ウベダとバエーサのルネサンス様式の記念碑的建造物群

Renaissance Monumental Ensembles of Úbeda and Baeza

  • スペイン
  • 登録年:2003年
  • 登録基準:文化遺産(ii)(iv)
  • 資産面積:9ha
  • バッファー・ゾーン:176ha
世界遺産「ウベダとバエーサのルネサンス様式の記念碑的建造物群」、ウベダのバスケス・デ・モリーナ広場、司祭長オルテガ宮殿の南ファサード(左)とサルヴァドール聖礼拝堂の西ファサード(右)
世界遺産「ウベダとバエーサのルネサンス様式の記念碑的建造物群」、ウベダのバスケス・デ・モリーナ広場、司祭長オルテガ宮殿の南ファサード(左)とサルヴァドール聖礼拝堂の西ファサード(右) (C) Heparina1985
世界遺産「ウベダとバエーサのルネサンス様式の記念碑的建造物群」、ウベダのサンタ・マリア教会 (C) Heparina1985
世界遺産「ウベダとバエーサのルネサンス様式の記念碑的建造物群」、ウベダのサンタ・マリア教会 (C) Heparina1985
世界遺産「ウベダとバエーサのルネサンス様式の記念碑的建造物群」、バエーサのバエーサ大聖堂の北側面
世界遺産「ウベダとバエーサのルネサンス様式の記念碑的建造物群」、バエーサのバエーサ大聖堂の北側面
世界遺産「ウベダとバエーサのルネサンス様式の記念碑的建造物群」、バエーサのハバルキント宮殿の東ファサード
世界遺産「ウベダとバエーサのルネサンス様式の記念碑的建造物群」、バエーサのハバルキント宮殿の東ファサード (C) Michal Osmenda

■世界遺産概要

双子都市といわれるウベダとバエーサはスペイン南部アンダルシア州の都市で、バエーサはウベダの西8kmほどに位置する。いずれも8~13世紀のイスラム教時代の街並みを伝える古都で、15~16世紀にブドウやオリーブの生産で繁栄すると数々のルネサンス様式の建物が建設されて独特の街並みが誕生した。

なお、スペインは1989年に両都市の歴史地区全域を「ウベダとバエーサ "Ubeda and Baezl"」の名称で推薦したが、世界遺産委員会では「不登録」が決議された。不登録決議を受けた物件の再推薦は認められないため、スペインはコンセプトを変えてルネサンス建築に焦点を当て、2002年に再推薦を行った。推薦時の資産面積はウベダ37.2ha、バエーサ26.2haで歴史地区のそれぞれ1/3~1/2ほどに及んだが、文化遺産の調査・評価を行うICOMOS(イコモス=国際記念物遺跡会議)の勧告に従って資産を縮小し、実際に登録されたのは前者が4.2ha、後者が4.8haとなった。その後、スペインは資産の拡大やハエン大聖堂の追加などを試みているが、いずれも実現していない。

○資産の歴史

ウベダとバエーサは青銅器時代以前から人間の居住の跡があり、ウベダについては紀元前6000年の遺構が発掘されており、西ヨーロッパ最古級の都市ともいわれる。ローマ時代にウベダは植民都市ベチュラ、バエーサは小集落にすぎなかったがビアティアと呼ばれ、西ゴート王国の時代に引き継がれた。

両都市が飛躍するのは8世紀にイスラム王朝であるウマイヤ朝と後継の後ウマイヤ朝の支配下に入って以降だ。後ウマイヤ朝のアミール(総督。後ウマイヤ朝では君主)であるアブド・アッラフマーン2世は両都市の改造を行い、新都市ウッダサとバイヤサが誕生した。いずれも市壁で囲われた城郭都市となり、中央には城塞兼宮殿としてアルカサル(城塞。アラビア語のアル・クサルで、クサルは城砦を意味する)とモスク・広場(市場)が建設され、迷路のように入り組んだマグリブ(リビア以西の北アフリカ)風の都市が形成された。

11~13世紀にキリスト教徒によるレコンキスタ(国土回復運動)が進むと両都市の周辺でも争いが繰り返され、13世紀半ばまでにカスティリャ=レオン王フェルナンド3世によって征服された。征服後、中心のモスクは教会堂に建て替えられたが、町の構造や広場などはそのまま維持され、ムーア人(イベリア半島のイスラム教徒)やユダヤ人の居住や信教の自由も認められた。

しばらく町は低迷したが、15世紀半ばから16世紀にかけて農牧業や織物・木材産業、特にオリーブとブドウの生産で飛躍し、大いに繁栄した。ウベダは人口約18,000人とスペイン南部で屈指の都市に成長し、バエーサの人口は15~16世紀の1世紀で倍増した。この頃には周辺も安定して城塞の必要性もなくなり、両都市のアルカサルや周辺の城壁は16世紀に解体された。豊かになった貴族たちはアルカサルの開いた土地にルネサンス様式の宮殿を建設し、教会堂や公共施設も同様にルネサンス様式で建て替えられた。こうしてイスラム風の街並みにルネサンス建築が連なる独特の景観が誕生した。

17世紀にスペインがイギリスやオランダに追い落とされると多くの都市が没落し、ムーア人(イベリア半島のイスラム教徒)とユダヤ人の追放を受けて経済と文化の基盤も失われた。他にもペストの流行や地震、経済構造の変化などで産業が破壊され、スペイン継承戦争(1701~14年)やナポレオン戦争(1803~15年)、スペイン独立戦争(1808~14年、半島戦争)で多大な被害を受けると、ウベダとバエーサは多くの人口を失って小集落にまで没落した。結果的に、このおかげで産業革命等の影響を受けることなく歴史的な街並みが伝えられた。

○資産の内容

世界遺産の構成資産はウベダとバエーサのかつてのアルカサルの一帯で、ウベダはバスケス・デ・モリーナ広場周辺、バエーサはサンタ・マリア広場からオビスポ・ナルヴァエス通りまでの周辺となっている。

ウベダの代表的な建造物として、まずサルヴァドール聖礼拝堂が挙げられる。スペインのルネサンス建築を代表する建物で、建築家ディエゴ・デ・シロエが設計し、アンドレス・デ・ヴァンデルヴィラが引き継いで1559年に奉献された。ルネサンスらしい西ファサード(正面)やドームを特徴とするドーム・バシリカで、ドーム下の至聖所は黄金で統一され、豪奢な彫刻や装飾で彩られている。この礼拝堂の最初の司祭がオルテガで、彼のために築かれた宮殿が隣の司祭長オルテガ宮殿だ。ヴァンデルヴィラと王室建築家ルイス・デ・ヴェガの設計で16世紀半ばに完成し、幾何学的で均整の取れたルネサンス建築となっている。現在パラドール(高級ホテル)として営業している。バスケス・デ・モリーナ宮殿(カデナス宮殿)はスペイン王カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)やフェリペ2世に仕えた政治家フラン・バスケス・デ・モリーナの宮殿で、広場も彼の名前から命名された。こちらもヴァンデルヴィラによる設計で、1565年にルネサンス様式で完成した。「口」形で中央にパティオ(中庭)を持ち、半円アーチと柱が立ち並ぶ美しいクロイスター(中庭を取り囲む回廊。ペリスタイルが発達したもの)が取り巻いている。現在は市庁舎として使用されている。サンタ・マリア教会(サンタ・マリア・デ・ロス・レアレス・アルカサレス教会)の創建はウベダを奪還したフェルナンド3世の時代、13世紀までさかのぼり、モスクがあった場所に建設された。13~19世紀まで時代時代の改修・改築を受けており、ゴシック、ムデハル(キリスト教芸術にイスラム教芸術を取り入れた折衷様式)、ルネサンス、バロック、新古典主義と多彩な様式が混在している。フランシスコ・デ・ロス・コボス宮殿はルイス・デ・ヴェガ設計のルネサンス建築で、1531年に建設された。他に重要な建造物としては、オンラドス・ヴィエホス病院、ポシト(穀物庫)、マンセラ侯爵宮殿、司教刑務所などが挙げられる。

バエーサの代表的な建造物としては、まずバエーサ大聖堂(ナティヴィダッド・デ・ヌエストラ・セニョーラ大聖堂/聖母降誕大聖堂)が挙げられる。創建は一時バエーサを奪還したカスティリャ=レオン王アルフォンソ7世の時代の12世紀とされ、同地にあったモスクが改修された。ゴシック様式やムデハル様式の改修を受けた後、16世紀後半にヴァンデルヴィラの設計でルネサンス様式に改められた。大聖堂が収めているオステンソリウム(聖体顕示台)はスペインの至宝とされる。隣接するサンタ・マリアの泉はルネサンス様式の噴水だ。旧バエーサ大学は教皇パウルス3世が16世紀にアンダルシアに設置した4大学のひとつで、1538年に設立された。ルネサンスとバロックの過渡期にあたるマニエリスム様式の建物は1593年の竣工とされ、大きなパティオと2階建てのクロイスターを持つ。ハバルキント宮殿は15世紀後半に建設された宮殿で、ファサードはムデハル様式にゴシック様式を加えたイザベル様式で、壁面はパイナップルを象った紋章や草花文様などで飾られている。隣のサンタ・クルス教会はロマネスク様式の重厚な教会堂だ。重要な建造物には他に1511~26年建設の上級市議会、1598〜1660年建設の旧サン・フェリペ・ネリ神学校などがある。

■構成資産

○ウベダ

○バエーサ

■顕著な普遍的価値

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

ウベダとバエーサにおける16世紀の建築と都市デザインはルネサンスの概念をスペインに導入するうえで重要な役割を果たした。また、両都市に数多くの傑作を残した建築家アンドレス・デ・ヴァンデルヴィラの著作を通じてこれらはラテン・アメリカにも伝えられ、普及した。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

ウベダとバエーサの中心エリアは16世紀初頭のスペインにおける初期ルネサンスの市民建築と都市計画の卓越した例を示している。

■完全性

本遺産はウベダとバエーサにおけるイスラムやムデハルの文化が16世紀のルネサンスの到来によって変容する都市構造や建築の発展の様子を物語っている。両都市とも歴史的建造物の大部分がほぼ無傷で伝えられており、特にウベダのイントラムロス(城壁内)は19世紀に通りが改修された以外、中世以降に発達した伝統的な街並みがほとんどそのまま残されている。バエーサでも歴史地区東部の保存状態は非常によく、最近建てられた建物はあるものの西部のアルカサル跡地近くでもルネサンス様式のすぐれたモニュメントが数多く見られる。

バエーサ大聖堂はゴシック・ムーア様式の要素を取り入れたモスクをヴァンデルヴィラがルネサンス様式で改修した傑作である。ウベダのバスケス・デ・モリーナ広場のサルヴァドール聖礼拝堂や司祭長オルテガ宮殿もヴァンデルヴィラの設計だが、小さな改修以外は当時のままほぼ手付かずで保存されている。他にも数多くの建造物が見られるが、そのほとんどが多かれ少なかれルネサンス様式の影響を伝えている。

いずれの都市の建造物群の保存状態も非常によい。一部の建造物は公共施設や宗教施設、ホテルや学校の一部として使用されているものの、使用目的は大きく変わっていない。個々の建造物の完全性が維持されていることに加え、こうした建造物を含む都市空間についても計画的に管理されており、適切に改修・開発されている。地震リスク等も低く、バエーサで一時懸念されていた工場による汚染問題も解決に向かっている。

■真正性

構成資産は社会的・経済的に飛躍した16世紀以来、相互補完的に発達したラ・ロマ地方のふたつの都市の特徴を示す際立った例である。こうした2都市の在り方はルネサンス期の都市計画と建造物群に示されており、貴族・宮殿機能に秀でるウベダと、公共・宗教・教育機能を発達させたバエーサの違いに見ることができる。これらは独自のアイデンティティを引き継いでおり、形状とデザインの真正性を維持し、また素材的な真正性も満たしている。歴史的な建造物はルネサンス様式が主流であるが、他のさまざまなな様式や時代の建造物も多くが真正性を保持している。

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