アランフェスの文化的景観

Aranjuez Cultural Landscape

  • スペイン
  • 登録年:2001年
  • 登録基準:文化遺産(ii)(iv)
  • 資産面積:2,047.5601ha
  • バッファー・ゾーン:16,604.5605ha
世界遺産「アランフェスの文化的景観」、アランフェスの街並み。中央左奥が王宮、中央のドームはサン・アントニオ教会、手前が歴史地区で左下は闘牛場
世界遺産「アランフェスの文化的景観」、アランフェスの街並み。中央左奥が王宮、中央のドームはサン・アントニオ教会、手前が歴史地区で左下は闘牛場
世界遺産「アランフェスの文化的景観」、王宮の西ファサード
世界遺産「アランフェスの文化的景観」、王宮の西ファサード
世界遺産「アランフェスの文化的景観」、南西から眺めた王宮
世界遺産「アランフェスの文化的景観」、南西から眺めた王宮
世界遺産「アランフェスの文化的景観」、王宮(左)と騎士団の館(現・税務署)(右)
世界遺産「アランフェスの文化的景観」、王宮(左)と騎士団の館(現・税務署)(右)
世界遺産「アランフェスの文化的景観」、サン・アントニオ教会と半円アーチが連なる柱廊
世界遺産「アランフェスの文化的景観」、サン・アントニオ教会と半円アーチが連なる柱廊
世界遺産「アランフェスの文化的景観」、モンターニャ水車(一部復元)
世界遺産「アランフェスの文化的景観」、モンターニャ水車(一部復元)。18世紀に設置された水車で、これで水を引き上げて水道橋を含む水道を通じて送水した (C) Rodelar

■世界遺産概要

アランフェスはスペイン中部マドリード州の都市で、マドリードの南約45km、トレドの北東約40kmに位置する。16世紀にスペイン王フェリペ2世によって離宮が建設されて以来、代々の国王によって宮殿が整備され、大規模な灌漑システムを導入して湿地や森林を開墾して庭園や農園を切り拓いた。18世紀には王宮の南に整然と区画された計画都市が展開し、水と緑あふれるガーデンシティが誕生した。

○資産の歴史

イベリア半島は8世紀にイスラム王朝であるウマイヤ朝や後継の後ウマイヤ朝の支配を受けてイスラム教勢力の支配下に入った。キリスト教勢力はレコンキスタ(国土回復運動)を進めたが、アランフェスの地でも11~12世紀にかけて争奪戦が繰り広げられ、12世紀後半にカスティリャ王アルフォンソ8世が奪還に成功した。湿地や森が広がる風光明媚なこの土地はサンティアゴ騎士団に与えられ、騎士団長の宮殿が築かれると負傷した騎士の病院・療養所としても機能した。

結婚によってスペイン王国を成立させたカトリック両王(アラゴン王フェルナンド2世とカスティリャ女王イザベル1世)は1492年に最後のイスラム王朝であるナスル朝を倒してレコンキスタを完了させると、役目を終えた騎士団領を王家の土地に編入した。

両王の孫であるカルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)は王家の狩猟場としてこの場所を整備し、エンボカドール貯水池を築いてタホ川の流れを調整した。その息子フェリペ2世は16世紀後半、マドリードに建設中の宮殿・修道院コンプレックス、エル・エスコリアル(世界遺産)と並行し、離宮としてアランフェス王宮の建設を命じた。設計はエル・エスコリアルと同様、建築家フアン・バウティスタ・デ・トレドで、1567年にトレドが死去するとその弟子フアン・デ・エレラが引き継いだ。王宮は幾何学的均衡を重んじたルネサンス様式で、装飾を抑えた独特の様式はエレラ様式(デソルナメンタド様式)と呼ばれている。フェリペ2世はまた並木道や水路を張り巡らせ、幾何学的に土地を区切って巨大な整形庭園や農園を造園し、いずれかの領地に日が照っているという「太陽が沈まぬ帝国」各地から取り寄せた植物を栽培した。

18世紀半ば、フェルナンド6世とカルロス3世の時代に宮殿は大幅に拡張され、アランフェスの自治体が成立して市民の居住が可能になると宮殿城下町が形成された。王宮の南の住宅地(歴史地区)は方格設計(碁盤の目状の整然とした都市設計)で区画され、貴族や住民の宮殿や邸宅をはじめ教会や修道院のような宗教施設、役所や公邸のような公共施設、劇場や闘牛場のような娯楽施設が次々と建設された。また、テホ川の北では重農主義に基づく農園のモデルを形成するためにさまざまな種を栽培して研究を行った。

1789年のフランス革命を受けて、スペインでも自由主義や民主主義を求める運動が活発化した。1808年にカルロス4世の宰相であるマヌエル・ゴドイの宮殿が襲撃され、燃やされた。このアランフェス暴動によってカルロス4世は退位し、若いフェルナンド7世が即位した。これ以降、王権は弱体化し、王家によるアランフェス王宮の使用は減り、1836年に設立された市議会が運営の主役を担った。1851年に歴史地区の西にスペインで2番目となる鉄道が開通すると、一帯は工業地帯として開発され、人口が急増してマドリードの衛星都市のひとつとなった。1868年に9月革命が起こると王家の財産の多くが接収され、アランフェスでも1870年までにほとんどの資産が州の所有に移った。王家の関与はなくなったが、宮殿・庭園・農園・歴史地区はほとんどそのまま維持され、州政府の下で保護された。

○資産の内容

世界遺産の資産はおおよそ4地区に分割される。

第1が王宮およびイスラ庭園(島の庭園)地区だ。「コ」字形のコートハウス(中庭を持つ建物)が王宮で、南には「日」字形の騎士団の館(現・税務署・裁判所)があり、サン・アントニオ広場に隣接してサン・アントニオ教会、幼児院、イザベル2世庭園が並んでいる。王宮と騎士団の館はフェリペ2世が建設したもので、フェリペ5世やフェルナンド6世など多くの国王によって改修された後、18世紀後半にカルロス3世が建築家フランチェスコ・サバティーニの協力を得て完成させた。サン・アントニオ教会はフェルナンド6世が建設を命じ、カルロス3世が拡張したサンティアゴ・ボナヴィア設計のバロック・ロココ様式の教会堂で、円形・集中式(有心式。中心を持つ点対称かそれに近い平面プラン)の教会堂となっている。両翼に騎士団の館と幼児院に通じる柱廊が手を広げるように延びている。幼児院はカルロス3世が建設を命じたもので、建築家フアン・デ・ビジャヌエバが新古典主義様式で設計した。もともと貴族の幼児を対象としていたが、19世紀に孤児院や救護院となった。王宮の庭園としては、王宮の南にレイ庭園(王の庭園)、北にレイナ庭園(女王の庭園)、東にパルテーレ庭園(花壇の庭園)が隣接している。パルテーレ庭園はセレス、ネレイダス、ヘラクレス、アンテオといった噴水や数々の彫刻で知られる。王宮の北西に広がるイスラ庭園はレイ庭園、レイナ庭園とともに最初期の庭園で、トレドとエレラの設計だ。テホ川と運河に挟まれた立地を活かし、水をふんだんに使って噴水や水路・橋で演出し、ローマの神々を象った彫刻を配している。

第2が歴史的農園地区で、王宮の対岸、タホ川とハラマ川に挟まれた土地に運河や水路・並木道を張り巡らせて菜園や果樹園を営んだ。農園は西からレガマレホ、ピコ・タホ、ドセ・カジェス、ラボジョ・ア・エンバルカドルの4園に分割されており、内部は三角形に近い形で区画されている。ここでは帝国各地の植物や王室にふさわしいとされたイチゴやアスパラガスなどの農作物、あるいは国内で生産するための品種の研究などが行われた。

第3が歴史地区で、宮殿の南~西に広がる旧市街を示す。碁盤の目状のグリッドを持つ街並みで、「口」形で中央にパティオ(中庭)を持つ新古典主義様式を中心とした歴史的建造物が立ち並んでいる。代表的な宮殿建築としては18世紀のゴドイ宮殿、オスナ公爵宮殿、メディナチェリ公爵邸、知事邸、19世紀のシルヴェラ宮殿などが挙げられる。サン・パスクアル修道院は18世紀に建設されたフランシスコ会の修道院で、後に会を離れて女子修道院となった。サン・カルロス病院も修道院と同様、カルロス3世の時代の建設で、王家の従業員と居住者のための病院として設置された。ネオ・ムデハル様式(キリスト教芸術にイスラム教芸術を取り入れたムデハル様式の復古様式)のアランフェス駅は1851年に開業したマドリード~アランフェス間を結ぶ鉄道の終着駅。この路線の列車は「トレン・デ・ラ・フレサ(イチゴ列車)」と呼ばれ、現在も営業を続けている。娯楽施設としてはローマ建築を参考に築かれた18世紀のカルロス3世劇場や闘牛場が挙げられる。

第4がプリンシペ庭園(王子の庭園)地区で、王宮の北東、タホ川の南に広がる一帯だ。16世紀から代々の国王によって築かれた庭園を、18~19世紀に全長3km、8つの庭園を持つ大庭園として統合した。ほとんどは幾何学的に土地を区切った整形庭園だが、中国庭園の趣を持ち風景式庭園(非対称・不均衡・曲線を特徴とする自然を模した庭園)に近い第6庭園や、フアン・デ・ビジャヌエバ設計のラブラドール邸を中心とした第8庭園など、バリエーションに富んでいる。

■構成資産

○アランフェスの文化的景観

■顕著な普遍的価値

本遺産は登録基準(v)「伝統集落や環境利用の顕著な例」でも推薦されていたが、その価値は認められなかった。

○登録基準(ii)=重要な文化交流の跡

アランフェスは川や運河・ダム・滝・噴水といった水、菜園や果樹園・畜産といった農園、アラブ・ルネサンス・バロックなど種々の庭園、それらを貫き結び付ける道路や水路、そして宮殿・宗教・公共・住宅建築といった多様な要素からなる文化的景観であり、その発展に大きく寄与した。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

きわめて多様な要素からなり、複雑に計画されたアランフェスの文化的景観は、景観設計の歴史の中できわめて重要な段階を示している。

■完全性

資産には水利・灌漑システム、農園や観賞用の庭園、並木道や広場、王宮、歴史地区をはじめ顕著な普遍的価値を構成するすべての要素と特徴が含まれている。自然と人工的な幾何学構造の両面が近代に築かれた若干の交通機関を除いて非常によく伝えられており、損失やその後の介入もほとんどない状態で保たれている。農園や木立に囲まれた都市コミュニティを特徴付ける都市レイアウトや建造物群・庭園・並木道は維持されており、タホ川を挟んだ対岸に広がる農園も庭園の構造を反映して造園されている。また、19世紀半ばにスペインで2番目に開通した歴史的な鉄道は現在も営業を行っている。

資産の多くは現在も元々の目的で使用されており、要素と特徴を保全するための措置によって完全性は高いレベルで維持されている。たとえば水利システムは現在も機能しており、農園では作物が栽培され、並木道や広場はそのまま伝えられている。庭園はレジャーやイベントのために使用され、王宮は文化的・公共的な活動のために利用されており、王家の時代と類似した活動を続けている。

18世紀に築かれた歴史地区は住宅地としての機能を保っており、都市レイアウトの美観と文化的側面の両面を引き継いでいる。個々の建築についても特徴は損なわれておらず、多くの卓越した建造物が残されている。王家の時代からこうした資産は保護されており、19世紀の接収や20世紀に行われた開発も大きな影響を与えていない。

資産は重大な脅威にさらされておらず、自然的な危険もない。産業の開発や人口の増加によってもたらされる脅威に対応するために取られた措置は資産の要素・特徴の維持に貢献しており、良好な保全状態を保証している。

■真正性

アランフェスの文化的景観は歴史的・年代的・空間的な観点から注目すべきものである。16世紀の創建から歴史の中でもっとも重要なふたりの君主であるカルロス1世とフェリペ2世によって体現されたスペイン王家の庇護と栄光を反映している。アランフェスは歴史上、さまざまな時代に思想・美学・科学的成果の集約の場となり、価値観のるつぼ、あるいは基準として影響力を行使しつづけた。

現在、王宮としての役割は失ったものの、場所・形状・建築・水力学・機能といった面で真正性を高いレベルで保持している。庭園の一部は修復を必要とするが、全体的な保存状態は良好で、16世紀半ば~19世紀半ばまでの発展の段階を明確に示している。

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