ハンザ同盟都市ヴィスビュー

Hanseatic Town of Visby

  • スウェーデン
  • 登録年:1995年
  • 登録基準:文化遺産(iv)(v)
世界遺産「ハンザ同盟都市ヴィスビュー」、ヴィスビューの港。中央上がヴィスビュー大聖堂
世界遺産「ハンザ同盟都市ヴィスビュー」、ヴィスビューの港。中央上がヴィスビュー大聖堂
世界遺産「ハンザ同盟都市ヴィスビュー」、アルメダール公園。左上の階段破風が旧薬局、中央上がヴィスビュー大聖堂、右の三角破風は聖カタリナ教会、中央の横ラインは輪壁
世界遺産「ハンザ同盟都市ヴィスビュー」、アルメダール公園。左上の階段破風が旧薬局、中央上がヴィスビュー大聖堂、右の三角破風は聖カタリナ教会、中央の横ラインは輪壁
世界遺産「ハンザ同盟都市ヴィスビュー」、ヴィスビュー大聖堂
世界遺産「ハンザ同盟都市ヴィスビュー」、ヴィスビュー大聖堂 (C) L.G.foto
世界遺産「ハンザ同盟都市ヴィスビュー」、ヴィスビューの輪壁、中央はトランフストル塔(魚油塔)
世界遺産「ハンザ同盟都市ヴィスビュー」、ヴィスビューの輪壁、中央はトランフストル塔(魚油塔)
世界遺産「ハンザ同盟都市ヴィスビュー」、ハンス・ブルマイスター邸
世界遺産「ハンザ同盟都市ヴィスビュー」、ハンス・ブルマイスター邸 (C) Arkland
世界遺産「ハンザ同盟都市ヴィスビュー」、中央が旧薬局
世界遺産「ハンザ同盟都市ヴィスビュー」、中央が旧薬局 (C) Banja-Frans Mulder
世界遺産「ハンザ同盟都市ヴィスビュー」、聖カタリナ教会跡
世界遺産「ハンザ同盟都市ヴィスビュー」、聖カタリナ教会跡 (C) Esquilo
世界遺産「ハンザ同盟都市ヴィスビュー」、聖クレメンス教会跡
世界遺産「ハンザ同盟都市ヴィスビュー」、聖クレメンス教会跡 (C) W.carter

■世界遺産概要

12~14世紀にかけてバルト海貿易を牛耳ったハンザ同盟の拠点として発展したゴットランド島の港湾都市ヴィスビュー。13世紀に築かれた「輪壁 "ringmuren"」と呼ばれる市壁に囲まれた城郭都市で、中世の美しい街並みがいまに伝えられている。多くのバラで彩られていることから「バラの都」、あるいは美しい廃墟が点在していることから「廃墟の都」の異名を持ち、スタジオ・ジブリのアニメ『魔女の宅急便』のロケ地としても知られている。

○資産の歴史

中世、バルト海の中央に浮かぶゴットランド島はヴァイキング(9~11世紀頃、スカンジナビア半島やユトランド半島を拠点に活動したゲルマン系ノルマン人)の交易拠点で、ヴィスビューの地は自然の港と真水に恵まれていたことから港湾都市として整備された。毛皮や魚・動植物油・木材などを輸出するだけでなく、ロシア・イギリス・ドイツ北部などを結んで中継貿易を行った。12世紀までにヴィスビューはバルト海貿易の最大拠点となり、ほとんどの航路はヴィスビューを経由した。

1143年にドイツのバルト海沿岸部に東方植民の拠点として港湾都市リューベック(世界遺産)が建設された。ヴィスビューとの航路を確立すると数多くのドイツ商人がヴィスビューに進出し、やがてデンマークやロシアの商人がこれに続いた。ドイツ人たちは貿易商人で集まって「ハンザ(商人ハンザ)」と呼ばれるギルド(職業別組合)を形成し、協力して貿易を行った。ヴィスビューにはさまざまなギルドの拠点となるギルドハウスや交易品を保管する倉庫が立ち並び、それまでの木造住宅が石造住宅へと建て替えられた。1225年にドイツ商人のための教会として聖マリア教会(1572年以降はヴィスビュー大聖堂)が奉献されたほか、各教派各ギルドの教会堂や北ヨーロッパや東ヨーロッパへの宣教拠点として数多くの教会堂が建てられた。13世紀にはバルト海随一の国際交易都市に成長し、町は輪壁と呼ばれる市壁で囲まれた城郭都市となった。14世紀前半に公布された海事法・ヴィスビュー法がバルト海を取り仕切り、北海や地中海の海事法にも影響を与えた。

ドイツでは神聖ローマ帝国が都市に自治権を与え、帝国都市(諸侯の支配を受けず神聖ローマ帝国の下で一定の自治を認められた都市)となった。14世紀に入るとハンザはリューベックを盟主に帝国都市を結ぶ都市同盟となり(都市ハンザ)、ドイツ外も含めて加盟都市は70前後に及んだ。ハンザ同盟は海外拠点としてロンドン、ノヴゴロド、ブルージュ、ベルゲン(以上、すべて世界遺産)に外地商館(外地ハンザ)を置き、この過程でヴィスビューの主導的立場は失われた。

14世紀半ばから混乱の時代がはじまる。まず、1350年にペストが流行し、8,000人以上の犠牲者を出した。1361年にはデンマーク王ヴァルデマー4世がヴィスビューを急襲して併合。東方への拠点を奪われたハンザ同盟は連合艦隊を編成して攻撃したが、敗北に終わった。1367年にケルンで会議を開いて内陸部の都市の参加を募り(ケルン同盟)、翌年同盟軍はデンマークの首都コペンハーゲンを襲撃して勝利を収めた(以上、第2次デンマーク=ハンザ同盟戦争)。1370年のシュトラールズント(世界遺産)の和議でハンザ同盟はデンマークにバルト海における自由貿易を認めさせ、ヴィスビューの自由を回復した。

デンマークの摂政マルグレーテ1世は姉の娘の息子であるエーリク7世を立てて3か国の国王に即位させ(デンマーク王エーリク7世、ノルウェー王エイリーク3世、スウェーデン王エリク13世)、1397年に3国によるカルマル同盟が成立した。実質的にデンマークを盟主とし、マルグレーテ1世を国王とする同君連合に近いものだった。さらにヴィタリアンと呼ばれる海賊団を雇ってヴィスビューを攻撃させ、ドイツ騎士団に与えて占領させた。エーリク7世は1408年にドイツ騎士団からヴィスビューを購入し、ヴィスボルク城(ヴィスビュー城)を建設して居城とした。エーリク7世は海賊を雇い、また自身も海賊行為を繰り返したためヴィスビューの貿易活動は停止し、1470年にはハンザ同盟都市としての立場も解消された。1525年、リューベックを中心とするハンザ同盟の連合艦隊がヴィスビューを攻撃し、町を徹底的に破壊した。特に教会堂については多くが破壊され、その後の宗教改革もあって聖マリア教会以外のすべての教会堂が閉鎖・放棄された。デンマークはヴィスビューを奪還し、1572年に聖マリア教会を大聖堂とするが、繁栄は二度と戻らなかった。

1645年、ブレムセブルー条約によってヴィスビューはスウェーデン領となり、まもなくデンマーク人はヴィスボルク城を破壊して本国に帰還した。18世紀以降、少しずつ復興するが、石造建築を免税とする政策を実施するなどしたため輪壁内の中世の石造建築が保存された。

○資産の内容

世界遺産の資産は全長3.4kmの輪壁周辺とその内部だ。輪壁は13世紀に高さ6mほどで建設され、14世紀に高さ10~11mほどに改修されて29基の大塔と22基の小塔が設置された(現存するのは27基と9基)。城門は北・東・南にあって西に港が隣接しており、町は港と平行に敷かれた3本のメインストリートを中心に設計されている。こうした都市グリッドの多くは現在に引き継がれている。

中世、ヴィスビューはスウェーデンのどの都市よりも教会堂の密度が高く、教区教会やギルド教会、各教派の教会、修道院教会、病院協会など輪壁内に15堂、輪壁外に2堂を数えた。しかし、16世紀のリューベックによる攻撃と宗教改革によってヴィスビュー大聖堂を除いてすべてが閉鎖された。現在、城内には聖ペトロ=聖ヨハネ教会、聖カタリナ教会、聖ドロッテン教会、聖霊教会、聖ニコライ教会、聖クレメンス教会、聖ローレンス教会、聖オラフ教会、聖ガートルード教会、ロシア教会の10堂の廃墟が残されている。これが「廃墟の都」の異名の由来だ。

現存する代表的な宗教建築として、町のランドマークとなっているヴィスビュー大聖堂、正式名称・聖マリア教会が挙げられる。創設(奉献)は1225年と伝わっており、1572年に司教座が置かれて大聖堂となった。ロマネスク様式のバシリカ式(ローマ時代の集会所に起源を持つ長方形の様式)・三廊式(身廊の上下に側廊を設けた様式)の教会堂で、全長55.5m・幅24.7m、西ファサード(正面)に高さ58mで正方形の西塔、東のアプス(後陣)に小型の2基の八角形の東塔を備えている。西塔は15世紀、東塔は18世紀に増築されたものだ。内部は尖頭アーチや交差リブ・ヴォールト(枠=リブが付いた×形のヴォールト)、ゴシック彫刻、ステンドグラスといったゴシック様式の要素が見られ、至聖所には1905年に設置されたゴシック・リバイバル様式の主祭壇が置かれている。数多くの教会堂が築かれたヴィスビューにあって、唯一、その歴史を貫いてたたずんでいる。

ヴィスビュー植物園は1855年に設立された植物園で、海岸沿いに伸びるギルド街を改修して植物園とした。内部に聖オラフ教会の廃墟がたたずんでいるほか、周辺には17~20世紀に築かれた画家や商人・葉巻職人・大工をはじめとするギルドハウスがたたずんでいる。その内のひとつをホテルに改修して営業しているのが聖クレメンス教会跡の脇に立つホテル・セント・クレメンスで、ホテルが教会跡を管理している。

城内には約200もの中世・近世の建造物が伝わっているが、多くは13~17世紀に建設されたもので、長方形の平面プランと切妻屋根を持つ石造高層建築で、かつては倉庫やギルドハウスとして使用されていた。代表的な建物がユニークな階段破風を持つ旧薬局で、もともとは13世紀に築かれた倉庫で地下倉庫を冷蔵室として使用していたが、19世紀に1階が薬局になったことからこの名が付いた。ドナーシュカ邸は12世紀に建設された最古級の石造建築で、幾度もの再建を経ているが、一部に12世紀当時の姿を留めている。現在は観光局が入っている。旧レジデンツは1647年に知事官邸として建設された建物で、現在は市の施設として使用されている。歴史的な木造建築も多く、17世紀建設のハンス・ブルマイスター邸は横板や横木を積み上げたログハウス(丸太=ログで築いた建築物)で、ヴァイキング時代から伝わる木工技術を応用したものとなっている。

■構成資産

○ハンザ同盟都市ヴィスビュー

■顕著な普遍的価値

○登録基準(iv)=人類史的に重要な建造物や景観

ハンザ同盟都市ヴィスビューは北ヨーロッパの中世城郭都市の卓越した例であり、1161~1360年のあいだハンザ同盟のもっとも重要な交易都市のひとつだった。輪壁内には13世紀後半の都市形態と機能が驚くほど完全に保たれており、輪壁や都市グリッド・教会跡・中世の建物や街並みにそれらがよく反映されている。

○登録基準(v)=伝統集落や環境利用の顕著な例

ヴィスビューは中世の社会的・経済的・文化的変化に適応して時間をかけて進化した都市形態と機能を維持しており、伝統的な人間の居住地の際立った例である。中世の輪壁に囲まれた交易都市の歴史的街並みは現在に至るまでその特徴を維持しており、機能的な連続性は郡・教区・商業・住宅街としての構造に反映されている。

■完全性

資産は中世の都市計画の大部分がそのまま残る輪壁で囲まれた中世の街並みと周辺の堀とオープンスペースで、その多くは良好な状態にある。輪壁は長年にわたって部分的な損傷を受けており、2012年に一部が倒壊したことで修復が行われた。修復は成功し、構造と保存状態について新たな知見が得られた。廃墟となっている教会遺跡について、イベントなどの活動への利用が増加していることから影響評価やガイドラインの整備が必要で、保全原則を無視した建物の修復は資産の価値に累積的に負の影響を与えることになる。城郭都市と歴史的なスカイラインの視覚的な完全性は都市の拡大と発展に伴って脆弱になっており、また町の機能的な連続性と構造は機能の多様化と伝統的な建築技術の喪失に対して脆弱である。特定の重要な建造物や遺跡は資産外に位置しており、たとえば聖ジョージ修道院やソルベルガ修道院の遺跡、中世の絞首台の丘、石灰岩採石場、都市への入口にあたる通りなどが挙げられる。

■真正性

ヴィスビューは北ヨーロッパの城郭都市であり、要塞化された交易都市としてはもっとも保存状態のよいもので、初期のハンザ同盟都市の中でもっとも完全な都市でもある。ヴィスビューの都市構造と全体的な街並みは建設当初の姿を引き継いでおり、もっとも重要な特徴となっている。通りは港を中心にデザインされ、レイアウトは不規則ながら幹線道路は港へと続いており、一部はヴァイキングの集落時代から伝わるものである。

ハンザ同盟の交易拠点として活動したその全盛期以来、石灰岩で築かれた倉庫が海岸線に平行した3本のメインストリートに沿って立ち並んでいる。こうした中世の建築の真正性は長方形の平面プランや形状・サイズ・高さ・素材といった点で実証されている。ゴットランド島の石灰岩や石膏・モルタルの生産・使用の伝統はそのまま残っており、遺産の保全と職人技術の継承に重要な役割を果たしている。

輪壁はほとんど手付かずの状態で伝えられており、真正性はきわめて高いレベルで維持されている。輪壁の外に広がる乾堀と周囲のオープンスペースの保存状態もよく、コンパクトな中世の町を強調し区別する外辺を形成している。輪壁の北に位置する3本の平行した堀は特に特徴的だ。20世紀の都市計画では輪壁外部をガーデンシティとして開発し、オープンスペースの多くをそのまま残し、建物も高さを厳しく制限して建てられた。中世の教会は放棄されてその機能を失ったが遺跡としてありつづけ、ヴィスビューの建築と歴史をいまに伝え、その象徴となっている。

ヴィスビューは14世紀に交易都市としての役割を失ったが、小売・ビジネス・住宅・教育・文化・観光といった面で現在の街並みに大きな影響を与えており、都市としての継続性は維持されている。公共機関の輪壁外への移転はオフィス地帯を季節感のある住宅地に替え、町のスピリットを回復する手助けとなっている。ただ、ゴットランド島とヴィスビューは魅力的なリゾートであり、経済力のある不動産所有者はこの地の保全にとってプラスにもマイナスにもなりうる。

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