アビラの旧市街と城壁外の教会群

Old Town of Ávila with its Extra-Muros Churches

  • スペイン
  • 登録年:1985年、2007年軽微な変更
  • 登録基準:文化遺産(iii)(iv)
  • 資産面積:36.4ha
世界遺産「アビラの旧市街と城壁外の教会群」、城郭都市アビラ
世界遺産「アビラの旧市街と城壁外の教会群」、城郭都市アビラ
世界遺産「アビラの旧市街と城壁外の教会群」、アビラの城壁
世界遺産「アビラの旧市街と城壁外の教会群」、アビラの城壁
世界遺産「アビラの旧市街と城壁外の教会群」、アビラ大聖堂
世界遺産「アビラの旧市街と城壁外の教会群」、アビラ大聖堂
世界遺産「アビラの旧市街と城壁外の教会群」、サンタ・テレサ教会修道院
世界遺産「アビラの旧市街と城壁外の教会群」、サンタ・テレサ教会修道院 (C) Rafa Esteve
世界遺産「アビラの旧市街と城壁外の教会群」、サン・ヴィセンテ・バシリカ
世界遺産「アビラの旧市街と城壁外の教会群」、サン・ヴィセンテ・バシリカ
世界遺産「アビラの旧市街と城壁外の教会群」、サン・ペドロ教会
世界遺産「アビラの旧市街と城壁外の教会群」、サン・ペドロ教会 (C) Selbymay
世界遺産「アビラの旧市街と城壁外の教会群」、サント・トマス王立修道院
世界遺産「アビラの旧市街と城壁外の教会群」、サント・トマス王立修道院

■世界遺産概要

スペイン北部カスティーリャ・イ・レオン州アビラ県の県都アビラの城郭都市はイスラム教勢力に対する国土回復運動=レコンキスタの最前線として11世紀に建設された。また、アビラの聖テレサ(イエスのテレジア/大テレジア)や異端審問官トマス・デ・トルケマダに代表されるように厳格なキリスト教信仰や活発な修道院活動の場でもあり、数々の教会堂や修道院が築かれて「聖人と石の都」の異名を持つ。なお、本遺産は1985年に城壁内の旧市街と城壁外の4堂の教会堂(サン・セグンド、サン・ヴィセンテ、サン・アンドレス、サン・ペドロ)を構成資産として世界遺産リストに搭載され、2007年に6堂が追加されるとともにバッファー・ゾーンが設置された。

○資産の歴史

紀元前5世紀以前、アビラの地には「オビラ」と呼ばれる町があり、ローマ時代に「アベラ」が建設された。この町は東西900m×南北450mの城壁に囲まれた長方形の城郭都市で、東西を横断するデクマヌス・マクシムスと南北のカルド・マクシムスという2本の幹線道路とフォルム(公共広場)を中心とした典型的なローマ植民都市だった。1世紀にはイエスの十二使徒のひとりであるペトロの弟子セグンド(セグンドゥス)が宣教を行ったと伝えられている。ゲルマン系西ゴート人の西ゴート王国時代もキリスト教都市としてありつづけたが、8世紀前半にイベリア半島をイスラム王朝であるウマイヤ朝が席巻し、756年以降は後ウマイヤ朝に引き継がれた。キリスト教勢力によるレコンキスタが開始され、アビラは一時アストゥリアス王国のアルフォンソ1世によって解放されたが、まもなく奪還された。

11世紀後半、カスティリャ=レオン王国のアルフォンソ6世が攻勢を掛け、アビラやサラマンカ(世界遺産)、セゴビア(世界遺産)を落とし、1085年にはイスラム教勢力の拠点都市トレド(世界遺産)を奪還した。アルフォンソ6世は支配体制を固めるために首都をトレドに遷し、「レポブラシオーネ(再定住)」と呼ばれる入植政策でこれらの都市のキリスト教化や城郭都市化を進めた。アビラにはアルフォンソ6世の娘婿ライムンド・デ・ボルゴーニャが派遣され、ローマ時代の城壁跡に強力な城壁を再建した。また、城壁内にアビラ大聖堂が建設されたほか、城壁外にもロマネスク様式やゴシック様式の数々の教会堂が建設された。レコンキスタが進んで前線が南に移るたびにアビラの戦略拠点としての重要性は薄れたが、後方基地として主要都市でありつづけ、1492年のグラナダ陥落・ナスル朝滅亡によるレコンキスタの完成に貢献した。

レコンキスタ完了後、スペインは異教徒にキリスト教への強制改宗を迫ったが、表面上のみ改宗を行ったモリスコ(キリスト教に改宗したイスラム教徒)やコンベルソ(同ユダヤ教徒)の問題が表面化した。カトリック両王(アラゴン王フェルナンド2世とカスティリャ女王イザベル1世)は15世紀後半に異端審問所を設置し、長官としてトマス・デ・トルケマダを任命した。トルケマダは18年の在職中に約8,000人を火刑に処したとされるが、その拠点のひとつがアビラのサント・トマス王立修道院だ。

16世紀には信仰の緩みを是正するためにアビラの聖テレサによって修道院改革が進められ、周辺都市に数々のカルメル会の女子修道院が建設された。また、詩人フアン・デ・ラ・クルス(十字架の聖ヨハネ)は詩によって神秘主義的な信仰を広め、カルメル会の男子修道院を設立した。こうした活発な宗教活動からアビラはいつしか「聖人の都」と呼ばれるようになった。

一方で、スペイン王カルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)による課税強化や都市の自治の制限が進むとスペイン諸都市は反発し、1520年にコムネロスの反乱が勃発してアビラも参加した。翌年、反乱軍が鎮圧されると諸都市の自治は大幅に制限され、絶対王政が進展した。アビラも大きく衰退し、16世紀末のペストの流行や17世紀はじめのフェリペ3世によるムーア人の追放を受けて多くの住民を失った。衰退は急激だったが、中世の街並みの維持につながった。

○資産の内容

世界遺産としては、城壁内の旧市街と城壁外の10堂の教会堂、計11件を構成資産としている。全長2,516mの城壁は1090年代に建てられたが、12世紀に大幅な改修を受けた。平均で高さ12m・厚さ3m、約2,500の胸壁(凹部と凸部が並ぶ防御用の壁)、87の塔、9基の門(カテドラル、アルカサル、ラストロ・デ・グラハル、サンタ・テレサ、マラヴェントゥラ、プエンテ、カルメン、マリスカル、サン・ヴィセンテ)を持つ。アクセスのよいアルカサル門とサン・ヴィセンテ門は要塞化されており、特に堅固に造られている。もともとは堀や跳ね橋も備えていたが、16世紀に失われた。城壁内の旧市街は基本的にローマ時代のレイアウトを引き継いでおり、中心にあるメルカド・チコ広場がかつてのフォルムだ。

城壁内の主要な建物としてアビラ大聖堂、正式名称・救世主キリスト大聖堂が挙げられる。11~12世紀に築かれたスペイン初のゴシック建築で、フランス・パリ郊外のサン=ドニ大聖堂とよく似ており、イル=ド=フランス地方(パリとその周辺)のゴシック様式の影響がうかがえる。フアン・デ・ブルゴーニュの祭壇画や、フアン・ロドリゲスとルーカス・ヒラルドによるサンタ・カタリナの祭壇が名高い。東のアプス(後陣)が城壁外に飛び出しており、堅牢な造りで城壁の一部を構成している。

サンタ・テレサ教会修道院は17世紀はじめにアビラの聖テレサの生誕地に建設されたと伝わるカルメル会の修道院で、聖テレサが埋葬されている。建物はシンプルな長方形のバシリカ(もともとローマ時代の長方形の集会所を示すが、ローマ時代末期にキリスト教の教会堂として使用されるようになり、長方形の教会堂の意味を持つようになった。一般の教会堂を示すこともある)で、バロック様式の建築・装飾で彩られている。

城壁外の教会堂について、サン・セグンド礼拝堂はペトロの弟子でアビラの守護聖人セグンドに捧げられたエルミタ(庵)だ。13世紀にロマネスク様式で建設され、16世紀に改修された。聖セグンドが願いをかなえるという伝説で愛されている。

サン・ヴィセンテ・バシリカは、ローマ皇帝ディオクレティアヌスのキリスト教弾圧にあい、ローマ神への信仰を拒絶したことで処刑された聖ヴィセンテの遺体が葬られたと伝わる場所に立っている。12世紀に建設されたロマネスク様式の荘重な教会堂で、ヴィセンテ、サビナ、クリステタ3兄弟の墓廟は見事なロマネスク装飾で知られる。

サン・アンドレス教会は12世紀はじめに建てられた市内最古級のロマネスク様式の教会堂のひとつで、鐘楼を持つ三廊式のシンプルなバシリカ式教会堂だ。

サン・ペドロ教会も12世紀、アビラ大聖堂と同時期の建設で、ベースはロマネスク様式ながらファサードのバラ窓やピナクル(ゴシック様式の小尖塔)、尖頭アーチ、交差リブ・ヴォールトなどにゴシック様式が見られる。平面プランはラテン十字式を採用している。

サン・ニコラス教会も12世紀のロマネスク様式で、三廊式のこぢんまりしたシンプルなバシリカだ。

サンタ・マリア・デ・ラ・カベツァ教会(ヌエストラ・セニョラ・デ・ラ・カベツァ礼拝堂)は13世紀建設のロマネスク様式のエルミタで、イエスの十二使徒のひとりバルトロマイに捧げられている。

サン・マルティン教会は13世紀建設のロマネスク様式の教会堂で、高い塔と木製天井を持つ三廊式のバシリカだ。16~18世紀に数々の改修を受けている。

エンカルナシオン修道院はアビラの聖テレサが16世紀に修道女となり、後に修道院長を務めたカルメル会の女子修道院だ。もともと別の場所に立っていたが、16世紀にユダヤ人墓地だったこの場所に移転した。聖テレサの修道院改革の拠点となった。

サン・ホセ修道院は16世紀創建のカルメル会の女子修道院で、教会堂は17世紀はじめにルネサンス様式で建設された。聖テレサが滞在していた修道院のひとつで、修道院改革が開始された場所として知られる。

サント・トマス王立修道院はドミニコ会の修道院で、15世紀後半にカトリック両王の支援を得てゴシック様式で建設された。修道院のクロイスター(クロイスターは中庭を取り囲む回廊)、沈黙のクロイスター、王のクロイスターという3つの美しいクロイスターで知られる。トルケマダが異端審問の拠点としていた場所で、数々の審問が執り行われた。

■構成資産

○城郭都市アビラ

○サン・セグンド礼拝堂

○サン・ヴィセンテ・バシリカ

○サン・アンドレス教会

○サン・ペドロ教会

○サン・ニコラス教会

○サンタ・マリア・デ・ラ・カベツァ教会

○サン・マルティン教会

○エンカルナシオン修道院

○サン・ホセ修道院

○サント・トマス王立修道院

■顕著な普遍的価値

○登録基準(iii)=文化・文明の稀有な証拠

アビラは城壁が手付かずの状態で完全に残されている中世城郭都市の際立った例であり、城壁内外に宗教的・世俗的な歴史的建造物が密集している非常に高い価値を持つ都市アンサンブルである。

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

アビラはトレド奪還後のカスティリャ=レオン王国の再植民政策を受けて要塞化された城郭都市の卓越した例である。

■完全性

城壁、城壁内の旧市街、城壁外の教会群といった構成資産について、これらのすべての要素は中世都市アビラの16世紀黄金時代を代表しており、顕著な普遍的価値を表現するために必要なすべての要素を含み、法律で保護されている。これらの構成資産に対する介入には厳密にモニュメントの保全を目的とした適切かつ徹底的な管理計画が必要とされており、適切に保護されている。

2007年の資産の拡大はアビラの独創的な都市構造と建造物の全体を保護するために不可欠であり、バッファー・ゾーンの設定は都市の拡大と近代的な開発に対処するために重要な役割を果たしている。バッファー・ゾーンのために追加された保護法と規制措置は旧市街の景観、あるいは旧市街からの景観を含む構成資産の保護を強化している。

■真正性

アビラの町はインフラ整備や建物の改修など、都市として生活空間として典型的な発展を遂げてきたが、こうした開発はつねに文化遺産を担当する行政部門の厳しい管理下にあった。旧市街は1982年に史跡に指定され、城壁は国指定の記念物となり、10堂の教会堂もすべて国の文化財に登録された。これらに対する介入は現行法で定められた文化遺産の規制原則を遵守しなければならず、プロジェクト実施前に行政から明確な許可を得なければならない。

こうした最高度の法的保護政策によりアビラはその形状・デザイン・位置・環境といった点で特徴を維持しており、高い真正性を保っている。構成資産ではシンプルなメンテナンスが行われており、城壁は保全が必要な部分についてのみ施され、市議会は城壁の全容を訪問できるよう注力している。城壁内の旧市街についても都市レイアウトは維持されており、現在でも中世の街並みの痕跡が認められる。

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