ヴルコリニェツはカルパチア山脈北西部に広がるヴェルカ・ファトラ山地に位置する農村で、美しい森や牧草地の中に伝統建築による家並みがほぼ手付かずで伝えられている。周辺山地は野生動物の宝庫で、特にハイイロオオカミの生息地として知られ、村の名前はオオカミを意味するスロバキア語の「ヴルク "vlk"」に由来する。
ヴルコリニェツはヴェルカ・ファトラ国立公園に隣接しており、園内にはヨーロッパブナの森が繁茂し、ハイイロオオカミやヒグマ、オオヤマネコといった大型哺乳動物の貴重な生息地となっている。最初にこの地に住みはじめたのは10~12世紀のスラヴ人と考えられており、敵や野生動物から村を守るために「ブルクウォール」と呼ばれる木造の壁の中に家々を築いていた。はじめて文献に現れるのは1376年で、木こりや炭鉱労働者の村落だったようで、1469年の文書では5つのストリートがあったことが記されている。しかし大きく発展することはなく、1675年には領主の邸宅4棟と使用人の家屋5棟が立つのみとなっていた。
現在の村は19世紀に形成されたもので、中世以来の建築様式で築かれた家屋や納屋などがほぼ完全に引き継がれている。構成は47の家屋(うち10は離れ)、12の納屋、2つの穀倉、2つの牛舎、1つの馬小屋、1つの鐘楼、1つの広場で、うち43棟はほぼ無傷で伝えられている。山から流れる小川が村を横切っており、ほぼ中央に鐘楼・井戸・教会・学校が配されている。最古の建造物は1770年建設の鐘楼で、聖母マリア受胎告知教会は1875年に建てられたものだ。
家屋は「ブロックバウ "Blockbau"」と呼ばれる伝統的な木造建築で、丸太や角材を寝かせて並べた組積造(建材を積み上げた構造)・壁構造(壁で屋根や天井を支え空間を確保する構造)のログハウスで、数は少ないが丸太や角材を縦に並べたいわゆる縦ログも存在する。外壁は白や青・ピンク・緑などさまざまな色で塗装されており、かわいらしい外観を確保している。屋根は4つの面を持つ寄棟屋根や、寄棟屋根の上に「∧」形の切妻屋根を載せた入母屋屋根で、切妻部分は換気口となっている。屋根は木片を並べた杮葺き(こけらぶき)で、多くの家屋に暖炉に続く煙突が設けられている。ただ、腐りやすいため純粋な杮葺きは減りつつあるという。半数以上の家屋に3つの部屋があり、壁は土でコートして白または青で塗装され、室内は明るく保たれている。家屋と隣家とのスペースは共用庭園として利用されている。
周囲には畑があり、北のシドロボ山(標高1,099m)に向かってなだらかな牧草地が広がっている。しかし現在、産業の主力は観光業で農牧業や狩猟で生活を行う者は少なく、定住者も減少傾向にある。都市に住んで家屋を管理者に任せる所有者も増えており、従来型の農村形態の維持は難しく、大きな課題となっている。
こうした村のほぼ全体が世界遺産の資産となっており、資産面積の65倍にもなる周辺山域がバッファー・ゾーンに指定されている。
ヴルコリニェツは山間部でよく見られる丸太造り建築の中で、中央ヨーロッパの特徴的な様式を伝えるほぼ手付かずで残された稀有な農村である。村のレイアウトはほとんど変更されておらず、建築様式も完全に維持されている。周辺の村落と比べて際立って状態がよく、加えてもっとも包括的な街並みを見せている。
ヴルコリニェツは伝統的な中央ヨーロッパの農村の傑出した例であり、43棟の家屋と付随的な建物は伝統的な建築様式をほぼ完全に引き継いでいる。村は周辺の伝統的な農業景観を背景としているが、生活様式の変化により景観の維持は難しくなっている。
資産には顕著な普遍的価値を伝えるために必要な主要な要素がすべて含まれており、ヴルコリニェツの範囲設定と大きさも適切である。資産の眺望を担う周辺の畑や牧草地を含むバッファー・ゾーンも保護されている。ただ、第2次世界大戦中に火災で焼失した建物の並びはいまだ再建されていない。
資産は住民の日常生活を妨げる観光に対して脆弱であり、村の特性はレクリエーション目的で不動産を取得する一時的な住民の増加によって影響を受けている。特に離れは空いていることが多く、適切な用途がないため危険性が高い。
村は環境的に都市から隔離されており、ログハウスの家屋群をメインとする村の歴史的特徴は維持されている。形状やデザインの真正性について、建築様式は変更されることなくほぼ手付かずで伝えられており、高いレベルで保たれている。使用と機能の真正性について、構造と外観を維持したまま建物の内部を改修することで現在の生活レベルに対応しており、影響を受けてはいるものの十分なレベルにある。