ヘラクレスの塔

Tower of Hercules

  • スペイン
  • 登録年:2009年
  • 登録基準:文化遺産(iii)
  • 資産面積:233ha
  • バッファー・ゾーン:1,936ha
世界遺産「ヘラクレスの塔」、遠景
世界遺産「ヘラクレスの塔」、遠景
世界遺産「ヘラクレスの塔」、近景
世界遺産「ヘラクレスの塔」、近景
世界遺産「ヘラクレスの塔」、ヘラクレスの塔とブレオガン像
世界遺産「ヘラクレスの塔」、ヘラクレスの塔とブレオガン像 (C) Luis Miguel Bugallo Sánchez (Lmbuga)
世界遺産「ヘラクレスの塔」
世界遺産「ヘラクレスの塔」。高さは四角形の第1層が34m、八角形の第2層までで41m、その上の第3層までで46.5m、尖頭を含めて55mとなる

■世界遺産概要

イベリア半島北東端、スペイン・ガリシア州の港湾都市ア・コルーニャのエイラス岬にたたずむ高さ55mの塔で、古代からイベリア半島に近付く船舶を監視する灯台として機能していた。建設年代は帝国最大版図を築いた皇帝トラヤヌスの時代の1世紀末~2世紀初頭とされ、時代時代の改修を受けながら約1,900年にわたって使用されている現存最古の灯台と考えられている。世界遺産の資産には塔だけでなく周辺の岬やいくつかの岩礁・海域も含まれている。

○資産の歴史と内容

共和政ローマがイベリア半島全域の支配を確立していなかった時代、カエサル(ガイウス・ユリウス・カエサル/シーザー)率いるローマ艦隊は地中海と大西洋の沿岸部に拠点となる植民都市の建設を進めていた。そして紀元前61年にエイラス岬にたどり着き、港湾都市ブリガンティウムを築いたという。この港は初代皇帝アウグストゥスのカンタブリア戦争(紀元前29~前19年)でも活用され、イベリア半島征服に大いに貢献した。

98年に皇帝位に即位したトラヤヌスの時代にローマ帝国は西・南・北・中央ヨーロッパ、北アフリカ、西アジアに広がる最大版図を築いた。地中海と西・北ヨーロッパを結ぶ大西洋航路が重要性を増すと、この航路を監視し、ブリガンティウムを守るために標高57mのエイラス岬の上にブリガンティウムの塔が建設された。現在の塔の下層、14m四方の正方形の角楼部分内部がローマ時代のもので、高さ34mのさらに上部に何らかの構造が載っており、高さは41.6mに達していたと考えられている。土台や外部開口部にはオプス・クアドラトゥム(同じ形の切石を隙間なく整然と並べた構造)、壁にはオプス・ウィッタトゥム(細長い切石とレンガを交互に並べた構造)、ヴォールトなど天井や曲線部にはオプス・カメンティキウム(ローマン・コンクリート。モルタルの一種)を組み合わせるなどローマ建築の粋を集めたものとなった。

ブリガンティウムの塔はローマ帝国の時代を通じて使用されたが、中世のいつからか火は灯されなくなり、9世紀半ばにヴァイキング(北ヨーロッパを拠点とするノルマン人)が襲来するようになると放棄された。11~12世紀に港町ブルゴ・デ・ファロ・ノヴォ、後にクルーニアと呼ばれる町が誕生し(現在のア・コルーニャ)、塔は物見塔・観測塔として使用され、近郊に砦が建設されたという。この頃、この塔を含めて一帯は「ファルム城」と呼ばれていたようだ。

8世紀にイベリア半島はウマイヤ朝や後継の後ウマイヤ朝といったイスラム教勢力に征服された。9世紀前半、南60kmほどの場所でイエスの十二使徒のひとりであるヤコブの墓が発見されると聖地化され、サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂(世界遺産)が建設された。聖地巡礼とヤコブ信仰はキリスト教勢力による国土回復運動=レコンキスタの象徴となり、急速に普及した。10世紀にはピレネー山脈を越えてフランスやイタリアからも巡礼者が参るようになり、やがてイギリスや北ヨーロッパからも来訪した。12~13世紀には海路でやって来る巡礼者に対し、ア・コルーニャやフェロールなどの港からサンティアゴ・デ・コンポステーラまで「イングレセスの道(イギリスの道)」と呼ばれる巡礼路が整備された。14世紀にア・コルーニャはビスケー湾最大の国際港湾都市に発展し、塔は「トゥリンの塔」と呼ばれ、港を守る灯台として使用された。

1788~1806年にかけて大規模な改築作業が行われた。まず、工学者エウスタキオ・ジャンニーニによって1799年までに塔の頂部が新古典主義様式で建て替えられ、外壁や内部の階段なども一新された。続いてエウスタキオの兄弟であるホセによって基壇が改められ、頂部の照明関連の設備が入れ替えられた。この改築により高さ34mの四角形の第1層の上に第2層となる高さ7mの八角形の塔身を加え、その上に第3層となる高さ5.5mの八角形のロトンダ(円形の建物。ロタンダ)が載せられた。さらに第2層頂部には尖頭が建てられ、これを含めて高さは55mまで延伸された。照明システムはたびたび改良されたが、1926年には約60km先まで光を届かせる電気照明が導入された。

ヘラクレスの塔には数々の伝説が伝えられている。ヘラクレスはギリシア神話に登場する半神半人の英雄で、3つの頭と6本の腕・6本の足を持つゲリュオンと戦って勝利し、この地に埋葬したという。塔がこの名で呼ばれるようになったのは19~20世紀だ。

また、ガリシアに伝わる伝説(あるいはケルト伝説)では、ガリシア王国を建国した伝説の国王ブレオガンはビスケー湾沿いに港湾都市ブリガンティアを建設し、アイルランドをも見通す巨大な塔を築いたという。この塔によってブレオガンは息子たちを誘導し、アイルランド征服を達成した(異説あり)。これがローマ都市ブリガンティウムとブリガンティウムの塔に対応すると考えられている。

■構成資産

○ヘラクレスの塔

■顕著な普遍的価値

本遺産は登録基準(iv)「人類史的に重要な建造物や景観」でも推薦されていた。しかしICOMOS(イコモス=国際記念物遺跡会議)は、建築としての価値は(iii)で語られており、また改築等もあってローマ建築としての完全性は満たされておらず、(iv)の価値は証明されていないと評価した。

○登録基準(iii)=文化・文明の稀有な証拠

ヘラクレスの塔は古代における灯台の使用を証明する存在である。そしてまた、大西洋航路がローマ人によって開拓された時代から中世を経て近現代に至るまで、その発展と連続性を証明するものである。

■完全性

ヘラクレスの塔について、ローマ時代のものといえるのは土台や内部構造に限られており、ローマ建築としては完全性も真正性も限定されている。中世の終わりから現在まで数多くの修復を受けており、特に1790年前後に外壁や上部構造・ファサード(正面)をはじめ大幅な改築が行われた。しかし、これらの作業は海洋に面した厳しい環境の中で塔としての機能を維持し、より明確に遠方までの視界を得るという時代のニーズに対応するためのものであり、おかげできわめて長期にわたってア・コルーニャの港や大西洋航路を見守りつづけることができた。塔は機能について十分な完全性を維持しており、また建築については構造的要素と形状の均一性について完全性を満たしている。

■真正性

ヘラクレスの塔の外壁や上部構造の多くは1788~1806年に修復されたものであり、ローマ時代の塔の正確な形状はわかっていない。しかし、土台や壁内部の構造がローマ時代のものであることは疑いなく、構造や素材について当時の修復作業もこれらに留意して行われている。それでも真正性に大きな影響をもたらしたことは間違いないが、こうした作業によって機能の面で真正性は保持された。18世紀以前に建設され、現在も使用されている灯台は非常に少数で、いずれの灯台も大幅な改修を受けている。ローマ建築としての完全性・真正性は限定的だとしても、古代から現代に受け継がれた稀有な灯台として完全性・真正性は満たされている。

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