マドリードのエル・エスコリアルの修道院と王領地

Monastery and Site of the Escurial, Madrid

  • スペイン
  • 登録年:1984年
  • 登録基準:文化遺産(i)(ii)(vi)
  • 資産面積:94.11ha
世界遺産「マドリードのエル・エスコリアルの修道院と王領地」、エル・エスコリアル全景
世界遺産「マドリードのエル・エスコリアルの修道院と王領地」、エル・エスコリアル全景 (C) David Mapletoft
世界遺産「マドリードのエル・エスコリアルの修道院と王領地」、エル・エスコリアルの南側面
世界遺産「マドリードのエル・エスコリアルの修道院と王領地」、エル・エスコリアルの南側面
世界遺産「マドリードのエル・エスコリアルの修道院と王領地」、エル・エスコリアルの西側面
世界遺産「マドリードのエル・エスコリアルの修道院と王領地」、エル・エスコリアルの西側面
世界遺産「マドリードのエル・エスコリアルの修道院と王領地」、アナトリウムから見上げたバシリカの西ファサード
世界遺産「マドリードのエル・エスコリアルの修道院と王領地」、アナトリウムから見上げたバシリカの西ファサード
世界遺産「マドリードのエル・エスコリアルの修道院と王領地」、エル・エスコリアルの王立図書館
世界遺産「マドリードのエル・エスコリアルの修道院と王領地」、エル・エスコリアルの王立図書館 (C) Xauxa Håkan Svensson

■世界遺産概要

エル・エスコリアル、正式名称サン・ロレンソ・デ・エル・エスコリアル(聖ロレンソに捧げるエル・エスコリアル)はスペインの首都マドリード中心部から北西40kmほどに位置する王宮・霊廟・教会・修道院・神学校・図書館を兼ねた修道院・宮殿コンプレックスだ。領地のいずれかには日が照るという「太陽の沈まぬ帝国」を築いたフェリペ2世が1563~1584年に建設した建造物群で、世界七不思議に続くものとして「エイス・ワンダー」と称賛された。なお、世界遺産の資産には修道院・宮殿コンプレックスだけでなく、カシータ・デル・プリンシペやカシータ・デル・インファンテといった別邸や庭園・公園も含まれている。

○資産の歴史と内容

1556年にスペイン王に就いたフェリペ2世は、フランスとヨーロッパ西部の覇権を争った翌年のサン=カンタンの戦いに勝利し、これを記念して聖ロレンソに捧げる修道院を建設・奉納することを決意した。また、1558年には父親のカルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)が亡くなり、王家の棺を収める教会堂を探していた。さらに、1561年にはバリャドリードやトレド(世界遺産)などに分散していた首都機能をマドリードに集中させた(正式な遷都は1606年)。こうして修道院・教会堂・王宮を兼ねたコンプレックスが構想され、ミケランジェロの弟子である建築家フアン・バウティスタ・デ・トレドに設計を依頼した(同時期にアランフェス王宮(世界遺産)の設計も依頼している)。1563年に起工し、1567年にトレドが死去すると、その弟子フアン・デ・エレラとジョヴァンニ・バッティスタ・カステッロを中心に建設が進められ、1584年に完成した。トレドとエレラはアランフェス王宮(世界遺産)の設計も担当している。

エル・エスコリアルのコンプレックスは約205×162mで、直交する直線で区切られたおおよそ左右対称の整然とした平面プランを持つ。これは聖ロレンソが火刑に処されたグリル(焼き網)を模しているとも、エルサレム(世界遺産)のソロモン神殿(ソロモン王が建設したエルサレム第一神殿)のプランに基づくともいわれる。全体は幾何学的均衡を重んじたルネサンス様式だが、外壁は褐色の花崗岩のみで装飾がほとんど存在しない。これは華美な装飾を嫌ったフェリペ2世の意向を汲んだもので、エレラ様式あるいはデソルナメンタド様式と呼ばれている。

エル・エスコリアルの中心的な建物がバシリカ(教会堂)だ。アナトリウム(中庭)の東に立つ王家の教会堂で、ルネサンス様式のラテン十字式で、西ファサードに2基の塔、十字の公差廊に直径17mの巨大なドームを冠している。ファサード下段にはヘブライ王ダビデとソロモンの像が立っており、中段にはソロモン神殿ゆかりの王たちの彫刻が掲げられている。高さ30mの祭壇画で覆われた主祭壇はフアン・デ・エレラの設計だ。

隣接する王家のクリプト(王家のパンテオン)はバロック様式の八角形の地下聖堂で、カルロス1~4世、フェリペ2~4世、フェルナンド7世、アルフォンソ12~13世といった代々のスペイン王・女王・王妃らの棺を収めている。

コンプレックスの南1/3は修道院と神学校がを占めており、もともと聖ヘロニモ修道会の修道院だったが、19世紀後半以降は聖アウグスチノ修道会に移行した。クロイスター(中庭を取り囲む回廊。ペリスタイルが発達したもの)はフアン・バウティスタ・デ・トレドによるルネサンス様式の傑作とされる。

北1/3は王宮で、西のハプスブルク宮殿(フェリペ2世宮殿)と東のブルボン宮殿とに分けられる。ハプスブルク宮殿はハプスブルク家のフェリペ2世が整備したもので、代々の王が居室としたカサ・デル・レイをはじめ数々の部屋が残されている。ブルボン宮殿は18世紀にスペイン・ブルボン家の王たちが使用した一画で、カルロス4世らが建築家フアン・デ・ビジャヌエバに依頼して改修を行った。60×6mの戦いの殿堂にはサン=カンタンの戦いをはじめ、レコンキスタ以降のスペインの戦勝の様子がフレスコ画(生乾きの漆喰に顔料で描いた絵や模様)で描かれている。

王立図書館はフェリペ2世がルネサンスの文化運動を推進するために設置したもので、フアン・バウティスタ・デ・トレドとフアン・デ・エレラによって設計された。全長54m・幅9m・高さ10mの大きなホールにあり、ラテン語やアラビア語の写本をはじめ貴重なコレクションを保有するほか、約40,000冊の蔵書を誇る。

フライレス庭園はコンプレックスの南と東を彩る平面幾何学式庭園で、タペストリーを思わせる華麗な庭園であるだけでなく、スペイン海洋帝国の各地からもたらされた花や薬用植物が栽培された。

コンプレックスの東に位置するカシータ・デル・プリンシペ(王子の家)は18世紀にスペイン・ブルボン家のカルロス3世が息子カルロス4世のために造営したもので、フアン・デ・ビジャヌエバの設計だ。セコイアやオークの林の中に立つ新古典主義様式のこじんまりとした邸宅となっている。

コンプレックスの南西に位置するカシータ・デル・インファンテ(幼児の家)もカルロス3世とフアン・デ・ビジャヌエバによる建設で、邸宅はさらに小さく、隠れ家として使用されていた。

■構成資産

○宮殿・修道院・付属施設と庭園群

○カシータ・デル・インファンテ

■顕著な普遍的価値

○登録基準(i)=人類の創造的傑作

マドリードのエル・エスコリアルの修道院と王領地は人類の創造的な才能を示した傑作であり、フェリペ2世の意志と命令によって優秀な芸術家による偉大な作品群が集結した。

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

マドリードのエル・エスコリアルの修道院と王領地は人類の価値観の重要な交流を示しており、スペイン黄金世紀の建築・芸術・景観設計の発展に大きな影響を与えた思想的・芸術的表現を象徴している。

また、建造物群はヨーロッパのキリスト教国の君主によって建設された宮殿・修道院と都市・景観のデザインの際立った例である。最終的に18世紀に定まるレイアウトはもっとも代表的な王領地であり、城下町とともに権力の座と影響力を示している。

○登録基準(vi)=価値ある出来事や伝統関連の遺産

エル・エスコリアルはカルロス1世やフェリペ2世をはじめ、スペインの王位を占めたオーストリア・ハプスブルク家、スペイン・ハプスブルク家、スペイン・ブルボン家といったヨーロッパの歴史的な重要人物や出来事と直接関係しており、理想的な形で社会的イデオロギーや神聖かつ世俗的な権威が表現されている。

■完全性

資産はフェリペ2世の治世中に建てられた修道院の本館や貿易館といった建物だけでなく、18世紀にカルロス3世によって築かれた新しい街区や建造物群を含んでおり、これらは完全に手付かずで維持されている。フェリペ2世の時代の建造物群の統一的な特徴は、2世紀後に改築された際に王室建築家フアン・デ・ビジャヌエバによって維持された。

王家の森を構成していた周辺の牧草地の19世紀の大きな変化と、19~20世紀の町の発展はこのモニュメントの保全とそのイメージに悪影響を与えていない。また、周辺の自然景観も国の遺産として保護されている。

■真正性

資産の地理的位置と特徴的な景観が高いレベルで維持されている。フェリペ2世の時代の建造物とカルロス3世の時代の建造物のいずれもがデザインやレイアウト、オープンスペースと閉鎖空間の相互作用、素材・精神を十分に尊重して保全されている。モニュメントの形式的な表現は、それ自体がこの精神の維持に貢献している。

修道院と宮廷の生活が共存できるように設計された本館の機能的なダイナミズムは、19世紀から聖アウグスチノ修道会の修道士たちによって運営されている修道院の宗教的な機能や、1875年にアルフォンス12世によって設立された王立大学による教育的な機能、図書館や博物館による研究のための機能など、現在の機能との互換性の中で受け継がれている。

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