒュッレム・シャーに依頼された。モスクと病院は複合施設として一体で設計され、1228~29年に建設されるとセルジューク朝、ルーム・セルジューク朝期の最高傑作とされるモスク・コンプレックスが完成した。

○資産の内容

建物は64×32mの長方形で、北の2/3ほどがモスク、南の1/3ほどが病院で、両者は壁で隔てられている。

モスクには北・西・東にポータル(玄関)があり、いずれも幾何学図形や草花をモチーフとしたアラベスク(イスラム文様)や文字を利用したイスラミック・カリグラフィー(文字装飾)のきわめて繊細なレリーフや彫刻で覆われている。北門はパラダイス(天国。エデンの園)の星々や植物が描かれていることから「天国の門」と呼ばれ、エントランスの上のリンテル(まぐさ石。柱と柱、壁と壁の間に水平に渡した石)には聖典『コーラン』の言葉が刻まれている。また、中央には鍾乳石を模したイスラム教建築特有の天井飾りであるムカルナスが見られる。北西に位置する西門を特徴付けているのはタカやワシの彫刻で、偶像崇拝を厳しく禁じるイスラム教建築では珍しい意匠となっている。双頭のワシはルーム・セルジューク朝、タカはメンギュジェク侯国の象徴で、前者への敬意と忠誠が示されている。小ぶりな東門はベイやスルタン(王のような地域支配者)専用のポータルであったことから「王の門」と呼ばれる。門を小さくして頭を下げて入場することで神に対する権力者の謙遜を示したとされるが、攻撃や暗殺に対応するための隠し扉だったともいわれる。モスクの北西の角に備えられた円筒形のミナレット(礼拝を呼び掛けるための塔)は1565年にオスマン帝国の皇帝スレイマン1世によって設置されたもので、この時代にモスクは大きな改修を受けている。

モスクの内部は4×4本の柱で支えられた五廊式(身廊と4つの側廊を持つ様式)で、南のキブラ壁(聖地メッカの方角であるキブラを示す壁)に聖なる窪みであるミフラーブ(メッカの方角を示す聖龕)を備えている。尖頭アーチ(頂部が尖ったアーチ)や交差リブ・ヴォールト(枠=リブが付いた×形のヴォールト)を駆使した石造天井を持ち、中央とミフラーブ前の天井にふたつのドームを掲げている。特にミフラーブ前の六角形の尖塔は大きく、モスクのランドマークとなっている。内装はポータルと比較してシンプルで、礼拝に集中するために装飾品は最小限に抑えられている。ただ、美しいレリーフで彩られた黒檀のミンバル(階段状の説教壇)は1243年の制作と伝わっており、セルジューク朝芸術の傑作とされる。 

ディヴリーイのダールッシファー(病院)はアナトリア半島でもっとも古く重要な病院のひとつとされ、一部はマドラサ(モスク付属の高等教育機関)としても使用されていた。南西のポータルはタチ門(クラウン門)と呼ばれ、セルジューク朝やイスラム教を象徴する星や月の装飾をはじめ、やはり繊細なレリーフで飾られている。キリスト教の教会堂のポータルにも似たデザインで、アルメニアやジョージアの建築の影響も指摘されている。内部には東を向いた大きなイーワーン(イスラム教建築に特有の「コ」字形の門状の建物)と南北を向いたふたつの小さなイーワーンが見られ、中央には水盆を置いて泉亭(ホウズ)としている。また、東の天井にはモスクのものと似た六角形の尖頭が設置されている。室内には『コーラン』の朗読やスーフィー音楽(イスラム神秘主義=スーフィズムの音楽)、水盆に流れ込む水音などが静かに鳴り響いており、リラックスや精神的な治療に役立っていたという。病院にはいくつかの小さな部屋があり、その内のひとつはメンギュジェク家の墓地として使用され、アフメッド・シャーや妻のメリケ・チュラン・メレクらの墓が備えられている。

■構成資産

○ディヴリーイの大モスクと病院

■顕著な普遍的価値

○登録基準(i)=人類の創造的傑作

きわめてユニークな芸術的成果といえる本遺産はそれ自体でイスラム教建築のもっとも美しい建築空間のひとつを体現している。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

ディヴリーイの大モスクはアナトリアにおけるセルジューク朝期のモスクの卓越した例である。厳しい気候のためかアラブのモスクに一般的に見られる屋根のない泉亭や中庭(サハン)・多数の列柱を持たず、すべての宗教機能を閉鎖された室内で完結させている。隣接する病院は王家の命令で慈善活動によって運営され、類を見ないモスク・コンプレックスをさらに興味深いものにしている。

■完全性

ディヴリーイの大モスクと病院は顕著な普遍的価値を有する重要な要素を欠けることなく保持している。ただ、石の装飾は大気や湿気・塩分の影響を受けやすく、建物は排水の問題を抱えている。また、モスク・コンプレックス周辺は開発圧力を受けやすい環境にあり、その影響が懸念される。

2009年から遺産周辺の私有地の収用プロセスが州知事によって開始されており、その枠組みの中で周辺開発が与える影響を最小化するために多くの建物が取り壊されている。また、収用計画の第2フェーズの完了後には遊歩道や訪問者用の施設を設計・建設するための新プロジェクトが始動する予定である。

■真正性

ディヴリーイの大モスクと病院のコンプレックスは幾度もの修復を経験しており、記録によると15~19世紀の間に大きな修復が行われた。20世紀には材料の劣化を防ぎ、長期的な問題を軽減するための作業も行われている。しかし、遺産は形状・素材・デザイン・原料の面で真正性を維持している。

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