レマン湖のブドウ栽培はローマ時代にはじまったとされ、11世紀に建設がはじまったワイン・テラス(棚/段々畑)と湖・アルプス山脈が調和した美しい文化的景観が1,000年以上にわたって伝えられている。レマン湖東部の北岸、ローザンヌからモントルー南のシャトー・ド・シヨンまで約30kmにわたって延びるラヴォーのワイン街道のうち、世界遺産として登録されているのは13kmほどで、北西から南東へリュトリ、ヴィレット、グランヴォー、キュリー、リエ、エペス、ピュイドゥー、シェーブル、リヴァ、サン=サフォラン、シャルドンヌ、コルソー、コルシエ=シュル=ヴヴェイ、ジョンニーの14コミューン(自治体)を貫いている。なお、コルソーのバッファー・ゾーンには世界遺産「ル・コルビュジエの建築作品 - 近代建築運動への顕著な貢献」の構成資産である「レマン湖畔の小さな家」が含まれている。
レマン湖はスイス・フランス国境に位置するアルプス地方最大の湖で、北岸がスイス、南岸がフランスに属している。日の当たりのよい北岸を中心に古くからワイン生産が盛んで、ローマ時代の遺跡から発掘されたラテン語の碑文にはワイン製造に関する記述が見られる。ブドウ栽培に関する最古の記録は9世紀のもので、レマン湖周辺に畑があったことが記されている。この地域はローザンヌ司教の教区だったが、11世紀にはシトー会の修道院がブドウ畑を運営していた。12世紀には1138年にオーテリーヴ修道院、1141年にオートクレト修道院、1142年にモンテロン修道院といったシトー会やベネディクト会の修道院が設立された。中世、修道士たちは生涯を貧しいまま生き、隣人を愛しつづけたイエスの生涯を範として生活を行い、地方で清貧・貞潔・服従といった修道誓願を立て、「祈り、働け」といった戒律の下で厳しい修行生活に勤しんだ(上の誓願や戒律はいずれもベネディクト会)。修道院は地方の山地を切り拓いて農業や工業を興し、教育施設や治療所を設けて地域の近代化や振興に多大な影響を与えた。特にイエスの血とされるワインの製造は各地で行われ、種々の修道院ワインを生み出した。
北にペルラン山を頂くラヴォー地区は急な斜面を持ち、石灰岩を主とする土壌は水はけがよくワイン栽培に適していた。修道士たちは石灰岩を積み上げ、モルタル(セメントに水と砂を加えて練り混ぜたもの)で固めて斜面に石垣を築き、湖と平行に段々畑を広げていった。直射日光・湖面の反射光・石垣の反射光と「3つの太陽」と呼ばれる強い日差しが良質のブドウを育み、高品質のワインが醸造された。ワインの評価はきわめて高く、ローザンヌやベルン(世界遺産)の貴族たちを魅了し、1397年にはローザンヌ司教の収入の1/4をラヴォー産ワインが占めたという。修道院は開拓した畑や山上の牧場・牧草地・果樹園を農民に貸し出したため、一帯には農牧の混合農業を行う農家の集落が連なった。耕作地の土地価格が高騰して貴族の関心を集め、ブドウの栽培地も拡大したが、品質を維持するために土地売買やワイン製造に関する種々の法律が制定された。15~16世紀に土地の効率と排水性を向上させるために段々畑の大々的な改修が行われ、1536年にはベルンの統治下に入った。
1798年のナポレオンによるスイス侵攻後に自治体が再編され、1803年にローザンヌがヴォー州の州都となり、1848年にスイス連邦が成立した。そして道路が改良されて1861年に鉄道が開通し、これに伴って農業の改革が行われて乱立していた小さな区画が整理された。1886年にフィロキセラ(ブドウネアブラムシ)が流行してほぼすべてのブドウの木が枯れた。アメリカ品種の接木によって回復し、伝統的なゴブレット式(3~5本の枝を残してゴブレットのような形に剪定すること)の栽培法から、線上に杭やワイヤーを並べてブドウの木を固定するギュイヨ・サンプル式などの近代的な農法が導入された。また、危機に対応するため連邦の管理が強化され、品質と価格を維持するために厳しい規制が敷かれた。
第2次世界大戦後にローザンヌなどの町が発展し、ブドウやワインの生産者は畑を離れて町に住むようになった。山上の牧場や牧草地・果樹園の多くが消滅したが、1957~77年にかけて伝統的な混合農業を推進する法律が制定されたことで増加傾向にある。現在、部分的に機械化が進められているが、基本的にブドウ栽培は手作りで、段々畑も当時の区画・形状を維持している。ただ、第2次世界大戦後に開拓されたローザンヌやヴヴェイ、モントルーといった都市周辺のブドウ畑は世界遺産には含まれていない。
ラヴォー地区のブドウ畑はよく保存された景観と建造物を通して1,000年以上に及ぶ文化的伝統の継続・進化・発展の様子を目に見える形で示している。
ラヴォーのブドウ畑の景観の進化は段々畑で証明されているように、きわめて価値の高いワイン生産地の支援・管理・保護の歴史を生き生きと描き出している。これらはローザンヌと周辺地域の発展に大きく貢献し、地理的・文化的側面において重要な役割を果たした。
ラヴォーのブドウ畑の景観は何世紀にもわたる人間と環境との相互作用を具体的かつ生産的な方法で示している。地域の資源を上手に活用して地域経済の要である高い付加価値を持つワインの生産を可能にした卓越した例である。都市部の居住地の急成長による景観変化の危機に直面しているが、地域社会の強い支持を得て保護措置が進められている。
資産には段々畑を中心に農家の住宅・醸造所・セラー・砦などブドウ栽培とワイン製造のプロセスに関するすべての要素が含まれており、少なくとも12世紀以降の伝統的な栽培地域を網羅している。段々畑は継続的に使用されており、所有者の情熱と献身的な取り組みもあってよく保全されている。都市開発もコントロールされているが、バッファー・ゾーンを貫くA9線については完全性に多少の影響を与えている。
石造りの段々畑は数世紀をかけて現在の形に進化した。19世紀末からフィロキセラへの対応や大規模化のため畑の合併が行われたが、特別な事情がない限りこれ以上の大きな変化は抑制されている。一部で石垣を鉄筋コンクリートで補強している畑も見られるが、道路や鉄道沿いなどごく一部の例外に留まっている。